第二十四話 誤解と勝負(前編)⇒そして遊び、遊ばれる
過去の回想から始まります。
竜心が入学してくる前の三月。
卒業式の日。
在校生代表として卒業式で答辞を送り、卒業する先輩たちと別れの挨拶を交わした静は卒業生たちを見送った後、屋上に向かっていた。
片手には手紙を持っている。
その手紙には、差出人の性格を表すような丁寧だが力強い文字が並んでいる。
静は屋上で会う人の用件を考え、「ふう」とため息をつく。
静は屋上に出る扉を開ける。
まだ肌寒い季節で冷たい風が屋内に吹き込んでくる。
扉の先には、体格の良い男子生徒が姿勢よく立っていて、扉を開けた静をみつめている。
「来てくれてありがとう」
少し緊張をはらんだ声で男子生徒が静に声をかける。
静は微笑みをたたえながら、しかしわずかに緊張した顔で男子生徒の前まで歩いていく。
男子生徒は目立たぬように息を深く吸って、話し始めた。
「用件は手紙に書いた通りだ。
俺は君のことが好きだ。
俺と交際してほしい」
簡潔な要求に少し笑みを浮かべ、しかし憂いも含んだ表情で、
「ごめんなさい」
と静は答えた。
「そうか」
と男子生徒は断られることが分かっていたかのように受け止め、
「理由を聞いていいかな?」
と尋ねた。
「今はそういったことを考えられないの。
あなたのどこがダメとか、そういう訳ではないわ」
と静は答えた。
男子生徒は「そうか」と深くうなずき、
「俺は今まで恋愛などとは無縁に生きてきた。
しかし、その中で君を好きになった。
俺は君を諦める気はないよ」
と決意を込めて話しかけた。
静は「そう」と一言だけ、悲しそうな表情で言葉を発した。
「寒い中、来てもらってすまなかった。
じゃあ、俺はこれで失礼する」
と男子生徒は静に頭を下げ、屋上から去っていた。
男子生徒が去って少し経ってから、静は「ふーっ」と深く息を吐いた。
(こういった場面は何度迎えても慣れないわね。
好意を持ってもらえるのは嬉しいのだけど。
『今はそういったことを考えられない』私は、いつ、『そういったこと』を考えられるようになるのかしらね……)
……
竜心がバイトを始めてから1週間が過ぎた後の月曜日の放課後。
竜心は時間に余裕を持ってバイトに行こうと考え、校舎を出ようと下駄箱に向かっていた。
竜心は、静が困った顔で考え事をしながら歩いているところを見かけ、声をかける。
「会長、こんにちは。
何かあったんですか?」
静は声をかけられてやっと竜心に気付き、
「こんにちは、古賀君。
ちょっとね……」
と言葉を濁す。
そして静は竜心を見て「はっ」と気付いたような顔をして、
「そうだ! 古賀君!
今週の土曜日は予定が空いてないかしら?」
と竜心に尋ねてくる。
竜心はバイトのシフトを思い出しながら、
「土曜日は空いていますよ。日曜日だったらバイトが入っていましたが」
と答える。
「そう、それなら一つお願いがあるんだけど……」
と静が上目遣いで手を合わせながら竜心に言う。
「会長にはお世話になっていますし、俺にできることなら引き受けますよ」
と竜心は答える。
「そう! 実は私の家が運営している保育園の遠足がその日にあるんだけど、当日来る予定だった引率のためのボランティアの方が2人、突然来られなくなってしまったの。
後1人くらい手伝ってくれる人が欲しいなと思っていたんだけど、お願いできるかしら?」
「任せてください! 子どもは好きですから。
ただ、対応が下手なんですが……」
と竜心が困った顔をする。
静は笑いながら、
「ふふふっ 遊園地ではくみちゃんに泣かれてオロオロしていたものね。
私や他のボランティアの方がいるから大丈夫よ」
と笑顔で言う。
竜心は「そうですか」とほっとしながら言う。
静は竜心に集合場所と集合時間などを伝え、竜心はバイト先に向かった。
竜心と静が話す様子を見ていた生徒たちは、「会長と古賀が……」「どういうこと?」「会長の上目遣い……」「あれに動じてない古賀は何者?」と騒いでいた。
保育園の遠足当日。
竜心はあまり早く着いても迷惑かと思い、集合時間の15分前の9時45分に「愛心保育園」の中に入った。
すでに20人ほどの子どもが集まって、はしゃぎ回っている。
20代くらいの女性2人、40代くらいの女性2人と静がその子どもたちの相手をしていた。
「おはようございます!」
と竜心は声をかけた。
「おはよう」と静が挨拶を返す。
子どもたちも「おはよーございまーす!」と口々に挨拶を返してくる。
20代くらいの女性のうち1人が静と一緒に竜心のところに歩いてくる。
女性が竜心に挨拶する。
「初めまして。私はこの愛心保育園の園長の『下川 保奈美』です。
今日お手伝いしてくれる古賀さんですね?
