ここにある居場所
黒狼が目覚めたとき、それは暖かいベッドの中だった。
全身に力が入らない。腹には疼痛の残滓がある。それでも、死に瀕していたとは思えないほど、身体は正常だった。
状況の差異に、さすがに混乱する。戦っていたはずの自分が、どうして寝かされているのかと。
「ロヴィオン! 目が、覚めたのですね……!」
「…………! ソフィア、様……」
その声に何とか上体を起こして、ようやく自分を取り囲む人々に気付く。主君に、父に、ソフィアの三人だ。
頭も、次第に回り始めた。この天井には見覚えがあった。王城の訓練所に設けられた医務室だ。
助けるべきだった主たちに、潜入していたという父。それが揃って王城に戻ってきた意味は、すぐに悟った。
「そう、か。おれは、生き延びたのですね……」
「ええ。みんな、生きて帰ってきたのです。……良かった。本当に……」
どうやら、まだ帰って来てそこまで時間は経っていないらしい。彼を寝かせて、他の者も傷の手当てをあらかた終わらせ、いったん解散をした直後とのことだ。
救出部隊以外にも犠牲者はいなかった。護衛たちも、負傷こそあれ皆が無事に帰ってきている。作戦としては、最上の勝利と呼んでも良いのだろう。
だが。
「陛下……おれを、処刑してください」
放たれた言葉に、ソフィアの表情が凍り付く。ロヴィオンは、誰と目を合わせることもできずに俯いていた。
「唐突に、何を言う?」
「おれは……護衛の任を果たせなかったばかりか、敵の策に嵌まり、王妃に剣を向けた。これは、万死に値する罪でしょう……?」
ロヴィオンは、自分が何をしたのか、はっきりと覚えている。理術の影響下にあった時も含めて、全て。
倒れた瞬間に抱いた後悔は、彼の心に残ったままだった。主が生き残ってくれたことは良い。だが、己の行いが覆るわけではない。
「あれは、相手の理術のせいです! 馬鹿なことを言わないで!」
「違う! きっかけが術だとしても……あれは、おれの感情だった! おれは、おれの意志で、あなたを殺そうとしたんだ!! おれの、この手が! あなたを!!」
自分の感情だという実感があるからこそ、許せなかった。自分自身が、殺したいほどに憎かった。全てを裏切った罪は、死んでも詫びきれないと思った。
自分は主を守れなかった。自分は主に襲いかかった。ならば、自分には護衛の資格はない。己の役割に真摯に向き合っていたからこそ、一連の出来事は、彼のアイデンティティを崩壊させるには十分だった。
「そもそも、あなたが拐われたのだって、おれの失態だ……この上、生き恥を晒すことなど……」
「たわけが」
だが、そんな息子の言葉を遮って、重くバルザークの声が響く。
「お前の命を繋いだのは、ソフィア様だ。理力の枯渇も恐れず、全力でお前を治癒した。事もあろうに、その方の前で死を望むだと?」
「っ……!!」
「罪と思うのは勝手だ。だが、自分が楽になるために罰を求めるなど、それこそ不敬の極みであろうが!」
「だが、それなら……おれは、どう償えば、いいんだ……!!」
「それも分からんのか、馬鹿者。……誰かを傷付けたと悔いているならば、聞くべきは傷付けた相手の言葉であろう。違うか?」
父の言葉に、ロヴィオンはソフィアの顔を見た。
ソフィアは、少しだけ泣きそうな顔になりながらも、彼の視線を受けて、口を開く。
「私は、あなたに生きてほしい。たとえ、人間を……私を恨んだとしても。だって、私は……」
伝えなければならない。自分にとって、彼がどれほど大きな存在であるのかを。
「あなたに、本当に感謝しているの。あなたは、出逢った時からずっと、いつでも私のために力を尽くしてくれて……私と、当たり前に向き合ってくれたでしょう?」
グレイヴァルトにゼルニスに、エルマ。当時、ソフィアが心を許せたのはそれだけだった。彼らは仕事に追われる身、過ごせる時間も限られている。そんな中、いつも側にいてくれたロヴィオンの存在が、どれだけ心強かったか。
「あなたがいてくれなければ、今の私はここまで進めていなかったでしょう。それに……あなたと過ごす時間は、楽しかった。あなたには不本意かもしれませんが、まるで弟ができたようでした」
「ですが、おれは……その裏で、あなたを、人間を……」
「それでも、です。あなたとエルマが助けに来てくれた時、私は……不謹慎ですが、嬉しかったのです。……資格がない、などと言わないで。私は、あなたという護衛を、誇りに思っています! これまでも……これからも!」
「…………っ……」
ロヴィオンは、何も言葉が出てこない様子で、視線をさ迷わせる。
己を認める言葉を、飲み込むことができない。それでも、否定をさせてくれないほど、ソフィアの目は真剣だった。
「ロヴィオン。王として、私がお前に罰を与えることなどない。我が妻を救うために命を懸けたお前を、どうして処刑する必要がある」
