神族の末裔~前編
リグナとの出会いは、驚愕の一言に尽きた。
俺はこの街に来て、ユグドラシル教会の人間に無理矢理連れて行かれて、魔王討伐の報酬を受け取った。それは性質の悪い賄賂のように不気味で、近々行われる殲滅戦もよろしく頼むよと言われているような気がしてならなかった。
怖かった。森の中の家は当時まだ建設中で、借家を借りていた俺は、満足に引きこもる事も出来ずに居た。
魔王討伐戦で深手を負ったウノは自宅を持つバルドに任せ、逃げるように森をさ迷う日々を送っていた。街の人たちに見つからないようにと、森の中に隠していたトリノに飯も食わせてやる必要があった。怪我もしていたから、余計に心配だった。
しかしその生活は、森の中のマイハウスが出来てからも同じだった。
トリノもウノも怪我をしていて、留守番させるには心細かった。しかし頑なに俺と行動しようとしないトリノは、俺と同様引きこもっていた。
ウノはよく俺の肩に乗っていたが、俺も俺で、街に行くでも狩りに行くでも無いのに、そこらへんをうろつく日々が続いた。殲滅戦への召集から逃れるためだ。
殲滅戦は有志だ。しかし、もし、報酬の時のように無理矢理連れて行かれたらどうなる? 俺はまた、魔族と戦わなければならなくなる。そんなのは嫌だった。戦いたくない。戦うわけにはいかない。逃げて、居留守を使って、引きこもった。街に行く回数は極力減らした。
しばらくして、殲滅戦が行われた。大勝の吉報はすぐに届いた。もっとも、俺は吉報だなんて微塵も思っちゃいなかったが。
そんな暗い日々が続いていた時だ。
ある日、街から帰ってきたら、保管庫の扉が破壊されていた。
襲撃者か、と思い身構えた俺が見た物は――
森の中で囲まれた。はっきり言ってピンチだ。リグナとトリノが家で待っているはずだが、そっちのほうも無事が気になる。
俺とウノの真正面には、白いマントと白い鎧を纏った男。
「異端者連行って、確か自白するまで拷問を続ける出来裁判だ、って聞いた事があっるんだが……?」
偏見かもしれないが、俺はその噂を信じてやまない。無理矢理報酬を渡された時とか、受け取らなかったら殺すぞ、って言われてるような気がしたもん。いやほんとは「よくやってくれたね」「すばらしい」とかってべた褒めだったんだけどさ。そこは、疑うのが趣味である俺の性、という事で。
「そんな事があるはず無いではありませんか。異端者裁判は潔白で神聖なる裁判ですよ」
「神聖、ねえ……」
俺とウノを囲う男は全部で十人だ。しかし、目の前に居る男だけが装備がやけに整っている。他のやつらはおそらく街の自警団の者。そして目の前に居るこいつはおそらく、どこかの雇われ狩人さんか名のある冒険家か、もしくは、教団からの使者か、だ。最後だったら最悪だ。
「おや、神聖という言葉がお嫌いですか?」
騎士の格好の男が言う。
「嫌いだ、と言ったら、その発言そのものを異端として扱うんだろ?」
正直冷や汗が出てきた。この騎士がどれだけの強さかは、だいたい解る。多分だが、俺と互角だ。
俺は脇差に手を掛けた。
それを見た騎士は、僅かに唇を吊り上げ、高ぶる感情を抑えようとしているかのように震えた声で言う。
「逆らう気ですか?」
「以前無理矢理連れていかれた時がトラウマなもので」
「そうですか」
白いマントをはためかせて、そして、細剣を取り出す。
おかしい、とは思ったが、その違和感をすぐに振り払う。
変わりに引き抜く脇差。
それを合図に、俺を囲む十人の内の八人が、槍や剣を構えた。残りの二人は弓士と魔法師が一人ずつ。
再びこみ上げる違和感。しかし、その正体を突き止める前に、動きがあった。細剣の男が突っ込んできたのだ。
「っつ!」
真っ直ぐの突き。いきなりそんな正直な攻撃をしても、牽制にしかならない。脇差で振りぬくように弾き、鎧を足の裏で踏むように蹴った。蹴り、というよりも、押した、と言ったほうが近いかもしれない。
細剣の男は一歩だけよろめいたが、すぐに踏ん張る。
それでも、その一瞬で充分だ。
さらに一歩、全力で突っ込む。脇差はまださっき振りぬいたままの位置。刀身よりも柄のほうが近いと判断。鎧の無い顔面へ、脇差の柄を走らせた。
ガキン、という重たい空洞音が響く。細剣の男は俯く事で鎧の盲点をずらして防御したようだ。
さらに、一歩。
今は細剣の男も俺自身も、武器を繰り出せない。繰り出せる程の間合いではない。
