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より良き未来を掴むために

「グレン。私、本格的に理術を学びたいです」


 突然の願いに、グレイヴァルトはせわしなく耳と尾を動かした。これは、困惑している時の仕草である。


 理力は誰もが多少なりとも持つもので、日常生活レベルの理術であれば、ソフィアも多く活用している。王の知る限り、彼女が使う理術は、一般人が扱うものよりも優れている。そして、何よりも。


「また随分と急だな……ソフィアは、治癒の理術をもう使えるだろう?」


 初めて出逢った時、自分を治療してくれたのも彼女の理術である。そこまでやれるだけで、戦いに関わらない者としては十分だ。だが、ソフィアは首を横に振った。


「確かに簡単な治療はできるのですが、基礎だけですから。さらに幅広い理術を使えるようにしたいのです。己の身を守れるような理術も、使えるようになりたいと思いました」


「……それは。まさか、戦いに使うような攻撃の術を学びたい、と?」


「攻撃に限りませんがね。それもまた、必要だと考えています。治癒術も高めたいですし、やれることは色々と身に付けていきたいです」


 ソフィアは誰かを傷付けるような行動を嫌う女性だ。そんな彼女の発言に、いよいよグレイヴァルトは本格的に混乱していた。彼女を、戦いに関わらせたくなどないからだ。


「お前には護衛も、俺もいるだろう。無理に戦う術など身に付けなくてもいいんだぞ。ロヴィオンと話して、何かあったのか?」


「本当は、前からずっと考えていました。先に言うと、決してあなたやロヴィオン達を信じていないわけではないですよ?」


 さすがにグレイヴァルトが渋るだろうことは、ソフィアにも分かっていた。彼女自身が、己が戦いに向かないことをよく知っている。だから考えるだけで行動に移してはいなかったが、それでは駄目だ、と今日の会話で思った。


「ですが、あなた達が守ってくれるから、自分は何もできなくていい……というのは、別の話でしょう? 私を狙う誰かがいるのならば、なおのこと……私だって噛みつく牙を持っているのだ、と見せることには、意味があるはずです」


「む……」


 ロヴィオンの語った、威嚇こそが重要という話。何の力も持たない人間の女性、と思われることもまた、狙われやすい状況を作るだろう。グレイヴァルトが唸ったのは、それが事実だと納得してしまったからだ。


「もちろん、学んですぐに何かができるとは思っていません。例えば、誰かを攻撃するのなど躊躇ってしまうでしょう。でも、選べる手段をひとつでも増やせば、それが道を拓く事があるかもしれませんから」


「……確かに、多くの手段を持つことは、悪い話ではないが……同時に、手段を得たものは無茶をしがちだからな。お前ならば、なおのこと……無茶はしないと、誓えるのか?」


「それは……迷惑をかけては本末転倒ですから、善処はします」


「断言してくれないか……?」


「ごめんなさい。でも、嘘の誓いはできませんから。私は、たぶん無茶をします。でも、その時には……手段が無くても同じことをしてしまうでしょう」


 本格的に王は呻いた。それこそ彼女は、武装した集団を前に、前に出て説教を始めたことが2回もある。手段を持とうと持つまいと同じならば、持たせた方が安全ではないか。しかし、やはり妻にそういうことをさせるのは気が引ける。

 そうしてグレイヴァルトが結論を出せずにいると、ソフィアは真剣な顔で言葉を続けた。


「……後悔したくないんです。もしも、あなたや皆に危機が迫った時、私だけが何もできなかったら。そんなことには、したくないのです」


「…………!」


「そのもしもは、決して低い確率ではない。私だって、分かっています。私たちは、大きな渦の中心にいるのだと。だからこそ私は、ひとつでも自分の力でできることを増やしたいのです」


 最初から、理解はしていた。変化には危険を伴い、これからも数多くの困難が待ち受けている。その時に、自分はただ守られるだけでいいのか。最初から荒事は全て投げ出して諦めるべきなのか。それは嫌だと思ったのだ。


「心配をするのは分かります。ですが、お願いします。私は……ただ守られるだけには、なりたくありませんから」


「………………」


 しばらく、沈黙が続いた。それを破ったのは、グレイヴァルトの深々とした溜め息だった。


「……今、エルマに任せている仕事が一段落したら……彼女を呼ぼう。誰かに教えるのは、彼女が向いているからな」


 少しだけ、理解が及ぶのに間が空いた。そうして、王の許可が出たと分かった瞬間、ソフィアはぱっと笑顔を浮かべた。


「ありがとうございます! 正直、あなたにはしばらく反対されると思っていましたが……」


「そのつもりだったがな。……力がなく、何も成せず、後悔する。その痛みは……俺も、よく知っているから」


「あ……」


 実母を失った時。まだ少年だった自分は、待っているだけだった。自分にもっと力があれば、母は死なずに済んだのではないか。それから先も、力が足りずに後悔したことなど数え切れなかった。

