第10話:新時代への戴冠、永遠の愛し子
嘆きの荒野と呼ばれた場所は、今や大陸でもっとも美しい聖域となっていた。
水晶の宮殿を中心に広がる緑の森、澄み渡る湖、そして精霊たちが自由に飛び交う街並み。
今日は、この地に新しく建国された「精霊共和国」の初代女帝、エレナ・フォン・ロゼリアの戴冠式の日だ。
私は宮殿の控え室で、大きな姿見の前に立っていた。
纏っているのは、ライゼルが精霊の糸を紡いで作り上げた、星屑を散りばめたような銀のドレス。
足元には、あの日から一度も汚れることなく、私の歩みを支え続けてくれたガラスの靴。
鏡の中の私は、かつて帝国の隅で俯いていた「無能な令嬢」とは、別人のように輝いていた。
「……綺麗だ。だが、お前自身の輝きに比べれば、その石ころも布切れも霞んで見える」
背後から、低い愛おしげな声がした。
黒髪を正装で整えたライゼルが、私の肩を優しく抱き寄せる。
金の瞳には、私への狂おしいほどの忠誠と、深い愛情が渦巻いていた。
「ライゼル、大げさだわ。でも、ありがとう」
「大げさなものか。今日、世界はお前がこの大陸の真の主であることを知るのだ」
ライゼルは私の手を取り、その指先にそっと唇を寄せた。
彼の一人称は「俺」。その響きは、もう私の心を乱すものではなく、絶対的な安らぎを与えるものになっていた。
宮殿のバルコニーに出ると、眼下には数えきれないほどの人々が集まっていた。
かつて帝国で虐げられていた精霊術師たち、不当な評価に苦しんでいた職人たち、そして私の噂を聞いて新天地を求めてきた民衆。
彼らの中には、第4話で最初に私を信じてくれたカイルの姿もあった。
「エレナ様! 万歳! エレナ女帝陛下、万歳!」
カイルが声を張り上げると、地を揺らすような大歓声が巻き起こった。
私はゆっくりと手を挙げ、彼らに微笑みを向けた。
私がこの地で主体的に生きることを決めたからこそ、この光景がある。
ふと、遠く南の空に視線をやる。
山を越えた先にあるバルデル帝国では、今頃、条約に基づいた新しい体制が始まっているはずだ。
地位を剥奪され、不毛な辺境へと追放されたジュリアン。
そして、偽りの聖女としてすべてを失ったセフィラ。
彼らがどのような末路を辿ろうとも、もう私の心に波風が立つことはない。
私の視界は今、愛する国民と、隣に立つ精霊王だけで満たされているのだから。
「さあ、エレナ。契約の更新といこう。今度は主従としてではなく、対等な伴侶として」
ライゼルが私の前に膝をつき、一つの指輪を取り出した。
それは、精霊王の核そのものを削り出して作られたという、虹色の光を放つ指輪。
彼がそれを私の指に嵌めた瞬間、体中の魔力がかつてないほどに高まり、宮殿全体が祝福の光に包まれた。
「……ええ。これからもよろしくね、ライゼル。私の、最愛の精霊王」
私が微笑んで彼の頬に手を添えると、ライゼルは堪えきれないといった様子で私を強く抱きしめた。
周囲からはさらに大きな歓声と、精霊たちの祝福の歌が響き渡る。
かつて、私は誰かのために自分を殺し、愛されることを願うだけの受動的な存在だった。
けれど、裏切りと追放を経て、私は自分の足で歩くことを選んだ。
美味しいスープを飲み干し、美しい景色を愛で、大切な人を自分の意志で守り抜く。
そんな当たり前の幸せが、これほどまでに私を強くしてくれた。
「見て、ライゼル。黄金の果実が、今日も輝いているわ」
「ああ。お前が統治するこの国は、永遠に枯れることはない。俺がそうさせないからな」
私たちは寄り添いながら、光溢れる新時代の景色を見つめた。
婚約破棄から始まった私の逆転劇は、今、最高のハッピーエンドを迎えた。
けれど、これは終わりの物語ではない。
自分らしく生きることを決めた私と、私を溺愛してやまない精霊王。
二人が紡いでいく伝説の、これはほんの序章に過ぎないのだから。
空には祝福の虹が何重にも架かり、新しい国の門出をいつまでも照らし続けていた。
(完)
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