距離を詰めた勢いに任せ、両足を上げる。
そして、全身の力で、細剣の男を、鎧ごと押した。
重たい鎧を着ている者の弱点は、速度が落ちるという事だけでは無い。一度転んでしまえば、それが致命的な隙になるのだ。
細剣の男がこの部隊の指揮を執っているのはもはや言うまでも無い。だからこそ狙うはやつ一点。あいつを押し倒し、首元に脇差を突きたて、勝負の決着を宣言する。それで、この危機は終わりだ。
そこで問題になったのは、俺のブランクだった。
「これが……」両足で押しているのに、細剣の男は耐えていた。「これが、魔王を倒したパーティーの一員の力、ですか……!」
弾き返される。そう判断して、押す力を自分が飛ぶ力へと変換する。そして大きく後ろにまで飛ばされた俺は、着地で僅かに体制を崩した。
「…………」
違う。そんなわけが無い。あのパーティーは間違いなく最強だった。皆がそれぞれ強い意志を持ち、力を持ち、なんらかの形で信頼しあってた。全員が強かった。俺のはブランクがあるせいだ。まるで、あのパーティーの全員が俺程度の力しか無いのか、みたいな言い方をするな。
それが言えないのは、言い訳をしない強さか、プライド無き弱さか。
立ち上がり直り、肩から飛び降りて地面に着地していたウノに目をやり、すぐに、周囲を見回した。
いつでも飛び掛かっていける。その意思がびしびしと伝わってきた。
唇を噛む。
そしてそこから滲んだ血を素早く指で拭い、
「レクター・ゼフト・オリオンの血と名の下に命ずる。使役獣ウノの封印を限定解除」
差し出すと、フクロウ姿のウノはが俺の指をつつくように舐めた。
「――召喚」
宣言すると同時に、いや、本当は召還そのものを止めようとしていたのだろうタイミングで、包囲網を作っていた槍士の二人が突っ込んできたためしゃがんで回避する。
まだメタモルフォーゼを終えていない中途半端な姿のウノはそのまま上に跳ねた。
空中でのメタモルフォーゼ。必然的に視線は集まる。
フクロウからハーピーに移ろうその姿は、相変わらず美しいの一言に尽きた。
羽が舞い、陽光を反射して輝いて見える。その中心で踊るように出現するハーピー。まだ若いが、成長したらもっと魅力的な姿になり、多くの者を魅了する事だろう。現に、人間でいうと少女の年齢でありながら、その場に居る全ての戦士から戦意を削ぎ取った。
ガツ、と、メタモルフォーゼを終えたウノは、突き出された槍を足で掴んだ。
そのまま飛び立とうとするもんだから、二人の槍士は慌てて踏ん張る。
隙だらけだった。
その槍士の懐に飛び込み、脇差の柄と峰、鞘で殴り、意識を奪う。その間に敵の応援が来なかったのは、ウノの姿に見惚れ、出遅れたからに他ならない。性別も種族も関係なく、ハーピーの姿を見て一瞬も見惚れない物は皆無と言われている。長年付き合っている俺でさえ未だに、しかもまだ成体ですらないウノに見惚れてしまうのだから、その力は真正だろう。
「ウノ! 俺が頭をやる! その間、周りの足止めを!」
「おおせのままにっ!」
踏み込む。前方には頭を振り、邪念を払おうとしている細剣の男。まじかよ解除からせめて五秒は正気を失ってて欲しかった。
だが、手は遅くなるだろう。そう信じて脇差の太刀を振るう。目指すは腕の間接部であり、鎧の無い場所。
「くっ……小癪な!」
いやいや、俺は召喚師なんだから、召喚してなんぼでしょ。まさか俺が召喚師だって事さえ知らなかったわけじゃないだろうな。だとしたら情報の大切さを教えてやらねばなるまい。
しかしそれは勝負が終わってからだ。今はこの状況を切り抜ける事に専念しなければなるまい。
細剣と太刀で鍔迫り合う。本来ならばどちらも鍔迫り合いには不向きな武器なのだが、そんなことに構っていられる程、互いに余裕が無いという事だろうか。
一度距離を取り、しかしすぐさま突進した。慎重になっていられる程の余裕も、この現状ではどこにも無い。ウノに他のやつらを任せたはいいが、敵の強さが未明の今では、用心に越した事は無い。なるべく、俺がこいつを倒して、ウノの助太刀に回るというのが理想的だ。
しかし、敵は再び、細剣を使ってガードした。
しなる細剣。再びこみ上げる違和感。
今度は距離を取らず、斬り直しすため太刀を下げる。
細剣の長所は何よりその身軽さから繰り出される手数の多さと、先手を奪える素早さにある。太刀を下げたこの間を突いて来たら左に回避し、そのまま斬る。そう算段を付けていたのに、敵は反撃して来なかった。
