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強き想い、弱き意思


 真っ暗な世界が広がっていた。


 その向こうで、何かが俺を呼んでいる。


 俺を呼ぶ影は五つ。見覚えのある顔。バルド含めた勇者達だ。


 俺はそっちに駆け寄ろうとした。しかし、反対側からも声がした。


 そっちには、ウノ、リグナ、トリノ、ドノ、天狗が居た。


 俺は立ち止まる。


 きっと、どっちかを選べという事なのだろう。


 選べるはずなんてない。どっちも大切で、どっちも大好きで。


 そして、そんな妄想だらけでご都合合わせみたいな夢が終った。






 倒れていたのは俺だった。


 その隣で、バルドが座っている。その大きな背中が見えた。


「気が付いたか」


 バルドが言った。どうやら俺は、気を失っていたらしい。


「どれくらい寝てた」


 聞くと、


「五分くらいか」


 という返事が来る。


「負けた、のか」


 呟くと、いいや、と、バルドが笑う。


「俺の負けだ」


 訳が解らず身体を起こすと、バルドの身体がおかしくなっていた。


 脚が折れていた。腕も、片方が捩れている。身体中に引掻き傷を負い、右耳からも出血していた。バルドは、その負傷に、なんとか応急手当をしていた。


「お前を倒したと思ったら、ウノと、あの幼女と、元魔王が一斉に襲い掛かってきおった。はっはっは。流石にお手上げだったわ」


 豪快に笑うバルド。笑っている状況か、とも思ったが、言えなかった。


「ふた季節はせずに復帰出来るだろうが、少しの間、戦線離脱は決定だ。これでは、着いていきたくとも着いていけん」


 潔いその言葉が、バルドらしかった。


 辺りを見回すと、少女姿のウノと、幼女姿のリグナと、成人姿のトリノが息を切らして座っている。皆傷だらけだった。


「すまん」


 俺が言うと、バルドは、いくらかの間を置いてから、笑い直す。


「良い。許す!」


 しかし、そう言ってから苦しそうに咳き込んだ。腹部を押さえて、顔を真っ赤にしている。


「そもそも……俺が仕掛けた戦いだからな」


 それでも笑みは崩さないのだから、こいつの精神力の強さが伺える。


「なあ、バルド」


 まだ立ち上がれそうにない俺は、問う。


「なんだ」


 応急処置を続けながら、バルドが聞き返す。


「なんで、あんなに、俺に着いて来ようとしたんだ?」


 結局、理解はすれど納得は出来なかった。バルドの言い分は、戦闘中何度もぶれていて、芯が通っていなかったから。


 だが、そうじゃなかった。


「お前にはまだ、ちゃんと紹介していなかったな」


 バルドは空を見上げ、浅い息を吐く。




「セレナ・ウィル・ダーカル。それが、我が弟子の名前だ」




 時間が止まった気がした。それが意識の覚醒なのだという自覚はあった。


 反射によって神経が過敏になり、痛みが増した。思わず傷口を押さえて蹲るが、それでも、心のほうがよっぽど痛かった。


 セレナ。


 バルドの家で一度だけ会った少女。あいつはバルドに似て、変わり者だった。邪族というだけで他種族を見下す傾向にあるのは人間の性だ。しかしあいつは容易く、ウノを受け入れてくれた。そんな少女が、街の名を性に背負っていた。奴隷だった。


 その事実が、あまりにも辛かった。


「家族を失ったきっかけは土砂崩れだったらしい。身寄りと故郷を失った彼女は奴隷となった。ならざるを得なかった」


 そして、と、バルドは続ける。


「拒否権などなく兵士にされた彼女の願いは、純粋にひとつだった。……死にたくない。それだけだった。死にたくないが戦わねばならない。ならば強くならなければならない……だから彼女は、俺に教えを乞うてきた」


「…………」


 俺は、何も答えられなかった。変わりに、拳に力が入って、ただでさえ弱っていた拳に鈍い痛みが走る。


「そんな彼女の、生きたいと願っただけの彼女の純粋な思いに触れて、俺は自分の無力を痛感した……。俺が出来るのは、彼女を強くしてやるだけだ……俺に、彼女は救えない……。ドノの時のお前のように、力無き者を救う事が、俺には出来なかった!」


