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ひび割れた仮面

 城に戻り、王の部屋に辿り着くまで、二人はほぼ無言だった。

 いたたまれなくなり、そのまま自室に戻ろうとした姫を、王は短く呼び止めた。少し話がしたい、と。


「私の考慮が不足していたばかりに、危険な目に遭わせてしまったな。本当に、済まなかった」


「……陛下のせいではありません。あなたは己のやるべきことを果たしただけでしょう」


「それを言うならば、お前を安全に案内するという役割を果たせなかった。少しでも目を離す危険を甘く見ていたのだ。それに比べれば、まだ騒動の場に連れていった方が安全だっただろう」


「それは結果論です。あの時、あなたの判断は正しかったと、私は思います」


「王には結果が求められるものだ。過程がどうあれ結果がこれであれば、それは私の落ち度に他ならない」


 そんな、王の自責。最後にはしっかりと助けたにも関わらず、全てを己で背負おうとする言葉。それを聞いた姫は、意を決したように顔を上げた。


「陛下。改めて、お聞かせください。あなたは私たちの婚姻について、どう考えているのですか?」


「なに?」


「ずっと、感じていたのです。あなたは私のために、多くの無理を抱えてしまったのではないかと」


 先ほどの男には反論した。それでも彼女は、はっきりと感じてしまったのだ。自分の存在が、王にとってどれだけ厄介であるか。


「私がいなければ、あなたがそのように気を張る必要はありません。ただでさえあなたは、多くのものを見なければならない。私のような小娘に、気を取られている暇は無いはずです」


「何が、言いたい」


「私たちの婚姻は、あなたにとって望ましくないものではないのでしょうか。あなたが国のためだけに、私のような爆弾を抱え込もうとお考えなら……ここで、白紙にすべきだと思うのです」


 それは紛れもなく、終わりを始めるための言葉。王の表情は、仮面でも貼り付けたかのように動かない。

 彼女はずっと考えていた。この王は、どんな無理であろうと、国のためならば背負い込むだろうと。例え、望まない婚姻であろうとも。


「……私はきっと、あなたの荷物になってしまう。正式に婚姻を結べば、今よりも多くの問題が浮かび上がるでしょう。私への反感が、あなたへの反感になるかもしれない」


「………………」


「私も、覚悟はしてきたつもりでした。それでも、それは私自身の覚悟でしかなかった。あなたにどのような負担があるかは、考慮できておりませんでした」


 徐々に固まりつつある国の地盤。自分がそれを揺るがす要因にもなりかねないのだと、王女は感じてしまった。

 だからこそ、最後の言葉を告げようとする。黙り込んでしまった王へと向けて、真っ直ぐに。



 王の変化には、気付かないまま。


「幸い、婚姻の話は、まだ正式なものではない。今ならば、そこまでの遺恨もなく、無かったことにできるでしょう。ですから……あなたが望まぬと言うのならば、私は」


「私が……嫌ということか?」


「……え?」


 吐き出されたその言葉。姫の想定とは離れた王の呟きは、彼女には何故か、とても辛そうに、苦しそうに聞こえた。


「いや……当然の、話だな。私は、己の欲望のために、お前を苦しめているのだから」


「陛下、何を……」


 王のそんな言葉に、姫はただ困惑するばかりだ。彼はきっと、淡々と縁談の破棄を受け入れるだろうと思っていた。もしかすれば、国のためだと粘るかもしれないとも想定はしていた。

 しかし、彼の口から出たものは、全ての予想とかけ離れていた。


「人間と我ら。その溝は、未だに深い。お互いがお互いを理解しようとせず、蔑みあう。関係の修繕は困難で、長い時が必要だろう。そんな中で婚姻の話など、酔狂の極みと言えるものだ」


「それは……私も、理解しておりました」


「だから最初は、断るつもりだった。そもそも、望まぬままに婚姻を結んだところで、将来の遺恨にしかならない、と」


「……ならば。なぜ、あなたは縁談を受け入れたのですか……?」


 理由を問うと、王は少しだけ黙った。重い沈黙が辺りを満たす中、彼は少しだけ思考を過去へと飛ばしていた。


「お前は、覚えているか。私が建国後に初めてソルファリアを訪れた時の話だ。私は、視察に訪れた街中で襲撃を受けた。野蛮な獣人など追い払え、という過激派の仕業だった」


「……覚えております。私にとっても、痛ましい事件でしたから。陛下にも、怪我をさせてしまい……」


「私にとっては大したこともない傷だったがな。お前が場を収めてくれなければ、大事になっていた可能性もある」


 あの時、その場に現れた彼女の姿を、そしてその時の会話を、王は今でもはっきりと思い出せる。



『何をしているのです! あなた達は、我が国を訪れてくれた客人を害すると言うのですか!』


『し、しかし! こんな野蛮な化け物を、この国にのさばらせるわけには……!』


『黙りなさい! 彼があなた達に何をしましたか? 何もしていないでしょう! ただ、街を歩いていただけです! 偏見だけで命を狙うなどと……野蛮なのはどちらですか!!』



 国民に慕われていた彼女が制することで、相手の士気は一気に落ち、同時に現れた衛兵によって、事態は何とか収束した。

 そして彼女は、その場を離れようとした王を引き留め、傷の手当てをしてくれたのだ。

 その気になれば容易く彼女を殺せてしまう異種族を、恐れる素振りも見せず治療してくれた娘の優しさが、王には想定外だった。人間は自分たちを恐れるものだと考えていたし、襲撃を普通の反応だとすら思っていたのだから。


 だから王は、強い興味を持った。いったいこの姫がどういう人物なのか。これからの交流で彼女は大きな意味を持つかもしれないと、そう感じた。


「その縁で、お前とは、会談の合間に話すようになった。月獣の在り方を知るために、様々な質問をしてきたな。他愛もない内容ではあったが、月獣のことを知ろうとする人間がいるのは、非常に貴重な体験だった」


 王が彼女との接点を大事にしたのは、単なる興味と打算が始まりだ。しかし、その始まりは、長続きしなかった。


「今までも……負担をおかけしていましたね。あなたは時間を押して父と会談を続けていたのに。私などに、いつも時間を使わせてしまい……」


「――違う!」


 突然、王が吠えた。今まで、大きな声など上げたことのなかった彼の、鋭い言葉。唐突な反応に姫が思わず身を縮めると、王は苦々しげに小さく謝罪を呟いた。


「そうではない。そんなことを、言ってほしいわけではないのだ。私は、ただ……」


 王が口ごもる。苛立たしげに尻尾がせわしなく揺れる様子が、思考が整理できていないことを表している。姫は、王のいつもと異なる姿に、何も言えずにいた。そして。


「いつからだろうか。何をするにも、集中できなくなった」


 そんな独白が、始まりだった。

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