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【 おもちゃはダメ! 】

ちゃお、美少女のはるるんだYO♪

こないだ、彼氏と友達と遊びにでかけたんです。

街を歩くと、ショーウィンドウとかあるでしょ?

そこに自分の姿が映るじゃない?

わたしと彼氏は、そこで髪を直したり服を直したりするの。それを二分とか三分とかやってるの。

「あたしさぁ、服屋で女の買いものを待ってる男の子の気持ちわかるわ……」っていっしょに歩いてた友達に言われたね。

友達と歩く時は鏡見て直すのやめます。すみませんでした……

 月曜日。平日だ。学校に行く日である。陽太はいつものように始業開始寸前に学校へついた。大騒ぎだった。もちろん、原因はおもちゃが動いてしゃべるからである。通りすがる教室の全部でおもちゃがはしゃいでいた。

「おいアニキ、学校ってのはずいぶん騒がしいところなんだな」

 陽太のカバンの中から顔だけ出して、騒がしい周囲をながめるナックル。

「いつもはこんなんじゃねぇよ。おまえみたいなのがたくさんいるから大騒ぎになってんだ」

 陽太が席についてすぐに教師が教室に入ってきた。生徒指導主任の櫻井孝一だ。おはようとも言わず、開口一番こう叫んだ。

「おもちゃをしまえッッ!」

 怒号が教室に響き渡る。言葉ではなく怒りを直接放ったような声だった。生徒たちはあまりの声量に驚き、すぐに静かになる。

「今、学校全体でおもちゃの持ちこみが多数見受けられた! 多数なんてものではないな。ほとんどすべての生徒がおもちゃを、学業に不要なものを持ちこんでいた! ただちにしまえ! 二度と持ってくるな! いや、買うんじゃない! 恥ずかしいと思わないのか! いい年しておもちゃなんてもので遊んで。恥を知れ! 小学生ならまだわかるが、おまえたちはいったい何歳なんだ! 高校生だぞ! もう十六だろう! なぜ遊んでいるんだ! もっと勉強をしろ! 体を鍛えろ! いい仕事ができるよう力をつけろ! 遊んでいるヒマなんかないんだ! 親に苦労をかけることになるぞ! 親を泣かせることになるぞ! 親に自分を誇りに思ってほしくないのか! 子供が不出来で、人様に見せられないほど恥ずかしいと親に思われたいのか! ふざけるな! もっとまじめになれ! もっと考えろ! 年にふさわしい行いをしろ! バカモノどもめ!」

 櫻井の激しい口撃に、生徒たちは口をつぐんで縮こまった。

 しかしこの言葉に黙っていなかったのがおもちゃたちである。

「おもちゃなんてってなんだよ! おれたちをバカにすんじゃねぇっ! おれたちは宇宙でたった一つのおもちゃなんだぞ! ただのおもちゃじゃねぇ!」

「そうだぁっ! なにが恥ずかしいだっ! 勝手なことを言うな! ぼくらおもちゃは、大事に遊んでもらってるから生きてるんだ! それを悪く言うなら絶対に許さないぞー!」

「人の気持ちがわからないバカは黙ってろ! クソ教師ィ!」

 おもちゃたちは不満を罵詈雑言に乗せて櫻井を非難した。黙っていられなかったからだ。おもちゃである自分自身を悪く言われたのなら黙っていたかもしれない。しかし、悪く言われたのは自分のホルダーだ。自分をフィギュアとして覚醒させるほど愛して遊んでくれた人である。好きでたまらない大好きな友達なのだ。この世で、この宇宙でたった一人の大切な人、それが悪く言われたのだ。黙っているはずがない。黙ることなどありえない。黙っていろと言われたナックル以外のおもちゃたちは全員、教師に怒りと不満を最大限以上にぶっぱなした。

「おもちゃが、しゃべるゥ!?」

「そうだあ! 今はおもちゃもしゃべって動く時代なんだよ! だから気に食わねーことがあればこうやって文句も言う!」

 櫻井は驚きに目を見開いた。教室をぐるっと見回して、すべてのおもちゃを注意深く観察する。さまざまな大きさ、形のおもちゃが全身を動かしている。それは確かに不満を募らせ怒りを表現しているように見えた。どのおもちゃも目つきが鋭く、怒っているとはっきりわかる表情をしている。自分の発言に対する受け答えがノータイムで具体的だったことを考えると、おもちゃとしての機能でそう発言してるとは考えられなかった。信じられないことだが、このおもちゃたちは自分の意思を持っている!

「うるさああああああああああああああああああああああああああああああい!」

 信じられない出来事を前に櫻井は混乱したが、だからと言って自分の気持ちを引っこめるわけでもなかった。娯楽が憎いという気持ち。娯楽の象徴たるおもちゃへの憎しみ。これは収まらない。むしろ、おもちゃが自我を持ったことでなおさら憎しみが深まった。物言わぬはずのおもちゃが、自分に対して明確な敵意を向けてきたのだ。櫻井の怒りは加速した。

 壊す勢いで扉を開けて、櫻井は教室を飛び出した。

 じゃまものがいなくなったとおもちゃたちは無邪気によろこんだが、それもつかの間、櫻井はすぐに戻ってきた。手には大きな麻袋。櫻井がなにをしようとしているのか、みんなはすぐにわかった。

 櫻井は手近にいた生徒のおもちゃをむんずとつかみ、袋につっこんだ。

「やめろぉ! なにするんだ!」

「こんなもの、没収だ!」

 次々と生徒のおもちゃを奪い取っていく。当然生徒たちは反抗した。命を得るほど大切にしているものである。強奪に必死に抵抗した。しかし無理矢理奪われる。おもちゃは繊細な作りをしている。乱暴に扱えばすぐに壊れてしまう。壊れることを恐れたら、教師ににぎられたおもちゃを奪い返そうとすることはできなかった。

「やめて! 乱暴にしないで!」

「それはお母さんからの誕生日プレゼントで大事にしてるの!」

「やめろよ! 改造するのに何万円も何十時間もかかってるんだぞ!」

「あぁっ! 角がおれた!」

 やめろ! やめて! 悲痛な叫びが何度もくりかえされる。大騒ぎだ。

 おもちゃを乱暴に扱われ、破損してしまったものがいた。この生徒は歯を食いしばって涙を流し、雄叫びを上げながら櫻井に殴りかかった。許せなかったのだ。壊されたおもちゃはこの生徒が仕事をして稼いだお金で買った。自分のお金で手にしたはじめてのおもちゃだった。苦労しただけあって思い入れはかなりのものだった。絶対に許さないという気概で殴りかかった。この生徒を見た周囲は、やめろ! と誰もが思った。

 櫻井は生徒の拳をあっさりと払いのけ、鮮やかな動作で生徒の腕を締め上げる。

「ぐあああああああああああ!」

 みんなにはこれが腕の骨の悲鳴に聞こえた。腕がありえない方向へ曲がろうとしている。

 櫻井は数学教師だが、武術をたしなんでもいる。細身だが身長一八〇センチを超える大男だ。だから、体を鍛えていない、武術の基礎も知らない、そんな人間が相手であれば容易に制圧することができた。

 生徒たちはみんなこれを知っている。下手に逆らえば暴力による制裁が待ちかまえているということが、無意識にこの教師への反抗意識を削いでいた。

「こんなものがあったら、おまえたちはまじめに勉強をしなくなる! それじゃあいけないんだ! おまえたちは将来苦労をしたいのか! 不幸になりたいのか! 違うだろう! だったら勉強をしろ! いい加減な気持ちで生きるな! まじめにやれ! いつまでも子供でいるんじゃない! 大人になれ!」

 生徒たちは誰一人納得しなかった。涙目になるもの、怒りに体を震わせるもの、意気消沈するもの、反応はさまざまだったが、この時は誰もがつらい気持ち、マイナスの気持ちになった。櫻井への強い反感を抱きつつも、威圧感に臆し、みんな口をつぐんだ。

 威圧感に臆したのは陽太もだった。櫻井が相手でなければ、きっと体を張って抵抗していた。櫻井が相手だったからそれをしなかった。陽太は臆したのだ。暴力を恐れるなど、みっともないことだと思った。自分が情けなくてしかたなかった。

 そしてナックル以外のおもちゃはすべて奪われ、授業がはじまった。生徒たちは押し黙っていた。


  ◆

「兄ちゃん! おもちゃが取られちゃったよー!」

 昼休み、燦が高等部まで来た。複数の友達を連れている。みんな浮かない顔をしていた。

「おまえたちもおもちゃを取られたのか?」

「兄ちゃんも!?」

「オレは隠してたから取られなかったけど、みんな取られちゃったな。櫻井先生に」

「あかりたちも櫻井先生に取られちゃったの。兄ちゃん助けてよ。セラたちを取り返して!」

 そう言うと、燦についてきた子供たちも、頼む、なんとかしてくれと陽太にお願いした。

「よしわかった。櫻井先生に返してくれるよう話してくるよ」

 きっと櫻井は返してくれないだろう。陽太はそう感じていた。しかし迷わず櫻井にかけあうと決めた。おもちゃをぞんざいに扱われた。なのに自分は暴力におびえた。一切の抵抗をしないという、ヒーローにあるまじき行いをしたことで、言いようのない気分の悪さを感じていた。この気分を払拭したかった。

