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夜は更けて

 夜中になった。片付けはとっくに終わり、外では夜行性の獣の鳴き声が時折聞こえてくるだけだ。


 しかしウノが帰ってこない。そんなに遠くに行ってしまったのだろうか。フクロウに擬態しているのだから、敵に見つかったという事は無いはずだ。それでも一抹の不安は過ぎる。万が一に備えて封印は解いておくべきだったかと後悔もしたが、そんな事をしても今更だし、ハーピーの姿のままではこっそり尾行も出来ない。敵の正体を探る折角のチャンスなのだから、このタイミングを逃す手は無い。


 リグナは既に眠っている。人間に擬態したままアルマードレイトを使うのは体力の消費が激しいのだ。人間に擬態しているのもアルマードレイトそのものも体力を喰うというのに、いくらか無茶させてしまった。今反省すべきはこの点のほうだろう。ウノのほうはきっと問題無い。


 今か今かと、窓から夜空を眺めている時だった。


 ふと、奥の寝室の扉が開いた。


 出てきたのは、漆黒の狼だった。そんなに大きくはないし、銀色の瞳は決して獣のそれでは無かった。


 トリノ。


 この家の同居者の最後の一人。いや、一匹か。


 リグナ。ウノ。トリノ。そして俺が、この家の住人だ。さっき侵入者が来た時もずっと寝室に篭っていたのであろうトリノは、ノタノタと、どこか無気力に俺に近付く。


「どうした。寝すぎて眠れないのか」


 聞くと、トリノは俺の横で止まった。


「少しは警戒したらどうだ。私はいつでも、貴様を殺そうとしているのだぞ」


 偉ぶったような口調ではあるが、その透き通るような女の声のせいか、その言葉にほいほい従い警戒出来る程、俺の警戒心は強くなれない。獣に襲われてすぐに死ぬ程やわでは無いつもりだし、


「お前の力は今、俺が封印してるからな」


 狼に擬態しているだけに過ぎないこいつは獣ですらない。


「しかし私には、この牙と爪がある」


 ぎらり、と、その鋭い爪が俺の顔を反射して映した。それでも、その程度ではなんの脅しにもならない。


「お前になら、殺されても良いかな、とは思っている」


 それくらいの甲斐性でも無ければ、召喚師など務まらない。事実、自分の使役獣に殺された召喚師を、俺は知ってる。


「っふん。小心者のくせに強がるそういうところが、余計に腹立つ」


 トリノは言った。その鋭い瞳は空を見ている。幾億もの星が瞬くその空には、二つの惑星が主役ですと言わんばかりに輝いていた。


 この大陸は、夜、太陽が沈んだ時に入れ違うようにして二つの惑星がしゃしゃり出てくる。ひとつは黄色。ひとつは赤色。黄色が赤を追いかけるように、もしくは赤に黄色が引かれるように、その惑星は並んで進む。


「一説では、あの惑星は遥か昔、ひとつだったらしいぞ」


 なんとか会話を続けようと思い、俺はそんな雑学を持ち出した。するとトリノは鼻で笑い、


「人間が勝手に妄想して作り上げた御伽噺だろう。太古の話の真偽など、誰にも解らん」


 そう答えた。


「はは。そういう客観的な意見は嫌いじゃない」


「そうか。私は嫌いだ」


「そうかい」


「そうだ」


 雄雄しい黒の狼は、その衛星の光に当てられ、黒光りしていた。撫でれば心地よさそうな毛皮だが、きっと、触れただけでも噛み付く程怒るに違いない。


「時に、ハーピーの娘が居ないようだが」


「ああ、それなら今は出払ってる」


「使役獣使いの荒いやつめ」


「自覚も反省も心配もしてる。しかし俺は馬鹿だから、きっと何回も繰り返す」


「そうであろうな」


 そして、会話は途切れた。近付く事の無いトリノとの距離。それはまるで、この空に浮かぶ二つの惑星のようだった。あの惑星は、色々な詩人によって様々な例えで、沢山の名前を与えられている。先行する赤い惑星を夢。それを追うが決して追いつけない黄の惑星が祈りだと言った詩人も居た。ちなみに俺のお気に入りは赤が欲望。黄色が人間だ。


