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獣国の花嫁 〜月の獣王は太陽の姫をその腕に抱く〜  作者: あかつき翔
終章 いつか、すべてが交わる日まで
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いつか、すべてが交わる日まで

 後は親子ふたりの時間に任せ、グレイヴァルトは自室へと戻った。やるべきことは山積みだが、今日のところはディオスが引き受けてくれた。


『お前さん達が帰ってきたのは、うちの奴らに街中まで周知させてる。だから慌てんな。どっちにしろもう夜だしよ。そんなヘロヘロで演説なんざしても締まらねぇだろ?』


 などと言う彼の言葉が、今は有難い。

 そして王は、休む前にソフィアを部屋に呼んだ。彼女は精神的な消耗が大きいだろうから、そのケアをすべきだという判断だ。グレイヴァルト自身が、彼女と話したい思いもあった。




「……グレン、正直に答えてください」


 だが、部屋に入って真っ先に、ソフィアの方から少し強い口調で問いかけてきた。


「あの場は私も合わせましたが……あなた、ずっと無理をしているでしょう?」


 咄嗟にごまかすことができなかった。何のことかなど考えるまでもなく、王の身体のことだ。

 彼でなければ死んでいたかもしれない責め苦。あの後、ユージアの弟子であるエルマの解析を受けて、呪術は完全に消えている。それでも、奪われた体力が戻ったわけではない。

 本当は歩くのも辛かった。それでも彼はそれを表に出さずに耐えていた、つもりだった。


「私を案じてくれたことは分かります。その優しさも嬉しいです。ですが、あなたに大丈夫だと言われてしまえば、ちゃんと心配することもできません」


「…………」


「辛い時には、辛いと教えてください。それで、私に何ができるかは分からないですが……あなたの傷を知り、それに何ができるか考えることはしたいのです」


 それは、自分がユージアに言ったのと同じ言葉だ。それに気付いて、王は視線を落とす。自分の妻は、しっかりと自分を見てくれているのだ。


「悪かった。これもまた、自己満足だったな」


「まだ辛いのでしょう? 私にも、良ければ治療させてください。全快は無理にしても、少しは楽になると思います」


「だが……ソフィアこそ、あれだけの理術を使った後だろう?」


「大丈夫です。私も驚いていますが、エルマの護符は本当にすごくて。消耗はほとんどありませんよ」


 あの護符は、役目を果たすと砕けてしまった。作成には月単位の時間を要するらしく、いつでもあのような術が使えるようになったわけではない。


「まさかこんなに発動が早いとは思わなかった、とエルマも言っていたな」


「……あの時は無我夢中でしたが、心配をかけたことは分かっています。それは、本当にごめんなさい」


「そうだな……俺の感情だけを言えば、もうあんな無茶はしてほしくない。だが、そのおかげでロヴィオンも、俺も助けられた」


 護符の発動を知ったエルマは、怒っているような、それでいてどこか諦めたような、様々な感情を混ぜた苦笑をしていた。

 もしもソフィアが、命を捨ててでも何かを救おうとしたならば、皆で怒っていただろう。だが、彼女は自分も含めて全員が生き延びることを諦めなかった。

 もちろん、理想論だ。戦いはいつだって理想を打ち砕いてくる。だが、理想を追えなければ好転しない、というのはグレイヴァルトの信条でもある。


「俺も、いい加減に分かっているさ。それでこそソフィアで、それがお前の強さだと。そして、俺がやるべきは、お前が理想を貫く支えになることだ」


「グレン……」


「ともかく、今日は素直に甘えるとしよう。治療を頼めるか?」


「……はい、任せてください!」


 ソフィアは王の背中に手を当て、そこに力を流し込む。暖かく、心地よい感覚が彼を包んだ。身体に少しずつ活力が戻ってくる。


 それから少しだけ、互いに何も言わなかった。その静けさがどこか心地よくもあったし、何を言うべきか分からないのもあった。今日はあまりにも、色々なことがありすぎたのだから。