 言葉はいつからか、悲痛な叫びに変わっていた。


「俺はお前が羨ましかった」


 その言葉は、俺から現実味を奪っていく。


「そして同時に、怖かったんだ」


 その言葉は、俺から期待を奪い去る。これで俺は空っぽになってしまった。だから多分、バルドが何を言おうと耐えられる。


「お前が獣や邪族と接する事が出来るから、きっと俺にも、と、思っていた。もしかしたら、俺が邪族や獣に抱いている嫌悪は無くなるのではないか、と。しかし、そんな事は決して無かった」


 意外だった。


 バルドはあのパーティーの中でも最も、邪族たるウノと仲良くしてやってくれているように見えたから。


「お前を介せば大丈夫だった。ウノもドノも。だが、お前が契約を結んでいないやつは信用出来なかった。むしろ、お前が居ない場所では、ウノやドノさえも疑ってかかっていた」


 バルドの笑みはいつの間にか、自嘲するような、寂しいものに変わっていた。


「邪族との理解も、力無き者を救う事も、お前は容易くやってのける! だが、俺には出来ない! 素晴らしい事だと解っていながら、お前のようになれなかった!」


 自分が恥ずかしい、と、バルドは言う。


 もしかしたら、俺との旅路の最中、ずっと、こんなふうに迷ってくれていたのだろうか。それでも、俺が一人で抱いている妄想だと思っていたものを、叶うはずのない夢物語を、素晴らしいと言ってくれていたのだろうか。


「仕方ないさ。奴隷制度も邪族への偏見も、この世界にある当たり前のものだ。より多くの者が信じる事こそ正しい世界なら、正しいのは奴隷制度であり、邪族を毛嫌いしてる人間だ」


 冗談めかして俺は笑った。すると変わりに、悲鳴にも似たバルドの慟哭が強まった。


「それで良いとお前は思うか!?」


 言葉と共に再び咳き込むバルドは、必死だった。


 傷が悪化したのだろう、ついに蹲ったバルドは、弱々しい声のまま続けた。


「俺は悔しいよ……っ。素晴らしい事を素晴らしいと言えない事が悔しい! 憧れていた者が糾弾され悪と称されるのが、この上なく悔しい!」


 バルドの目には、涙が浮かんでいた。それほど必死な叫び。それほどの思い。


「お前と共に行けば、お前と共に罪を背負えば、この悔しさも消えると思った……だがっ、その想いを寄せた刃も、お前に勝てなかったっ!」


 何度も声を裏返らせながら、それでもバルドは叫ぶ。悲鳴のようにただ叫ぶ。


 だからだろう。俺は、ほんの些細な、心変わりをした。


「バルド。前言撤回だ」


 俺は、信じる者が多い事こそが正しいのだと言った。事実、そう思っていた。しかし、信じる者が多くても、間違えている事はあるかもしれない。だが、そうなればこの世界の殆どの人間が間違えているという事になってしまう。


 もしこの世界が間違いを前提にした世界なら、間違えるのが当然の世界なのだとしたら、きっと、


「間違えた事に心を痛め続ける者だけが、正しいのかもしれないな」


 解ってる。これは客観的な言葉ではない。俺が抱いた、ただの希望的観測に過ぎない。


「……それは、どういう意味だ……?」


 顔を上げたバルド。そんなバルドの腰元にあった予備の短刀を勝手に拝借し、そのまま背を向けた。


 そして立ち上がり、歩き出し、答える。


 少なくとも俺は正解になれない。俺はいつだって間違え続けるだろう。


 そして、正しいのは世界ですらないなら。


 正しいのは、バルドだけだ。


「……お前の正しさを、俺の間違いで補整する」


 思うだけでは足りない。しかし、行動に移せば間違える。


 そんな矛盾の先でしか掴めない正解を掴む方法が、ひとつだけある。


「なにを、するつもりだ……?」


 その問いかけに答えるだけの精神的余裕は、今の俺には無かった。


 だから、


「じゃあな、勇者。お前だけはこれからも、正しくあって欲しいと切に願うよ」


 だから俺はそれだけ言って、バルドの元から去った。

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