月獣の街中で
翌日。
「あれは何ですか? ずいぶん変わった模様ですね」
「鱗瓜という果実だ。皮が硬く味にも癖があるが、天日で干すことで甘味が増し、保存食として利用できる」
ゼルニスの進言を受けた獣王は、王女と話す機会を得るために、彼女を伴って街へと出かけていた。
『この国に来てから、自由に外を歩く機会は無かっただろう。今日は私も時間が取れたので、案内しようと思ったのだ』
『よろしいのですか?』
『ああ。……嫌ならば無理強いはしないが』
『……いえ。私も、一度はしっかりと街を見たいと思っていたのです。喜んで、ご一緒させていただきます』
遠慮は感じたが、本音であるようだ。今まで外出を控えていたのは、王女の安全を考えてのことであった。だが、自分が共にいられるのであれば万が一は起こらないだろう、と王は判断した。
こうして、二人きりで王都を巡ることになった。王はこの散策の中で、彼女がこの国に対してどのような反応を示すか、そしてこの国が彼女にどのような反応を示すかを見ることにした。
「やはり、お店には国の特徴が表れますね。ソルファリアには無いものを、たくさん見かけます」
王女も、最初こそぎこちなかったが、次第に興味が勝り始めたようだ。気になるものを見付けては、王へと質問を投げ掛けてくる。
そのことに、少し気が楽になる。城の中でしか動けない、閉鎖的な環境が余計に悪かったようだ。
道行く国民は、王に低頭しつつも、彼女の姿を気にしてこちらを伺っている。
「やはり、人間は物珍しいのでしょうか?」
「そうだな。まだ、人間が入ってくるのは国境での数少ない交易ぐらいだ。今はそうせざるを得ない。……ゆえに、私から離れないように注意しろ」
彼女への視線は好奇が大半だが、敵意も皆無ではない。この国には、人間へ反感を持つ者も多いのだ。
姫を招き入れたのが王であることも周知の事実である。王の客人である以上、彼女を害するような者はまだ現れていないが、用心に越したことはない。王女自身も、それは理解している。
ふと、王女は足を止めて、街中を見渡す。子供が遊ぶ姿、買い物をする家族の姿、談笑する若者の姿、汗を流して働く大人の姿。そこで繰り広げられているのは、当たり前のヒトの営みだ。
「どうした?」
「いえ。変わらないな、と思ったのです」
「変わらない?」
「私たちには、月獣の方々がどんな生活をしているのかなど、ほとんど伝わってきません。ですが、こうして見れば、思っていた以上に同じなのですね」
「人間からは、我らは血と争いを好む獣と思われているようだからな」
姫の表情が少し強ばる。皮肉のつもりではなかったが、王はそれが失言であることに気付いた。だが、今さら取り消すわけにもいかず、言葉を続ける。
「同時に、月獣には、人間を力のない生き物だと蔑んでいる者も多い。お互いに、理解が足りないのだ。理解できないから、相手を劣ったものだとして見下したがる」
「………………」
「ならばこそ、互いに差などそれほどないと理解が深まれば、関係の改善も望めるだろう。そのためにも、私がこの国をより強固な一枚岩として発展させていく必要がある」
国を生み出すことで、王は部族間の争いを鎮めた。だが、そこで終われば、単位が大きくなっただけだ。人間を含む他種族との交流を粗末に扱えば、今度は国と国の争いが起きると理解していた。
「ともかく……我々の生活の話だな。一口に月獣と言えど、元々の文化は様々だ。原始的な戦闘部族も、元から最先端の技術を駆使していた部族もいた。最近は、ようやく技術が全体に浸透してきたところだ」
「それぞれの文化や規律を分けて管理する、という方法はとらなかったのですか?」
「古き慣習を大事にすることと、進歩を捨てることは違う。自由を認めることと、規律が存在しないことも違う。集団としてまとまる中で格差を生んでいては、月獣の中ですら差別が生まれるだろう」
「なるほど……」
「とは言え、難しい話なのは確かだ。文化の違いから起こった衝突は山ほどある。この数年、折り合いをつけさせるために法を制定してきたが……ようやく、まともな形になりつつあるところだ」
「それが実を結んでいるからこそ、こうして皆さんが平和に過ごせているのでしょうね。数年でここまで安定した国になったのは、陛下が指導者として民を導いてきたからでしょう」
「それが、王に求められる役割だからな。私が確かな方針を定め、舵取りをすることで、国という共同体は確固たるものになる」
自分の所業に傲ることはないが、卑下することもない。自信の持てない王に従おうと思う者はいないだろう。
そうして、他愛のない会話を挟みつつ、二人は街を巡っていく。相変わらず笑顔は見られないが、今までと比較すればかなり気楽だった。だが、彼女は時おり王の様子を伺っては、萎縮して口数が少なくなる。
(……ひとりならば、彼女はもっと自由に振る舞えるのだろう)
婚姻が決まる前の彼女は、そうだった。王と話す時も、遠慮なく話してくれていた。笑顔を見せなくなってしまったのは、間違いなく縁談が浮上したあの日からだ。
それでも、今日は案内を全うしようと決めて外出したのだ。王はいったん思考を振り払い、彼女の案内を続けた。
それから、一時間ほど巡っただろうか。とある区画に入った辺りで、姫が王に尋ねる。
「この辺りは、他と比べて少し人通りが少ないようですね」
「ここは、整備が済んだばかりの居住区だ。事前の募集はかけていたが、まだ住民が少ない。それにしても、普段より静かだが……む……?」
ふと、王が目を細めた。彼の視線の先には、多くの人々が集まっているようだ。どうにも騒ぎになっているらしい。
「何か、トラブルでしょうか?」
「残念ながら、まだ種族や文化の衝突はゼロではない。だからこそ、私も定期的に街中を巡ってはいるのだが……」
少し、思案する。問題を放置するわけにはいかないが、姫を連れていけば危険に巻き込んでしまうかもしれない。どれが最善かを考え、答えを出す。
「ここで待っていてもらえるか? すぐに片付けてこよう」
民の意識も騒動に向いている。少しの時間ならば大丈夫だろう、と判断して、王は姫にそう投げかけた。彼女が頷いたのを見て、王は人の波をかき分けて騒動の中心に向かっていった。