静さんからお話を聞いています。
今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。『古賀 竜心』です」
保奈美が丁寧に頭を下げながら挨拶をすると、竜心も頭を下げて挨拶を返す。
保奈美は笑顔になって、
「聞いていた通り真面目な方ね。
子供の相手は結構大変ですし、今日は男の方が古賀さん1人なので余計に大変になると思いますが、古賀さんは体力があるとも聞いていますので期待していますね」
と声をかけてくる。
「はい、がんばります!」
と竜心は気合十分で答える。
そのやりとりを横で聞いていた静は、
「うふふっ 本当によろしくね」
と言いながらいたずらっ子のような表情になって、
「みんなー! こちらのお兄さんが遊んでくれるよー!」
と子どもたちに声をかける。
近くにいた5人の子どもたちが「わー!」と竜心の方に突撃してくる。
竜心は跳びつかれたりしながら、子ども同士がぶつかりそうになったのを見て片手で一人ずつ抱え上げる。
それを見てさらに4人、竜心の方に「僕もしてー」「私もー」と跳びかかる。
竜心は抱えていた2人を肩に乗せ、さらに2人を抱え、しゃがんで背中に1人乗せる。
想像以上にすごいことになって、静が「あはは」と乾いた笑いをこぼす。
保奈美は片手を頬にあてて、「本当に力持ちですねえ」と微笑んでいる。
10時になって子供が25人、引率が竜心を含めて5人の30人で、バスに乗って出発した。
園長の保奈美は保育園に残って見送った。
バスでも大騒ぎの子どもたちを、
「大人しくしていないと途中で降ろしちゃうからね!」
と、引率の内唯一の保育士である、「下川 梢」が大きな声で叱ると、
「しーん」という擬音が聞こえそうなほど静かになった。
梢は「まーうろちょろせずに、しゃべるくらいなら大丈夫だよ」というと、子どもたちは近くの子と話し始めた。
竜心は「絶妙なさじ加減だな」と感心する。
竜心も、車内でも跳びかかってきた子どもを席に着かせ、ようやく落ち着いた。
竜心と真ん中の通路を挟んだ隣の席にいる静が竜心にすまなさそうに声をかける。
「古賀君、ごめんね。
ちょっとしたおふざけのつもりが、すごいことになってしまったわね」
「あれくらいなら大丈夫ですよ。それなりに鍛えていますので。
くみちゃんに泣かれるより気は楽です」
「ふふっ 確かに困った顔はしてなかったわね」
静は竜心のフォローで気が楽になる。
そこに、赤信号で止まっているうちに竜心たちの近くまで歩いてきた梢がニヤニヤしながら、
「ふっふっふ。お似合いだねーお二人さん。
古賀君は静ちゃんの彼氏かい?」
と竜心と静を茶化す。
静は少し顔を赤くしながら「違います!」と否定し、
竜心は素で「違います」と否定した。
2人の否定のテンションの違いに、梢は更にニヤニヤしながら静を見る。
「何ですか梢さん!」と静は梢の邪推を否定するように非難する。
梢は静の非難をスルーして竜心の方を向き、
「さっきは自己紹介する時間がなかったね。
私は『下川 梢』。苗字からわかると思うけど、園長の妹よ。
今日はよろしくね!」
と右手を差し出す。
「『古賀 竜心』です。よろしくお願いします」
と竜心は梢の手を握る。
梢は竜心と握った手を上下に振りながら、
「竜心君は見た目通り本当に真面目そうだねー
近頃の高校生には珍しいカンジ。
イケメンってわけじゃないけど、イイ男だと思うよ」
と感心したように言う。
竜心は少し照れて「そうですか?」と答える。
「あっはっは! なんかカワイイね!」
と竜心の様子を見て梢が笑う。
竜心は困惑し、静は複雑な顔をする。
梢がバスの助手席に戻った後、今度は子供たちが騒ぎ始めた。
「おにーちゃん、静おねーちゃんの彼氏なのー?」「ホント? ホント?」「静おねーちゃんは僕と結婚するんだー」
静と竜心が「違うのよ!」「違うよ」と何度も否定するが騒ぎは収まらない。
梢は子供たちが走っている途中で立ち歩いていなければ特に注意はせず、一番後ろの座席に座っているボランティアの40代の女性2人は、「今日は特にみんな楽しそうですねぇ」「そうですねぇ」と微笑ましく見守り、騒がしいままにバスは目的地の佐々木動物園に向かうのだった。
バスが出発してから1時間半ほどで、佐々木動物園に到着した。
佐々木動物園はそれほど大規模な動物園ではないが、ゾウ・ライオン・キリン・サル・カバなど、有名どころが揃っていて、地域の動物園としてそれなりに人気がある場所だ。
バスを降りて整列する。
子どもたちはちゃんと並ばないと早く動物園に入れないことがわかっているのか、すぐに並び終える。
「よし! みんな行くよー」
と梢が声をかけ、それから動物園の入り口の係員に声をかけ、普段は閉じられている団体用の入り口を開けてもらい、そこから入っていく。
子どもたちはみんな笑顔で列に並んでついていく。
