プロローグ
プロローグ
I
これはまさに天国と言えるだろう。
見渡す限り白や黄、赤、青の花畑。それらが放つ仄かで心安らぐ香り。小鳥たちが奏でる美しい大合唱。雲ひとつなく晴れ渡る空。それだけではない。何といっても5人のスタイル抜群な巨乳美女に囲まれ、食べきれないほどのご馳走を貪るように食べる。今までの暗い貧乏生活からは想像できないようなことばかりだ。
「サヨナラ貧乏!ヨロシク天国!」
思わず叫んでしまった。こんなに嬉しい感情になったのはいつぶりだろう。
酒もたらふく飲んだ。まぁ、未成年だから罪悪感はあったが。それでもいつも以上に気分が良い。思わず彼女らの胸を鷲掴みしてしまった。なんて言うんだろう、柔らかいという言葉で形容するには単純すぎる感触だ。現実世界だとちょっと触れるだけで顔を顰められ警察沙汰になるのに、こっちだとそれはないしむしろ彼女らは喜んでいる。
極彩色の花々に影を隠しつつも寂しそうにこちらを見つめる少女が1人。俺はその少女が常人とは違うオーラを放っているように感じた。
「お〜い、一緒に遊ぼう!」
現実世界だとただの誘拐犯でしかないこのセリフ。その少女は嬉しそうな表情でこちらに走って向かう。
「そうだ。花火を見せよう。見ててな。」
もちろん本物ではない。およそ200メートル先の空気を圧縮してそれを100メートルほど上に浮かせてもとの圧力に戻す、すなわち爆破というプロセス。綺麗なあの模様の正体は空気の分子同士が激しく衝突し合って出る火花だ。
「わ〜すご〜い!」
「凄いですわ!」
現実世界の物理法則が通用しないので形は少し不格好だが、美女たちに喜んでもらえるとなんか清々しい気持ちにもなる。しかし、少女は楽しげな表情の中にも少しの不安や葛藤を残しているように思えた。
この後も7人で水辺や木の上、洞窟などに行き、遊び呆けたが、疲れる気配がまるでない。
すると、空には赤くゴツゴツした大きな岩。すぐに極楽世界は真っ暗で出口の見えないような暗黒世界へと変貌した。
II
「痛えな。」
と右頬を抑えながら布団から起き上がろうとすると、すかさず俺、東堂梁也の腹の上に跨っている妹の沙耶乃は俺の左頬に右フック。
「何すんだよ!」
「だって……」
と、頬を赤らめながら小声で言った単語ひとつひとつを繋げて纏めるととこうなる。
俺はどうやら寝ている間にニヤニヤしながら意味不明な言葉を発し、あろうことか俺を起こそうと俺に跨った(何故かは知らない。知りたくもない。)沙耶乃の胸を揉んでいたらしい。
全く出鱈目だ。いや、さっきの天国が夢だと仮定すると……夢の中で揉んでいた女の胸は実は沙耶乃の胸だったってことになるかもしれない。まぁ確かに沙耶乃は中2にしては背も高めで出るところは出ている。俺の友達は口を揃えてスタイルが良く顔も整っていて理想の妹だという(俺は当然そうは思わんのだが。顔しか見ていないから易々とそう言えるのだろう)。これは大昔の学者フロイトさんに相談したいものだ。
そんなことはどうでもいい。それより今は……8時12分だと!?ここから学校までチャリで1時間。親は仕事で居ないし車は無理だ。補習は8時半スタート。どう足掻いても間に合う訳がない。瞬間移動が使えない限りは。よし、休もう。と独り言をしていると、
「ふざけんな!」
と言い沙耶乃は拳を加速度2.0メートル毎秒毎秒で俺の顔面に当ててきた。
冬は凍り、夏はぬるま湯が出るボロアパートの水道管からは水が出ない。まぁ、格安ボロ屋だからこんなことにキレても何も始まらないので顔を洗うのを諦め、今日初めて自分の顔を鏡で見た。ノックアウトしたボクシング選手のような顔になっていた。腫れ上がった目元、頬には痛々しい痣、止まらない鼻血。
「おい、沙耶乃!なんつーこと、しとるんや!」
当然、無言なのである。沙耶乃にとって罪は全て俺にあり、俺の顔を殴ったのは正当防衛の一種であるからだ。じゃあ、気をとりなおして話題変えてみる。
