その魔法使いは、 1-4
四月二十五日の火曜日、放課後になって俺はまた机に突っ伏した。
主に精神的な意味で疲労困憊である。
とはいえ、先日新聞部に行く時とは違っていて、ガチのものだ。
きっと傍から見た俺は、死闘を終えて真っ白に燃え尽きたボクサーのように見えるだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。今はこの場で泥に浸かるように眠ってしまいたい。
「ふむ、どうした折無よ、ずいぶんと疲れているようだな」
今まさに意識が沈もうというところで声をかけられ、俺はゾンビのようにぬるりとした動作で顔を上げる。
すると俺の机の横手に高野が立っていた。
なんとも厄介な輩が来たものである。俺は無視して再び机に突っ伏すと、目を瞑って眠る準備に入る。
「まぁ待て折無よ、ここで寝るくらいなら我が新聞部のハンモックを使うことを強く勧めよう。あれはかなり寝心地が良くてな、俺もこの間少し寝るつもりが、つい次の日までぐっすり眠ってしまったものだ」
なんで部室にハンモックがあるんだ。というかこの前行った時はそんなものなかっただろう。
まぁ高野が所属している時点で新聞部はとにかく変な場所なのだろう。部室内のどこかにハンモックが隠されてあってもおかしくはない。
「放っておいてくれ、俺は今ここでゆっくりしていたいんだ」
「何を言う折無、放課後はこれから始まるのだぞ。今日も今日とてネタ探しのために学内を歩き回ろうではないか」
「なんで俺がお前のネタ探しとやらに付き合わないとならない?」
これだからこいつは厄介なのだ。俺の事情に構わず会話を展開してくる。
多分会話はまだ続くと思われるので仕方なく俺は顔を上げる。
「しかし改めて聞くがどうした折無よ、随分とお疲れではないか」
「その質問か。まぁ、いろいろあってな」
ちらと俺は視線を教室後方にある扉に向ける。
そこには一人の女生徒がいた。扉の影に隠れているようだが、その綺麗なロングの銀髪のせいで完全に隠れきれておらず、かなり目立っている。
俺の視線に気付いたようで、高野もそちらを見ると、真に不思議そうな顔をした。
「あれは確か―――」
「一年三組クラス委員長であり現生徒会役員予備候補生の九沙奈アアアァァァァァァァァァァァ!!!!」
ズザザーッ! と滑り込むようにして俺の元にやってきたのは青柳だ。こいつもまた厄介なヤツである。
青柳は俺の胸ぐらを掴むと、ぐわんぐわんと揺さぶってくる。
「どういうことだ折無ィ! 今日一日なんでお前はあの九に追い回されてるんだ!?」
「おま、待て、吐く、止め」
ギリギリのところで解放された俺は、再びぐったりと机の上に突っ伏していた。
そんな俺の様子を気にもせず、青柳はポキポキと指を鳴らす。
「説明してもらおうか折無、あれは一体どういうことなんだ!?」
「何って、が聞きたいくらいなんだが」
そう、昨日の放課後、俺は九から生徒会に入らないかという勧誘を受けて、そして―――
「生徒会の新部門?」
夕暮れ時の屋上、九沙奈が俺に生徒会に入らないかという勧誘をしてから数分後。
いきなり結論から述べられ、わけのわからなくなっていた俺に、九は何故俺を勧誘したのか、その説明を行っていた。
「はい、現状において、この鳳城学園における生徒会は、二つの部門に分かれていることをご存じですか?」
「まぁ、噂程度には」
生徒会本部委員と、風紀委員。この鳳城学園ではそれら二つの部門を統合して、生徒会と呼ぶ。
もっとも、その二つに明確な区切りがあるということはない。
風紀委員でも普通に本部と同じ事務仕事はするし、本部所属の人間がイベントの際に風紀を取り締まるため見回りに出ることもあるらしい。
「で、それがどうしたんだ?」
「はい、その二つに加え、もう一つ新たな部門を設立しようという案が、先日生徒会で採用されたのです」
「それが新部門か?」
「はい、名を『補助委員』といいます」
抽象的な名前だけではイメージが湧いてこない委員だな。
まぁ、世の中には名前だけで全てがわかるわけじゃない仕事だってたくさんある。編集長なんて編集の作業以外にも作家さんが締め切りで間に合うようちゃんとやっているか見張ることまで仕事の内だったりすることもあるもんな。
