変わりゆく街で
グレイヴァルトとソフィアの婚姻から、時は瞬く間に過ぎ去り、4ヶ月が経過した。
挙式前日の騒動から先、警戒していたような事象は発生していない。失敗で慎重になったか、心変わりしたか。あるいは、それだけ大規模な仕込みの最中なのか。いずれにせよ、楽観視はできないだろう。
そんな中、ルナグレアの王妃としてソフィアは積極的に活動を行っていった。そうして、月獣の中でも、彼女に対する声は少しずつ変化していた。
「ソフィア様、今日はお買い物ですか?」
「ええ。私もたまには、グレンに元気の出る料理でも振る舞おうかと思いまして」
「はは、直々の手料理ですか。それは陛下もさぞやお喜びになるでしょう」
市場に足を運んだソフィアに、馴染みの店主は気さくに声をかけてくる。最初の頃は「人間がこの街で買い物なんて」「王妃から金を取るなんて」などと色々な意味で混乱させていたが、もう慣れたものだ。
ソフィアは、積極的にグレイヴァルトの執務を支えた。街を巡り、民の声を聞き、時にルナグレアには無かった視点から提案をした。
元々、彼女は王族としての教育を受けてきた身だ。その能力は優秀である。経験不足こそあったが、それでも彼女の働きはいくつもの成果を上げていた。
能力ある者は認める、というのが月獣の多くに根強く残る思考だ。常に前を見て、王を支え、そして民のために労力を惜しまないソフィアのことを、良き王妃だと認める声は次第に大きくなっていた。
今ではこうして、彼女が街に出れば、歓迎の声が多く聞こえるようになっていた。厳格な王と比べて、親しみやすい彼女にこそ相談をする者もいるほどだ。
もちろん、そうではない者もまだ多かった。王都から遠い街ほど、その傾向は強い。反感を簡単に消し去れるほど、種族の遺恨は浅くはない。
まだ表立って手を出そうとする者は現れていない。それでも、いずれそういう事が起こっても不思議ではないだろう。
だが、それはソフィアも予想していたことだ。共に戦い抜くと決めた以上、挫けることはなくひたむきに、月獣の民と向き合っている。
理術の鍛錬もあれから続けている。エルマの指導により月獣たちの理術を学んだ彼女は、祖国で得た知識も合わせて様々な術を習得している。特に、元々扱えていた治癒の理術は、本格的な鍛錬を経て、戦場で使っても遜色ないものにまで磨き上げられた。
副次的と言うべきか、その鍛錬の姿もまた、民には好印象に映ったようだ。
とは言え、彼女がいきなり王のように自衛できるわけではない。護衛部隊もまた、常にソフィアの側に控えている。初期と異なるのは、複数人でのローテーションをしっかり組むようになったことだ。
ロヴィオンが不在の時には人数を増やすことで、彼の語ったような綻びを防ぎつつ、誰かの負担を高めすぎないように編成している。ロヴィオンは隊長として他より頻度こそ高いが、前のような無茶はしていない。
今日もまた、彼はソフィアの傍らに控えていた。他にも、彼と隊長を賭けて戦った熊、ジェイクが一緒だ。
「ソフィア様、そろそろ昼食の時間となりますが、いかがいたしましょうか」
「あ、実は最近になって新しいパンのお店ができたそうなのです。今日はそちらで大丈夫ですか?」
「もちろん、あなたの望むように。……パンですか。隊員への土産にも悪くなさそうですね」
「ふふ。そう言えば、二人は好きなパンなどありますか?」
「オレは近所で売ってる、甘く揚げたものが好きです。ガツンと来る甘さで腹にも溜まる、やみつきになる味ですよ」
「ジェイクは意外と甘党ですよね。ロヴィオンは?」
「そうですね……おれの故郷では、肉を挟んだものがよく食べられていました。決して凝った料理ではないのですが、たまに食べたくなりますね」
「ああ、分かります。思い出の味とはそういうものですよね」
「ソフィア様も、時にはソルファリアの料理を食べたくなりますか?」
「ですので、たまに作っていますよ。ルナグレアだと食材がいろいろ異なりますが、その中で再現してみるのも割と楽しいのです。……そうだ、今度は部隊の皆さんに振る舞ってみましょうか」
「おっ、それはいいですね! ソルファリアの料理には前から興味があったんですよ!」
「……その時には、おれも手伝いましょう。部隊の者は、誰も彼もが遠慮なく大量に食らっていきますから」
「あはは! 分かりました。その時は頼りにしていますよ、隊長?」
数ヶ月を共に過ごす中で、最初の頃ロヴィオンにあった距離はほとんど無くなっていた。どれだけ保とうとしても詰めてくる主君相手に、根負けしたという面もあるが。ただ、彼自身がそれを悪く思っていないのは、柔らかく揺れる尾が示している。
ソフィアとロヴィオンのそのようなやり取りは、周囲からもまるで姉弟のようだと、微笑ましく眺められるようになっていた。
他の護衛も、彼以外は陽気な者が多く、ソフィアとはほとんど友人の集いのような関係を築いている。だからこそ、皆が彼女を守るために手は抜かず、士気の高い部隊となっている。
ソフィアはこうして、本人の宣言した通り、己の力で居場所を切り開いていった。
「しかし、婚姻の話が出た時はどうなるかと思ったけど……本当に、来てくれたのがソフィア様で良かったよな!」
街のどこかで、そんな話が聞こえてくる。かつては婚姻を批判していたひとりの男は、今ではすっかり王妃に賛同している。
「それに、陛下も何だか、前より柔らかくなったように見えるよな」
「ああ、ちょっと分かる。やっぱ恋すると優しくなるのか? なんてな」
「馬鹿、声が大きいわよ。陛下がいらっしゃったらどうするの」
実のところ、グレイヴァルト自身の振る舞いはさして変わっていない。ただ、ソフィアへの対応や結婚式での言葉、何よりもソフィア自身が惜しげもなく彼への愛情を表現していることが影響して、民から王への印象は徐々に軟化していた。
その変化を好意的に受け止める民は多い。否定的な者も存在はしているが、今のところ王の絶対性を揺るがすほどではない。
――そして。
(ソフィアさんは、この国に上手く馴染んでいる。まだ油断はできないけど、思っていたよりもずっと早い。これも人徳ってやつかな)
王城の一室、山猫の青年はひとり物思いにふける。
(グレンはもう、一人じゃない。対等に見守ってくれる人がいる。まあ、色々と気を揉んだ甲斐はあったみたいだ)
あやうく婚約破棄までするところだった事を思い出して、軽く苦笑する。幼なじみに恋愛経験がないことはよく知っていたが、あそこまでの不器用さを発揮するとは思わなかった、と。
それでも、二人は上手く想いを繋ぎ、こうして結ばれた。それは友として、とても喜ばしいことだった。
それと同時に、沸き上がる考えもひとつ。
ゼルニスは少しだけ寂しそうな笑みを浮かべ、思った。
(これで僕も、あいつの幼なじみとしての役目は終わり、かな)