「今日断水らしいぞ。飯はどうするんだ?」
「そんなのコンビニで買えば良いじゃない。」
「おいおい、コンビニ以外の選択肢は無いのか?例えば近所の人の家に飯を分けてもらうように頼むとか。俺の家含め、周りは貧乏だからコミュニケーションして助け合うのが大事だろ?」
「何?あたしがコンビニで飯食ったらダメなわけ?信じらんない!あんな低俗どもの飯よりかコンビニの方が何倍もマシじゃない!」
「低俗って失礼だろ!それにお前も立派な低俗だ。人にばっかり言えたもんじゃねぇだろ!」
「うっさい、うっさい、うっさーい!アンタだって周りを貧乏って言ってんじゃない!この変態ケチエロクソ野郎!」
全く女という生き物はなぜ、こうも口を開けば悪口が出てくるのだろう。とりわけ、妹は背後に親がいることが多いため、言い返して泣かせでもしたら遺産の配分を減らすぞと親に理不尽な脅しを受ける。
とにかく、こんな顔では学校に行ける訳もなく結局学校を1週間休むことにした。
今日は西暦5000年7月22日。人類がこの惑星ディアースに到達してちょうど1000年。世間一般では夏休み最初の日だというのに俺の学校は全員強制参加の補習がある。
III(諸事情により割愛)
IV
沙耶乃に殴られた顔の件だが痛みと腫れが引きそうないので折角のバイトで貯めた金を叩いて病院へ行く。
「あぁ〜、こりゃひどいね。どがんしたらそうなったの?」
と、禿げ散らかした眼鏡の、長い白髭が特徴の医者が尋ねる。
「あの……お恥ずかしい話なんですが、朝妹に顔殴られて……」
「フハハハハハ、最近は女子も強うなったのう。さっき診せに来たアンタと同じくらいの男ん子も昨日診せに来た大学生も妹に殴られたって言ってたしな。そりゃ〜、兄妹仲がよろしゅうて羨ましいですわい。あんまり仲良過ぎるのもいけませんですぞい。フハハハハハ」
正直笑い事で済んだら医者に診せないんですけどね……ってか俺と同じ理由でここに来たのが2日間で3人いるとは。これは男女の力関係がいつ逆転してもおかしくないようだ。
「ところでアンタ、東堂沙耶乃ちゃんって女の子は家族とか親戚に居らんか?」
唐突になんだ?このジジイは。東堂沙耶乃は普通に俺の妹だが?
「俺の顔面を殴った妹ですが。」
「やっぱそうか。道理で苗字が同じだし、顔が若干似てると思った。ワシの真ん中の娘がよう好いとるから、気になって娘の雑誌を勝手に見たんよ。そしたら、超べっぴんさんなもんだからワシもハマってな、フハハハハハ」
ガチでこのジジイ趣味疑うぞ。てかアイツが雑誌に載っているてことは……。するとジジイ医者は雑誌を俺に渡した。表紙を見ると悪い予感はしていたが、ゲバケバの化粧を施した顔は笑顔全開で全身は流行りのコーデとやらで着飾りポーズを決める沙耶乃の姿が。クッソあいつ……金がないからといって読者モデルで荒稼ぎしているとは……クソッ、反論の言葉が見当たらない。
変な話ばかりしていたジジイ医者だが手際よく手当と検査を進め、気付けば今日の治療は終わったらしい。不幸中の幸いなのか、骨が折れたりヒビが入ったりというのはないという。
外は灼熱地獄のように暑い。それもそのはず、近くの温度計は41度を表示している。病院の中は冷房が無駄に効いていたため余計に暑く感じる。遠くの地面は蜃気楼で世界が歪んだかのように錯覚させる。
「おぅ、トドヤンやないか!補習サボってここで何しとるん?」
と、背後から突然声がした。ところでトドヤンとは俺のあだ名である。由来は俺の名前を早口で言うと「トドヤン」になるらしい。全く出鱈目だ。
振り返ると級友の、金髪と四角の黒縁メガネが特徴の葛麻左吉が体操着姿で全身汗だくになりながら息を切らしていた。
「別にサボってなんかねーよ。朝妹に殴られて病院に診せに行ってたんだよ。このガーゼの下がその証拠だ。それよりお前こそここで何してるんだ?」
