ろくでもない勇者の最終決戦
言わずもがな、俺達パーティーは満身創痍だ。自警団のほぼ全戦力と戦った後にバルドと戦って、余裕なんてあるはずが無い。それでも俺は、ダーカルに向かって、俺に襲撃をしかけてきたやつらの本拠地へ向かって歩いていた。
「これからダーカルに奇襲をかける。協力してくれ」
俺の後ろに着いてきていた三体の使役獣にそう言うと、最初にトリノが笑う。
「何故そんなことをする必要がある? よもや、あの勇者に触発され、セレナとやらを助けに行くつもりではあるまいな」
俺は「まさか」とそれを否定し、歩きながら横目でトリノを見る。
「ダーカルは現在戦力補強をしている。結構な人数を増やしたらしいが、ダーカルにそんな金銭的余裕は無いはずだ。だからダーカルは、奴隷を兵士にすることで無理矢理戦力を増やした。だが、そもそもそんな必要は無いはずだ。魔王の脅威の無い今、いったいなんのために戦力を増やす?」
その問いに、トリノは答えない。ウノを見ても、当然だが答えられない。答えられるとしたら、その話を最近したばかりのリグナだけだ。
「……権力」
「成る程」
リグナの言葉に、トリノが納得する。俺も「そうだ」と頷いて見せた。
「平和の中で武力を得る理由としての最有力候補は、同種族内での権力を強めることだ。ダーカルの内政ははっきり言って上手く行っていない現状、内政を整えるための方法は……トリノ、お前なら解るな?」
「外に敵を作る事、だな。ふん、よもや我々にした事を、今度は人間内でやろうなどと考えているわけか」
魔王のシステム。外側に共通の敵を作る事で内側をひとつに纏めるという政治のやり方。つまり戦争。ダーカルがそれを企てている可能性は極めて高い。事実ダーカルは、現在進行形で俺を外の敵と見做し、内政を整えようとした。
「そうでなくても、奴隷で戦力を整えるなんてやり口は破綻してる。人間内で亀裂を生じさせるような事件に繋がりかねない」
そうなる前に。
「意図的に敵を作る前に明確な敵が外に現れた場合、その必要性は無くなるはずだ」
言い切ると、今度はウノがうねり声を上げる。
「つまり、うちらが悪役ってこと?」
「そうだ」
無茶苦茶だと思うかもしれない。だが、俺は既に人間の敵と見做されている。なら、もう恐れる必要は無いはずだ。
一度だけ立ち止まり、振り返って三人を見る。
「客観的に見て……まぁ、悪くない」最初に答えたのはトリノだ。
「コレは、レクターに従う」次に答えたのはリグナ。
しかし、ウノが止まった。
「うちは、ご主人に無茶はして欲しくないかな」
何を今更、とは思ったが、今居るメンバーの中で、魔王討伐の旅を共に過ごしたのはこいつだけなのだ。それを思うと、周りが敵だらけという事の恐ろしさから答えが出せないのは仕方ないことかもしれない。
だが、
「でも、セレナも、ほうっておけない」
ウノはそう言って、頷いてくれた。
こいつだって、バルドと一緒に旅をしてたんだ。バルドのお人よしは感染するのだ。まったく、別れた後でも困ったやつだよ。あの勇者は。
「しかし、どうするのだ。現状、戦力は無いに等しいぞ」
そう言って、トリノが前方に目をやる。もう、すぐそこにダーカルがある。外敵から自分達を守るために作られた石の壁。街一面を覆うそれはしかし、内側から奴隷を逃がさない檻のようにも見えた。
「簡単だ」俺は言いながら、ただでさえ傷だらけで簡単な応急手当しかしていない腕から血を滴らせた。「出し惜しみをしない。それだけだ」
冒険家の癖で、一回の戦いに全力を注がないようにしていた。体力を使い果たした冒険家は路頭で、獣にさえ殺されてしまうから。そういう、保身から来る慢心の一切を排除する。
全身に力を込める。敵は烏合の衆。一瞬でケリを付けてやる。
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる。使役獣トリノの封印を限定解除――召喚」
俺の血を舐めるトリノ。そして彼女の体は見る見る巨大化し、黒竜へと姿を変えた。
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる。使役獣リグナの封印を限定解除――召喚」
悪魔としての姿を取り戻すリグナ。
トリノ黒竜の大きさになればすぐに門番が気付く。慌しい声が向こうから聞こえた。
そして次に、バルドから拝借した短刀でもって、傷口を押し広げる。
溢れ出す鮮血。頭が逆上せそうな程失われた血。