 後悔は、どれだけ詮無きことだと理解しても、消えることはない。だから彼女にその痛みを味わわせたくはないと、そう思ったのが最後の決め手だ。


「……なに。お前に無茶の必要がないように、俺もやれることをやろう。だから、ソフィア。……頑張れよ」


「……はい! 私は必ず、教えをものにして……いつか、あなたの力になってみせますから!」


 グレイヴァルトは、そんな妻の姿に思う。

 閉じていた月獣の世界は変わっていく。人間の世界すら、少しずつ変えているのかもしれない。皆が、進むための道を考えている。

 変化がもたらすものは、必ずしも良いものだけではないだろう。それでも、彼女の前向きな姿は、きっと多くの者を広い世界に連れて行ってくれると。そして誰よりも、グレイヴァルト自身を。


(……いつか力に、ではないさ。お前のそういう姿が、いつだって……俺に力をくれるんだ)










「そう言えばソフィアは、いま使える術は誰かに習ったのか?」


「基礎は王族としての教育の中で学びましたが、治癒術はリーゼロッテに習いました。前にも名前を出しましたが、覚えていますか?」


「俺たちの式を投影する時、ソルファリアで中心になってくれた人物、だったな。〈赤の魔女〉という異名があると聞いたが」


「ええ。彼女には、短い期間ですがお世話になりました。理術に関しては、師と呼べるかもしれません」


 話題に挙がった名に、ソフィアは少し懐かしげに当時のことを思い浮かべた。






 数年前、ソルファリアにて。


「……上手く、いきませんね」


「ここまでにしましょうか。ソフィア様の適性は、おおよそ知れました」


 渋い顔で唸るソフィアに、傍らに控えた女性はそう告げた。この日、ソフィアは己の理術適性を知るために、彼女の指導を受けていた。


 長い黒髪を揺らす、赤いローブを纏った女。顔立ちは整っており、切れ長な目は気の強さを感じさせる。年齢はソフィアより一回り以上は上のはずだが、それを感じさせないほどに若々しく、スタイルも見事だ。成熟した魅力を備えた美女、と呼べるだろう。

 彼女の名は、リーゼロッテ。ソルファリアでも有数の理術師であり、その風貌や妖艶な雰囲気から〈赤の魔女〉とも呼ばれる人物だ。

 魔女と言っても、実力への賛辞から来る称号である。こうして王族から依頼を受けてソフィアへの理術指導を任されるほど、多くの人から尊敬を集める天才だ。


 ひととおりの試験を行った結果で見えた、ソフィアの適性。

 治癒は、かなりの才がある。守りや補助も多少は扱えそうだ。しかし、攻撃に関しては、本当にからっきしだった。


「理術とは意思の力です。その行いに抵抗があればあるほど、発動は難しくなる。ソフィア様は、誰かを攻撃するイメージが抱けないのではないですか?」


「……そうかもしれません。誰かを傷付ける瞬間を考えると、どうしても躊躇ってしまいまして」


「ふ。あたしは、あなたはそれで良いのだと思いますよ。王族としては、慈愛の心を持っているのは良いことではないでしょうか」


「そう言ってもらえると有り難いですが……荒事は誰かに任せきり、というのは、それこそ王族として情けなくも思えて」


「ふむ……ならば、意識の持ち方を変えてみることです。傷付けるためではなく、何かを成すため。それを見つけられれば、あなたの理力ならば可能でしょう」


 当時のソフィアには、難しい話だった。攻撃の術は、どうあれ攻撃に使うものだ。頭をひねっても、その意識まではなかなか変えられない。


「まずは得意を伸ばすことを勧めますよ。治癒の才を持つ者は少ないですからね。必ず、誰かを救うのに役立ってくれるでしょう」


「はい、そうします。……参考までに、リーゼロッテはどのような意識で理術を使っているのですか? あなたは本当に幅広く才があるでしょう」


「慣れもありますからね。今ではそこまで意識はしていません。ですが、言葉にするならば、そうですね……」


 しばし考えた後、リーゼロッテは笑った。大人の女性でありながら、その瞬間だけはどこか少女のように見えたのを、ソフィアは覚えている。


「理術は何だってできる。だから、あたしは何にだってなれる、でしょうか」








(……何にだってなれる、とは言いません。ですが、私にもやりたいことが見つかりましたよ、リーゼロッテ)


 ソフィアは、師の言葉を思う。今だって、誰かを傷付けるのは嫌だ。それでも今ならば、きっと様々な理術を使えるだろうという実感があった。


(私は、大切な人を、そして彼の夢を守りたい。ソルファリアも、ルナグレアも……みんなのために、よりよい未来を掴みたい。だから……何だって、身に付けてみせます!)


 未来への前向きな動機こそが、ソフィアには何より大事なことだった。

 事実として、彼女はここから才能を開花させ、エルマすら驚かせるほどの理術師に成長していくことになるが、それはもう少しだけ先の話だ。



 決意を新たに、広がり始めた世界をソフィアは歩む。グレイヴァルトと共に、よりよい未来を目指して。

 そして、それを妨げようとする障害はまだ、その身を静かに潜ませていた。



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