 職員室へ入り、櫻井と向かい合った。

「なんの用だ、天道。私はお昼ごはんを食べているんだが?」

 陽太が櫻井に話しかけると、あからさまに不機嫌そうな顔を見せた。暗にあっち行けと言っているんだろうと感じた。威圧感があった。しかし臆してはダメだ。口を開いた。

「なんでみんなのおもちゃを取り上げたりしたんですか?」

 櫻井はあれだけ怒り狂っていたのだ。おもちゃを返せと言って素直に返してくれるはずがない。まずはおもちゃを取り上げた理由を訊くことにした。

「理由か。明確だ。おまえたちが勉強できるようにだ。授業がはじまるというのにいつまでも遊んではしゃいでいただろう。あんな状態で勉強などできようはずがない」

 櫻井に対する反感はあったが、授業に集中できないというのは確かだと思った。

「娯楽が人を惑わし、不幸にするのだ。娯楽が人をダメにする。そんな娯楽の象徴たるおもちゃなど、この世にあってはならないものだ」

 櫻井は箸を止めて語気強く語る。

「小さな子供が娯楽に興じるのは、まぁいいだろう。しかし、おまえたちはもう子供じゃない。おもちゃで遊ぶような年ではない。大人にならなければいけない。周りを見てみろ。おもちゃで遊ぶ大人がどこにいる? 誰もそんなことはしていない。おもちゃで遊ぶなど、幼稚極まる行いだ。大人のすることではない。そんなことをすれば貴重な時間を潰し、自分の人生が、家族の人生が、不幸なものとなってしまう。そんなことがあってはならないのだ。人は不幸になるために生まれてくるのではない。幸福にならなければいけない。おまえたちが遊んで、幸福を得るための能力を養うことを怠るのを見過ごすわけにはいかない。私はおまえたちを幸福に導くために教師となったのだ。だからおもちゃなど絶対に許さない」

「おもちゃが人を不幸にするって、それは違いますよ。だってオレたちはおもちゃがあるから笑顔になってるじゃないですか」

「今だけだ。勉強がおろそかになり、稼げる仕事ができなくなる。それで苦しむのだ。自分だけでなく、家族もだ。いっときの楽しみのために、将来のすべてを犠牲にする気か?」

 納得がいかなかった。しかし櫻井の言い分にもいくらかの理がある。反論しにくい。

 陽太が言い淀んでいると、櫻井は言葉を続けた。

「天道、おまえも大人になれ。いつまでも子供でいるんじゃない。十六にもなっておもちゃで遊ぶなど、恥ずかしいと思わないのか。親の気持ちを考えてみろ。自分の子供が幼稚なことをしていたら恥ずかしいぞ。おまえは親に、自分を誇りに思ってほしくないのか? 確かおまえは、七年前の破滅の流れ星で両親を亡くしていただろう。今のおまえは、天国の両親に顔向けできるのか? 自信を持てるのか? 胸を張れるのか?」

 陽太は二の句が継げず、口を引き結んだ。櫻井の言い分に反論したい気持ちはあったが、それ以上に納得してしまう気持ちのほうが大きかった。

 陽太は大人になりたかった。燦を守るのは自分だ。これは両親との約束。燦を守るには、子供のままではいけない。大人になる必要があった。力という意味でも、心という意味でも、大人にならなければいけない。力はもう充分にあると思う。あとは心だ。これは、燦が恥じるような兄であってはいけないということ。誰を前にしても燦が誇れる兄であらねばならない。

 だから櫻井の言葉はきつかった。幼稚なままでは天国の両親に顔向けできないという言葉も響いた。両親のことは大好きだ。両親にはかっこいいところを見せたい。

 言いくるめられたと思った。櫻井への反感はまだあった。おもちゃを好きな気持ちにも変わりはない。しかし櫻井の言葉に思うところがあった。だから迷った。自分がどう振る舞うべきなのか。わからなくなった。おもちゃで遊びたい。でもそれは幼稚な行いで、大人になりたいという目標とは反するものだ。どうすればいいんだろう。

 陽太は気勢を失い、とぼとぼと職員室をあとにした。

 教室までの帰り道、陽太は考えて迷いに迷った。どうしても答えが出せなくて、通りすがる教師たち全部に聞いた。大人がおもちゃで遊ぶことをどう思うか。

「遊んでるヒマなんてないよ」

「ほかの誰がどう思ってるか知らないけど、ぼくは遊ばないなぁ」

「なにが趣味かは人それぞれだけど、おもちゃで遊ぶ人はあんまり知らないよ」

「ダメダメ。おもちゃがあるからああやって教室で大騒ぎしたんでしょ? 大人がどうとかって以前の問題でしょ」

 答えは陽太にとって気分のいいものではなかった。否定的な意見が目立ってあったのだ。これにはへこんだ。気落ちして自分の教室へ帰った。

「兄ちゃん! どうだった?」

 教室の扉を開けると、燦が走って飛びついてきた。いつもならそれを抱き止める時に笑顔を見せるが、今回ばかりは浮かない顔をした。燦もそれを察して、暗い顔をした。

「ダメだったの?」

「うん、ダメだった。ごめんな」

「えーっ!? ダメだったの? ヒナなら絶対取り返してくると思った」

 美々は驚いた顔をして言う。

「面目ない」

 その後は子供たちといっしょにごはんを食べた。陽太はこの場でも疑問をたずねた。大人になってもおもちゃで遊ぶかどうか。

「あかりはずっとセラを大事にするよ! 兄ちゃんがくれたんだもん!」

「おれは大人になっても遊ぶぜ! こんなん当たり前だ! 遊ばなくなるっていう大人はどうかしてんだよ! ヤダヤダ。そんな大人にゃなりたかないね!」

「アタシも。ビビは家族みたいなもんなワケ。しゃべるようになったんだから、なおさらよ」

 肯定的な意見ばかりだ。陽太は少し気分をよくした。


  ◆

「おいおまえたち! アタシらでおもちゃを取り返そうぜ!」

 一人で考えごとをしている陽太をそっとしておいて、美々が持ちかけた。燦たちはこれに意気揚々と賛同した。

「取られたままってわけにはいきませんね! やりましょう!」

 美々たちは勇んで教室を飛び出した。

「でも、どうやって見つけるんですかー? 学校はとーっても広いんですよー?」

 学校は広く大きい。敷地は一キロ四方近くあるし、校舎は高さ三〇メートル。教室の数もかなり。空き教室も多い。地下もある。実際におもちゃを隠した教室は遠くにはないだろうから、近場の空き教室の中から探すことになるだろう。難しくはない。しかし時間はかかる。

「おいおまえら、アタシらはいいモンを持ってるだろ? こいつだよ」

 美々はポケットからなにかを取り出した。ケータイデンワ、ポータフォンだ。

「このポータにはフォトングレアカウンターがある。これでアタシたちのおもちゃの居場所はすぐわかるってワケ!」

 あぁそうだった! と燦たちもポータを取り出し、フォトングレアカウンターで周囲の反応をサーチした。おもちゃのありかはすぐにわかった。反応が多数固まっている場所がある。

 あっさり見つかった。反応がある教室へ走る燦たち。これでおもちゃを取り返せると喜ぶも、つかの間のことだった。

「鍵がかかってる!」

「まぁ、そりゃそうだよなぁ」

 美々はけらけらと笑った。あれだけ怒ってた人が、没収したものを簡単に取り戻せる場所に置くわけがない。

「笑ってる場合じゃありませんー! どうするんですかー!?」

 燦たちは美々の両手をひっぱって、どうすんのー、どうすんのーと抗議の声を上げる。

「まぁまぁ、ついてこいって」

 燦たちを先導する。向かったのは事務室。この辺一帯の教室の鍵が置かれている場所だ。

「なにをするか、わかるだろ?」

「あの鍵棚にある鍵を取ってくるんだ!」

「そのとおり!」

「でもどうするんですかー? 職員が二人いますよー? 失礼しまーす、鍵かりていきますねー、なんて通用するわけないじゃないですかー」

「なんとかするんだよ。みんなであの二人の職員の気をそらすワケ。ぶっちゃけ楽勝だ!」

「ホントですかー!?」

「おー、すげー!」

 自信満々の美々を見て、燦たちは気持ちがはやり、盛り上がった。

 作戦は簡単だ。燦がポータで電話をかけ、学校の案内をしてほしいと頼む。これで一人は事務室から追い出せる。もう一人は事務室から追い出せない。誰か一人は残っていないとセキュリティ上の問題が起こるためだ。この一人は美々が注意を引く。

