進む者、進めぬ者
「遅くなって済まぬな、グレン。少しばかり、仕込みに手間取ってしまった」
「いいや……助かった。ゼルも、よく来てくれた」
「当然だろう? お互いこういう時には助け合ってきただろ、昔からさ」
今はバルザークも、素直な口調をグレイヴァルトに向ける。彼の王への忠誠、その内側にあるのはどこまで行っても友としての絆だ。
「バルザークが怒りや憎しみに溺れていると思っていたならば……彼を甘く見ていたようだな、ユージア」
それは、先ほどユージアが言ったことへの意趣返しだ。ぎり、と老鰐は牙を噛み締め、バルザークを睨み付けた。
「何故じゃ!? そなたとて、儂と同じであろう! 人間に奪われて、踏みにじられてきた! それを……!」
「舐めるな。オレは確かに、人間の手で大切なものを奪われたさ。だが、それで人間だ月獣だなどと視野を狭めてしまえば、オレが何よりも妻の死を侮辱することになろうが!」
「人間がこの国に混じることを、肯定するというのか!」
「おうとも! オレは、ソフィア様とグレンの未来への意志は、信ずるに値すると感じた! 二人の意志を己が目で見た上でな!」
バルザークも、人間全てを恨んだ瞬間が無いと言えば嘘になる。それでも彼は、憎悪に思考を止めることはせず、本質を見ようとする意志を失わなかった。
そんな彼だからこそ、グレイヴァルトは己の夢を共有した。全ての種族が共存する世界、かつてそれを聞いたバルザークは大笑した。
『がっはっは! 子供が見るような、大きすぎる夢だ』
『馬鹿らしいと思うか?』
『いいや。どうせ追うならば、そのような夢の方が面白い! 良いだろう。お前がそれを諦めぬ限り、オレはいついかなる時でもお前の爪牙となることを誓う! だから……亡き妻のようなことが二度と起きない世界、形にしてみせろ!』
そんな会話をしたのは、建国よりも前の話だ。そして、彼の忠義は、友情は、未だに揺るがない。
建国の折、大規模な組織となっていた彼らは、全員が親密な関係を持っていたわけではない。ゆえに、バルザークとグレイヴァルトの関係がそこまで強固であることを、ユージアは知らなかった。大族長としての繋がりしか無かったために、バルザークの本質を見誤ったのが彼の敗因だ。
「お主たちは! まだ儂らに変化を求めるのか! そこに広がる傷を無視して!」
「底が知れたな、ユージア! 口では大層なことを言っておきながら、なんだ。貴様はただ、前に進む力を失っただけではないか!」
「それは強者の理論じゃ! 変化の痛みに耐えられぬ、変われぬ者を置き去りにして進む未来が、そんなに高尚なものだと言うのか!?」
「は……! だから変わろうとする者の足を引っ張ると? 己の平穏のために、未来を阻むなどと……そういうのを老害と言うのだ、阿呆め!」
激情を露にしたユージアに、皮肉を込めてバルザークは返す。
彼の切り札はバルザークだった。それが反旗を翻した、否、最初から己の元になかったことを知ったユージアには、もう余裕などない。
そしてゼルニスは、道を違えた恩人の姿に目を伏せる。彼もまた、グレイヴァルトと共に、ユージアを祖父として慕っていた。
「変化しない世界なんてないんだよ、爺さん。どれだけ、閉じた世界を作ろうと……生きていたら、変わっていくんだ。遅いか早いかの違いはあるけれどね」
「じゃから、流れを加速させても同じことだと? その速さに我々は苦しんできたのじゃ! 完全には止められずとも、緩やかであることを望んで何が悪い!」
「願い自体は、悪くなかったさ。でもね……どれだけ緩やかであっても。もし、変わらない世界を作れたとしても。それは、傷を負わなくて済むこととイコールじゃない」
何もしなければいつまでも平穏であるならば、グレイヴァルトもそれを望んでいたかもしれない。だが、彼は知っている。どれだけ静かに過ごしていても、それが一瞬で崩れ去ることだってあるのだと。
