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断らないなんてこと、あるんですか!?

 アンナは物陰から標的を確認する。

 絹糸のようなプラチナブロンドにけぶる青の瞳。彫りの深い白皙の美貌で、頭身のバランスや腰の高さ、仕立ての良い夜会服を着こなす肩幅や足の長さといったすべてが完璧なプロポーションの人物。

 人呼んで「冷徹侯爵」ことウォーレン・ミッドフォードそのひとだ。


(ほんっっとに、ものすごい美形ね……!)


 きらきらしすぎていて、直視すると目にばちっと痛みが走る。アンナは「御本人がこの会場にいるのはわかったわ」と呟いて柱の陰に身を隠した。

 退避している場合ではないと、頭ではわかっている。

 なにしろ、アンナは今から彼にプロポーズしようとしているのだ。


 とはいえ、実はこれまで彼とは会話を交わしたこともなければ接点も一切ない。完全に見知らぬ他人であり、今日この日まで彼を綿密に調査してきたアンナとは違い、彼はアンナの存在すら知らないはずだ。

 ごく一般的かつ常識的に考えて、プロポーズなんてする間柄ではない。

 いわゆる「嘘告」である。


(誠に申し訳ありませんっ。どうぞ、噂通りの「とんでもない女たらしかつ独身主義者」で「一度関係を持った女性に対しても冷酷無慈悲な毒舌家」であってください。私が話しかけても一顧だにせず、虫けらを見るような目で「誰だお前?」って突き放してください! そのひとことで、私は向こう十年くらい仕事を続けられるんです!)


 アンナ・ギボンズ二十八歳。

 とても追い詰められていた。

 それというのも、二十歳前後が結婚適齢期とされるこの国においてアンナは完全なる行き遅れであったからだ。現在、勤務先のモリス公爵邸ではアンナが結婚していないことが大きな問題になっているのである。


 もともと子爵家の末娘アンナは子どもの頃から薬草学に興味があり、十八歳のときに隣国の研究機関に研究生としての席を得て留学した。

 二年後、さすがにこのまま研究に没頭していると社交界デビューすらままならないから一度帰ってくるようにと両親に苦言を呈されて、帰国。その時期、遠縁にあたるモリス公爵夫人シャンテルから侍女を探しているとの相談があった。


 才色兼備で知られたシャンテルは、見事公爵夫人の座を射止めて結婚式を挙げたばかりの新婚。

 しかし美青年かつ大富豪であるモリス公爵に横恋慕をしていた令嬢が、諦めきれなかったからと茶会でシャンテルに毒を盛る騒動があったのだ。危機感を抱いた公爵夫妻は、アンナの経歴を聞きつけて本人と会うなり「力を貸して欲しい」と懇願してきたのである。


 公爵夫人と言えば社交界の華。

 やや遅れて社交界デビューをするアンナにとって絶好の後ろ盾となると、両親は快諾。公爵も「必ずや後押しをする」と請け負ってくれた。

 アンナ本人も「薬草の知識が求められているのであれば」と乗り気で公爵邸住み込み侍女の職に就くことを受け入れた。


 ちょうどその頃、国内外で新種の流行病が発生した。

 それは強い感染力を特徴としており、またたく間に王侯貴族・平民問わず爆発的に広まった。

 ひとの集まる場は感染を広めるきっかけになると夜会や舞踏会は次々に中止された。そもそも、開催しようにもどこの屋敷でも主人も使用人もバタバタと倒れている有様だった。


 いかに薬草の知識があっても、現在研究機関に所属しているわけでもないアンナはこの病気の特効薬など作り出すことはできない。

 だが、幸いにして感染しても軽症で立ち直ってからは、倒れた公爵邸の面々の看病をはじめ人手の足りなくなった部署での仕事を体当たりでこなした。


 この期間に、シャンテルは第一子の長女ニコルを出産した。

 経験豊富な乳母やメイドの出番であったが、流行り病は猛威をふるい続けていた。普段なら使用人を多数抱えていてどんな不便もない公爵邸も、依然として危機的状況にあった。乳母も見つからなかった。

 そうは言ってもすでにニコルはこの世に生を受けており「子育て」は後回しも省略もできるものではなく、誰かが絶対にしなければならないことであった。


 貴族の奥様としては例外的に、シャンテル自らニコルに授乳した。アンナは授乳以外の大体すべてのことをした。

 シャンテルはそこから八年の間さらに三人の子を産んだ。アンナは「公爵夫人の社交に付き添う若くておしゃれな侍女」として活躍するのではなく「公爵邸きっての子育て要員」として奮闘した。おかげで乳児育児のエキスパートとなった。


 八年もあれば公爵邸の使用人の顔ぶれにも変化があり、主に若い使用人たちの間でアンナは「既婚で乳母も兼ねている」という誤解が生まれた。

 いつしか「乳母の中の乳母」と呼ばれるようになり「お子様に大人気」「アンナさんがいれば大丈夫」「公爵邸の子ども部屋はアンナさんで成り立っている」という厚い信頼を寄せられることとなった。