「具体的に申しますと、現生徒会で処理しきれない仕事などを受け持つ部門です」
「それって普通の生徒会じゃないのか?」
「はい、もちろん生徒会が多忙な時期に手助けすることもあるとは思いますが、基本的には『普段生徒会がやらないような、より生徒に近い位置で生徒を手助けする』部門になります」
それは、なんというか。
もう俺の頭の中は嫌な予感でいっぱいだった。そして、次の言葉でそれは確信に変わる。
「つまり、今まで余裕がないという理由で生徒会が受け持つことができなかった仕事をこちらで受理する、という部門になります」
さらりと言ってのける九だが、俺は一つの回答に行き当たる。
「それただの雑用部門じゃね?」
簡単に言ってしまえばそういうことになる。
生徒会がこれまで行ってきたことは、イベントの執行や部活動などの予算管理、外部交渉などといったあらかじめ決められた仕事がメインとなる。
だが、一方でそれらの仕事で手がいっぱいであり、部活動での設備改善や、学食のメニュー追加希望などの生徒達の些細な要望に応えることはほぼない。その程度の些事なら我慢するか自分で解決しろ、という風に切り捨てられることもあるという。
もちろんそれはめんどくさいからという理由から来るものではないだろう(まぁちょっとくらいならあるかもしれないが)。余裕がある時やあまりにも状況がひどい場合には、特例措置として生徒会が動くこともあるらしいし、実際できることならできる限りの要望に応えたいというのが生徒会の意思だ(本当かどうかは知らないが)。
いってみれば、補助委員とやらはその意思が具現化したものだろう。
とはいえ、それは雑用だ。本来であれば叶えるまでもない要望を、できるだけ叶えたいと欲張った結果生まれた、不必要な部門といっても過言ではない。
そして、なによりその部門に入った者は最後、生徒会以上に苦労させられるだろう。なぜなら、今まで「生徒会も忙しいし仕方ないよな」で済まされていた問題を、より現実的に解決してくれるかもしれない部門ができたのだ。生徒達が一斉に依頼に来てもおかしくはない。
「しかし、今のこの鳳城学園には必要なものです」
きっぱりとそう言ってのける九に、俺は少しイラ立ちを感じる。
こいつはあれだ、意識高い系のやつだ。
人一倍責任感が強く、自分がやらなければならないという意味のわからない使命感に駆られ、人のために真面目に努力する、世間一般で言う「イイヤツ」だ。
そういうヤツに限って、何もしていないヤツに対してあれやらこれやらをやるべきだといろいろ指示してくる。アウトドア派がインドア派に外に出るべきだと言うのと同じようなものだ。
面倒くさい。
それが生きる上で何の役に立つというのだろうか。インドアで本を読み、得た知識で生き延びる手段を得る者がいるように、外に出て活発に運動することが必ずしも正しいとは限らない。
「折無武月さん、あなたはこの補助委員に入るべきです」
強い瞳と、真っ直ぐな語調。
先程まで彼女の幻想的な雰囲気に物怖じしていた俺だったが、もはやそんなものはすっかり消え失せていた。
「何で俺を誘うんだ?」
まず根本的な問題として、それだ。
別に俺は九沙奈並みに有名な生徒というわけではない。成績も並程度だし、交友関係が広いわけでもない。ごくごく一般的な高校生といっても差し支えないレベルだ。
だが、それらを理解している上で、九沙奈は俺を勧誘しているのは間違いない。
ならば、その理由とは。
「ここ一週間ほど、あなたに関する噂を集めさせていただきました。どうやらあなたは、掃除当番をきっちりこなし、毎朝遅刻することなく、また生徒達が困っていれば手伝える範囲で手伝い、先生からの指示をきっちりとこなしているみたいですね」
・・・・・・あー、それか。
先程新聞部の部室で青柳に言われたことと同じだ。
俺は自分で言うのもなんだが、基本的に頼まれたことをきちんとこなす性格をしている。一見するとこれは良いことのように思えるかもしれないが、俺自身はこれを短所としている。なぜなら、これは「頼まれたことを断れない性格」というものから来ているからだ。
さらに厄介なのが、頼まれた仕事を実行している最中は面倒臭いという感想が頭に浮かぶことがあれど、頼まれたその瞬間には何も考えることなくさらりとオーケーを出してしまうのだ。
