太陽の守護者たち
婚姻の儀からひと月ほどが経過したある日。
ルナグレア王城に設けられた訓練場で、二人の月獣が対峙していた。
一人は大柄な熊。褐色の毛並みにはいくつか傷痕が残り、戦いを生き延びてきたことが見て取れる。身長は2メートルをゆうに超え、その四肢は丸太のように太い。体格だけならば、グレイヴァルトに勝るとも劣らないだろう。携えた槍もまた巨大で、突きは元より、ただ振り回すだけで敵をなぎ倒してしまえそうだ。
もう一人は、狼の青年。毛並みは漆黒で、やや長く伸ばした髪を後ろで結んでいる。こちらも身長は190センチ近く、細身ながらも引き締まった肉体はよく鍛えられている。一方で、どことなく顔立ちには若さが見て取れた。腰には片手で扱える大きさの剣が下げられているが、それ以外は軽装だ。
両者が並ぶと、人間から見ればかなり大柄なはずの黒狼も小さく見える。だが、その目は静かに相手を見据えており、恐れの色はない。一方の熊も、慢心の様子はなく、目の前の相手と向かい合っている。
彼らを見守るのは、グレイヴァルトとゼルニス、それからソフィア。他にも、八名ほどの戦士たちが観戦している。二人の持つ武器は鍛錬用で、これから行われるのはあくまでも試合。しかし、戦いを見慣れないソフィアは、少し心配そうだ。
「両者、構え」
ゼルニスの声に、熊は槍を構え、狼も剣を抜いた。数秒だけ、辺りの空気は静寂に満ちる。
「――始め!」
そして、それを砕く号令と共に、火蓋は落とされた。
開始と共に動いたのは熊。一気に突撃し、鋭い刺突を放つ。その一撃は、並の相手ならばこの一瞬で決まってしまうだろう熟練の突きだった。
だが、黒狼は冷静に身体をひねり、最小限の動きでそれを回避した。熊もそれは想定済みだったのか、そのまま槍を振り回す。狼は素早くその上を飛び越えると、さらなる追撃を防ぐため柄を踏むように蹴り飛ばす。
熊の側も、それでは乱れない。その剛力で押し返すように振り上げ、相手のバランスを崩すことを狙う。黒狼は大きく後方に跳びつつ、即座に放たれた追撃の突きを剣で受け流した。
開幕の打ち合い、僅か数秒。だが、一連の流れにソフィアは息を呑む。月獣の身体能力の高さは知っていたが、全力の戦いを見たのは始めてだ。こうして一流の戦士たちが鎬を削る様は、まるで完成された舞踏のようでもあった。
簡単に決まらなかったことに舌打ちしつつ、熊はそのまま猛攻を繰り広げる。槍の優れたリーチを活かせる距離を保ちながら、突き、払い、息をもつかせぬ勢いで怒涛の乱舞を見せた。
力任せに振り回しているようにも見えるが、その動きにほとんど無駄はない。彼の技量は確かなものだった。
だが、勝負はなかなか決まらなかった。理由は単純、相手の技量もまた、確かなものだからだ。
狼の青年は、そのまましばらく回避に専念していた。おおよそ一分ほどの乱舞の最中、しびれを切らしたか疲労したか、僅かに熊の槍が隙を見せる。その瞬間、狼は地面を蹴った。
「くっ!?」
熊とてすぐさま迎撃に移ろうとする。だが、追い払おうと振るわれる槍を、狼の剣が力強く撃ち抜いた。柄を強かに弾かれて、槍が宙を舞い、遠く転がっていく。
熊はバランスを崩しながらも、なんとか素手での格闘で迎え撃とうとする。この状況でその判断ができただけ上出来だろう。だが、そこに生じた時間は、もはや覆せないものだった。
「ごっ」
熊は、強烈な痛みと共に、世界が揺れるのを感じた。全身に力が入らなくなり、背中から倒れる。痛みと、視界に映る天井で、顎を蹴り上げられたことを遅れて理解する。
そして、彼の喉元には、狼の剣がしっかりと突きつけられていた。模擬戦であると分かっていても、背筋がぞくりとする。本当ならば死んでいた、という理解。敗北を、嫌でも実感してしまった。
「そこまで。勝負ありです」
ゼルニスの宣言に、続いてソフィアが健闘を拍手で称えた。戦いが終わり、場に満ちた緊張が解ける。遅れて、他の戦士たちからも歓声が上がった。
熊は荒い呼吸を整えながら、何とか上体を起こす。悔しさを滲ませながらも、全てを出し切っての敗北だからか、不満はなさそうだ。
「参った……さすがだな、ロヴィオン。完敗だよ」
「いや。あなたの槍も、なかなか隙が見付からなかった。一歩違えば負けていただろう。立てるか?」
「少しクラクラするが、そこまでヤワじゃないさ。……ま、お前の下なら、オレも文句はない。これから頼むぞ、隊長どの?」
「当然、おれの出来る全てで応えさせてもらう。もしも至らないと思えば、遠慮なく指摘してくれ」
「ははっ……本当に生真面目なやつだ。心配するな、お前に全部任せきりにはしない。みんなで、一緒にやっていくとしよう」
