当たり前の時間を、これからも
それから、さらに数日後。
グレイヴァルトとソフィアは、二人で離宮近くの街を訪れていた。
今日は街の視察。という名目ではあるが、ただ二人で出かけているだけだ。王がいる以上は護衛も不要ということで、部隊も今日は休ませている。
王がしばらく離宮を訪れていることは通達済みではあったが、それでも王の姿を見た民は揃って驚き、平伏する。こうなるのが嫌なんだがな、と内心でため息をつくグレイヴァルトだが、2メートルをゆうに30センチ以上超す彼の体格では、お忍びなどもちろんできない。ましてやソフィアもいるのだから、最初から諦めるしかないのだ。
一方、ソフィアは気にした様子もない。ごく自然にグレイヴァルトとの買い物を楽しんでいた。
「グレン。そろそろお昼時ですが、そこのお店で何か買っていきませんか?」
「……私が客として並ぶのは、店員を萎縮させるからな」
「それはグレンが怖い顔をしているからですよ」
「怖い顔……」
目付きが鋭くなった。まさしく民を萎縮させそうな怖い顔だ。
耳と尻尾が垂れている様子からして、ソフィアには落ち込んでしまったことが分かるのだが。
「ごめんなさい、言い方が悪かったですね。顔が怖い、ではなくて、怖い顔、です。力が入っていれば、誰でもそうなります」
「……そう、か。とは言え……まだ、どこまで力を抜いていいかは分からん」
王としての在り方を見直していくとは決めた。だが、ならば急に民の前で素を見せるかと言われると、それも極端すぎるだろう。
「一気に変える必要はありません。少しずつ、あなたらしい王の姿を見付けられたら、それでいいのではないですか?」
「……そうだな。困難だが、考えてみよう」
「では、まずは練習からですね。一緒に並びましょうか」
「う、む……」
案の定、王が並んだことで店は騒然となったが、あくまでも一介の客であることなどをソフィアがとりなし、そこまでの騒ぎにはならなかった。彼女は王都で慣れているのだろう。
道端に座り、二人で買ったばかりのホットサンドをかじる。ボリュームのあるパンと肉を噛み切ると、たっぷりの肉汁とチーズが溢れ出る。なるほど人が並ぶわけだ、と王の舌も満足させる逸品だった。
なお、毒見は王が理術で行っている。こればかりは習慣なので仕方がない。例外なのは、数名から渡された食事だけだ。
「とても美味しいですね! はしたなくても頬張りたくなります」
「意外だな。人間の女性は、あまりこういう重たいものを好まないと思っていたが」
「美味しいものに、種族も性別もありません。こういうものもたまには食べたくなるのですよ」
「そういうもの、か」
「そういうもの、です。……ふふ」
「……じっと私の顔を見て、どうした?」
「思えば、こうして普通のデートをしたことはありませんでしたね」
「デッ……」
王の声が、一瞬だけ裏返る。毛がぶわりと逆立った彼の反応を見て、ソフィアは静かに顔を伏せた。笑いを堪えているのだ。
「ふ、ふふふ。あなた、それは結婚してからする反応ですか……?」
「……し、仕方がない、だろう。私には、そういう経験をする時間が、無かったのだから……!」
咳払いで誤魔化しながら取り繕おうとするが、どう聞いても素が出ている。せわしなく尻尾を動かしながら、周囲の様子を気にしているが、逆効果だろう。
「でしたら、一緒に経験していきましょう。今まで経験できなかったことを、取り返して余りあるほどに」
「…………。私は、王だからな。きっと、普通の夫より、お前に使ってやれる時間は短いだろう」
ソフィアにも分かっている。彼の人生の多くは、国のために費やされる。自分のため、ソフィアのため、そんな自由な時間は限られている。それでも、彼女に不満はない。
「けれどあなたは、時間が短いぶん、たくさんの愛をくれるでしょう? 私もあなたも、心から愛し合っていることは、とっくに思い知っています。だから私は、それでいいのですよ」
自分がグレイヴァルトを愛しているように、彼がソフィアを愛してくれていることに、もう疑いはない。胸を張って、彼から愛されていると言える。だが、王はそんな妻の言葉に、片手で目元を覆った。
「お前のそういうところは、天然なのか……?」
「……? どういう意味ですか?」
「いや、いい。聞いた私が野暮だった」
彼女の言葉は計算で出せるものでもないだろう。もっとも、彼も人のことは言えない面はあるのだが。
「私とこうして過ごす時間は、楽しいか?」
「当然です。あなたは?」
「……楽しいさ、とてもな」
今は、素直に返事ができた。その時に王が浮かべたのは、ソフィアが見た中でも、とても穏やかな表情であった。
「これからも……たまには、こうして出掛けるとしよう」
「……はい!」
この先にはまだ、多くの苦難があるのかもしれない。それでも、こんな時間を守りたいと、心から思えた。だから王は改めて、何が相手でも戦い抜く覚悟を決めたのだった。




