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獣国の花嫁 〜月の獣王は太陽の姫をその腕に抱く〜  作者: あかつき翔
終章 いつか、すべてが交わる日まで
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消せない記憶、消えない時間

「うっ……!」


「おおおおおおおぉッ!!」


 ロヴィオンは獣の雄叫びを上げながら、凄まじい勢いで攻撃を繰り出し始めた。その表情に宿るのは、純粋な憎しみ。


「どうして、だ……!!」


「く、う……止めて、ロヴくん!」


「どうして、あんなことができた! どうして、あんな目に遭わないといけなかった! どうして……どうして、どうして!!」


「ロヴィオン、落ち着いて! 何を……」


「何を? 何を、だと!? 貴様らは……人間は!!」


 ロヴィオンは、感情に任せて叫ぶ。もはや、目の前にいる相手をソフィアという個人として認識できていない。ただ、人間という事実だけが、彼の憎悪を燃え上がらせている。そして。


「貴様ら人間が! 母上を殺し!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」


「――――――」


 あまりの内容に、ソフィアは言葉を失った。母を失っているという話から、それが人間の手によるものであることは予想していた。だが、己の予想がなお甘かったことを理解する。


『月獣の毛皮には、好事家の間では箔がつくのですよ。面白い話でしょう? 質に関わらず、希少という事実は価値を跳ね上げるのです』


「なんという……ことを」


 バルコニーでロヴィオンが言っていた意味が、ようやく本当の意味で分かった。月獣をただの畜生だと思っていなければできない所業。種族の違いがもたらす、あまりにも致命的な認識の歪み。


「教えろ……あの時、どうして貴様たちは笑っていた? どうして、生きたまま剥ぎ取りを始めた!? 母の悲鳴が、そんなに面白かったのか? 貴様らにとって、母上を殺すことはそんなにも愉快な遊戯だったのか!?」


 青年が吐き出していく、おぞましい過去。そのような行為をできてしまう人間という生き物を、彼はどう思っただろうか。


「……父上が来るのが遅れていたら、おれも同じ目に遭っていたのだろう。なあ、教えろ……何もできず泣くだけのおれは、そんなに滑稽だったか? 答えろよ!! どうしてあんなに楽しそうだったんだ!! 答えろぉッ!!」


「ロヴくん……! それをやったのは、ソフィちゃんではないわ!」


「黙れ!! 邪魔を、するなぁ!!」


 人間を庇うエルマのことも、障害物としか見なせなくなっているようだ。彼女ごと斬り刻まんばかりに、黒狼は剣と体術を振るった。

 湧き上がる憎しみの記憶に、黒狼の心と情緒は完全に壊れている。この言葉も、ただ溢れたものを吐き出しているだけなのだろう。剣の軌道も無秩序になり、おかげでエルマも何とか耐えられてはいるが、このままでは時間の問題だ。


「あの父が、泣き叫んだんだ! 間に合わなくて、守れなくて、すまなかったと……母の亡骸にすがりつきながら! 声が枯れてもなお、一晩中! もはや顔も分からない状態の母に、ずっと、ずっと、ずっと!!」


 最も大切な相手を守れなかったバルザークの絶望は、憎悪は、どれほどのものだっただろうか。そしてロヴィオンも、人間への恐怖と、それ以上の憤怒を抱いた。いつまでも、飲み込むことなどできずに。


「許さない。許してたまるか! あいつらが死んだ程度で、足りるものか!! 人間など、全て……おれの前から、消えろおぉぉ!!」


 エルマですら、徐々に押されていくほどのロヴィオンの猛攻。彼があのバルザークの血を濃く引いていることを、彼女は己の身で実感した。


(浄化の理術を……いいえ。少しでも力を別のことに回せば、押しきられる!)


 そして、ロヴィオンは渾身の力を腕に込めた。これは駄目だと悟っても、手を打つ暇すら与えてもらえなかった。振るわれた全力の一撃が、ついにエルマの結界を粉々に打ち砕いた。


「あぁっ!!」


 その反動でエルマは吹き飛ばされ、地面に倒れる。

 ついに障害物を振り払ったロヴィオンは、改めて目的の人間を殺すべく構え直して――。


「――ロヴィオン!!」


 それよりも早く。ソフィアの手から放たれた光が、ロヴィオンを包み込んだ。


「グゥ……!?」


 彼女は、ずっと己の理力を練り上げていた。精神への干渉を払い、相手を正気に戻す治癒の術。エルマが使おうとした、浄化の理術だ。

 自分への殺意を向ける青年を前に、彼女が選んだのは逃げることではなかった。真っ向から、彼を助けることだ。


「ロヴィオン。あなたが、それほどまでに人間を、私を憎むならば、それもひとつの選択なのかもしれない……」


「何、を。人間、が、何を……!!」


「でも……()()()()()()()。憎しみであろうと、その思いは……あなたのものなの。誰かに利用されることなど、あってはならないわ!」


「…………っ!!」


 言葉と共に、ソフィアは己の理力をさらに注いだ。ロヴィオンの瞳に燃える炎が、かすかに揺らぐ。

 彼を蝕むリーゼロッテの理術は強力だ。いかにソフィアに才能があろうと、打ち消すには遠く及ばない。それでも、黒狼は明らかに、その動きを鈍らせていく。


『何をしている? 目の前に、お前の憎む人間がいるんだよ?』


「黙りなさい。彼のことを何も知らないあなたが、これ以上私の友を愚弄することは許さない!!」


「……ソフィ、ア、さま……」


 ロヴィオンが、確かにソフィアの名を呼んだ。彼女の理術が、そして彼女の言葉が、炎の中に眠る心の欠片を呼び起こす。

 それは、彼の中に確かに存在していた、ソフィアへの情。彼の、人間への凄まじい憎しみは本物であるが――彼がソフィアを信じる心。共にいる時間に感じた安らぎ。護衛の立場への誇り。彼女を助けたいという願い。それらもまた、全て本物だった。


「ねえ、ロヴィオン。帰ったら、ちゃんと話をさせてほしいの。私は、目を逸らさない。あなたの気持ちに、味わってきた辛さに、逃げずに向き合うことを約束します。今度こそ、あなたの言葉で、それを聞かせて」


「あなた、は……どうして、いつも、そう……」


「だから、負けないで。あなたの苦しみを、誰かの道具になどさせないで!!」


「お、れは……おれ、は……!!」


 血が滲むほどに手を握りしめながら、ロヴィオンは衝動と戦っている。だが、それを眺めていた魔女は、嘲るように笑う。


『三流の喜劇をありがとう。だけれど、あたしは悲劇の方が好きなもんでねぇ!』


「ぐっ……あ、ああぁ!!」


「ロヴィオンっ!!」


 紋様の輝きが増す。精神が壊れてしまいそうなほどの憎悪が、燃えたぎる。呼び覚まされた心の欠片を、再び呑み込もうとする。


「う……おおおおおおおおぉーーーーーー!!」





 そして――黒狼は勢いよく剣を振り下ろした。


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