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獣国の花嫁 〜月の獣王は太陽の姫をその腕に抱く〜  作者: あかつき翔
終章 いつか、すべてが交わる日まで
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迫る決断の時

 グレイヴァルトが実の両親を、そして故郷を失ったのは、7歳の時の話だ。


 王獣たちは、部族としてはごく小規模で、全て合わせても百名程度であったが、それでも全員が強大な能力を持っていた。基本的には周囲に大きな干渉はせず、しかし種族を脅かすような衝突には介入し、諌める。そうして調停者として存在する彼らを、多くの部族は恐れ、同時に敬っていた。

 その実、普段は争いを好まず、穏やかな暮らしを送る一族でもあった。


 だが、激化していく部族抗争の中で、高みからコントロールする王獣を疎む者たちが現れ始めた。そして彼らは、まずは結託して、この厄介な一族を滅ぼすことを決めたのだ。


 真っ向からぶつかっても勝ち目はない。そう判断した彼らは、手段を選ばなかった。

 特に多くの命を奪ったのは、集落の水源にばら蒔かれた毒だった。鋭い感覚を持つ王獣とて、日常に溶け込んだ脅威には気付くのが遅れてしまった。発覚した時には皆が毒に侵されており、ひとりずつ苦しみながら死んでいった。

 その日たまたま、付近の山に出掛けていたグレイヴァルトだけが、毒をいっさい口にせずに済んだ。戻ってきた時には、もう大半の者が息絶えていた。


 かろうじて生き延びた者は、多くの戦士たちに包囲された。毒で衰弱した身体ではまともに太刀打ちできず、ひとり、またひとりと狂刃に倒れていった。

 グレイヴァルトの父は、毒に蝕まれながらも、妻に子を託して最期まで抵抗した。彼が時間を稼いだおかげで妻子は何とか集落から逃げ延びることができたが、本人は襲撃の一陣を退けたところで力尽きた。


 しかし、グレイヴァルトの母も、もはや長くない命だった。

 集落から離れたところで彼女は倒れ、グレイヴァルトも必死に母を介抱しようとしたが、無駄だった。


『……間に合わなかったか』


 そんなふたりの前に、数名の人影が姿を見せる。

 王獣への襲撃計画を知り、その阻止をしようとした者たち。その中心にいたのは、人間の女性だった。


『……どう、か……この……子、は……』


 目の前の相手が人間であろうと、そこにすがるしかなかった。絞り出した懇願は掠れてほとんど聞こえなかったが、それでもその人間に思いは伝わったらしい。


『任せておきな。必ず、あんたの分も立派に育ててやる。……よく頑張ったね。あんたは最高の母親だ。ゆっくりと、お休み』


 その返答は、一切の嘘を感じさせない、真っ直ぐなものだった。実母が最期に何を思ったのかは分からないが、きっと種を越えてその女性を信じ、安堵できたのだろう。少しだけ穏やかな表情を浮かべた実母は、そのまま息を引き取った。 


 一日にして奪われた平穏。グレイヴァルトがその現実を受け止めるには、かなりの時間を要した。

 いくら戦士の一族に生まれたと言っても、幼い子供がいきなり全てを失ったのだ。丸一日は泣き続け、それからもしばらくは脱け殻のようになっていた。

 そんな彼を救った人間の女性、マゴットは、静かにグレイヴァルトを見守った。急かすこともなく、見捨てることもなく、心の傷が塞がるまで待ってくれた。


 グレイヴァルトにとって、マゴットは初めて出会った人間だ。ゆえに偏見もなく、恩人として慕うことができた。そうして、彼女に連れられてユージアの集落に保護され、そこでゼルニスをはじめとした多くの縁に恵まれた。

 マゴットは、グレイヴァルトに母として接してくれた。実母から託された関係もあるのだろう。だからこそ、彼がマゴットのことを新たな母として受け入れていったのも、また自然な流れだった。


 それから時は流れ、グレイヴァルトも成長した。マゴットは、月獣の革命運動の一員として、精力的に活動していた。人間でありながら多くの仲間に受け入れられた彼女は、しかしそれゆえに戦いの波に飲まれていった。


 脳裏に、ひとつの光景が浮かぶ。大きな戦いへと出向く母の姿。そして、それを見送る自分。

 当時のグレイヴァルトは、どこかで彼女を無敵の存在とでも思っていたのかもしれない。だから、今回も大丈夫だと信じて送り出した。しかし、今の彼は知っている。


「待ってくれ……行かないでくれ、行っては駄目だ!」


 これは、彼女の終わりの戦いだ。

 戦いは残酷だ。別れの言葉を投げ掛けることすらできなかった。いつものように見送った、いつも通りの姿が、最後に見た母の姿だ。


「母さん!!」


 必死に手を伸ばして。それでも消えていく背中に、叫んで――





「はっ……!」


 そこで、グレイヴァルトは跳ね起きた。

 ひどく荒い呼吸のまま、周囲を見渡す。紛れもなく己の寝室だ。王は、すぐに先ほどの風景が夢であったことを理解する。

 この夢を見たのも、初めてではなかった。それこそ、失った直後には何度となく見たものだ。


 深く、溜め息をついた。今までも、大きな決断を迫られる時には、決まってこの夢を見てきた。その決断が何かを失わせてしまうことへの、潜在的な恐怖のためなのだろう。


「……まだ夢に見るなどと知られたら、笑われてしまうな」


 そんな自虐を、ぽつりと呟く。母はきっと、いつまで気にしてんだい、と笑い飛ばす。笑って、説教して――最後には抱き締めてくれる。そういう人だった。表面の立ち振舞いこそ豪快な女傑のものだったが、その実とても優しく穏やかな人だったことを、グレイヴァルトはずっと見てきた。最後まで、ずっと。


「……失いたくない。もう、これ以上、何も」


 永遠などないのは分かっている。世界が優しくないのも知っている。

 それでも、避けられたはずの離別を、失わなくていいものが消える痛みを、もう二度と味わいたくない。


「そうだ。だから俺は、王として……決断しないといけない」


 もうひとつだけ重い溜め息をつくと、王は夜風に当たるために、ひとり部屋を抜け出すのだった。

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