 美々は燦たちに作戦の詳細を伝えた。

「さぁ、作戦開始だぁッ!」

 まず燦がポータで電話をかける。

「もしもしィ。あの~すみませぇん、わたしィ、そちらの学校の生徒の親族のものなんですけどォ~、学校まで来たんですけれどもォ~、ここがどこだかわからなくなってしまいましてぇ~。え? はぁい、今はぁ、学校の敷地内にある公衆電話からかけているんですけどぉ~。すみませんがぁ~、学校の中を案内してはいただけませんかぁ~?」

 燦は必死におばさんの声真似をしようとしているが、いかんせん小学四年生の声はどうがんばってもおばさんにはならない。燦のわざとらしすぎる声に美々も子供たちもげらげら笑っている。こんな怪しい電話に応じるバカがいるのかよと。

 いるのである。事務室から職員が一人、のこのこと出てきた。これを見て一同は大爆笑。腹を抱え、廊下を叩き、あいつバカだ、ダメだこいつと、大笑いした。

「さぁ、次はアタシの出番だぜ!」

 美々は急いでどこかへ駆け出し、すぐに戻ってきた。びっしょりとずぶ濡れになって。名づけて、水も滴るいい女作戦だ。

「友達と遊んでてプールに落っことされちゃって。なんか着替えとかないワケ?」

 美々は事務室の扉を開けて職員を呼びつけた。男性職員は美々に釘づけになった。夏は制服も薄くなる。水に濡れれば簡単に透けてしまう。濡れた薄いシャツは美々の肌にぴったり貼りつき、肌の色がくっきり表れ、ブラの色がはっきりわかる。スカートは透けないが、濡れた布は肌にぴったりくっついてるので、股間の形がくっきり表れるのだ。全身びっしょりの今の美々は、服を来ていてもシルエットは裸なのだ。美々ほどの豊満な体が肌色を見せて裸のシルエットをしていたら、男にはたまらない。男性職員は全身をあますことなくしっかり観察した。美々はやや不快だったが、狙いは達成した。今この職員の注意は完全に鍵棚を向いていない。

 さぁ今だ、早く鍵を取ってこい! そう念じた美々。燦の友達の一人がしゃがんで身を隠しながら鍵棚へ走る。

 と、そこへ櫻井が現れる! なぁんでおまえが来るんだよ! このクッソ教師がァ! 一同は心の内で悪態をついた。

 櫻井は書類を取ってすぐに事務室を出ていった。一同は胸をなでおろした。鍵棚に向かう。

 しかし、燦がおびき寄せていた職員が戻ってきてしまった。道案内が別の人に引き継がれたのだ。

 さらに一人、また一人と職員が事務室に戻ってくる。もうすぐ昼休みが終わるからだ。

 ダメだ。万事休す。作戦は失敗した。

 美々は職員にろくに挨拶もせず感慨なくその場を離れた。エロい目つきで見てくる男に向けてやる情も義理もないのである。エロい目で見ていいのは陽太だけだ。

 意気消沈してうなだれ、燦たちの教室まで帰る一同。

「作戦失敗ですねー、お姉ちゃん」

「まったくだ。びしょ濡れにまでなったのに。セクシーさは見せつけていきたいけど、エロい目で見られたくはないワケよ」

 この言葉に敏感に反応したのが、燦の友達の男子たち。

「胸ばっくり開けてでっかいおぉ~っぱいを見せつけてさぁ、パンツもケツも丸見えな、痴女全開ルックしといて、エロい目で見られるのイヤですってのはおかしいぜ姉ちゃん。ホントはそういう目で見られたいんだろぉ~?」

 男子たちはゆるみきった顔をして美々の乳と尻を触って揉みしだいていく。

「スケベジジイみたいな顔してさわってんじゃねーーーーーーよ、クソガキどもォッ!」

 パァンッ! と激しい打撃音を廊下に響かせて男子どものケツを蹴っ飛ばす美々。

「この磨き抜かれた女神のスーパー豊満ボディを好きにしていいのは、おまえらじゃねぇ!」

「じゃあ誰ならいいんだよ?」

「それは、ヒナ! 天道陽太! いいかおまえら、よく聞けよ? ヒナはなぁ、あいつはなぁ、毎晩、毎ッ晩、アタシのこの体を、めッちゃめちゃにするンだ!」

 美々は自分の胸を持ち上げ揉みしだき、恍惚とした表情を浮かべ、顔を赤らめる。

「ああっ、いやぁっ、そこっ、そこはぁっ」

「そこってここかァ? もっとオレに見せろォ、おまえの気持ちが最ッ高にハイになるところをよおおおおおおおッ!」

「だめぇっ、やぁっ、やっ、いやじゃないっ、もっとっ、もっとしてエエエエエエエエ!」

「盛大にイッちまえーーーー、美々ィィィィィ!」

 目を閉じて自分と陽太のセリフを交互に演じる。悶える美々はすっかり妄想の世界に入り浸り、現実に帰ってこようとしない。想像の世界で陽太にめッちゃめちゃにされている。

 これを黙って見つめる男子ども。ごくりと生唾を飲みこむ。美々のエロスが全開に放たれてしまえば、どんな男子も辛抱たまらない気分になる。

「いや、ウソですからー」

 燦が顔の前で手を振って訂正する。そう、これはウソである。美々の願望。陽太が美々にエロいことをしたことなど一度もない。

 周囲の小学生の生徒たちが、騒がしい美々のほうへ向く。大きなお姉さんがびしょ濡れでエロスを放っているのは、はた目からすれば毒以外のなにものでもない。

 いつまで経っても現実に帰ってこないでエクスタシーを感じている姿にあきれ、燦はバケツに水をくんで美々にぶっかけた。目をあけて嬌声を止め、激しくあえぐ美々。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」

「お姉ちゃん、ちゃんと帰ってきましたか? ここは初等部ですよ? 大きなお姉さんがえっちな声を出してるのは毒々しいことこの上ないです。やめてくださいね?」

「はい……すみませんでした……」

 その後は燦の教室で、奪還作戦に同行しなかった燦のクラスメイトたちにも、奪還作戦が失敗したことを話した。

「鍵を取ってくればいいの? そんなの簡単だよ」

 美々たちの話を聞いた一人の女子がそんなことを言った。そして。

「はい。鍵取ってきたよ」

 女の子はにっこり笑っておもちゃが閉じこめられた教室の鍵を事務室から持ってきた。

「なっ、なにィィィィィーーーー!? ど、どうやったの!?」

 美々は女の子の肩をつかんで食い入るようにたずねた。

「わたし部活やってて、よく鍵を使うの。だからその鍵を取ってくる時に、さりげなく一緒に目当ての鍵も取って来ちゃったということ」

「んがああああ! アタシの作戦は、ずぶ濡れは、いったいなんだったんだあああああ!」

 美々は頭を抱えてオーマイゴーッドと叫んだ。男子の一人がオーッパイグーッドと言って乳を揉んできたが、そいつのケツを蹴っ飛ばしておいた。ウゼぇクソガキだと思った。

 早速鍵がかかった教室までやってきた。

「さぁ、開けるぞ」

 美々は鍵を差しこんで回し、扉を開け放つ。

「ビビ! 助けに来たぞ!」

 さぁこれで助けられる。おもちゃを取り返せる。そう思った。

「美々! 助けてください! 開けてください!」

 開けて? 美々はいぶかしんだ。おもちゃは袋に入れられていたはず。

「電気つけましたよー!」

 燦が電気をつけると、「開けて」の意味がわかった。教室に大きな箱が置いてある。テレビでしか見たことがない大きな錠前がついた大きな鉄の箱。その中からビビたちの声がする。ほかには芝刈り機や高枝切りバサミに業務用扇風機など、大型の家電や器具、工具がいろいろと置いてある。物置に使ってる教室のようだ。