「……どうしてだよ、爺さん。どうして、こんな手段を取ったんだよ! グレンがどんな思いでこの国を興したか、あなただって知っているはずなのに!!」
だから、グレイヴァルトは変えていくことを選んだ。理想論だろうと何だろうと、何ひとつ失われない世界のために。
「そもそも、矛盾しているじゃないか! もしもこの企みが上手く行っても、あなたの元からあなたの望む平穏は遠ざかっていく! それが分からないあなたじゃないだろう!?」
「それでも、儂は……儂は……!!」
それでもなお、認められないものがあるのだろう。賭けに出てでも、望まない未来を避けたかったのだろう。
未来のために、今の傷を許容するのか。憎しみを捨てることが、必ずしも正しいのか。これはきっと、永遠に正答など出ない問いかけだ。だが、生きる限り、人々は選択していかなければならない。
ユージアの言葉の全てが誤っているわけではない。グレイヴァルトが選ぶ道に適合できず、苦しんでいるのは彼だけではない。
そんなことは、グレイヴァルトも知っている。だが、だからこそ。
「どうして、言ってくれなかった……?」
「……なんじゃと?」
「俺はただ、あなたに……素直に、その声を上げてほしかった。苦しいのだと、嫌なのだと……こんな行動をする前に、教えてほしかった」
ユージアは、目を細める。それは、王にしては弱々しい言葉。まるで幼いころ、少年だった時のような、祖父への願い。
「無理じゃよ。そなたは、人間との交流を止めはせん。マゴット殿の願いを、そなたは捨てはしないじゃろう?」
「……そうだな。だが……あなたの願いだって、捨てたくはなかったんだ」
「……グレン坊」
だから、聞かせてほしかった。その上で、どうすべきかを考えるために。尾を伏せながらの王の言葉に、ユージアの視線が僅かに揺らいだ。
「いずれにせよ、我々はもう戻れん! こうなった以上……命を賭してでも、お主たちを打ち倒すしか道はない!!」
「自暴自棄になりおって。深山の賢者が聞いて呆れる!」
ユージアの怒号と共に、理力が渦巻く。ルナグレア最強の理術師の呼び名は伊達ではない。捨て身の彼を相手取るならば、この3人であろうと無事は保証できない。
「グレン。まだ動けるな?」
「……無論だ」
「だったら、この場はオレに任せろ」
そんな賢者を前にして、黒獅狼は一歩踏み出す。
「貴様には、真っ先に駆け付けて救うべき相手がいるはずだ。貴様たち二人ならば、何が相手でも問題あるまい?」
「バルザーク……!」
「やれるんだね?」
「はっ、オレを誰だと思っているのだ。……走れ! 最も大切な者の窮地に間に合わないなどと……あのような思いを、貴様は決して味わうな!!」
かつてそれを味わったバルザークの言葉は、重い。その後押しに、グレイヴァルトも決意を固める。
「行こう、グレン。みんなで帰るためにも!」
「……ああ! ユージアを頼んだぞ、バルザーク!」
ふたりは走る。この戦いを悲劇で終わらせないために。今度こそ、何も失わないために。
それを、ユージアはそのまま見送った。三人を相手取るよりは、バルザーク一人を仕留めてから残る二人と相対する方が、彼にも都合が良いからだ。
「さて、ユージアよ。大族長同士、一騎討ちと行こうか?」
「……ひとりで残るとは、甘く見てくれたものじゃな、黒獅狼よ」
「甘く見てなどおらぬわ。オレはただ、失ってはならぬものを優先しただけのこと。それに……あいつらに祖父を殴らせるわけにもいくまい」
ひとつ溜め息をついてから、バルザークはどこか楽しそうに笑った。これは、戦士としての笑みだ。目の前の相手が最強の術師であるならば、相手にとって不足はない。
「覚悟しろよ、ユージア。オレはあいつらほど貴様に情もなければ優しくもない! 反省するまで、思い切り殴り飛ばしてやろう!!」