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる」
足を軸にして体を回し、地面に血の円を描いた。
「使役獣ウノの封印を同調変換」
円が赤い光を放ち始める。その円の中にウノが入ってきて、彼女は俺の傷口に優しく触れた。
「――召喚」
温かい感覚と、強い光が全てを多い尽くすような感覚。
同調変換。長い間共に過ごし、確固たる信頼を交わした使役獣と召喚師の間にのみ赦された術。
光が消えると、ウノの姿は消えていた。変わりに、肩甲骨の辺りに違和感を覚えた。それだけで察する。何度か味わったことのある感覚。背中に翼が生えたのだと実感する。
俺とウノの体がひとつになった。それだけのことだ。
そしてウノの思いもまた、俺の中に流れ込んで来る。その思いに、俺は頷いた。
「俺もだよ」目前に現れた自警団の連中と睨み合い、俺は背中の翼を羽ばたかせる。「俺もまだ、ああいうのは、嫌いだ」
あの中にいったい、どれだけの奴隷が居る事だろう。何人が望まない戦場に立たされている事だろう。それを思うと、胸が苦しくなった。
「トリノは俺と、あいつらを引きつける。リグナ。お前はあそこの本拠地に侵入して、中の居る人間を全て外に出せ」
「解った」「把握した」
そして、それぞれが動き出す。俺とトリノは敵へ向かって。そしてリグナは壁沿いにある本拠地へ向かって。
「なんだあれは!」「黒竜だと!? 馬鹿な!」「人間が、空を、飛んでる……?」
各々が勝手に驚いて、統率は取れていないようだった。俺は上空から、トリノに告げる。
「間違っても、殺すなよ」
念の為の忠告。しかし、
「保障出来ん。私は人間に恨みがあるからな」
当然だ。トリノの仲間は、黒竜の種は、殲滅戦によって、人間によって滅ぼされたのだから。
「それでも」大きな一歩を踏み込みながら、トリノは続けた。「奪われる事の痛みは、身に染みる程、知っている」
俺に対して客観的になれと言ったトリノは、当然のように、そんな奇麗事を言ってのけた。
俺は「そうか」と呟いて、一度だけ下を見てから、再び壁を睨む。
「……あの壁を壊すぞ」
「そんなことをすれば、中で暮らす民にも被害が及ぶと思うが?」
「問題無い。この付近にはどうせ、人間に害を成す獣なんて居ないからな」
「成る程。解った」
腹部に深い傷を負いながらも進むトリノ。自警団の連中は、怯みながらも立ち塞がった。
「悪いが、通らせてもらうぞ」
それを排除するのが、俺の役目だ。
空から急降下し、三人を一気に切りつける。致命傷には至らないであろう加減をするのは、ブランクがあるため不確かなため、全て峰打ちだ。
「くっそ、させるか!」
一人の自警団員がそんな悪態を吐きながら、俺に切りかかってきた。羽ばたいて後ろに飛ぶ事で回避した後、すぐさま切り返して距離を詰める。
「はやっ」
着いてこれなっかったそいつは腹部に拳を走らせる事で地面に伏せさせた。久々にやった同調変換だが、思ったよりも調子が良い。体を共有しているウノと同じ感情を抱いているから、というのが大きいかもしれない。
そうやって五人、十人と倒し、トリノが壁の前にたどり着く。
そして――その壁が、黒竜の尾によって叩き壊された。
崩れ行く瓦礫の音に混じって、いくつもの悲鳴が上がる。中には涙を浮かべる者さえ居た。おそらく、その涙の理由は恐怖だろう。
だが。
「なんてことをっ!」
余韻のような阿鼻叫喚の中で唯一、戦意を失っていない者が居た。
セレナ・ウィル・ダーカル。
この街の、ただのしがない、一人の奴隷。無力の象徴。
彼女は両手に小さな斧を掲げて、突進してきた。
彼女はいったい、なんのために命を賭すのか。と、彼女の斧を受け止めながら思う。
攻撃の威力は、バルドとは比べ物にはならない程に弱い。しかし、少なくとも俺よりは高い攻撃力を持っているようだ。鍔迫り合いに持っていこうとしたのだが、受け止め切れそうになかったため、受け流した。
一瞬だけ体制を崩しかけたセレナはしかし、その身軽さでもってすぐさま切り返し、体を回転させながら斧による攻撃を繰り出してきた。横一線の、俺の顔面へ向けられた攻撃。それを身を逸らす事で避けてから、彼女の回転の意味を知る。次の攻撃が、同じ方向から、違う角度で、違う場所へ向かって走っていたからだ。それを短刀で受け止めるとしかし、彼女はそれでも回転を続け、一周してきた最初の斧が再び俺の顔面へ。
後ろへ飛んで回避すると、セレナはようやく一旦止まった。
「師匠の戦友が、なんで、こんな……異端者じゃないって言ってた師匠を裏切るんすか!」