「なぁんだこれぇーーーーッッ!?」

 みんなやられたと思った。こんな頑丈な錠前がついていたら開けられない。

「どうしましょー! 教室の鍵じゃないから事務室に鍵はありませんよー!?」

「よーしじゃあこうしよう。ビビ! フィギュアライズだ!」

「え、ちょっと美々! こんな狭い箱の中でおっきくなったら! あ、あ、あああああ!」

 痛い痛い痛いと箱の中から多数の絶叫が弾けた。慌ててフィギュアライズを解く美々。

「まったくあなたはどうしてそう考えなしにつっこむんですの!? 箱に閉じこめられた状態でおっきくなったらみんな圧迫されて痛くて苦しくなりますでしょう!?」

「おっきくなれば内側から箱が壊れると思ったんだよぉ!」

「その前にわたくしたちが潰れてしまいますでしょうっ!」

「フィギュアは硬いって言ってたじゃんかぁ!」

「それはフィギュアライズした時の話でしょうっ!?」

「あれ!? そうだっけ!?」

「もうっ! しっかりしてください美々っ!」

「すまんすまん」

「でもどうしましょう。鍵がありませんよー」

「たぶん櫻井が持ってるだろうな。鍵を置くところがないんだからきっとそうだ」

「それじゃあお手上げですぅー! 櫻井センセのポケットに手をつっこんで、鍵かりますねー、なんてできるわけありませんよー!」

「なら、やることは一つ! 無理矢理こじ開けるッ!」

 美々はすぐそばにあったバールを手に取り、錠前の隙間に突き刺した。

「いやいや、いくらなんでも開かねーだろ。この鍵めっちゃでかいぞ」

「うるせぇクソガキ! おもちゃを取り返したくねーのか! どうなんだ!?」

「そうですー! がんばってがんばってがんばれば、きっと開けられますー!」

 美々と燦がふんぬぬぬぬぬとうなりながら錠前をこじ開けようとふんばった。それを見た子供たちも、二人に交じって力をこめる。

 みんなでふんばり錠前をこじ開ける最中、外から爆発音が轟いた。美々たちはこじ開ける手をバールから離し、窓を開けて音がしたほう、校庭を見る。

 フィギュアライズしたナックルと、灰色をした人型の機械のようなものが対峙していた。


  ◆

「どうしたどうした。以前の威勢がなくなっているではないか。グワカカカ! こんなに弱いんじゃあ、ワガハイが力をたくわえてきた意味もなくなってしまうというものだ。もっと気合を入れてほしいな、気合を。戦い甲斐もなければ倒し甲斐もない!」

 灰色の人型の人でないもの、ベガは威厳たっぷりに言った。攻撃で突き飛ばされ、学校の壁にめりこんだナックルは苦い顔でにらみつける。

 騒ぎを聞いて駆けつけた生徒や教師で周囲はごった返した。

 陽太はフォトングレアカウンターを見る。ベガの数値は六〇〇〇を超えている。本調子のナックルでも三三〇〇程度。勝つ見込みは薄い。肝心のナックルの数値は二〇〇〇を切って一八五二である。どうしたことか。

 ナックルは調子が出なかった。思うように力が入らないと感じている。おかしい。おかしい。力が上がらない。なんでだ。なんで力が出ないんだ。

 ナックルは不調の原因が不確かなまま殴りかかった。しかし簡単にあしらわれる。拳は受け止められ、反撃を浴びる。弱音なんて吐きたくなんかなかったが、力の差がありすぎると感じた。今のままじゃかなわない。そう思った。

 きっとアニキならなんとかしてくれる。アニキが力をくれる。そう信じた。しかし。

「ナックル! どうした!? 今戦えるのはおまえしかいないんだぞ! しっかりしろ!」

 ナックルの、陽太に向けた信頼のまなざしは、一気に悲哀の色に冷えこんだ。パワーが一五〇〇を切るほどダウンした。陽太はダメージを受けたせいでパワーが下がったと思った。

 ナックルはこの時、自分のパワーが上がらない理由がなんとなくわかった。陽太が、アニキがいつもと違うのだ。実は戦う前からおかしいと感じていた。いつも明るいのに今日に限って元気がなかったし、なによりも、フィギュアライズと叫んでくれなかった。だからいつフィギュアライズすればいいのかわからず、先制攻撃を受けてしまった。アニキには早くフィギュアライズしろとドヤされた。リボルビングナックルだって言ってくれていない。これから言ってくれるのかもしれないが、なんだか、言ってくれそうにない気がした。

 陽太がなんだか冷たいのだ。ナックルはそれをおぼろげに感じていた。きっとこれのせいでパワーが上がらないのだ。

 フィギュアライズと言ってくれない。リボルビングナックルも言ってくれない。そんなことに少し寂しさと悲しさを感じた。しかしアニキのことは信じている。なにか理由があるのだ。アニキにはアニキの理由と事情がある。フィギュアにはプレシャスメモリーがある。だからたいていのことは知っている。でも全部知ってるわけじゃない。ホルダーのすべてを知ってるわけじゃない。心の内が読めるわけではない。アニキがなにを思っているのかはわからない。しかし悪意や嫌悪を持っておもちゃと接することなど、アニキに限ってはありえない。だから理由と事情があるのだ。それで気持ちを一つにして戦ってくれないのだ。

 ナックルはつらかった。体のダメージは大したことがない。心がきしむのがつらかった。しかし陽太の言う通り、今戦えるのはナックルしかいない。みんなのおもちゃは櫻井に奪われたのだ。だから自分が敵を倒さなければならない。ナックルはひとたび気合を入れ直した。雄叫び、ヒロイックシャウトを上げると、パワーは二〇〇〇を超えるほど持ち上がった。

 しかしそんなもの、パワーが六〇〇〇を超えるベガには怖いものではない。ナックルは勇敢にも立ち向かい、何度も拳をぶつけていく。ベガはそれをすべて受け止め、たった一度だけ反撃した。ナックルの十発はすべて徹らず、ベガの一撃はナックルの装甲を砕いた。

「雄叫びを上げて、気合を入れていたように見えたが、もう終わりかね? ザぁコが! 弱すぎるよキミィ! グワカカカカカカカ!」

 倒れたナックルに陽太が駆け寄る。

「しっかりしろナックル。どうしちゃったんだ。なんでパワーが出ないんだよ!」

 やっぱりだ。アニキはなんだか変だ。こんなことを言う人ではなかった。ナックルはまた寂しさがこみ上げる。

「おい! おまえ! なんでこんなことするんだ! 日本語しゃべってんだから話せるんだろ! 言ってみろ!」

 小学生の一人が威勢よくベガに向かって言い放つ。陽太が知っている子供だ。

「おお、ずいぶん勇ましいお子様がいたもんだ。いや実にすばらしい。勇敢はすばらしいぞ。うんうん。では質問に答えて進ぜよう。ワガハイはな、貴様らからすれば宇宙人ってヤツだ。しかしワガハイからすれば地球は故郷なのだよ。教えてやろう。ワガハイは無機生命体ガイアーク! この星の支配者たる生物よ!」

 ドッと笑いが起きた。小学生を中心に、腹を抱えての大爆笑だ。

「ガイアーク! が、がい、害悪っ!」

「こんだけ学校をぶっ壊しやがって、確かに害悪だわ!」

「害悪だからガイアークって、バカでしょ!」

「なんですか! おまえはお笑い芸人かなにかですか!?」

 ぶわははははははははははと、ベガを指差して笑う子供たち。

「笑うなよおおおおおおおおおおおおおおおお!? ガイアークっていうのはなぁ! ガイア=アークってことだ! ガイアっていうのは、地球のことだ! 地球はガイアって呼ばれてたんだよぉ! アークっていうのは支配者! つまりガイアークっていうのは、地球の支配者って意味だァ! わかったかァーッッ!?」

 ベガは声を裏返して憤慨した。その裏返った声が怖い顔に似合わず高い音だったことが、さらに子供たちの笑いのツボを刺激した。もはや誰もベガの話を聞いていない。

「ふんっ。まぁいいだろう。せいぜい笑わせておいてやる。これも強者の余裕よ」

 ベガは威厳を取り直して尊大な声色に戻し、話を続けた。

「ガイアークは昔、このガイア、地球に住んでいたが、わけあって別の惑星に移り住んだ。そして今ワガハイはガイアへやってきている。なぜここにやってきたか? 目的はずばり、グレートグレアだ。だいたい丸い形をしていて光っている。このグレートグレアがほしいのだよ! グレートグレアとはな、我々の力の源……ってキミたちワガハイの話聞いてるー?」

 誰も聞いちゃいない。みんなまだ笑っている。

「ああ。もういい。ワガハイ勝手にしゃべるから。あとになって聞いてませんでしたーとか言っても先生教えませんからね。一度しか言わないから、ちゃんと聞けよォ!?」

 気を取り直して、ベガは話を続ける。

「グレートグレアはガイアークの生命の源。これがないと生きられない。しかし、これが枯渇しようとしている。ガイアにはグレートグレアが眠っているはずだ。だからずっとここへ来たかった。帰りたかった。でもあのオーロラがそうさせてくれなかった」

 ベガは空を指さした。青い空に白い雲、その先にゆらゆらと漂う薄い虹色のカーテン、オーロラが見える。

「あのオーロラゾーンがあるから、ワガハイたちはいつもガイアに来られなかった。だがチャンスが来た。七年前に、大きな隕石がガイアに降った。この時オーロラゾーンに穴ができたのだ。そこを通ってワガハイはここへ来たのだ」

