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獣国の花嫁 〜月の獣王は太陽の姫をその腕に抱く〜  作者: あかつき翔
終章 いつか、すべてが交わる日まで
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咆哮

「やがて、この国にも人間や、他の種族が入ってくる日が来る。それは皆にとって望ましい未来なのだと、理解はしています。ですが、おれにとっては……」


「隣人に、恐怖の対象が混じることになる……」


「おれも、頭では分かっているのです。どのような種族だろうと、善も悪もいるだけだと。それでも……おれが知る人間は、あいつらだけで……」


「あいつら……?」


 その問いには、ロヴィオンは何も言わなかった。彼が抱く感情の元凶であるのは予想できるが、そこを語るつもりはないようだ。


「……種族が異なるという事実は、時に認識を歪めます。違う生き物であるというだけで、判断を誤ってしまう者は少なくない。それこそ、どのような残虐な行いも躊躇わなくなるような者も……います」


 かつてソフィアに襲いかかってきた男は、彼女が月獣ならばそのような暴挙に及ばなかったはずだ。逆に、多くの人間が月獣を蔑んでいるのは、ソフィアも知っている。


「月獣も、人間も。相手が違うだけで、同じ問題を抱えているでしょう。だから、おれは……自分の目で、見定めたかったのです。本当に、おれ達が共存できるのか」


 その言葉は、ひどく弱々しかった。まるで、悪事を告白するかのように。


「陛下ほどの方が信じた人間であれば、自分の認識を少しは変えられるのではないか。ずっと残り続けるこの感情を、拭うことができるのではないか、と……。勝手な理由なのは、承知の上です」


「……ロヴィオン」


「それを理由に手を抜かないことを誓い、父からの許しを得て、おれはあなたの護衛となりました。……初めのうちは、無理をしていた面もあります。だから、任に没頭することで、考えないようにしていました」


 彼が四六時中を護衛として動こうとしていたのは、ただ生真面目だからというわけではなかった。暇があると、意識してしまいそうだったからだ。


「……それでも。あなたの人となりは、すぐに理解できました。おれのような一人の護衛にも、親身に接してくれた。種族を、何かの理由にすることもなかった」


 自分は人間だから、などと言わずに、この月獣国のために努力する姿。相手が月獣だから、などと言わずに、分け隔てなく接する姿。護衛として仕えていたロヴィオンは、そういった彼女の姿をずっと見てきた。だから、無理をしていたのは、本当に最初の僅かな期間だけだ。


「次第に、あなたの側にいることに抵抗が無くなり……楽しいとまで、思えるようになった。あなたを守れることを、誇りに思えるようになった。……そのはず、だったのです」


 彼も、そこで気を抜いてしまった。自分の奥底にあるわだかまりを、人間への感情を、これならば()()()()()と思ってしまった。だが、それは自分でも目をそらしていた部分があったのかもしれない。


「ですが、おれは……夢に見た風景に混乱して、あなたを傷付けた。あなたが、人間であったから。……おれにとって最悪の記憶。それと、あなたを重ねてしまった」


「…………!」


 あの時、やはりロヴィオンは過去を夢に見たのだ。彼が人間に怯えるようになったきっかけ、その日のことを。だから、目が醒めた瞬間に目の前にいた彼女を、敵と認識して振り払った。


「あの時は、運が良かっただけです。一歩間違えば、おれはあなたの命を奪っていたかもしれない。……あなたには、数え切れない恩を受けてきたのに。あんな奴らと、あなたを重ねてしまった……!」


「あれは、仕方ないことでしょう! 恐れるものが近くにいれば、咄嗟に身を守ろうとするのは当然です……!」


「仕方ない、で済むはずがありますか! おれは、あなたへの恩を最悪の形で裏切るところだったのです!!」


 共存できるかを見定めたかったと、ロヴィオンは言った。それは、ソフィアだけを指すものではない。自分のような月獣が、人間と共に過ごせるかを知りたかったのだ。だが、敬愛し、信頼していたはずの人物ですら、過去の幻影に塗り潰されてしまった。


「どれだけあなたを大切に思っても、おれは人間への恐れを消せなかった! このような体たらくで、あなたの優しさを受け取る資格などないのです!」


 これだけの好意を受けても、まだ自分は人間を嫌悪している。それを実感してしまった黒狼は、再び怯えるようになってしまった。当初の怯えと、形の違うものではあるが。


「……種族の違いなど無ければ、迷うことはなかったのに。あなたが、人間でなければ……!」


「……っ……」


 それは、ソフィアではなく、種族で彼女を否定してしまう言葉。

 ずっとソフィアの近くにいるロヴィオンですら、そのような感情を抱いてしまう。それを改めて見せ付けられ、ソフィアは何も言葉が出なくなってしまった。

 そんな彼女の反応を見て、ロヴィオンも自分がこぼした言葉がどれだけの失言だったかに気付く。だが、謝罪の言葉すら、うまく喉から出てこない。


「…………。別の者を、呼んできます」


 いたたまれなくなり、ロヴィオンは踵を返した。ソフィアはその背中に何かを言おうとして、しかし何を言うべきか分からず、伸ばした手は少しして力なく落ちた。





 ――そして、彼女の身体は宙に浮いた。


「えっ……!?」


「なに!?」


 異変を即座に察知したロヴィオンが駆け寄った時には、事態は取り返しのつかない状態だった。上空、仮に跳躍しようと届かない場所まで、何かがソフィアを運んでいた。



 鳥だ。巨大な黒い鳥が、乱暴にソフィアの身体を掴み、持ち上げている。


「何、ですか、これは!? く……離して!」


『……ふふ。そう暴れないでください、ソフィア様。うっかり御身に怪我をさせては困りますからね』


 鳥から聞こえてきたのは、女の声だった。鳥の口から、ではない。遠隔で、鳥を介して何者かが声を届けている。

 そして、ソフィアはその声に目を見開いた。記憶の中にある音と、その声が重なってしまったから。


『空からの襲撃は想定外だったようですね。ですが、それでは駄目ですよ。理術とは何だってできるのだと、教えたでしょう?』


 遥か上空で揺られているにも関わらず、風ひとつ感じない。どうやら鳥の周囲が、保護の術式に包まれているようだ。


『しかし、忠犬の目をどう掻い潜るか悩んでいましたが、まさか勝手に目を離してくれるとは! 頭も獣並みで、あたしは助かりましたよ』


「……どうして、あなたが……」


『積もる話は後でしましょう。ご心配なく……すぐに終わりにしては、勿体ないですからね?』


「待て! ソフィア様……ソフィア様ああぁ!!」


 そのまま、鳥は遥か彼方へと飛び去った。途中で姿を消したのは、何かしら隠蔽の術だろう。どちらへ向かったか追うこともできない。


 バルコニーから身を乗り出して叫んだロヴィオンに、他の護衛も集まってくる。だが、もはや手遅れだ。


「……おれ、の……」


 黒狼は、全身を震わせた。敵の告げた言葉、勝手に目を離してくれて助かったという煽り。だが、彼にとっては事実だ。いま、己が感情を自制していれば、この事態は起きなかった。

 たとえ、そうでなければ別の手を使われていたとしても。護衛であるロヴィオンは、ソフィアを守れなかった。ただ、その結論だけが、彼にとっては全てだった。


「おれの……せい、で……!!」


 後悔と絶望の咆哮が、守るべき主君の消え去った空に、虚しく溶けていった。

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