赤の魔女
その頃、砦の地下にある一室。
ソフィアは、四肢を縛られた状態で壁に鎖で繋がれていた。
部屋はかなりの広さがある。何も物は置かれておらず、ただ薄暗い灯が取り付けられているだけの、殺風景な場所。元々は何らかの設備だったのが撤去された跡なのだろう。
そんな部屋には、多数の人間がソフィアを取り囲むように立っていた。だが、その視線はどこまでも冷たい。彼らが反共存派であると同時に、もはやソフィアへの敬意など持っていないことを示している。
集う人間たちの立場も様々なようだ。騎士もいれば、流れ者と思われる戦士、町で店を営んでいた男すらいる。どのような境遇であろうと、火種は至るところにあったのだと思い知らされる。
(グレンは……無事なのでしょうか)
王も捕らえられ、その首謀者がユージアであることは、あの鳥を操っていた術者から聞かされた。
そして、今もなお、その女はソフィアの目の前にいる。正確には、ここにいるのは理術による分身、ただの映像だ。本人は、安全な場所にいるのだろう。
ソルファリアで最高の理術師。目の前に立っているのは紛れもなく、ソフィアもかつて憧れた、赤の魔女だった。
『気分はどうですか、ソフィア様?』
「……リーゼロッテ」
ソフィアに理術の基礎を教えてくれた、師と呼べる存在。だが、かつてのような優しさと王族への敬意は今の彼女から感じられず、その不敵な笑みからはどこか蔑みが感じられる。
「あなたが、手を引いていたなんて……」
『不思議でしょうか? あたしが、こうしてあなたの身を狙い、反旗を翻すこと……想像していませんでしたか? 駄目ですよ。王族はもっと、周囲を警戒しなければ、ね』
「……どうして、なのですか。私は、あなたに……憎まれることを、してしまったのですか?」
『……ふふ。あなたを、と言えば語弊があります。あたしが許せないのは……この、ルナグレアという地。国を騙る、ケダモノたちの巣窟。それに関わる、全てです』
淡々と、魔女は語る。その言葉に、確かな月獣への嫌悪を含ませながら。
「ソフィア様。あたしは、あなたの優しさは本当に美徳だと思っていましたよ。かつて告げた言葉は、嘘偽りない本心でした。ですが、それも……あなたが月獣共との共存などと言い出すまでの話です」
「………………」
『婚姻の儀は、怪しまれないように手伝いましたが……はっ。あの時のあなたの言葉は、よく覚えています。過去の傷を理由に、明日の傷を増やしてはならない? 傷など持たないお姫様らしいお言葉でしたよ』
「月獣を……憎んでいるのですか。いったい、何があって?」
『教えると思いますか? 怪物の王に身を売った女に。まったく……虫唾が走りますよ。あなたなどを、良き王族になると思っていた自分に!』
ソフィアは彼女のことを、いつでも理性的な大人の女性だと思っていた。だが、月獣が絡んだ途端、魔女の表情は深い憎悪に歪む。最初から考える余地もないと告げるように、狂気を宿す。
「私は、傷痕を無視するとは言っていません! 過去の傷にどう寄り添うかは考えねばならない。ただ、その痛みを増やしてはならないと……!」
『ならば、教えてあげましょう。あたしの傷を消す唯一の方法は……月獣たちが滅び去ること。奴らにこれ以上ない痛みを与えること。それも、簡単に終わってはいけない。滑稽で、愚かで……奴らが畜生以下だと見せ付けた上で、根絶やしにしたいのです』
「……どうして、そこまで」
『あなたも同類ですよ、ソフィア様。あなたの大好きなケダモノ達と同じように扱ってあげますから、安心してください』
冷たく燃え盛る、憎しみの炎。いったいどのような目に遭えば、ここまでの憎悪を宿せるのだろうか。
『分かりましたか? あたしは、共存など決して望まない。その点だけは、あの鰐男と意見が合いました。ですので、奴らを利用して、全て壊すことにしたのです』
どこでユージア達と繋がったのかは分からないが、この口振りからして、数か月前から一連の騒動の裏には彼女がいたのだろう。
そして、ユージアに対する仲間意識が皆無なのも分かった。恐らくはお互いに承知で利用しあっているのだろう。
ソフィアは、思考を切り替える。彼女が敵であることは認めるしかない。ならば次は、いかにしてこの状況を切り抜けるかを考えるだけだ。
「これだけのことをして、隠し通せるとでも思っているのですか? 私とグレンを捕らえても、ソルファリアにはお父様たちがいるのですよ」
『承知していますとも。ご心配なく、事が済めばあたしはソルファリアを離れる予定ですので』
「……なんですって?」
『月獣たちは、己の国を変えようとしているようですが……あたしは違いますよ。別に、今後のソルファリアに興味はございません。今回のことで愛想も尽きましたからね』
この期に及んでも敬語を崩さないのは、ただの挑発だろう。事実、小馬鹿にしたような声音で魔女は語る。
『月獣の国というふざけた土地を潰したい連中は、いくらでもいましたから。今回の功績を持っていけば、移住先には困りません』
「あなたは……」
『さて。雑談に興じるのもいいですが、そろそろ本題と行きましょう。どうしてあなたを生かして捕らえたか、お分かりですか?』
「……人質にでもするつもりですか?」
『残念、外れです。人質交渉というものは、存外にリスクが高いものですからね』
「ならば、何だと言うのですか……!」
『ふふ。……どこまでも夢見る乙女でありながら、どこまでも上に立つ王族でもある。あなたのそういう、どうしようもなくお姫様なところは、今でも嫌いではありませんがね』
「問いに答えなさい!」
ソフィアが声を張り上げると、リーゼロッテは実に愉快そうな顔で笑った。恐れを隠し気丈に振る舞う彼女の姿が、滑稽に映ったのだろう。
『餌ですよ』
「……餌?」
『あなたは、この獣たちの国の王妃です。月獣は、捕まってしまったあなたを救わなければならない。そうせねば、面子が立ちませんからね。間もなく、あなたを救うために何者かが現れるでしょう』
まるで、お前は厄介者だとソフィアに告げるような言い回しで、リーゼロッテは語る。
『さて。あなたのせいで、あなたを救いに来た者が死んだ時……あなたはいったい、どんな顔をするのでしょうね?』
「…………っ!!」
その、嗜虐的な嗜好を隠しもしない言葉。彼女がこのような手段を取った理由のひとつが、その方が自分を苦しめられるからだということを、ソフィアは理解する。
『それに……ふふ。民とは、結果だけを見るものです。あなたには精々、共存など夢物語であると証明する道具になってもらいましょうか』
「何を言っているのですか……!?」
『もうすぐ分かります。……さて、客人が来たようですね』
リーゼロッテが言うのとどちらが早いか。扉が、勢いよく蹴破られた。
ソフィア達が視線を向けた先に姿を見せたのは、黒狼の戦士と紫鱗の蜥蜴。
「ソフィア様!!」
「ソフィちゃん……!」
「ロヴィオン、エルマ!」
自分を救いに来たふたりの姿に、ソフィアが声を上げる。それを見て、リーゼロッテは口元をゆっくりと上げた。周囲の人間たちが構える。
「こっちは好きにしていいんだよな、リーゼロッテ?」
『ああ。お前たち、ソフィア様の前で無様な死体を作ってやりな!』
魔女の号令に、統率の取れた動きで人間たちが二人を迎え撃つ。ソフィアへ至る道を閉ざすように、数十名にも及ぶ相手が立ちはだかった。だが、ロヴィオンは一切臆することなく、その中に突撃した。