「補習の日の4限は学校から駅までダルいダルいランニングなんよ。こんな暑い暑い日にな。呪校(西日本呪術学校の略)の奴らは呆れるほど真面目だから愚痴は言いながらもサボる奴は居ないからこうして渋々走ってるってわけ。そしたら、私服姿のトドヤンが居ったっちゅーことよ。それにしても妹に顔殴られて休めるならトドヤンは天国行き並みに幸せ者だよ。」
「本当は行かないと今後の予定に差し障るから補習あまり休みたくなかったんだけどな。補習休むと振替行かないといけないし。振替サボると面倒臭い宿題させられるし。でも、殴られたときの顔が相当ヤバくて学校行けないから、渋々休んだんだよ。殴られて幸せ者ってただのマゾヒストじゃねーか。お前にそんな趣味があったとしても俺にはそんな趣味ないんだよ。」
「オレだってそんな趣味ないがな。このクソ暑い昼に走るのと朝妹に殴られるのとを天秤にかけたら妹に殴られる方が良いだろうよ。」
「俺だって骨折れたかと思ったくらい痛かったんだからな!」
「人間の骨は簡単に折れはせん。おっと、ここで道草食ってる暇ないから、じゃあな。早く治せよ、その傷。」
と言って葛はサウナのような熱気の中、走り去って行った。
補習を休むということは当然バイトも休むことになる。最近は夏休みに使う金を貯めるために働ける分だけ働いてフリーな時間がなかったので折角のこの時間、1人だが駅周辺を散策しようと思う。
駅はサタンポリス市内で最大の駅だがとにかく貧弱で小さい。一応特急は止まるため中の店はあるものの最低限のものしかない。
俺は、そんなみすぼらしい駅を見て10年くらい前俺がこの辺りで物乞いをしていたことを思い出した。あの時は父が蒸発して生活の宛てがなく、炎天下の中倒れそうになるまで物乞いをした。結果得たものは会社員のオッサンが吐いたガムのみ。弱冠6、7にして社会の厳しさを知らされた。
やはり10年経った今でも路上ライブや似顔絵でチップを集める人は居る。そんな中、俺は1人の物乞い少女と出会った。
その少女はなんというか、他の人とは違う雰囲気を醸し出していた。真夏なのに長袖長ズボンを履いているからではない、それと違った雰囲気。日焼けを知らない白い透明感のある肌、北方系の白人のような青く透き通った目、長く真っ直ぐ伸びた銀髪……それはその少女の外見の特徴であって雰囲気とは違う。
「やあ、困った顔してどうしたんだい?」
何で話しかけたし、俺。ただでさえ不審者に間違えられなくもない顔の俺が健気にも物乞いをする少女に話しかけるとは。その少女は俺の顔に当ててあるガーゼが気になるのか、ずっと俺を見つめる。
「あ、お金か。残念ながら病院代でちょうど無くなったんだよ。その代わりと言ってはなんだけど、これあげるよ。」
と言い、俺はポケットの中にあるグレープ味のアメを1個少女に渡した。炎天下でさらにポケットの中に入っていたアメは少し溶けて、小さな紫の袋にベットリとひっついている。俺は少女の手に乗っているアメの袋に触れずに袋の中の圧力を下げて袋を膨らかし、ひっついていた袋とアメを剥がした。
俺には周囲の圧力を調節する能力を持っている。俺にしか見えない赤い点を自分の意志と指で動かし、座標を決める。この座標を中心に圧力を変更する空間を定め、圧力を高くまたは低くする。これは魔術ではなく魔法。実は俺はここサタンポリスで異端視されている存在、つまり魔法師である。
「いやぁ、ベトベトのアメしかなかった。ゴメンね〜。また会ったときはもっとマシなやつをあげるからさ。」
「ありがと!」
その少女は元気に言った。そういえば、声は聞いていなかったな。
「物乞いするのはいいけど、暑いから無理はせんように。あと日陰に居るように、いいね?」
「うん、わかった。」
のちにこの少女が危険な存在であるということは今の俺が知るよしもない。
あまりの暑さに俺の体はこたえ、駅周辺の散策をやめた。真夏の真昼の陽光に照らされ郊外の寂れた農村にある俺の家に帰った。1秒でも早く顔の傷が治ってほしいものだ。