 決して追いつけない。もしくは、終わりの無い追いかけっこ。夜が来るたび懲りずに繰り返す辺り、学習能力の低さが伺える。学習能力で言うのなら、あの赤い惑星が魔王で黄色い惑星が人間、と例えても良いかもしれない。夜が終われば魔王は居なくなるが、どうせすぐに次の魔王が出てくるとか、言いえて妙だ。


「街に行ったのだろう? 新しい魔王は誕生したか?」


 トリノに聞かれ、街の様子を思い出す。魔物に怯えている様子は全く無かった。だから答える。


「出来てないんじゃないか」


 その投げやりな答え方が気に入らなかったのか、トリノの鋭い視線が俺を切り裂かん勢いで降り注ぐ。やめろって。お前の場合は何が本当に物理攻撃になるか解らんのだから。


「他人事のように言うのだな。前魔王に留めを刺した男が」


 その言葉に含まれた嫌味に気付かない程、俺も鈍感じゃない。


 しかし、


「他人事だろ。もう俺は勇者じゃない」


 その嫌味にムキになる程、勇敢でも無かった。


「次期勇者に言われたよ。お前は堕落した、ってな」


 鼻で笑いながら言うと、トリノも嘲笑するように笑った。


「堕落、か。確かに、勇者らしくはないかもしれぬな。だが」


 ふと、惑星を眺めていたトリノの視線が動いた。惑星が動いたわけでは無い。見つめる対象が変わったのだ。


「普通の人間よりは、勇敢であろう」


 視線を辿った先に、一羽のフクロウが居た。ウノが戻ってきたようだ。


「どうだろうな」


 俺はウノを出迎えるために立ち上がる。するとトリノは、寝室に戻るべく歩き出した。


「他人事のように言うべきではなかろう。こればかりは、貴様自身の話だぞ、元勇者」


 どうやら、ウノの心配をして眠らない俺に気付いて、声をかけてくれたらしかった。それを照れ隠しであんな棘棘しい口調にしていたのだから、可愛いもんだろう。見たかよ人間。邪属でも、気遣いの出来るやつも居るんだ。人間と大差なんてない。たかだか文化文明の有無で分けるには、あまりに近すぎる。


「ごっしゅじーん!」


 バタバタガッシャ―ン、な勢いで壁び突っ込み、激突したウノ。


「と、飛びつかれた。途中で何回も休んじゃった。褒めて褒めてー」


「おう、お疲れ様。ありがとな」


 言いながら、床に這いつくばったフクロウを抱き上げる。帰りが遅かったのは途中で休憩を挟んでいたかららしい。そういえば確かに、ウノは病み上がりだったのだった。これを失念していたのだから、ここは猛省すべきだろう。


「それで、報告は出来るか?」


 疲れてるなら明日でも良いが、と言ったが、ウノはだいじょーぶ、と笑った。


「さっきの勇者見習い達ねー、街の防壁の中に入ってった。門番が普通に入れてた辺り、お国のお偉いさんが差し金じゃないかなー、って感じ?」


 その報告を聞いて、少し考える。


 防壁というのは、ダーカルを取り囲む石造りの壁の事だ。自警団の本拠地でもあるため、街の心臓部だ。心臓が一番外側にある、と考えると無防備に思うが、ダーカルは自警団ありきで存在しているため、そうなるのは致し方ない事だろう。そんな大事な場所に俺への襲撃者が入っていったということは、ウノの言う通り、黒幕はダーカルに深く関わりのある者と言えるだろう。


「そうか、解った。もう休んでいいぞ」


「はーい。朝ごはんに期待しつつ寝るよー」


 そこでぐったりしてしまったウノを寝室まで運ぶと、入ってくるなよ、みたいな感じでトリノに睨まれた。もしくは、そんなにぐったっりするほど使役獣を酷使してんじゃねえよ。と言いたかったのかもしれない。俺はそんな不機嫌なトリノの向けて気休めの苦笑を見せて、自分の寝室に移動した。

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