再びの突進。必死に振るわれる刃。それを何度も避け、受け止め、流す。しかし、言葉は交わさない。
「人間なのに! 同じ人間なのに、なんで人間が人間を襲うんすか!」
馬鹿だな、と、思わず笑いそうになった。人間が人間を襲う、なんて、お前達が俺にやってた事じゃないか。そして、お前が強要されている事じゃないか。
「師匠は言ってたっす! あんたなら世界を変えられるかもしれないって! それなのにどうしてこんな事するんすか!? どうして、そんな事をするあんたが師匠の短刀を持ってるんすか!」
言葉こそは支離滅裂だが、一番言いたかったであろう事は伝わった。つまりこいつはこう言いたいのだ。バルドはどうした、と。
「バルドなら、さっき戦って、倒してきたよ」
その言葉を放つと同時に、素早く繰り出されていた刃が止まり、初めて拮抗した鍔迫り合いとなった。
「戦友じゃ、なかったんすか……?」
信じられない。信じたくない。と、震えたその瞳が語っている。
「戦友であろうと、戦う必要がある場合ってのもあるんだよ」
俺は言いながら、セレナの刃を弾き返す。彼女に大きな隙が生じる。
走らせた水面蹴りで、セレナは容易に地に伏した。
「戦わされた刃ほど、軽いものは無い。最初に戦ったお前の刃は、軽かった」
見下しながら言うと、セレナは動かない変わりに、他の自警団員が横から襲い掛かってきた。半歩のステップでそれを回避し、柄でもって顎を打ち抜く。それだけでそいつは倒れた。
「だが、今の刃はなかなかどうして、重みがあった」
それに、手数の多さという武器を活かした戦い方も出来ていた。この短期間であそこまで成長出来る人間は、そう居ないだろう。
「お前がお前のために戦っていたからだ。だからその刃に重みが伴った。……生きたいんだろう? なら戦え。自分のために戦え。自分のために刃を握れ」
その間も何人かの自警団員が攻めてきたが、どれも骨は感じられない。昨日戦った騎士は今は居ないのか。いや、あんだけのダメージを受けた状態で戦う事なんて出来ないか。
「うるさい!」
俺が他のやつを相手にしている内に、セレナは立ち上がった。
「自分のため!? あんた何言ってんすか! わたしは奴隷なんすよ! 逃げられない! 力も無い! そんなわたしに、どうしろって言うんすか!」
右から振るわれる刃。それを短刀で受け止めると同時に、左からも同じ攻撃が来た。後ろに下がって回避しようとした瞬間、足が動かない事に気付く。
「!?」
力が抜けたのではない。セレナに足を踏まれたのだ。セレナは俺が右の攻撃に意識を向けている最中に、それを囮にして俺の動きを封じた。
油断したわけではない。だが、これは避けられない。
「っつ!」
胸に一線の痛みが走る。そこまで深くは無いが、ダメージは大きい。バルドとの戦いで負った負傷も相成って、かなりのダメージになる。だが、ここで距離を取るのは失策だ。
セレナの武器は今、双方共右手側に流れている。つまり、左手側は無防備だ。俺も足を上げる事は出来ないうえ、セレナ同様両手共左側に流れている。しかし、今の俺の攻撃手段は四肢だけでは無い。
俺はショルダータックルの要領で体を半回転させ、背中の翼でもって、セレナの即頭部を叩いた。
がん! と激しい音を立て、横に倒れるセレナ。その様を見届け、今にも倒れそうになるのを堪えて、飛んだ。基地の中からリグナが出てくるのが見えたからだ。
「リグナ! 中はどうだ!」
遠くから確認すると、リグナは小さく頷く。
トリノがさらに前進する。何十もの敵を引き付けながら、それでも怯まず戦っている。しかも俺が言った通り相手を殺さないようにしているのだから、元魔王の風格は台無しだ。
途端に視界が霞む。戦いの中で忘れかけていたはずの全ての痛みが同時に襲い掛かってきた。しかし、まだだ。まだ気を失うわけにはいかない。
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる」
俺は、短刀を両手でしっかり握り、刃を自分の腹部へ向けた。
「使役獣リグナの封印を完全開放っ!」
耐えろ。耐え抜け。そう自分とウノに言い聞かせながら、自分の腹部にそれを突き刺す。
「っぐぅ!」
強烈な吐き気が襲い掛かる。意識が飛びかけるがしかし、唇を噛んでそれを堪える。
「しょうっ、喚!」
そして、その刃を一気に引き抜く。
噴水のように溢れ出す血。しかしそれは、下に落ちる事なく、引き抜いた刃に纏わりついて赤い球体となった。
体が傾く。視界がぼやける。
