黒獅狼バルザーク
フローリアンとの話が終わった後。そのまま続けて二つ目の会合を行うにあたり、グレイヴァルトとソフィアは、離宮の入り口で一人の男を迎えていた。
その男は、他の月獣と比較しても一回りは大きい、王と並ぶほどに屈強な肉体を持っていた。
全身を覆う黒い毛並みは、磨き上げられた黒鋼のようだ。特に豊かなたてがみは、威風堂々とした印象を見る者に与える。
獅子を思わせる外見だが、尖った耳や伸びた鼻先など、少しだけイヌ科の特徴も表れている。その見た目通り、彼は月獣としても珍しい獅子と狼のハーフだ。
それは一見すると王の外見にも似ているが、この男は獅子の特徴の方が濃い。顔立ちは両者の中間ほどだが、尾に関しては完全に獅子のものである。
その男は、グレイヴァルトとソフィアの前まで歩むと、片膝をついた。
「陛下、お久しぶりでございます。そしてソフィア様は、お初にお目にかかります」
堂々とした出で立ちに違わない、低く響く声。身を低くしているにも関わらず、圧倒されそうな雰囲気だ。ソフィアは初めて王と出逢った時を思い出した。
(このお方が、バルザーク様……)
爪角の大族長にして、ロヴィオンの父。かつて彼はあまり似ていないなどと言っていたが、確かに見た目はともかく雰囲気は大きく異なった。
当然ロヴィオンも獅子のクォーターであるものの、彼は獅子の特徴をほぼ持っていない。周囲の狼よりも体格に恵まれている程度だ。とは言え、毛並みの色など特徴はある程度引き継がれてはいる。
革命の戦場において〈黒獅狼バルザーク〉の名は、多くの伝説を残している。
彼の武勇伝として特に語り継がれているのは、かつてグレイヴァルトと1時間にも及ぶ激戦を繰り広げたことだ。
『本人は、負けた戦いを褒め称えられるのは不服そうだがな』
『では、事実なのですか?』
『ああ。彼らを傘下に加えるにあたって、実力を示す必要があってな。……俺の生涯でも、あそこまでの苦戦は数えるほどしかない。ましてや一騎討ちでは、二人だけだ』
事前に人物像を尋ねたソフィアに、グレイヴァルトはそう語った。ロヴィオンからは父への憧れを聞いているが、王の視点でも評価の高い人物であるらしい。
王の力が圧倒的であることは、誰もが認識していることだ。彼と一騎討ちができるというだけで、この国で最高峰の実力者であることを示している。
『やや直情的だが、頼りになる男だよ。それに、指導者としても優秀だ。本人は考えるのが苦手とよく言っているが、大族長を任せられるだけの視野を持っている』
『とても信頼しているのですね。友人だったのですか?』
『友人……か。そうだな。かつては、対等に話していた時期もあった』
かつては、と口にした時に、軽く尾を落とした。その様子から、王は間違いなく気を許していたことが伝わってくる。
『彼と出会った時には、今ほど振る舞いを徹してはいなかったからな。ふとした時に素を見られてから、力を抜いて話せと言われたんだ』
『では、あなたの本当の性格もご存じなのですね』
『ああ。彼に限らず、大族長たちは付き合いが長いから皆が知っている。……今はそれを表に出せはしないがな』
王となってから初めて振る舞いを変えたわけではない。彼が今のように威厳ある言動を始めたのは、義母を亡くし、紆余曲折の果てに革命のリーダーとなった時。今からおおよそ6年も前の事だという。ゆえに、彼の本当の姿を知る者は限られている。
そして、王となってからは、素を知る相手の前でも、本来の自分を出すことを止めた。それが3年前の話である。それだけの時間、自分を隠し続けてきた孤独は、ソフィアには想像することしかできない。
一度、そこで思考を切り替える。
今回、バルザークがこの離宮に足を運んだのは、大族長が集う会合が行われるからだ。
集うと言っても、他の大族長は理術装置による遠隔投影で参加する。バルザークのみ、自領がすぐ近くであることと、数ヶ月ぶりとなる謁見の機会ということで直接訪れたのだ。
「婚姻の儀より数ヶ月……その場に参加しないどころか、挨拶の一つすら行わず、申し訳ございません」
「頭を上げよ、バルザーク。貴公には、特に激務を負わせていたからな。それを労いこそすれど、咎める理由はどこにもない。よく務めを果たしてくれたな」
「はっ、勿体なきお言葉でございます」
先の話を聞いた後だと、主君と忠心として当然のそんな会話にも、少し複雑な感情が浮かぶ。もっとも、大族長が王に敬意を示さなければ、下に与える影響は計り知れないはずだ。故に、彼らこそ緩めるわけにはいかないのだと理解はできる。
「そして、ソフィア様。婚姻の儀は、投影で拝聴致しましたが……このバルザーク、あなたのお言葉には感銘を受けましたぞ」
「ありがとうございます。私こそはじめまして、バルザーク様。あなたのご子息、ロヴィオンには、私もいつも助けられています」
「ならば喜ばしい。倅はオレに似ず、真面目に賢く育ちましたからな。それだけ苦労をかけたと考えれば、親として反省もありますが」
息子への褒め言葉を聞いた瞬間、バルザークの表情は明らかに緩んだ。礼節を保った口調ではあるが、喜んでいるのがはっきりと分かる。その様子にソフィアも緊張が解けていく。