 七年前の破滅の流れ星のことだと陽太は察した。あの流れ星がこの宇宙人にも関係しているのか。因果とはおそろしい。

「グレートグレアには惑星一つ分のエネルギーがあるという。それさえあれば、ワガハイたちガイアークは生きながらえることができる! まぁ、それは副次的な理由にすぎんがな。ワガハイには野望がある! グレートグレアのスーパーでハイパーなパワーを使い、全宇宙を支配するのだ! だぁからほしい! グレートグレアの反応が、どうもこの辺から感じられる。そして来てみたら、なにやら知った顔がいるではないか。怪しい。あ、あ~や~し~い~。というわけで戦闘中なのだよ」

 知った顔、と言って、ベガは陽太とナックルに視線を向けた。

「さて、話はだいたいこんなところなんだが、ご理解いただけたかな? おっと、一つ言い忘れていた。ワガハイの名はベガという。この星の支配者たるものの名だ。覚えておけよ」

 やっぱり子供たちは笑っていて、聞いてなかった。子供というのは、一度笑いのスイッチが入ると、箸が転んでも延々と爆笑を続ける生き物である。笑いすぎて腹が痛くて、もう笑いたくないと思っても、止められるものではない。

「キサマらァーーーーーッッ! 先生の話はちゃんと聞けって教わらなかったかーッ!?」

「ごめんごめん。笑いすぎて聞いてなかった。で、なに話してたの?」

 子供たちは緊張感などかけらもなしにベガに言う。

「ムッカーッ! だから先生言ったろーッ!? 一度しか言わないからちゃんと聞けって!」

 ベガはまた声が裏返る。怒ると裏返って高い声が出るようだ。

 陽太も、ベガのあまりのひょうきんさにかなりあきれていた。先生ってなんだよ……

「説明は終わったから、この戦闘も終わりにしようか? おまえが誰なのかわかんないけど、死ぬんだから聞かなくてもいいよね? ドーンッ!」

 ベガはそう言って右腕のカノンから黒い光弾を発射する。これは避けられない。避ければうしろの子供たちに当たる。それがなかったとしても校舎に当たって危険だ。ナックルは陽太を遠ざけ、これを受け止めた。

「おーやるねぇ~! でも一発だけじゃないんだなぁ、これが! どんだけ耐えられるかな~? 見ものだねぇ!」

 爆音を放って何発も連射される光弾。ナックルは両腕で防いでことごとく受け止めた。

 光弾の連射がやんだ。ブスブスと煙を上げるナックル。膝をついて倒れこんだ。

「ナックルーーーーーーーーーーーーッ!」

 陽太はナックルの下へ駆け出した。

 ナックルは己の非力さを嘆いた。ヒーローになりたい夢が叶わないことが無念だった。アニキは破滅の流れ星の日、燦を助けて立派にヒーローを果たした。しかし自分は敵に敗れた。オレはヒーローになれない……アニキが望んだヒーローになれない……だから、だからアニキはいっしょに戦ってくれないんだ。そんなことをするような人ではないと思うが、見捨てられたかもしれないという気持ちはぬぐえなかった。

 ナックルは体よりも心が折れた。なにも言わなかった。

 陽太は気づかない。ナックルがただ力負けしただけにしか見えなかった。二人の絆に亀裂が走ったことには気づかなかった。


  ◆

「うわぁ! 兄ちゃんが、ナックルがピンチだー! どうしようーーーー!」

「美々! 外はいったいなにが起こってるんですの!? ものすごく騒がしいですわよ!?」

「ヒナとナックルが大ピンチだ。ロボットみたいなヤツにやられそうになってるワケ!」

「陽太さまとナックルどのを早く助けなければ! なんとかなりませんか美々!?」

「今やってるんだよおおおおおおおおおおおおおおお!」

 全身全霊をこめて必死にふんばった。それこそ文字通り髪の毛一本残らずバールに絡めて力をこめた。しかし錠前はびくともしない。みんなダメだと口をそろえて手を休めた。しかし美々だけはふんばり続けた。

「ヒナがピンチなんだから、アタシだって負けるかよぉぉぉぉぉ……こなクソぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお……はああああああああああッッッッ!!!」

 ボォッウ、ブォォッ! と突風を起こして美々はピンクのシャイニングオーラを噴き出す。

 ビキ、バキッと錠前にヒビが入る。

「わああああっ! すごーーーーーい! こんなおっきな鍵にヒビが入りました! わかりました! あかりたちもヒロイックシャウトしてシャイニングオーラを出せばいいんです!」

 燦たちもハアアアアアアアアア! と叫び散らし、教室の中をシャイニングオーラによる突風でぐっちゃぐちゃに散らかした。ヒロイックシャウトはフィギュアの力を高める。シャイニングオーラとして放出したフォトングレアがフィギュアを強くする。というのが正しいところで、シャイニングオーラを放ったからといって、放った人間の筋力が高まるということはない。しかしオーラを出した美々が錠前を破壊しそうなところを見たら、筋力が高くなるのではという気がしてならない燦たちだった。

「せええええええええのおおおおおおお! ふんぬぬぬぬぬぬぬぬううううううううう!」

 美々と燦たちはオーラを噴き飛ばし、一斉に力を合わせて錠前を破壊する。突風が教室のカーテンをバサバサとはためかせ、激しい波動が蛍光灯を割る。

「みなさん、わたくしたちもやりますわよ! せぇのおおおお! はあああああああああ!」

 箱の中でおもちゃたちも一斉にフタを持ち上げた。

 ビキビキビキッ、バキバキバキ! 錠前の亀裂が深まる。

「はあああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!」

 バッキィン! 錠前が二つに割れて弾け飛び、天井に突き刺さる。箱が開いた!

「やぁったああああああああああああああああ!」

 おもちゃを抱きしめる一同。感動の再会めいていた。

「おっと、こんなことしてる場合じゃないワケよ! ヒナたちを助けに行くぞ、みんな!」

 美々はおもちゃが詰まった麻袋をかつぎ、みんなを連れて駆け出した。


  ◆

 ナックルはフィギュアライズが解けていない。しかしパワーは一〇〇〇もない。ベガとの戦いを見る限り、パワー五〇〇〇以上の差を覆すことは不可能だと陽太は思った。

「グワカカカ! そろそろ遊ぶのにも飽きてきたからな。終わりにしようか、人間たちよ」

 ベガはナックルのそばに来てカノンを向けた。至近距離だ。ボロボロだから回避できない。

 ナックルのピンチを見て、子供たちの笑いはさすがにおさまっていた。ふざけていられる雰囲気でないことは周囲の誰もが察していた。

 ベガのカノンが光を集めていく。ダメだ、撃たれる!

「ヒナたちになにしてんだおまえええええええええええええ!」

 美々がビビをぶん投げた。フィギュアライズしたビビが雄叫びに乗って、ベガの側頭部にドロップキックを叩きこむ。ゴロゴロと盛大に転倒するベガ。

「あいたーーーーーー!? なぁにすんだキサマぁ!」

 ベガはまたも声を裏返して言った。

 美々はそんな言葉は無視して、持ってきたいくつもある麻袋を全部逆さまにして、中のおもちゃをぶちまけた。

「みんなのおもちゃはアタシたちが取り返したワケ! みんなも戦え! おもちゃで!」

 ミラに話を聞いていた小学生の子供たちは喜び勇んですぐにおもちゃに飛びつき、フィギュアをフィギュアライズさせた。ドンッドンッドンッ! と戦闘態勢のフィギュアが立ち並ぶ。中高生のほとんどはなにがなんだかよくわかっていなかった。おもちゃで戦うってどういうことなんだと戸惑った。とにかく自分のおもちゃはすぐに取り戻していた。

「わけわかんねぇって顔してるおまえら! いいからフィギュアライズって叫んでみろ!」

 美々は戸惑う生徒らに激昂した。生徒たちはなにがなんだかわからなかったが、言われたとおり、フィギュアライズと言ってみた。すると持っているおもちゃが自分と同じ大きさにまで巨大化した。驚いた。

「驚くのはあとにしろ! 戦え! わかんねぇだろうから、アタシらが教えてやる! マネすりゃいいワケよ! 難しいことはない! いいな!? やれよ!?」

 美々と小学生たちは思いっきり息を吸い、そしてヒロイックシャウトを放った。

「はああああああああああああああああああああああッッッッ!」

 シャイニングオーラが爆発する。フィギュアたちのパワーがドンドン上昇していく。戸惑う生徒たちも叫びはじめた。力が湧き上がり、フィギュアたちが勢いづく。

 校庭の中、ベガの前に立ちふさがるのは一〇〇〇体を超える数のフィギュア。一体のパワーはベガに遠くおよばないが、数では完全に圧倒した。

「こ、こんなのって……アリィ!?」

 さすがのベガもこれにはたじろいだ。

「おまえらがおもちゃにこめた浪漫あふれる“設定”で、あの宇宙人を、ぶッッたおせェ!」

 うおおおおおおおおお! と雄叫びを上げて大勢のフィギュアがベガに襲いかかる。そのさま、荒れ狂う大波、まさに怒涛!