 沈黙を破ったのは、ソフィアの側だ。


「無理をしないで、と言ったのは、身体のことだけではありませんからね」


「なに?」


「あなたは……心の弱さを見せない癖がついているでしょう?」


 ソフィアとの婚姻、ゼルニスとの和解を経て、以前ほど頑なでなくなったのは間違いない。それでも、長年背負い続けてきた王の振る舞いは、無意識に染み付いている。ただでさえ彼は、元から責任感の強い青年だ。


「ユージアのこと、か?」


 そして、この流れで彼女が自分を心配するとすれば、老鰐の話だろう。頷いたソフィアを見て、息を吐く。


 グレイヴァルトは、ユージアを説得するつもりだった。バルザークの報告を受け、現状を確かめた上で、二人きりで話そうとしたのだ。

 だが、刺客に気付き、彼が今日にも事を起こすのだと悟った王は、自ら踏み込むことになってしまった。逃げれば事態を抑えられないと思い、立ち向かった結果があの敗北だ。


「甘かったよ、何もかもな。俺の力を知る彼が、俺を相手取ろうとしているのだから……それ相応の備えをしていることは、想定して然るべきだった」


「あなたは、ユージア様を信じたかったのでしょう? 話せば踏みとどまってくれるのではないか、と」


「それも含めて、甘かったんだ。王である以上、個人の感情で判断を鈍らせてはいけない。分かってはいた、はずなのにな」


 理解者に恵まれ、王としての在り方を見直し、良くも悪くも最近の彼は、己の心に素直になりつつあった。ユージアの言うとおり、情に絆されず、確実で厳格な判断をするべきだったと、今は思う。