ボランティアの女性2人は最後尾につき、竜心と静は列の真ん中あたりにつく。
動物園の中に入ると、子どもたちのテンションが一気に上がり、4人が列から離れて自分がみたいところに行こうと走り出した。
静がなんとか1人捕まえ、竜心が手早く3人捕まえる。
捕まった4人は「捕まっちゃったー」と楽しそうにしている。
梢が怒った顔を作って「勝手に行くんだったら、もう帰らせるよ!」と叱り、4人はしゅんと落ち込む。
静と竜心は4人の頭を撫でて「ほら行こう」と手を繋いで列に戻らせる。
静が「なかなか大変でしょ?」と竜心に声をかける。
「ええ、でもみんな楽しそうでこちらも嬉しくなりますね」と竜心は口元を緩めながら答える。
いろんなサルがいるサル山を見て、カバを見た後でお弁当の時間になり、広場に集まって持ってきたお弁当を食べ始めた。
子どもたちはすっかり竜心に懐き、さっき見たサルやカバの話を楽しそうにして、竜心も楽しそうに話を聞いている。
先に食べ終わった男の子3人がサルやカバの真似を始める。
食べ終わった子が次々とそれに参加し始め、8人でそれぞれ真似をして笑い合っている。
竜心も引っ張られて、「おにーちゃんもやって!」とせがまれ、忍術の修行の一環で身に付けた形態模写の技術を活かしてリアルにサルの動作を再現する。
静と梢が「ぶはっ!」と淑女らしからぬ吹き出し方をして、お腹を押さえて笑う。
ボランティアの2人も「あははは」と大きく口を開けて笑っている。
子どもたちは大喜びで「もっとやって! もっとやって!」とせがむ。
真似っこ遊びが落ち着いてきた頃、梢が竜心に話しかける。
「いやー 竜心君は真面目な顔して意外と芸達者だねー
ここ最近で一番のヒットだったよー」
「私は普段の古賀君を知ってるから、余計にギャップで笑ってしまったわ」
と静も言ってくる。
「そうですか」と竜心は嬉しそうに答える。
竜心がまた子どもたちに引っ張られた後、梢が肘で静を押しやりながら、
「いやー竜心君はなかなかいい物件だねー
逃しちゃだめよ?」
と静を茶化す。
「そんなのじゃないです!」と静はまた少し顔を赤くして否定する。
お弁当の時間が終わり、子どもたちが一番楽しみにしていたゾウ、ライオン、キリンを見て回る。
竜心はすっかり子どもたちの人気者になり、動物の檻の前で代わる代わる子どもたちを抱えたり肩車したりで忙しい。
「あっれー みんなに竜心君をとられちゃったねー」
と梢が静をまた茶化すが、静は相手にすると余計にからかわれるとわかり、スルーする。
ライオンの檻の前で、1頭のライオンが吠えると、竜心にくっついていた女の子が1人怖がって泣き始め、それがさらに2人に伝染して、3人が大泣きを始めた。
竜心は撫でてあげたりしてあやそうとするものの、効果が上がらなくてオロオロし、静の方を見てすがるような目をする。
静は遊園地での出来事の再現を目にして少しおかしくて笑いそうになりながらも、すぐに泣いている子たちのそばにいってあやし始める。
静が1人ずつ抱きしめて「大丈夫よ」と優しくささやくと、ピタッと泣き止んだ。
竜心は尊敬のまなざしで静を見る。
静は誇らしげな顔をする。
その様子を見て、梢はボランティアの2人のところに行って、「あの2人はいいコンビですねー」と話しかける。
「本当ねー」「初々しいわー」と2人は同意する。
午後4時になり、「そろそろ帰るよー」と梢が子どもたちに声をかけると、「えー!」とブーイングが上がる。
「そんなこと言ってると置いてっちゃうよー 夜の動物園はこーわーいーぞー」
と梢が少し脅かすような声で言うと、子どもたちはピタッとブーイングを止めて、整列する。
帰りのバスでは、子どもたちはみんな遊び疲れたのかほとんど眠っていた。
まだ眠っていない子どもも疲れて大人しくしている。
梢は竜心と静の近くに補助席を出して、
「いやー 今日は本当に2人のおかげで助かったわー
静ちゃん、竜心君を連れてきてくれてありがとねー
子どもたちもいつもより楽しそうにはしゃいでたし」
と子どもたちを優しいまなざしで見ながら2人に話しかける。
「いえ。俺も楽しかったですし、いい休日になりました」
と竜心は口元を緩めながら答える。
静も「私もそうです」と続いて答える。
「ところで……本当に2人は付き合ってないの?
すごく息が合ってたけど」
と梢が表情を変えてニヤニヤしながらまた茶化し始める。
後ろに座っていたボランティアの2人も「本当にいい夫婦になりそうよねぇ」「二人とも子煩悩になりそうですしねぇ」と話に入ってくる。
ただの冗談だと思って素で流す竜心と、顔を真っ赤にして否定する静を、梢が面白がってさらにからかって、子どもたちは眠っていても賑やかなバスはのんびりと愛心保育園へと走るのだった。
またまた長くなったので前後編に分けました(^^;
竜心と静を交えた掛け合いは書きやすくて、ついつい文章が長くなってしまいます(^^)
後編もできるだけ早く書きます~