この性格のせいでいつの間にか真面目くんというレッテルを貼られ、先生達からも「素行のいい生徒」として扱われているらしい。
その噂がそのまま九沙奈に伝わってしまったのだろう。
「それほど人のためになる行いをしているのなら、この部門はあなたにうってつけのものです。また、補助委員という組織もあなたのような人材を必要としています」
だが、そうではない。
俺は九沙奈が考えているような人間ではないのだ。
「もう一度お聞きします。生徒会に入る気はありませんか、折無武月さん」
逡巡するまでもなかった。それに、九沙奈は言葉でこそ頼み事をしているが、ニュアンスとしては俺に選択肢を与えているだけだ。よって、これに俺の性格は反映されない。
すーっと息を吸い、間を空ける。
そして、
「断る」
その一言だけで十分だった。
風が吹き抜け、落下防止用フェンスがガタガタと鳴る。
それが数秒。風が止んだところで、まるで止まった時が動き出したように九が口を開く。
「どうしてですか?」
きっと、俺の返事はかなり予想外だったのだろう。彼女の声は変わらず淡々としたものだったが、動揺しているのは間違いない。
「なんか勘違いしてるみたいだけど、俺は真面目ちゃんじゃない。面倒なことはできるだけ避けて通りたい主義なんだ。生徒会なんか入るつもりはないし、ましてそんな意識の高そうな組織に所属する気なんてない」
そう、皆勘違いしているのだ。
俺は頼まれたことを断ることができない。だが、断れないだけであって、本来は面倒くさがりなのだ。頼まれ事でなければ、プリンターの修理なんて引き受けないし、教材運びを手伝いたくなんてない。まして、掃除当番なんかを代わるなんてまっぴらごめんだ。
「だいたい、俺はお前みたいに器用な人間じゃない。俺がやってることなんて、誰でもできるような雑用ばかりだ。生徒会に入ってお前の期待通りの力を発揮できる自信なんてない」
「それは入ってみなければ―――」
「入ってみてダメだったらどうするんだ?」
九の言葉を遮って問うと、彼女は言葉を詰まらせる。
そう、仮に俺が補助委員とやらに入って、足手纏いになったとする。そうなった場合、足手纏いを常に委員に置いておくか、追い出すかの判断を、補助委員に所属している人達はしなければならない。
前者ならただでさえクソ忙しい仕事がさらに面倒になるし、組織に入った以上俺とて何らかの仕事をしなければならないだろう。それが掃除や書類整理みたいな雑用ばかりなら、補助委員に入った意味などない。
後者の場合はもっと厄介だ。九沙奈は俺を追い出すことに躊躇い、いざ決心したとしても後ろめたさを感じるだろう。自分から誘っておいて追い出すのだ。それは非道以外の何者でもない。たとえ九沙奈がそういうことを気にしない性格だとしても、追い出された俺が傷つく。そういうのは御免だ。
「わかったか、そういうわけで俺は生徒会には入らない」
それだけ言って踵を返すと、用は済んだとばかりに俺は屋上の扉に向かって歩き出す。
きっと、九は俺を追うことはしないだろう。俺は自分の意思を明確に伝えたのだ。ならば、わざわざ引き留める理由もない。
だが、二、三歩進んで、屋上の出口からあと数歩という時。一度動き出した運命は、俺を逃がすようなことを許さなかった。
「あなた、魔法が使えますよね?」
ぴたりと俺の足が止まる。
それはまるで冗談のような言葉だった。幼い頃に読んだ、少年マンガの一巻にでも出てきそうなセリフだ。しかし、それだけでせっかく冷め切ってきた心が再び動揺する。
だが、俺はその動揺をぐっと抑え、ものの一秒で冷静さを取り戻すことができた。なぜなら、その言葉はまだ確信に至っていないからだ。
「は、なんだそれ?」
嘲笑を含んだ疑問を返し、まるでくだらないダジャレを聞かされた時のような表情を作る。
何も知らない一般人ならこう返すのが普通。もしこの先突拍子もない話が飛んでくるのであれば、鼻で笑ってここから去ればいい。
「一週間前の登校路で、あなたは車道に飛び出そうとした黒猫を魔法を使って助けた。違いますか?」
そんな風に考えていた俺に、九沙奈はまるで探偵が動かぬ証拠を犯人に突き出すような言葉を放つ。
その答えは、残念ながら無慈悲なまでに的を得ていた。