正しさという枷
「ソフィアの姿を見ているだろう、ゼルニス。彼女は、寄り添うことで民に慕われつつある。この国でも、力以外で上に立てることを証明している。種族というハンデを背負ってなお、だ」
「……ですが、それはあなたの存在があってこそではないでしょうか?」
「始まりはそうだったかもしれん。だが、もうそれは重要ではなくなっている。王都の民が彼女に相談するのは、私の力を頼ってか? 違う。お前にも、それが分からないとは思えないがな」
ソフィア個人を慕うものは、増え続けている。完全でなくとも、そういう声が聞こえてくるようになった、という事実が確かにある。
「無論、私ではソフィアと同じことはできない。だが……在り方がひとつでないことを、彼女は見せてくれた。ならば、私はこのままで停滞していいのか?」
「………………」
「私とて、永遠に生き続けられるわけではない。私の力が消え去った時に、すぐさま瓦解するような状態だとすれば、なおさら放置はできない」
「だから、絶対の王者である必要はない……と?」
「繰り返すが、今までの全てが間違っていた、とは思っていない。だが、見直すべき点はあるのだと気付いた。まだ、具体的にどうする、という答えがあるわけではないが……」
グレイヴァルトは間違いなく、民から畏敬の念を集めており、それは統治の在り方のひとつだろう。だが、彼が全ての正しさを決める現状は、独裁と紙一重でもある。それでは、王への依存はいつまでも残り続ける。
「友を友と呼ぶこともできず、感謝を伝えることもできない。少なくとも、そんな息苦しい国は、私の望むものではない」
何が正しいかは、考え始めたばかりだ。簡単に正解が出るものではない。だが、何が間違っているかは、今でも分かる。
「……お前がそんな顔をしているのに、見てみぬ振りをしたくはない。お前が悩んでいることに、私が気付かないと思ってくれるなよ」
重いため息がひとつ溢れる。もう、堪えるのも限界だ。
「……聞かせてくれ、ゼル。俺がお前に礼をひとつ言っただけで壊れるような、そんな脆いものが、俺たちの築いてきた国なのか?」
「………………。それを必要と決めたのは、あなたなのですよ?」
「そうだな。その通りだ。俺が決めて、お前たちが従ってくれた」
己の口調は崩さず、ゼルニスは、真っ直ぐにグレイヴァルトの姿を見据えている。咎めるわけではなく、何かを見極めようとするように。
「だが、俺もお前も完璧ではないんだ。過去に決めたから、という理由にしがみつくのもおかしな話ではないか?」
正しいと決めたのは彼らである。だからこそ、それを正せるのも彼らだ。
「……ソフィアと出会い、俺は辛さから目を逸らしていることに気付いた。どれだけその相手が大事でも、他の誰かの代わりになどできないものだ」
他者との関係は、そのふたりの間でのみ成り立つものだ。大切な誰かがひとりいれば、他の関係はもう不要だ、とはならない。
「ああ。ずっと、苦しかったんだ。お前に、エルマに、ユージア爺に、バルザーク。皆の前で自分を出せなくなってから、どれだけの時間が経っただろうか」
「…………っ。後悔、しているのですか?」
「覚悟はしていたし、後悔もしていないさ。お前たちは、形を変えても俺を支えてくれたし、変わらず感謝もしている。……それでも苦しかった、というだけだ」
押し込めてきた本音。まずはそれを素直にぶつけた。ゼルニスも少しだけたじろぐが、これだけでは辛いから止めたい、と言っているようにも聞こえる。だから王は、そのまま言葉を続けた。
「誤解しないでほしいが、その辛さが国のためになるのならば、俺はいくらでも耐えるつもりだ。だが……逆に、辛ければ国のためになるわけでもない。そうだろう?」
「…………!」
「ふと、思い当たったんだ。民のためを目的とした王の振る舞いだったはずが、いつしか俺は……王として振る舞うことを目的にしてしまったのではないか、と」
長く続けていくうちに生じる麻痺。手段と目的の逆転。本当に必要なのかを考えることもなく、ただそうあるべきだと繰り返すようになっていた。
「情けないが、きっと俺は苦しさに酔っていた。苦しければ苦しいほど、努力している気分になれる。それを止めることが、甘えのように思えてしまう。だが、それは本質とは何も関係ない。ただ、俺が苦しかっただけだ」
それが国のためだと思っていたから、耐えてきた。だが、それがさして重要でないのならば、我慢はできない。
「ましてや、それが友を悩ませる要因になっているのならばな。……そう考えるのは、俺の自惚れか?」
「…………陛下」
「当然……お前が本当に愛想を尽かして、俺を見限るのならば止めはしないが、な」
「――そんなはずがないだろう、この馬鹿」
そんな一言に、グレイヴァルトは驚いたような顔でゼルニスを見た。
当の山猫は、ひとつ小さな溜め息をつく。そうして、何事もなかったかのように、言葉を続ける。




