孤独な獣に宿る炎
「気が付くと、次にお前と何を話すかを考える時間が増えていた。お前が満足そうにしてくれると、私も満たされるようになった。……どうすればお前が満足するか、頭を悩ませるようになっていった」
いつも泰然としていた王の口調が、徐々に乱れていく。獣の表情が、苦しげに歪んでいる。王という立場による仮面が、少しずつひび割れていく。
「そのうち、お前と話す機会は増えていった。どれも他愛ない話だったが……お前は臆することなく、私と話してくれた。それだけで、胸の隙間が埋まるようだった」
人間からすると見た目で判断がしづらいが、王はまだ若い。
若くしてリーダーとなり、そのまま王にまで登り詰めた男。だが、その実年齢は、今年で25歳。寿命から人間に換算すると、まだ成人を果たしたばかりの青年だった。
彼には、若さを補えるだけの天賦の才能がある。それを磐石にする努力も怠らなかった。紛れもなく、他者を超越する能力の持ち主だ。しかし、心はそうではない。その内面は、年相応のものでしかなかった。
「私は、力によって王の座を得た。敬われ、同時に恐れられるべき存在だ。そうなるように振る舞っている。あの男の反応を、見ただろう」
王は男を威圧し、彼は恐怖に震え上がった。月獣にとって、王とは、支配者とは絶対でなければならない。少なくとも今は。だからこそ、王は必要となる王の姿を演じ続けていた。
「私と対等な者など、この国のどこにもいない。いてはいけないのだ。……ゼルニスすら、ひとりの従者として扱わなければならなかった」
それは全て、王として綻ばないよう、彼自身が決めたことだ。親友も、そんな王のために徹底して従者の態度を崩さない。
それでも、友と呼べる存在すらいなくなってしまった、という事実がもたらした孤独感は、凄まじいものであった。
「月獣の誰もが、私と対等ではない。そして、人間も私を恐れる。私は人間にとっては化け物でしかなく、一瞬で命を奪える力があるのだから」
事実として、どれだけ人間が守りを固めたところで、彼の力は容易くそれを貫ける。自覚をしているからこそ、己に向けられる感情は、恐怖こそ自然なものだとすら思っていた。
「対等なのはお前の父ぐらいだが、王と言う立場の上では、気安い仲とは言えない。お前と話すようになるまでは、雑談など久しくしていなかった」
覚悟はしていた。王になったことを後悔しているわけではない。ずっとそれに耐えてきたし、これからも耐えるつもりだった。
「誰かと、ただ他愛もない話をしたのが、本当に久しぶりだった。……誰と話す時よりも遥かに、お前とは気楽に話すことができた」
だが、彼は飢えていた。飢えから目を逸らし続けていただけだった。ひとりきりで全てを背負えるほど、彼の心は強くなかった。ずっと無理をしてきた。とっくに、限界が来ていた。
「最初はただの逃避だったのかもしれない。だが、そのうちに、気付いてしまった。私はいつしか、他の誰でもない、お前との会話を望んでいたことに。……お前と会えずにいると、苦しくてたまらなくなることに」
異種族である自分にも、対等に接してくれる優しい娘。彼女を理解していくのに比例して、抱いていた興味は、次第に別のものへと変化していった。
最初は、その感情を勘違いだと思い込もうとした。だが、肥大していく胸の炎を、誤魔化すことはできなかった。
「自覚してしまった、どれだけ孤独だったのかを。お前と過ごしていると、それを感じずに済むことを。だから、婚姻の話が来たときは……平静を装うだけで、必死だった。……私は。私、は……」
言葉の途中で、王が俯いた。何かを必死に押さえつけようとしているように。今までずっと堪えてきたものが、溢れかけている。そして。
「……とても、楽しかったんだ。お前と話す時間が、たまらなく」
ぽつりと、あまりにもらしくない口調で呟かれた直後――感情を抑えつけていた仮面が、ついに砕け散った。
「いつだって、お前と会うのが待ち遠しくて仕方なかった! 惹かれて、焦がれて……お前の笑顔が見たいと、それだけを想うようになっていた! ……政略などでは、ない。俺は、ずっと……!」
「あ……」
「お前のことが……好きだったんだ。お前に、そばにいてほしいと、心から願っていたんだ……!!」
王として作り上げたものではない、その下にあった本来の姿、ひとりの青年としての言葉。絞り出すように、吐き出された想い。言い切ってしまってから、王はゆっくりと肩を落としていく。
「それでも……人間が、月獣に想いを寄せてくれるはずがないと思った。諦めようと、していたんだ。そんな時に、婚姻を持ちかけられて……」
抑えられなかった。どんな言い訳をしてでも、彼女と結ばれたいと思ってしまった。王にとって、それはあまりにも魅力的で、残酷な提案だった。
「耐えられなかったんだ。俺は、お前の幸せよりも、お前の自由よりも、自分を優先してしまった。そのためにお前が、望まぬ婚姻を結ぶことになると知りながらだ!」
「陛下……あなたは」
「……種族のわだかまりを解きたい思い、そのものは本心だ。それでも、自分が一番分かっている。俺はそんな理由に甘えて、己の欲望に負けたのだと」
強烈な自己嫌悪が、王を縛り付けていた。自分さえ耐えていれば、彼女はこんな目に遭わずに済んだ。好きな相手を苦しめる存在が、消し去ってしまいたいほど憎かった。それが自分であるからこそ、余計に。
「情けないな。本当に、情けない。お前のために、俺から婚姻を破棄しようと思っていたはずなのに」
いざそれを突き付けられると、胸の苦しみで狂いそうになった。黙って受け入れるなどできず、こうして心情を吐露してしまった。
「済まなかった。軽蔑してくれてもいい。このような弱く愚かな男は……嫌われて当然だ」
そこまで言い切ってから、王は口を閉じ、俯いた。己の弱さをさらした今、全てはもう終わったのだと、そう思った。
「……陛下」
そして、王の告白を静かに聞いていた姫は、ゆっくり口を開く。
「あなたのお気持ちは、理解しました。ならば次は、私の番です」
――彼の勘違いを、正すために。