第7話:遮断される声、静寂の拒絶
「エレナ! 待て、まだ話は終わっていない! 戻れ、これは皇太子の命令だと言っているのが聞こえないのか!」
背後から響くジュリアンの叫び声は、まるで壊れた蓄音機のように滑稽だった。
かつてはこの声一つで私の心は千々に乱れ、彼に嫌われないようにと必死に自分を押し殺していた。
けれど今、私の隣にはライゼルがいる。
そして足元には、精霊たちが編み上げた透明な輝きを放つガラスの靴がある。
一歩、また一歩と宮殿へ向けて歩みを進めるたび、私の心は凪いだ海のように静かになっていく。
「主よ。あの騒々しい男、やはり今ここで肉体を消滅させておくべきではないか? お前の耳を汚す価値すらない」
ライゼルが私の肩を抱く手に力を込め、金の瞳に鋭い殺気を宿した。
彼の一人称は「俺」。その響きは尊大だが、私に向ける眼差しだけは甘やかで、狂おしいほどの熱を帯びている。
「いいえ、放っておいて。ライゼル。死よりも残酷なのは、存在を無視されることだわ。彼は今、それを学んでいる最中なのよ」
私が穏やかに微笑むと、ライゼルは不満げに鼻を鳴らした。
けれど彼は私の意志を尊重し、指先で空中に円を描いた。
その瞬間、虹色の結界が波打ち、物理的な「壁」だけではなく、音をも遮断する特殊な加護が展開される。
ジュリアンが必死に結界を叩き、口を大きく開けて何かを怒鳴っている姿が見える。
けれど、こちら側には風のささやきと小鳥のさえずり、そして精霊たちが奏でる清らかな旋律しか聞こえない。
「……ふふ、本当に静かになったわね」
私は足を止め、一度だけ結界越しに彼を振り返った。
ジュリアンの顔は怒りと焦燥で真っ赤に染まり、その隣ではセフィラが泣き喚きながら地面にへたり込んでいる。
彼らが纏う衣服は、道中の砂埃で汚れ、かつての権威を感じさせる輝きはどこにもない。
「エレナ様、あの方たちはどうされるのですか?」
森の中から、カイルたちが心配そうに顔を出した。
彼らは黄金の果実の収穫を一時中断し、この異様な光景を見守っていたのだ。
「心配いらないわ、カイル。彼らはここには入れない。ただの迷い人が、自分の場違いさに気づくまでそこにいるだけよ」
私はカイルたちに安心させるような笑みを向け、再び歩き出す。
宮殿のテラスに到着すると、ライゼルが用意させていたテーブルには、まだ湯気が立ち上る温かいお茶が用意されていた。
一口、そのお茶を啜る。
身体の芯まで染み渡るような精霊の恵み。
第3話で食べた黄金の果実と同じように、この地のすべての恵みは、私の魔力と精霊たちの愛情で満たされている。
「エレナ、あのようなゴミのために、お前の大切な時間を一秒たりとも割かせたくない」
ライゼルが私の向かいに座り、金の瞳でじっと私を見つめた。
彼は私の手を取り、指先の一つ一つに丁寧に唇を寄せる。
「俺は、お前が自分の人生を、自分のためだけに謳歌する姿が見たいのだ。あんな男に縛られていた時間は、俺がすべて塗り替えてやる」
「ありがとう、ライゼル。あなたのその傲慢なまでの優しさに、私は救われているわ」
私は主体的に、この地を選び、この生き方を選んだ。
誰かの妃として、陰で支えるだけの存在はもう終わりだ。
私はこの「精霊共和国」の主として、そして一人の女性として、自由に羽ばたく。
結界の向こうでは、ジュリアンがついに力尽きたのか、膝をついて項垂れていた。
彼には、こちら側の豊かな食事の匂いも、清らかな空気も、そして私の幸せな微笑みも、何一つ届かない。
「さあ、ライゼル。今日は新しい国民たちを歓迎するための晩餐会の準備をしましょう。帝国を追われた料理人たちも、ここに辿り着いたと報告があったわ」
「フン、また人間が増えるのか。……だが、お前が笑うなら、俺も最大限の協力をしてやろう」
ライゼルが指を鳴らすと、宮殿の広間に豪華な食卓が瞬時に整えられていく。
そこには、バルデル帝国では決して味わえない、生命の輝きに満ちた料理が並ぶだろう。
拒絶の壁の向こうで、かつての夫が何を思おうと、私には関係のないこと。
私の視界には今、輝く未来と、私を心から愛してくれる最強の精霊王の姿しかなかった。