それでもリグナが居る場所へ、間違える事の無いよう、投げた。
リグナは刃だけを器用にかわし、赤い球体だけを受け取る。
そしてそれを自分の胸に抱きながら、呟く。
呟いている言葉は聞き取れない。しかし、何を呟いているかは解る。
――ファルディーテ セイ アルマード(創世の意思は加速する)
それは、リグナの遺伝子の中に組み込まれた、悪魔族の言葉。
リグナに抱かれ、彼女の体内に流れ込んだ赤い球体は、リグナが俺と契約してからずっと、俺の中で溜め込まれ続けていた彼女の力だ。完全開放の召喚は、それを譲渡する事が出来る。
――アリディーテ ラウラ ジオグラスド(時代の流れは減速する)
それは、曲の無い歌だ。音の無い歌。人間と戦争をしていた時、悪魔はそれを希望とし、人間はそれを絶望の証としていた。
リグナは今まで俺の中にチャージされていた力を放とうと、両手を前に出した。今はもう誰も居ないであろう自警団の本拠地に。奴隷を縛る契約書があるであろう場所に。
――シラウロートダ ホーマンス ロウ ガルディーテ(停滞を選んだ愚か者)
途端に、地面に向かって落下していく俺にも聞える程大きな軋みが聞えた。自警団の本拠地が捩れ始めたのだ。
自治街として大きくなったこの街は、ある意味で自治街では無くなっていた。自警団による王政政治が行なわれているも同然だった。不満を抱く民も多く居た。その愚痴を聞かされる事も散々あった。
――アリエスメラス ディル フォーカス(その小さな夢にも意味を)
やめろ、と、誰かが叫んだのを、受身に失敗して地面に叩きつけられながら聞いた。
やめろ? やめろだって? それは誰の願いだ。誰のための願いだ。
奴隷も。裏切りも。矛盾も。何もかも。
間違える事が前提で、苦しむ事が前提で、奪われる事が当然で、命が格安で取引されるのは自然な事で、涙さえも流せなくなるのが必然で、自分の考えを捨てる事が必要不可欠な、このろくでもない世界で、誰が何を正しいと言える? 何を信じれば誰もが報われる?
アルメリア教団の教えに従えばいいのか? そうやって今が作られたんじゃないのか? 苦しむ者が居るから安楽を得る者も居て、それで邪な事を画策するような輩が出てくるような現状が。
歌に出てくるシラウロート(愚か者)とはつまり人間だ。現状に甘んじ、現状を守る事にばかり躍起になっている。どうすれば次の魔王が誕生しないかと考えている者に、俺は出会った事が無い。どいつもこいつも次もまた倒すと考えるばかりだ。事実、俺も前までそうだった。
エスメラスとは夢。アリエスメラス(小さな夢)とはつまり平和。夜に浮かぶふたつの衛星のように、人間は惰性でそれを追い続けている。
世界の在り方として、俺は、それも仕方ないと思っていた。
だが、バルドと戦って、そうじゃないと思わされたんだ。
この世界は間違えている。それに誰も気付いていない。気付いたところで、アルメリア教団率いるこの世界のシステムが、偏見が、保身が、一切の反逆を赦さない。異端として排除する。
そんな。
そんな世界なら。
「捻り潰せ! リグナァァアアアア!」
軋む空間。きっと、俺の声ごとねじ曲げられてしまった事だろう。今の叫びは誰にも届かなかったはずだ。
それでもだ。
リグナの謳う、悪魔族の遺伝子の中に組み込まれた唄。そこに込められた意味が、その締めくくりに告げられる言葉でありその術の名称こそが、彼女の返答。
――アルマード レイト(創世の礎)
それは、現状に甘んじた人間にとっての絶望。
それは、人間と戦争を繰り広げた神族が目指した希望。
そしてそれは、異なる理をもった世界を渇望する俺やバルドへの慰め。
圧縮。
鼓膜を劈くような破壊音と共に、捻りきった自警団の本拠地は原型を失い、それでも全体から掛けられた捻りの力で、人一人分のサイズにまで潰れた。
大地を揺らがす振動と共に舞い落ちる基地だったものの埃。
これで、この街は機能を失うだろう。この後どうなるかなんて、俺は知らない。しかし、奴隷として連れてこられた連中は、逃げ出すという選択肢が出来た事で、ここに残るにせよその意味が変わる。
俺は、何故かこの街に残るだろうと信じてやまない一人の少女を見つめながら、思う。
奴隷としてではなく、兵士として戦う彼女なら、ウノがハーピーだと知っても嫌悪を見せなかった彼女になら、俺みたいに間違える必要の無い正解を、見つけられるのでは無いかと。
基地を失い戦意を無くした自警団の連中が、次々に膝を着いていく。俺はその様を見ながらも、どこか他人事のように感じつつ、意識を手放した。