「ソフィア様が拐われたのが、おれのせいでも、ですか……?」
「責を、ひとりで背負おうとするな。敵の行動を許したのは他の者も同じ。私とて、不覚を取った。お前は周囲にその責を求めるか?」
「そ、んな、ことは……!!」
言い返す途中で、ロヴィオンも気付いた。彼は自分の不覚でソフィアが捕らわれたと思っていた。だが、何より責任を感じているのは、ソフィア自身のはずだと。
「ならば忠告だが、それは苦しさに酔っているだけにすぎない。自分ならば傷付いて良いという考えは、周りが見えていないのだと理解しろ」
手厳しい言葉だが、今のロヴィオンにはそれが必要だと思った。背負う癖がある者には、効果的だろう。自分も同類であるからこそ、理解できる。
「…………。王としてではなく、俺個人の思いも伝えよう。よくソフィアを助けてくれた、ロヴィオン。心から、感謝している。お前も生きていてくれて、良かった」
「陛下……」
「お前の過去に、感情に、どう向き合うかはお前の自由だ。この機会に、新たな道を考えるのも良いだろう。だが、もしもお前がまだ、ソフィアの護衛で有り続けてくれるのならば……俺は、お前にそれを任せたいと思う」
最上の信頼の証として、本来の口調で。その意味は、黒狼にもきっと伝わっただろう。
少しだけ、誰もがロヴィオンの言葉を待った。彼は、投げかけられた言葉を、ゆっくりと咀嚼している。そして。
「……おれは。ここに居ても、良いのですか……?」
黒狼は微かな声で呟いた。彼が何を望んでいるかを、はっきりと示していた。もう居場所を失ったと思ったからこその、自暴自棄でもあったのだろう。
「当たり前です。……私は、あなたに居てほしい。あなたが向き合ってくれるのならば……私は、あなたの抱えたものから逃げません。約束した通り、聞かせてください。そうして……一緒に、進ませてください」
「ソフィア様……」
「そういうことだ、馬鹿息子。まったく……真面目で思い悩みやすいところは、母親譲りであるな」
そう言いながら、バルザークはゆっくりと息子の頭を撫でた。ロヴィオンも、抵抗はしない。
「だいたい、助けられた上で処刑などされるはずが、なかろう。己の主君が、どれだけ甘い男かぐらい、知っておけ。…………」
「……父上?」
そこでようやく、ロヴィオンは違和感を覚えた。何故か、父の声が震えて聞こえたのだ。
顔を上げて、バルザークの表情を伺う。父は怒っているような無表情で、じっとロヴィオンの顔を見ていた。
――ぽたりと、雫がひとつ落ちる。
「え……?」
「……ロヴィオン……!!」
バルザークは、堪えきれなくなったように、ロヴィオンを力強く抱擁した。黒狼の思考はしばし硬直し、何が起きたのかを理解できなかった。とめどなく落ちてくる温かい雫に、やっと父が落涙していることを受け止める。
まずはソフィア達と話をさせるために、ずっと我慢していたのだろう。それが終わった今、彼は爪角の大族長としてではなく、ひとりの父親としての姿を露わにする。
「何、が……何が、処刑してくれ、だ、馬鹿者っ……親の前で、死を願うやつが、あるか……!」
「……あ……」
「お前まで、失って、しまえば……オレは……ぐ、くぅっ……もう……もう、あんな思いは、嫌だ……!!」
母を失った時、父がどれほど苦しんだか、ロヴィオンは知っている。自分は、その痛みをまた与えるところだったのだと悟った。あの時はそれしかなかったのだとしても、己をこうも案じてくれる存在のことを分かっていなかった。
自分を貫いた刃は、父の心をも貫くところだった。父だけではなく、ソフィア達も傷付けたのだろう。ならば、自分の最も罪深い行動はどれであったのか。
「無事で、良かった……生きていて、くれて……本当に、本当に……!!」
「……ちち、うえ……」
「ソフィア様……この恩、オレはこの命が尽きるまで、決して忘れませぬ……!!」
優しい父の腕。あれだけ逞しい戦士である父が、いま、自分を思ってこうも泣いている。その事実に、ロヴィオンの心の堰に、ゆっくりとひびが入っていく。彼がどこかで堪えていたものが、溢れ出していく。
「……ああ。おれは、やはり、どうしようもない……馬鹿、だ……」
滲み始めた視界で、主たちを見た。二人は、優しく微笑んでくれた。父は、もはや声も出せずに、己にすがりつき泣いている。
居場所を失ったのだと思った。もう、己に価値はないのだと思った。だが、少し周りを見渡せば、自分がここにいることを認めてくれる相手がいる。きっと、この場にいないゼルニスやエルマ、部隊の皆も。
それを理解した瞬間。堪えていたものは砕け散り、ロヴィオンは強く父の身体を抱きしめ返した。
「父上……ソフィア様、陛下……みんな……すまな、かった……!!」
黒狼は、父親の腕の中で声を上げて泣いた。心からの謝罪を込めて――自分を認める居場所があることの、安らぎの中で。




