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指先を灯す  作者: あめたす


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7/12

第7話:ベサメ・ムーチョの遺言(前編)


数ヵ月後、季節を急かすような湿った風が福井の街を吹き抜けていた。

空は、この土地特有の低い鉛色。

祖父・富永春道の葬儀の日、私は深い沈黙の中にいた。

大工として一生を遂げた祖父を送り出す日は、彼が愛した「削りたての木の匂い」ではなく、喉の奥にへばりつくような重苦しい焼香の煙に包まれていた。

親戚たちの喧騒から離れ、私は寺の古い廊下の隅に所在なく立っていた。

喪服に身を包むと、自分の指先のボロボロさが余計に際立って見える。

泥を落とし、丁寧にハンドクリームを塗り込んでも、眼鏡の量産ラインで刻まれた「タコ」と、週末の陶芸修行で泥に水分を奪われた「ひび割れ」は隠しようがなかった。

可愛げのない、労働の象徴。

かつての私なら、都会のネイルサロンに通う同年代の女性を思い浮かべ、この手を呪っていただろう。

私は無意識に、黒い袖の中に手を握り込んだ。


「……紬か? ほう、立派な大人になりやがって。二十年ぶりか」


野太い声に顔を上げると、そこには日焼けした顔に深い皺を刻んだ、体格の良い男が立っていた。

親戚の岸本寅雄さん。

祖父がかつて率いていた大工チームの筆頭格で、今は地元の工務店を切り盛りしている「親方の愛弟子」だ。


「寅雄さん……ご無沙汰しています」


「面影はあるが、ずいぶんシュッとしたな。あんた、昔は俺の家の廊下を靴下でスケートみたいに滑り倒してただろ。親方に『こいつは足腰の使い方がいい、大工に向いてるぞ』って笑われてたんだぜ」


寅雄さんは懐かしそうに目を細め、手にしたコップの酒をぐいと煽った。

止まっていた時間が、彼の言葉と共にゆっくりと動き出す。


「親方はな……。組合の旅行で行ったラスベガスで、スロット回してる時より、あんたの話をしてる時の方が良い顔してたんだぜ」


「私の話を?」


驚いて聞き返すと、寅雄さんは「当たり前だろうが」と言わんばかりに力強く頷いた。


「『紬の手は、俺と同じだ。必要な筋肉がちゃんとつくべき場所についてる。あいつが作るもんは、絶対に狂わねえ』ってな。工場の量産を始めたって聞いた時も、『あいつなら一ミリの狂いもなく一万本作るだろうよ。それが一番難しいんだ』って、鼻高々だったんだぞ」


喉の奥が、熱い塊を飲み込んだように痛んだ。

私が「量産しかできない、創造性のない人間だ」と自分を卑下していた十年間。

ビジネスYouTubeの成功者たちの言葉をなぞり、市場価値がない、代替可能な歯車だと絶望していた時間。


その裏側で、祖父は。

私の「狂いのない量産」を、最も尊い職人の極致として、世界で一番誇らしく語ってくれていたのだ。

私が死を意識して山を彷徨ったあの夜、もし祖父が見ていたら何と言っただろう。

「そんなに歩けるなら、いい足腰だ」と笑って、「ベサメ・ムーチョ」と陽気に歌ってくれただろうか。

自分が否定し続けてきたこの手が、実は遠く離れた場所で、誰かの自慢の種としてキラキラと輝いていた。

その事実が、凍りついていた私の自己肯定感を、内側から静かに、けれど確かに溶かしていく。

葬儀の喧騒が遠のく中、私は寺の回廊を見渡した。

柱の継ぎ目、鴨居の水平。

祖父が生きてきた証が、そこかしこに息づいている。


「寅雄さん、私……」


声が震えた。

私は、自分のボロボロの指先を見つめた。

そこに宿る筋肉も、関節のタコも、すべては祖父が愛した「職人の血」の証明だった。


「私、今、父の下で手捻りの陶芸を習ってるんです。手が熱すぎて、泥がすぐに割れちゃうんですけど」


寅雄さんは豪快に笑い、私の肩を叩いた。


「そりゃいい。親方も今頃、草葉の陰で『それ見たことか』って笑ってるはずだ。あんたのその熱さは、親方の情熱そのままだからな」


私は初めて、喪服の袖から手を出した。

ボロボロで、可愛げのない、けれど誇らしい私の手。

その指先に、小さな、けれど消えない灯火が宿ったような気がした。

葬儀が終わった後、私は父・誠に誘われ、ある場所へと向かうことになった。

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