 ふと、背中に重みを感じた。

 抱き締められているのだと気付くのには、少しだけ間があった。


「判断がどうだとか、そういう話ではないわ」


「ソフィア……?」


「私は……辛いのならば強がらないで、と言ったの」


「――――――」


 真っ直ぐに突き付けられると、王は動きを止めた。

 ソフィアは彼の性格をよく知っている。優しく、背負い込みがちで、不器用で、後ろ向きで――人との繋がりを、とても大切に思っている。

 たとえ事前に予期していたとしても、敬愛する人の裏切りが辛くないはずがないのだ。


「ねえ、グレン。私は、あなたの妻です。良いことも悪いことも、分かち合って生きていきたいと、そう思うのです」


「………………」


「だから、弱音のひとつくらい、吐いてください。辛いと言って、良いのです」


「…………は」


 それは自嘲の笑いか、形にならない嗚咽か。小さく漏らした声が、決壊の証だった。

 グレイヴァルトは身を震わせると、表情を隠すように、手で顔を覆った。


「昔は、な。ユージア爺は、本当に……俺たちを、可愛がって、くれたんだ。身よりの無かった俺を、母さんと一緒に、祖父として」


「……ええ。ユージア様も、その思いに偽りはなかったはずです」


「どうして、こうなってしまったのだろう。俺は……ユージア爺にも、幸せな時間を、過ごしてほしくて……この国を、目指したのにな……」


 目元を覆った手の隙間から、雫がこぼれる。声を上げることはなく、されどとめどなく。


「ならば、探しましょう。まだ、終わりではない。どれだけ時間がかかっても……変えることは、できるはずですから」


「……そう、か。そうだと……いいな……」


 ただ静かに、グレイヴァルトは泣いた。母を失って以来の落涙が静まるまで、ソフィアは優しくその背中を抱いていた。




 どれだけ時間が経っただろう。やがて、王は顔を上げた。


「ありがとう……ソフィア」


「もう、いいのですか?」


「ああ。俺もユージアも、まだ生きているからな。諦めず、道を探してみるさ。もちろん、彼以外の者もだ」


 慰めるつもりが慰められてばかりだな、と言いつつ、その顔には新たな決意が宿っていた。

 グレイヴァルトは、前を向く。そうしなければならないと思うし、そうしたいと思うのだ。


「今回、反抗組織の中核が潰れたことで、しばらくは大人しくなるだろう。だが、これで全てが解決したというわけではない」


「ええ……。重い感情を抱えたまま生きている方は、間違いなくいます。私たちは、ひとつずつ向き合っていかねばならないのでしょう」


 元より、長い道のりなのは分かっていた。今日の出来事は、壁がひとつ形になっただけだ。


「母が、言っていたことがある。『壁があるのなんて分かっていた。だから、それを一つずつ壊しながら進んでいくだけだ。いつか、すべてが交わる日まで』……と」


「……いつか、すべてが……」


「母さんは信じていた。月獣に人間……それ以外の種族。それは、必ず交わることができるのだと。だから、壁のひとつやふたつでへこたれはしない、と笑い飛ばしたのを覚えているよ」


「本当に……強い方だったのですね」


「ああ。そして、俺は母の夢を引き継ぎ……今では俺自身が、そんな未来を心から願っている」


 王になった当初は、あくまでも「母の願った世界を叶えたい」だった。だが、今は違う。ソフィアと添い遂げた今、それは彼にとっても大きな意味を持つ夢だ。


「これから、いくつも壁に衝突するのだろう。だが……俺は、一人になろうとこの夢を諦めないつもりだ。だから……」


「一人になることはありませんよ、グレン」


「なに?」


「その夢はもう、私のものでもありますから」


 目を丸くしたグレイヴァルトの手を、ソフィアはそっと握った。

 今日のような危険も数多くあるのだろう。恐ろしくないと言えば、嘘になる。きっと彼は、そんな自分の身を案じる言葉を続けようとした。


「何があろうと、私はこの夢を追い続けます。それがどれだけ遠い未来で、私がそれを見届けることが叶わなくとも……私だって、信じていますから。誰しもが分かり合えるのが、いつか当たり前になるのだと」


「ソフィア……俺は」


「ですから……どうか隣で一緒に夢を追ってくれますか、グレン? あなたがいれば、私は何も怖くありませんから」


「一緒に、夢を……」


 彼女の言葉を反芻して、グレイヴァルトは悟る。

 未来に向けて、共に歩むと誓った。だが、やはりどこかで、自分の夢を彼女が支えてくれているのだと思っていた。

 しかし、それは間違いだった。彼女も同じ未来を望んでいる、そんなことも実感できていなかった。今さらのような理解に、情けなさで埋まってしまいたいほどだ。

 同時に、胸を満たす暖かさ。愛しい人が、同じ夢を見てくれている。それは、どんなに嬉しいことだろうか。


 グレイヴァルトは、小さく笑った。これが彼女の夢でもあるのならば――支えたい。共に、支えあっていきたい。


「……ああ! 必ず、二人で夢を叶えよう。お前がいてくれるならば、俺は……どこまでだって、進んでいける!」









 その翌日には、ルナグレアもソルファリアも、この騒動の話が全土に広まることとなる。

 何しろ、双方の重役が謀反を起こし、王と王妃が拐われたのだ。国家を揺るがす大騒動に、数多の論争が沸き起こった。

 改めて二人の婚姻、共存への歩み寄りを批判する者も現れたが――決意を新たにした二人は、それらと真っ向から向き合った。人々の声を聞き、そこから逃げることはしなかった。


 ユージアの後任には、エルマが就任することとなった。同時にグレイヴァルトは、大族長という枠組みを数年のうちには見直すことを正式に決める。

 彼女や他の大族長、ゼルニス達をはじめとする二人の理解者も、彼らのために全力を尽くした。ソルファリアでも、ルキウスやフローリアンによる多くの取り組みがなされているそうだ。


 当然、上手くいかないこともあった。元より長い戦いだ。反発が消えるまでは、何十年、下手をすれば何百年とかかるだろう。

 それでもひたむきに前へと進む彼らに、徐々に理解の声は広がっていく。ゆっくりと、しかし確実に。すべてが交わる日が、いつか訪れるのだと知らしめるように。



 そして――。

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