「こんだけおもちゃがいるんだからなぁ、一人一人に長い出番はくれてやれないワケ! 短い出番の中で、誰が一番かっこよくあの宇宙人をブン殴れるか競争だァ! 必殺技を出し惜しむなよォ! 全力全開でいくぞオオオオオオオオオオオオ!」

 美々の一言で、すべてのフィギュアが、与えられた浪漫設定にある必殺技をくりだした。ベガを中心に校庭が何度も爆発やビームに包まれる。ドカーン! ドカーン! と戦争でも起きているのかと思うほど激しい光と音が轟く。

 フィギュアの中で一番強いのは美々のビビだった。パワーが三〇〇〇と少し。ベガの六〇〇〇には遠く届かない。ほかのフィギュアは三〇〇〇未満のパワーだ。そんな力で放つ攻撃は必殺技と言えどベガに大して通用しなかった。たいていはよけられた。防がれた。しかし、それも最初の十発二十発までの話。フィギュア全員が、フォトングレアの温存をまったく考えない、フルパワーの最大出力で、必殺技をノータイムで連続で撃ち出していくのである。たかがパワー三〇〇〇に満たなくても、エネルギーを使い切るつもりで必殺技を使えば、パワー六〇〇〇にもダメージが徹るのである。一発では当然勝ち目がない。しかし、それが一〇〇〇発であれば、話はまったく違うものとなる。たとえ小さなダメージでも、それが蓄積すれば、ベガとて耐えられないのだ。

 しかしベガは退かなかった。防ぐ、避ける、跳ね返す、なんでもやって、一〇〇〇発、耐えた。耐え抜いた! ベガのパワー、残り三〇〇〇。残った。パワーが残った!

「ハアーッ! ハアーッ! ハアーッ! ど、どぉーだ! 耐え抜いたぞ! 人間どもめ、ここからはワガハイの番だ!」

「まァだだッッッッ! まだこのアタシと! ビビがいるッッッ!」

 ベガが「えっ?」ともらす。

「こいつを着るんだっ、ビビィーーーーーーッ!」

 カバンから出した一着の服をビビにバサァと投げ渡す美々。

「こ、これはっ! とうとう完成したのですね、ヘヴンズスタードレス!」

 ビビは美々から受け取ったドレスにすぐさま着替えた。ビビの全身を星天の鎧が覆い、天の川のごとき美しさの剣を構える。

「ドレスッ、チェェェェェェーーーーーーーーーェェェインジッ!」

 美々とビビが声をそろえて勇ましく叫ぶ。

「ヘヴンズッ、スタァーーーーーーーーァァァ、ド レ ス ッッッ!!!」

 ビビが宙高く舞い上がる。きらめく剣を振りかざしてポーズを取ると、フォトングレアのオーラが後光となって輝き、ビビをかっこよくキメた。

「な、なんだそれはァ!? ドレスッ!? んなぁ!? きが、着替えただけなのに、着替えただけなのに! なんでフォトングレアのパワーがこんなに上がってんのおおおお!?」

 ベガは驚愕した。顎をあんぐり広げて間抜けに驚いた。声を裏返した。なぜなら、ビビのパワーが四〇〇〇を超えているのだ。今のベガのパワーよりも上。さらに言えば、ベガはかなり疲弊している。見かけの数値以上にパワーが出ていない。つまり。

「アタシのおもちゃの……勝ァちだああああああああああああああああ!」

 美々の興奮は最高潮。テンションがマックス。ノリにノッていた。シャイニングオーラがこれ以上ない勢いで噴き出す。

「構想一年、製作三年のこのドレスの必殺技! お披露目いたしましょうッ!」

「夜空にかがやく星となれ!」

 二人は心を一つにして叫ぶ。流星のネクサスエンブレムが輝いた。

「星天剣ッ! ヘヴンズスター……キャアリバーーーーーーーーーーーーーアアアアッッ!」

 太陽を背にしたビビが天から剣を振り下ろす。ベガは攻撃を避けるためにビビを見つめた。しかしこれがアダとなった。太陽がまぶしくて目をつぶってしまった。よけられなかった。剣から放たれた、天の川のごとくきらめく光線の照射をまともに浴びてしまった。宇宙がそっくりそのまま降ってくるような衝撃がベガを襲う。

「ごあああああああああああああああああああああ!!!」

 絶叫の悲鳴を上げるベガ。必殺技を撃ちつくしたビビが美々の隣に着地する。

 ベガは、まだ立っていた。

「くっそ! なんてしぶといヤツだ! しかし……」

 美々はフォトングレアカウンターを見る。ベガのパワーは五〇〇を切っていた。

「勝ったな」

 美々は勝利を確信してほくそ笑んだ。

「くううううッ! キサマらァ、覚えておけよッ! この借りはかならず返すからな! そんじゃ、アディオゥ~スっ!」

 ベガは声を裏返してそう言うと、背中にブースターを展開させ、噴射炎を放って空の彼方へ消え去った。「さよなら三角また来て四角~!」などとかっこ悪い捨て台詞を残して。

「あぁ~! 逃げるなー! 潔くアタシのビビにぶッたおされて死ねェーーーーーーッ!」

 ベガがいなくなり、学校は一瞬静まった。そして。

「やあったああああああああああああああああああああああ!」

 小学生も中高生も、おもちゃで戦ったものたちはみんな、一斉に勝利をよろこんだ。みんなで一つのことを成し遂げた、この一体感と達成感はすさまじかった。事態をきちんと理解できていたのは陽太とナックルだけで、あとのみんなは今の騒ぎがなんだったのかよくわかっていなかった。それでもはっきりしていることがある。学校を襲撃した悪者を、みんなで力を合わせてやっつけた。一体感と達成感を得るには充分だった。みんなは大いによろこんだ。

 大勢が大はしゃぎする中で、浮かない顔をしていたのが、陽太とナックルだった。気がかりなことがあるし、ナックルが負けてしまったことで、陽太はよろこべる気分にはなれなかった。ナックルは陽太の態度が気になって勝利に浸るどころではない。さらにそこへ追い打ちをかけるものがいた。

「おまえたち! なぜそのおもちゃがそこにあるんだっ! あの教室には鍵をかけておいたし、そのおもちゃをしまった箱にも鍵をかけた。それがなぜおまえたちのもとにある!? おもちゃで遊び呆けて勉強をおろそかにするだけでは飽き足らず、立ち入り禁止の部屋に忍び込み、鍵を壊し、物を盗むとは……! どこまで悪さをすれば気がすむんだッ!」

 櫻井である。顔を真っ赤にして怒号を放った。屋外なのに教室にいる時と変わらない圧力を感じさせる声量だ。一も二もなく真っ先に、近くにいた燦のセラを奪おうと、必要以上に力んだ手を差し向ける。

「ダメですッ! 絶ッ対にダメなんです! セラはもう渡しません! これは兄ちゃんにもらった大事な大事なものなんですーーーーッ!」

 燦はセラをしっかりと胸に抱えて隠し、ダーッと走って櫻井から逃げた。それと同時に、おもちゃを持つ生徒たちは一斉に櫻井から距離を取って、その顔をにらみつけた。

 次に奪われれば二度と返ってこないだろう。だからもう絶対に渡さない。大切なものを、思い出が詰まったおもちゃを二度と奪われないようにと、確固たる思いで、櫻井への対立を決意した。おもちゃが動いておしゃべりをしてくれるというのは、おもちゃで遊ぶすべての子供たちの夢だ。その夢を奪うことなど絶対に許しはしない。一同の瞳の力強さはそういう気持ちがこもっていた。

「恥を知れ! 恥ずかしいという気持ちを持て! おもちゃで遊ぶ大人などいない! 大人になれば、昔遊んだおもちゃなど、みんな捨ててしまうのだ! そんなものをいつまでも大事にしているんじゃない! おまえたちはこれから、力をつけて、いい仕事をして、両親に恩返しをして、家族を作り、子供のために生きていかなければならない! 遊んでいるひまはないんだ! 立派な大人になるために。幸せになるために!」

 おもちゃを握りしめたすべての生徒たちはこの言葉に、櫻井に、強く反感を抱いた。櫻井の言う生き方はすばらしいものかもしれないが、生き苦しすぎる。そんなことで幸せになどなれるはずがない。誰もがそう思った。

