表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
静かな夜は、分かれている― ススキノの小さなバーでの記憶 ―  作者: akira


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/5

第1話 忘れられない客

同じ夜を、何度も繰り返している気がした。

違うのは、ほんの少しの順番だけ。


客の来るタイミング、交わす言葉、そして——名前。


すすきのの小さなバーで、


これは、

記憶が分かれ、

そして静かに戻っていく夜の話。

静かな夜は、終わっていなかった。


ただ、形を変えただけだ。


それが分かるまでに、少し時間がかかった。


あの夜のあと、店は元に戻った。


少なくとも、そう見えた。


同じ時間に開けて、


同じようにグラスを並べて、


同じように客を迎える。


美咲も来る。


一人で。


変わらない距離で、


変わらない言葉を交わす。


それで十分だった。


それ以上を望む気はなかった。


だが——


それでも、何かは残る。


完全には消えない。


そういう場所だと、もう分かっている。


その夜、最初の客は見覚えのない男だった。


四十代くらい。


スーツ姿。


少しだけ疲れた顔をしている。


だが、どこかだけが不自然だった。


「いらっしゃい」


声をかける。


男は軽く頷く。


カウンターに座る。


周りを見渡す。


初めての客の動きだ。


だが、その視線が少しだけ長い。


まるで、何かを探しているような。


「何にしますか」


聞く。


男は少しだけ考える。


それから、こう言った。


「……決まっていた気がするんですが」


曖昧な言い方。


こちらを見る。


「思い出せない」


その一言で、手が止まる。


「おすすめでいいですか」


続ける。


頷く。


ボトルを手に取る。


ウイスキー。


軽めのもの。


理由はない。


ただ——


“これを出したことがある気がした”


グラスに注ぐ。


差し出す。


男はそれを受け取る。


一口飲む。


少しだけ目を閉じる。


「……違う」


ぽつりと言う。


「これじゃない」


その言い方に、違和感がある。


味の好みではない。


もっと別の何かだ。


「もっと」


言葉を探す。


「覚えているはずなんです」


グラスを見つめる。


指先が、わずかに震えている。


「ここで」


顔を上げる。


「飲んだことがある気がする」


その一言で、空気が変わる。


「……初めてだろ」


確認する。


男はすぐに首を振る。


「はい」


はっきり言う。


「初めて来ました」


だが、その目は揺れている。


「でも」


続ける。


「ここに来たことがある気がする」


その感覚は、知っている。


自分が経験したものと、同じだ。


「……名前は」


聞く。


男は少しだけ考える。


それから答える。


「……思い出せます」


少し安心したように言う。


「でも」


すぐに続ける。


「一つだけ、思い出せない」


その言葉が、静かに落ちる。


「何だ」


男は、ゆっくりと答える。


「誰と来たのか」


その瞬間、背中に冷たいものが走る。


この店に来た記憶がある。


だが、“一緒にいた誰か”だけが抜けている。


それは——


一番、残るはずのものだ。


「……」


カウンターに手をつく。


また始まっている。


形を変えて。


今度は、自分ではなく、


別の誰かの中で。


ドアの方を見る。


静かだ。


だが、分かる。


今夜は、まだ終わらない。


「……もう一杯、作る」


そう言う。


男は顔を上げる。


「思い出せるかもしれない」


自分でも、理由は分からない。


だが、この店では——


それが起きる。


忘れたはずのものが、


形を持って現れる。


男は、ゆっくりと頷く。


グラスを差し出す。


受け取る。


その手が、少しだけ強くなっている。


何かに触れそうな、


そんな予感があった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