三度、刃が交わる。細剣はさらにしなり、今にも割れそうな不気味な音を奏でた。
おかしい。
違和感が限界を向かえ、堪えきれずに距離を取った。早めに決着させたかった俺からすれば、これだけでも敵の思う壺に思える。
しかし、経験則的に、これ以上の深追いは危険だという判断が下った。
今度は安易には突っ込まず、構えなおす。
ウノのほうはどうなっているだろう。気になるが。敵の強さはまだ未明。しかも何かを企んでいる可能性が高いともなれば、集中を他に向けるのは蛮行だ。
ジリ、と、足を引きずり、僅かに距離を詰める。しかしそれは気持ち程度の距離でしかない。敵を威圧するにしても、おもいきりが足りないだろう。
……少し、試してみるか。
駆け出す。間にあった距離を一気に詰めると、左側から細剣の突きが迸る。
読めていたから回避する。
そのまま斬り掛かろうとしたが、それは細剣の長所である素早さのせいで届かなかった。寸前の所で受け止められ、四回目の鍔迫り合い。
さっき以上に細剣がしなる。今にも折れそうだ。
これで、目的は解った。
一歩下がり、僅かな間を置く。
身を屈め、低い体制を取ってから再び駆ける。といっても、一歩分の距離は一歩で埋まった。
敵が繰り出す細剣を太刀で流しながら、詰まった距離でさらに踏み込む。
敵の懐を通り抜け、後方へ。
その低い体制のまま太刀を上段に振り上げ、敵の肩目掛けて振り下ろす。
敵の細剣が戻ってきて、五度目の鍔迫り合い――にはならなかった。俺が太刀を寸前の所で止めたのだ。
込めていた力が空気中に霧散するような感覚。それが体から抜け切らない内に、背中向きのまま蹴りを突き出した。
細剣は突きに特化した武器で、横に刃は無い。さらにそれは今上半身を守っている。つまり、あそこから防御のために蹴りを止めに来たところで俺にダメージは無い。さらに上半身に隙が出来れば、中途半端に止まっている太刀を振り下ろせば、深くまでは無理でも多少はダメージを与えられる。
敵もその思惑に気付いたのか、蹴りをガードはしなかった。
鎧を着込んでいるため蹴りなんかでダメージを与えられるとは思っていない。しかし、俺の目的は最初からぶれていない。
鎧を着込んでいるやつならば、転ばせれば勝ちだ。
だから、足を狙った。
そして、俺の蹴りは算段通り敵の膝に当たり、敵は体制を崩す。
そのまま倒れかけている所に、さっき止めていた太刀を振り下ろした。
威力は無い。しかし、刃が降りてきてガードしない戦士などどこにも居ない。居たとしたらとっくに死んでる。
だから、敵が崩れた体制のまま細剣を上に向け、太刀をガードしたのは必然であると同時に、俺の術中だった。
これで、敵は体制を立て直せない。
後は落下に従い、倒れるだけだ。
重みのある鎧が地面に着くと、雑草の有無などお構いなしに砂塵が舞った。
敵の姿が隠れるが、砂塵は小さい。狙いを絞れば充分攻撃出来る。
殺すつもりは毛頭無い。
倒れた鎧は簡単には起き上がれないのだから、その間に装備を解除させる。
太刀の峰で、叩きつけるような攻撃をした。
だが、何度目か解らない違和感が再び込み上げる。
敵は、迷う事なく、細剣でそれをガードしたのだ。
回避も、鎧によるガードも試みず、防御に不向きな細剣を使う。
それがどういう行為なのか、戦士の端くれなら誰にだって解る事のはずだ。
現に――バリン、という音を立て、細剣が割れた。
細かい鉄の破片が宙に舞う。木漏れ日を反射してキラキラと輝くその光景にはどこか現実味が無かった。
否、それは確かに、現実的なそれでは無かった。
舞った鉄片が一向に落ちない。むしろ、鉄の重さを考慮すれば、舞う、という表現自体がおかしい。
ここに来てようやく、敵の行動の違和感が解消された。しかし、大きく後方に跳ぼうとしたところで、気付くのが僅かばかり遅かった。
接続魔法――サイコキネシス。本来ならば補助魔法に属するその魔法は、物体と神経を接続し、距離の有無に関わらず、ある程度操作する事が出来る。
その魔法が、あの細剣に施されていたのだ。
細剣は今や無数の鉄片へと変化している。細かい分鋭さもあるだろう。
それらの全てが、今、この鎧の男の武器となる。
舞い散る細剣の鉄片が、凶器となって降り注いだ。
回避はまだ、間に合っていない。