 ただ一人、陽太をのぞいて。陽太は大人になりたいのだ。強くて、年少者を、燦を守れる、そして恥じることのない、立派な大人に。両親から妹を任された。燦のために大人になるのだ。そのためには、他人から、おまえの兄は恥ずかしいと言われるようであってはいけない。そうなれば燦はイヤな思いをするだろう。自分に恥があるのなら、なくさなければいけない。

 だから櫻井の言葉は、陽太にとってはひどい追い打ちとなった。櫻井の言葉が、陽太のある気持ちを確かにさせる。自分がおもちゃを恥ずかしいと思っているという気持ちだ。燦のために恥をなくさなければ、というのは後づけだ。後づけの理由。心の奥底にあるのは、おもちゃで遊ぶのは恥ずかしいという気持ちだ。自分はおもちゃを恥ずかしいと思っているのだ。陽太は櫻井の言葉で、そう気づいた。


 おもちゃ離れして、大人にならねェとなぁ……


 フィギュアライズが解け、おもちゃに戻ったナックルを握った。ナックルから目をそむけた。虚ろな目をして、ただじっと地面を見つめ、一つの気持ちを固めようとしていた。

 ナックルは陽太を寂しい目で見つめた。自分を手に持っているのに、自分を見てくれないなんて、はじめてのことだった。ナックルが知っている陽太は、いつだって明るかった。陽太が自分を手に持っている時は、いつだって明るく楽しい目で見ていてくれた。爛々としていて、わくわくしていて、子供が持つ無邪気で幸せそうな顔、ナックルが知っている陽太はいつだってそんな目を、そんな顔をしていた。こんなに冷たい顔は見たことがなかった。ナックルはさびしくてたまらなかった。


  ◆

 再度おもちゃを奪われずにすみ、みんなは帰宅できた。

 その夜、食事のあと、ナックルは美々に声をかけた。陽太と燦はいっしょにお風呂に入っている。ビビとセラは二人して大きくなってゲームに興じている。ミラはまたいなかった。

「なぁ、美々、話したいことがあるんだ」

「アタシに? いいよ。どんな話?」

 風呂上がりで、ゆったりした下着だけのだらしない格好で寝転がっていた美々は、ナックルから声をかけられて、そのほうへ向き直る。ナックルはうつむいて語り始めた。

「アニキがおかしいんだ」

「おかしい?」

「なんだか、変なんだ。フィギュアライズって言ってくれなかった。リボルビングナックルって言ってくれなかった。いっしょに戦ってくれなかったんだ。冷たいっていうのとは違うけど、それと近いような、そんな感じがする。いや、冷たい顔をしてた。いや、わかんない。アニキがそんな顔をするとは思えない。あれはオレの勘違いなのかもしれない」

 あの陽太がおもちゃに対して冷たい態度を取る? これは美々にも信じられないことだった。美々が知っている陽太は、いつだっておもちゃを手にしておもちゃの話をするおもちゃバカである。だから子供たちとも気が合い、尊敬され、仲良くしているのだ。そんな陽太がおもちゃと接して冷たい顔をするなどありえない。しかし、ナックルのこの表情。陽太の態度が冷たいことに確信が持てないでいるというのに、はっきりと落ちこんでいる。つらい目をしているのだ。今にも泣くんじゃないか、そんな顔だ。ナックルがフィギュアとして覚醒して、まだ一週間も経っていない。それでもこのナックルがどれだけ陽太のことを信頼して好きでいるかはよくわかった。その信頼が揺らぐほどの態度を、陽太がしたということだ。

 美々は一つ思い当たることがあった。昼休み、陽太が一人で考えごとをしていたのを思い出した。それでおもちゃ奪還作戦に誘わなかったのだった。

「ヒナに、なにかあったのかもね。なにもなければ、ナックルが落ちこむような態度はしないよ。アイツは名前の通り、太陽みたいなヤツだし。なによりも、アイツが一番大切にしてるものが、ナックル、おまえだよ。おまえがつらくなるようなことをヒナがするわけないワケよ。だから、なにかあったのかもしれない。いや、なにかあったんだ」

「じゃあ、なにがあったんだろう」

「なにがあったか聞くのもいいと思うけど、ナックルがどうしたいか、ヒナになにをしてほしいのか、そこが一番大事だよ。それが言えれば一番いい。だから言ってきな」

 これが言えれば一番いい。言えれば。美々は陽太に言いたい。もっと話しかけて。もっと触って。もっと好きになって。もっとかまって。言いたい。でも言いたくても言えない。パンツを勝手に拝借したりするのも、そうすればかまってもらえるから。言えないから、陽太が怒るようなことをする。怒らせれば絶対に自分のほうを向いてくれる。声をかけてくれる。してほしいことを言えないから、こんな歪んで曲がったことをしてしまうし、してくれないことでやきもきしてつらくなってしまうのだ。してほしいことを言えれば、どんなにいいだろう。

「わかった。言うよ」

「またいっしょにリボルビングナックルー! って言ってくれるよ。そんなに暗い顔すんな。ヒナはおまえの気持ちに応えてくれるよ」

 美々はにかっと笑って言った。

 ナックルはこの笑顔、この言葉に励まされ、希望が芽生えた。晴れやかな気持ちになった。そうだ、アニキはオレの気持ちに応えてくれる。絶対に。そう思った。


  ◆

 美々もビビも帰った。燦とセラは寝た。いい機会だ。ナックルは陽太を呼び出した。

「アニキ、話したいことがあるんだ」

 緊張した。なぜだかわからないけど緊張した。声が上ずった。体内をめぐるフォトングレアの流れが速くなったと思う。体が少し熱い。

 陽太は返事をせずナックルのほうを向いた。どちらともなく、自然と二人はベランダに出た。雲が流れ、隙間から星と、オーロラが見えた。きれいな夜空なのに、二人ともそれは見なかった。ナックルは陽太を見ていた。陽太は違うほうを向いているだけで、なにも見ておらず、なにもないところをじっと見つめていた。暗い顔だ。

 ナックルは話し出せなかった。緊張していたから。話すことは決めていた。オレといっしょに戦ってくれ。オレといっしょにリボルビングナックルと言ってくれ。オレはヒーローになりたい。アニキがオレにくれた設定を実現したい。誰にも負けない、誰よりも強い、最強無敵、そんなヒーローになりたい。アニキといっしょにヒーローになりたい。だからオレといっしょに戦ってくれ。そう言いたかった。でも言えなかった。頭の中が真っ白になって、なにを言おうとしていたのかわからなくなった。視線を陽太から外して違うほうを向いた。汗みたいなものが流れてくる。なんでこんなに緊張するのかわからない。なんか言わなきゃ。沈黙がつらい。でも頭の中が真っ白でなにも言えないことは確かだった。

「なぁ、ナックル」

 沈黙を破ったのは陽太。ナックルを見ないで、どこか遠くを見つめながら口を開いた。


「高校生にもなって、おもちゃで遊んでるのは、やっぱり恥ずかしいよな……」


 得体の知れないものがナックルを襲った。真っ暗で、冷たい。わけがわからない。なにがなんだかわからない。自分がなにを考えたいのか、なにを思っていたいのか、わからなくなった。頭の中がぐっちゃぐちゃだ。わからないが、ただ、とにかく、泣きそうだった。でもこの場で泣きたくなかった。歯を食いしばって涙を出さないようにこらえた。

 ナックルは一言、「そうか」とだけ言い残して、一人で部屋に戻った。小さい体を器用に使ってドアを開け、陽太の部屋を出ていった。

 リビングのソファにあるクッションに顔を押しつけて、ナックルは泣きに泣いた。声を上げて泣きたかった。声を押し殺すために、歯を食いしばったが、それでもうぐううううううと声がもれた。

「なんで……なんでっ……なんでだよぉアニキぃ……っ!」

 わからない。なぜ恥ずかしいと思われたのか。だから考えた。一晩中、寝ずに考えた。思い当たることが一つある。ベガに負けた。今日負けた。陽太がおかしかったのも今日だ。陽太はきっと、強いおもちゃが好きなのだ。自分は陽太がくれた、最強無敵という設定に反した。負けた。だから陽太は自分を恥ずかしいと思っているのだ。

 ナックルにとって陽太とは、憧れのヒーローである。陽太はいつだってかっこよかった。自分を作り上げてくれた人である。崩れる建物、燃え盛る炎の中、大やけどを負っても妹を守り抜いた。ナックルにとって陽太とは、憧れのヒーローだ。ナックルはほかの人間を知らない。代わりなどいない。ナックルの世界のすべては陽太である。そんな人から恥ずかしいと言われる衝撃は、計りきれるものではない。頭の中で処理しきれない感情が、涙や声となって、ナックルからもれ出てくる。本当は爆発するほど声と涙を放ちたい。しかしそんなことはしたくない。だから声を押し殺して涙をこらえた。必死で感情を押しとどめようとした。こんなことで泣いたら、余計に恥ずかしいと思われてしまう。