 一方、特効薬の開発とともに流行り病は終息を迎えつつあった。

 社交界は徐々にではあるが以前の活気を取り戻し、失われた数年をここぞとばかりに埋め合わせるとばかりに貴族の令嬢令息たちは屋敷の外に出るようになった。


 アンナは――いまだに公爵邸で子ども部屋暮らしをしていた。

 子育てが天職となっていたのである。子どもたちにも懐かれて、おしゃれして外に出るよりも洗濯しやすい服装で子どもの世話をし、その成長を見守ることにやりがいを見出していたのであった。


 公爵夫妻は、そのアンナの有り様にこのところとみに心を痛めていた。

 アンナにあまりにも頼り切ってしまい、社交界で華やかな生活を後押しするどころか未婚で行き遅れにしてしまったと焦りだしていたのである。


 モリス公爵は「アンナがあれにすると誰か指でさしてくれれば、すぐに夫として手配する」などと言い出した。まるで競走馬の競りのような話であった。金銭と権力ですべてを解決するつもりであるのを隠すこともなかった。

 シャンテルはといえば毎回トランプができるくらいの絵姿と身上書を揃えてきては裏返して並べて「どれにする? 全部当たりよ?」とアンナに選ばせようとしてきた。他人の人生をギャンブルにしすぎである。


「子育てが楽しすぎるのです。どうしても結婚は必要なのでしょうか?」


 二人の積極性に引き気味になりながら、アンナは自分の本音を口にした。

 アンナは結婚してこの職場を離れるなんて考えられなくなっていたのだ。

 しかし公爵夫妻はアンナがどれほど「私のことは構わないでください」と抵抗しても頑として諦めようとしない。


 追い詰められたアンナは「好きなひとはいたけど、玉砕してしまって縁談はもうこりごりなのです」作戦をしようと決意したのであった。


 もちろん「金銭と権力ですべてを解決する」つもりの公爵夫妻が目を光らせている以上、たとえ王族でさえアンナが「好きなひと」として名前を挙げたら縁談を整えられる恐れがある。恐ろし過ぎる。


 かくなる上は公爵夫妻が絶対に手を出せない相手――なおかつ、アンナが恋をしても不思議はなく、確実に振ってくれる男性を見つける必要があった。


 なお、社交界デビュー前に留学し、帰国した頃流行り病で社交の道を絶たれ、終息後も公爵邸の奥深くで子ども部屋暮らしをしていたアンナには「無理をきいてくれる同年代の異性の知人」といった都合の良い相手などひとりもいない。かろうじて名前と顔が一致する相手はすべて公爵家絡みであり、偽装恋人を頼むあてもなかったのである。


 ゆえに、まったく未知の男性たちの中からなんとか条件に合うひとをと懸命に探し続けた結果、見つけてしまったのだ。意外にも、以前ギボンズ子爵家で家庭教師をしていたアンナの薬草学の恩師がそのきっかけをくれた。


 ウォーレン・ミッドフォード侯爵。

 このたび出資先の研究所で流行り病の特効薬を作り出したことにより、王族ですら頭が上がらなくなったという青年実業家である。「ものすごく薬草に詳しいけど性格や生活に少し問題のあるひとみたいで」と恩師は雑談がてらアンナに教えてくれたのだ。


(とんでもない美形で、信じられないくらい女性関係がだらしないともっぱらの噂だと……! 一度関係をもった女性でも、声をかけられれば冷酷に振るのだとか)


 そんな恐ろしいひとでなければ、薬草の話をしてみたかったと残念に思わないでもなかったが、アンナの探していた条件にこれ以上合う相手はいない。

 かくして、その名を知って以来ウォーレンの行動範囲や出席しそうな夜会を調べ続けてきたアンナは、その日いよいよ標的としての本人を確認し、プロポーズを決行することにしたのである。


 物陰から物陰に移動し、目が痛くなるほど麗しい青年を見るにつけ、足が震えた。できれば作戦などなかったことにして逃げ出したい。

 しかし、いつまでもそんなことを言っている場合ではないと自分に言い聞かせ、アンナは身を隠していた柱の陰から飛び出し、ついに青年の行く手をふさいだ。

 そして、勢いを失う前に叫んだ。


「あの、私と結婚してください!」


 用件のみで失礼いたします。


(他にもっと言いようがあるはずなんですけど、レトリックも何もなくてすみません!)


 自分のことながらこのプロポーズが体当たりでひどすぎる! とアンナは顔をひきつらせる。


 評判の悪すぎる「冷徹侯爵」こと、世にも稀なる美貌の持ち主であるウォーレン・ミッドフォードは足を止めてアンナを真正面からしげしげと見つめてきた。もはやアンナは生きた心地もしない。早く振って欲しいと100万回くらい心の中で唱えた。


 ウォーレンはかすかに眉をひそめて、口を開いた。


(どんな冷酷な言葉でもいいです、愚かな私を振ってください。ほんと利用してすみません!!)


 祈るアンナの耳に、感情の感じられない声が届く。


「わかった。結婚しよう」


 アンナの息が止まった瞬間であった。

※短編公開時に「書いちゃえよ!」と感想欄で言っていただき「そ、そのうち」とお約束していた連載版です。お楽しみいただけましたら幸いです。

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