同時に、バルザークの尻尾がどこかそわそわと動いた。付き合いの長いグレイヴァルトは、その意味合いを察したらしい。
「ロヴィオンも先ほど到着している。会談が始まるまでは、しばし時間があるからな。顔を見せてくると良いだろう」
「よろしいのですか?」
「数ヶ月ぶりの親子の再会を妨げるほど狭量ではない。ソフィア、彼を案内してくれるか」
「ええ、もちろんです。ロヴィオンも会いたがっていましたからね」
「……はっ。では、お言葉に甘えさせていただきましょう!」
ぱたりと揺れた尾は、どこか息子の仕草に似ていた。獅子の見た目だが、残り半分の血も割とはっきり出ているらしい。
ソフィアはロヴィオンのいる離宮の訓練所までバルザークを案内する。獅子の一歩はソフィアの倍以上あろうかというほどだが、彼はしっかりと彼女の歩みを追い越さないようにしている。
「私もあなたに会うのは楽しみにしていました、バルザーク様。グレンからもロヴィオンからも、色々とお話を聞いていましたので」
「光栄でございます。しかし、楽しみですか……自分で言うのもなんですが、オレは威圧感が凄いとよく言われますので、意外なお言葉でもありますな」
「本音を言えば、少しの緊張はありましたけれどね。ロヴィオンからも、尊敬するお父様だと聞いていましたから」
そう告げると、やはり分かりやすく尾が揺れた。息子のことは、相当に大事に思っているのだろう。
「そもそも、私はグレンの妻ですからね。見た目の威圧感については、慣れたものですよ」
「がっはっは! それはそうかもしれませんな。しかし、長い時で信頼を紡いだ陛下と異なり、オレは初対面でしょう?」
「ふふ。それでしたら……私の信じるあの人が、あなたを信じている。それだけで、信頼に足ると思っていますから」
「……なるほど。あなたと陛下は、本当に良き夫婦のようですな。だからこそ、種の垣根すら越えられたのでしょう。あなたならば、オレも……」
「……父上?」
そうして、話しながら訓練所に近付くと、向こうの方も声で気付いたようだ。鍛錬の真っ最中で汗を流しながらも、ロヴィオンはひとり部屋の中から出てきた。
息子の姿を見たバルザークは言葉を止め、彼の元に近付いていく。そうして、その大きな掌で、豪快にロヴィオンの頭を撫でた。ロヴィオンは少し驚いた顔をしながら、抵抗はしなかった。
「父上、ソフィア様の前だから程々に頼む……」
「細かいことを言うな、久々であろう。励んでいるようで何よりだ、ロヴィオン! ははっ、少し見ぬ間により逞しくなったか?」
「……数ヶ月、鍛錬は欠かしていないからな。久しぶりだ、父上。大変だと聞いていたが、元気そうで良かった」
「がっはっは! オレがそう簡単にへばるはずがなかろう。お前こそ、無茶はしていないだろうな?」
「心配しないでくれ。おれの方は、良き主に恵まれたからな。無理なく、日々を過ごせている」
「護衛になりたての頃は、かなり無茶をしていた気もしますね。一人で何でもやろうとしていましたから」
「そ……ソフィア様?」
恵まれた良き主から早々に暴露されると、黒狼は珍しく動揺を見せた。彼が抱え込みやすいのは相変わらずなので、父親には共有しておくべきだろうと言う判断だ。
「何となくは想像がつくな。全く、我が息子ながら融通の利かないやつだ。……その真面目さが良いところでもあるがな!」
(あ。分かってはいましたが、かなりこう……子煩悩ですね?)
「こほん。今は仲間にも頼るようにしているから、勘弁してくれ。……北方は落ち着いたのか?」
「うむ、よほどの事が起きない限りは、オレがあちらに戻ることはなかろう。少なくとも当面は、王都周辺で過ごす事になるだろうよ」
「そうか。……それなら、どこかでゆっくりと時間を取ろう。訓練もつけてほしいし、話したいことも色々とあるからな」
「ふ。では、久々に家にも戻るとするか。しばらく空けてしまったから、カーシャにも二人で会いに行かねばな」
「……そうだな。母上も、父上が戻るのを楽しみにしているだろう」
(あ……)
ロヴィオンの母にして、バルザークの妻。その人が亡くなっていることは、ソフィアも聞いている。
愛する家族を亡くす痛みは、果たしてどれほどのものだろうか。自分が両親を、そしてグレイヴァルトを亡くしたとしたら。きっと、想像もできない苦しみだ。これ以上は、事情も知らない自分が横で聞く話でもないだろう。
「積もる話もあるでしょうから、私は先に行っていますね。時間になったら元の場所に戻ってきてください」
「おお、お心遣い感謝します」
「では、また後ほど、ソフィア様」
親子の仲睦まじい会話を背に、ソフィアは思う。果たして、彼らから大切な人を奪った要因は何だったのだろう、と。ロヴィオンの口ぶりからして戦いの結果だとは想像できたが、それ以上はまだ踏み込めない。
いずれにせよ、平和な世でさえあれば起きなかった悲劇なのだろう。
(……争いがまた起きるようなことは、避けねばなりませんね)
そして、次の大族長たちの会議は、平和を保つために重要だ。ソフィアは意気込みも新たに臨むことにした。
だが、その会議は決して、順風満帆とはいかなかった。ソフィアも予想していなかった要因によって。