 悲しかった。さびしかった。アニキが、オレを恥ずかしいと思っているのが、たまらなく悲しくて寂しかった。ナックルは夜通し泣き続けた。


  ◆

 夜深まる街の中。人がいない。街灯に照らされた公園の中、一人、キーコキーコとブランコを揺らすベガ。考えごとをしていた。

「ワガハイ、こんなに弱かったかなぁ……いやいや、ワガハイは弱くない。あやつらがずるいのだ。一〇〇〇人って、一〇〇〇人ってなによ。そんなのずるいでしょ。さすがのワガハイも勝てない。グレートグレアさえあれば、あんなヤツら一瞬で消し炭なのにな。しかしグレートグレアを手に入れるためにヤツらと戦い、また負けるということになれば大問題だ。なんとかしないといかん。どうする? どうする? ワガハイどうする?」

 一つ気になることがあったと思い直す。

「そういえば、あの着替えるヤツ。あいつは強かった。なぜだ? 急激に強くなった。着替えを取り出したあの女とやり取りをしていたな。ピンク髪の女。そういえば、この女、フォトングレアのオーラを纏っていた。フォトングレアを放出していた。そうか! あの着替えるヤツは、この女から力を得ているのだ! そう思ってみれば、この二人は仲が良さそうに見える。ワガハイたちガイアークがグレートグレアから力を得るように、フィギュアどもは人間たちから力を得ているのだ! そうに違いない! ワガハイも人間を味方につければよいのだ!」

 力を得る手段が見つかった。しかしこれは実現できない。

「味方となる人間がおらんではないか。この手段は使えんな」

 ベガは行き詰まりを感じた。しかしこのままではフィギュアに勝てない。戦わずにグレートグレアを手に入れることができればそれが一番いいが、ベガにはグレートグレアの詳細な位置がわからない。おおざっぱな方向がわかる程度で、さらに言えば、反応があったりなかったりする。そんな状態であちこちさまよっていれば、フィギュアとの戦闘を避けることは難しい。つまり戦闘を念頭に置かなければならない状況だ。

 ベガは大きなため息をつきながら夜の深まりに合わせて思考を深めていった。

「この揺れる椅子、ついつい揺らしてしまうな……」


  ◆

「おもちゃがなければいいのだ。おもちゃをなくすんだ……この世から、全部!」

 仕事を終え、夜道を歩き、櫻井は激しく憤る。娯楽に、おもちゃに対して、憎しみを募らせた。子供たちが今日のように、強く反抗的な態度に出たことは今までにない。あれは子供の本心ではない。そこにおもちゃがあることで引き出されたものだ。おもちゃが子供を惑わす。子供たちは時間と意識を奪われ、勉強ができなくなる。そしてろくな仕事ができない大人になり、稼ぎが悪くなり、不幸になる。親孝行ができなくなる。おもちゃがあるから、子供は幸せになれないのだ。そのおもちゃさえなくなればいいのだ。おもちゃさえなくなれば、子供たちは立派な大人になれる。幸せをつかめるのだ。

「ただのおもちゃなら取り上げればいい。壊してしまえばいい。でもヤツらはしゃべるし動く。おまけに大きくもなる。とても相手をしきれるものじゃない。どうすればいい?」

 櫻井は考える。これしかないと思うことが一つあった。

「ベガと言った、あの宇宙人。あいつは大きくなったおもちゃと戦っていた。壊そうとしていた。こいつの力を借りれば、あの憎いおもちゃを破壊し尽くせるんじゃないか? きっとそうだ! そうに違いない!」

 全宇宙がどうとかはどうでもよかった。おもちゃを壊せれば、なんでもいいのだ。

 櫻井はベガを探して夜の中を走った。住宅街を通り、商店街を通り、坂道を上り下りた。宇宙人の居場所なんて見当もつかない。とにかく走って探した。高台に立って街を一望する。いない。いない。郊外のほうへも向かってみたが、いない。森の中に隠れているかもとも思ったが、手近なところにはいなかった。森の中を少し探して気づいた。よく考えれば、あんな目立つものが街の中でのんびりしているはずがない。普段は隠れているのだろう。隠れていたら見つけられるわけがない。走り疲れた疲労感で少し冷静さを取り戻し、我に返った。

 公園が見えた。ジュースを買って、ベンチで座り、一休みしてから家に帰ろうと思った。

「あ」

 櫻井は宇宙人、ベガを見つけた。のんきにキーコキーコとブランコを揺らしている。その視線にベガも気づき、立ち上がる。

「見つけたぞ宇宙人! ベガ!」

「グワカカカ! 人間め。ワガハイに向かってくるとはいい度胸だな」

 ベガは櫻井を見下ろして言う。普段ならば人間など痛めつけてしまうが、この時ばかりはそうしなかった。人間から力を得るため、この男を利用できないかと考えた。

「ベガ、おまえを探していた!」

「ワガハイを探していただと?」

「そうだ。おまえの力を借りたい」

「ワガハイの力を借りる? 人間が?」

「私はおもちゃが憎い。この世からなくしたい。一つ残らず! おまえは今日、学校でおもちゃたちと争っていた。おまえにはあの、大きくなるふしぎなおもちゃどもをぶっ壊せる力があると見た。だから力を借りたい」

「グワカカカカカカカカカカカカ!」

 ベガはあまりの都合の良さに大笑いした。人間から力を得る方法はないかと悩んでいたところに、フィギュアを倒すことを望む人間が現れた。もし神がいるのならば、きっとこう言っている。グレートグレアはおまえのものだと。ベガはチャンスを逃さない。降って湧いた幸運だろうと無駄にしない。このチャンスはいただく。ものにする。これを最大限活用する。

「いいだろう人間! ワガハイもちょうど人間の力を借りたいと思っていたところだ。では手を組んで、共闘しようではないか!」

「やってくれるか! ありがたい!」

 これでおもちゃをなくせる。理想世界を実現する見込みが生まれ、櫻井はよろこんだ。

 櫻井の腹の虫が鳴った。夕飯を食べず走り回っていた。おなかがすいた。

「すまんが、夕食を食べていいか。腹が減ってしまった」

「食事か、興味深い。ワガハイも同席する」

 二人は飲食店を目指す。ラーメン屋、国士無双へ来た。夜遅く、客は少ない。店内の人はベガの姿に驚いたが、いっしょにいる櫻井が平然としているので、驚くのがおかしいのだと思い、騒いだりはしなかった。櫻井はエビチャーハンを注文する。

「人間はなぜ食事をするのだ」

「生きるため。腹が減るからだ」

「ガイアークがグレートグレアからエネルギーを得るようなものか。つまり、それを食えば生きる力が得られるというわけだな?」

「そうだ。食わないと生きていけない」

 大きなスプーンでバクバクとエビチャーハンを口に運ぶ櫻井。

「ワガハイもそれを食ってみたい」

「見るからに無機質な体をしてて食べ物を食べそうには見えないが、食べられるのか?」

「わからんが、興味がある」

 ベガは備えつけのスプーンを一つ取り、櫻井のエビチャーハンを一すくいして口に入れた。

「うまあああああああああああああああああああああああああああい!」

 口に入れた瞬間、目をかっぴらいてそう叫んだ。口の中に残っていたごはん粒が飛ぶ。

「おお、おお! おもしろいぞ! おもしろいぞおおおおおおおおおお! はむはむとしていて、プリップリッという感じ、なんだこれは、これが味というものか! なんだこれは! なんだこれは! もっとよこせ!」

「うまいのか。食べられるのか。いいぞ。私たちは協力するんだ。親睦会と行こう。私の皿だけでは足りないだろう。待っていろ、もっと注文する」

 櫻井はエビチャーハンを追加で頼んだ。ベガはどんどん口に入れていく。そのたびにうまいうまいと叫んだ。満腹感などないようで、際限なく食べ続ける。

 食べている最中、二人はお互いのことを話し合い、聞きたいことを聞いた。なにを望んでいるのかを語り合った。そしておもちゃ、フィギュアを打倒するための作戦を考えた。二人とも同じもの、フィギュアを嫌っていたせいか、存外気があった。

 櫻井の財布がからっぽになったことで、親睦会はお開きとなった。

「では後日、また会おう」

「ああ、よろしく」

 二人は協力を約束した。がっしりと手を組んで、いい笑顔をお互いに向けた。

 これで理想の世界が作れる。ベガと別れた櫻井は、野望の成就のために瞳を燃やした。

 一人、駅まで歩いてきた櫻井。駅員が櫻井に視線を送る。

「終電、終わっちゃったよー」

「え」

 櫻井は青ざめた。財布の中はからっぽだ。タクシーも使えない。この日は野宿した。

え!? 評価ポイントをつけてくれるんですか!? やった!

 あ な た 天 使 だ … … ! !

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