ロヴィオンと呼ばれた狼が手を伸ばし、それを掴んで熊は起き上がった。そんな二人のやり取りを聞きながら、グレイヴァルトは内心で安堵する。彼らならば、これから与える役割を果たしてくれるだろうと。
「双方、良い試合であったぞ」
「素晴らしかったです、二人とも!」
「はっ。有難きお言葉でございます」
歩み寄ったグレイヴァルトとソフィアに、二人は跪く。そして、ゼルニスの号令により、他の戦士たちも集まってきた。
「正式な任命は後ほど執り行う。だが、まずは一言、改めてになるが送らせてもらおう」
今の試合は、単なる鍛錬ではない。王たちが観戦していたのは、彼らがこの国にとって大きな意味を持つ人物になるからだ。
「よくぞ、我が妻の護衛として集ってくれた。これからの働きに、期待しているぞ」
ソフィアの護衛部隊の編成は、かねてから準備が進んでいた。
王が正式に迎え入れた伴侶。大半の者はそれで踏みとどまるだろうが、過激な者はいつの世にも現れるものだ。ましてや、森での襲撃事件で、黒い影が見え隠れもしている。無防備にするわけにもいかなかった。
婚姻の儀まではグレイヴァルトが同行した時のみ外に出ていたが、これからルナグレアで生きる以上、常に彼がそばにいるわけにはいかない。
ゼルニスやエルマのような信頼できる相手に任せるとしても、彼らも多忙だ。
ならばこそ、彼女専属の護衛をつけることは必然の話だった。
とは言え、選抜には慎重になる必要もあった。実力は元より、人間の護衛を行うことに反感を持たない月獣でなければならない。反意を隠して接近してくる可能性も考慮すれば、その時点で大半がふるいにかけられた。
残ったのは案の定、若い世代が中心だった。先程の熊が最年長だが、それでも23歳だ。だが、そのぶん皆が活力に満ち、王の目から見ても精鋭と呼べる逸材たちだった。若さゆえに、人間の王妃という変化を柔軟に受け入れてもいる。
そうして残った者の中から、さらに厳密な審査を行うこと数週間。選ばれた十名の中から、隊長を選ぶための試合が先ほどの戦いだ。
「あの二人の推薦ならば間違いないとは思っていたが、本当に頭ひとつ抜けていたな。実に良い戦士だ」
ソフィアと共に部屋に戻ってから、グレイヴァルトは機嫌良さそうに所感を述べる。その対象は、勝者となった黒狼についてだ。
「私は圧倒されるばかりでした。でも、彼が一番若いのですよね?」
「18歳だからな。ソフィアより歳下なのは彼だけだ。しかし、以前にバルザークが息子を自慢していたのも、親の贔屓目ではなかったようだな」
ロヴィオン・シデレウス。彼は、爪角の大族長からの推薦、そして知人であったゼルニスのお墨付きを受けて、この護衛部隊に選び出された人物だ。
彼らの他者を見る目は確かだ。知り合いだからという甘い理由で推薦はしない。その時点で実力も人格も申し分ないという信頼はあったが、実力については期待をさらに上回る逸材だった。
そして、彼については特筆すべき点がもう一つ。
それは、他ならない彼の父が、大族長の一人――戦士の集う部族〈爪角〉の頂点たる武人、バルザーク・シデレウスであることだ。
父親直々の推薦。だが、それを七光りと揶揄する者はいないだろう。彼の実力は、自らの手ではっきりと示されたのだから。
「バルザーク様、ですか……私はまだ、お会いしたことがありませんが」
「彼には北の守りを任せているからな。あちらではまだ、頻繁に小競り合いが続いている。しばらくは戻ってこれないだろう」
北方の国境は、多くの小国家と隣接している。ソルファリアと異なり、彼らは月獣の国を危険視し、排除しようとする動きが強いのだ。ゆえに、王の挙式にもバルザークは参列できなかった。今は彼がその場にいることが牽制に必要だからだ。
「とはいえ、俺たちの婚姻によりソルファリアとの同盟が強固になってからは、勢いも落ちてきている。まだ油断はできないがな」
「少しずつでも、良い流れになっているならば望ましいですが……では、お会いできるのはまだ先になりそうですね」
「そうだな。不可侵条約が結べ次第に、帰ってこさせるつもりだ。……さて、まずは当面の話だな。護衛部隊は、最初は試験運用になる。お前の視点で気付いた面があれば、意見を挙げてくれ」
「分かりました。私のために頑張っていただくのですから、今後のためにもしっかり考えていきますね。ふふ、守られることが無駄にならないように、王妃としての役目も果たしてみせますよ!」
「……張り切っているな。頼もしいが、無理はしないようにな」
ソフィアが張り切るのも無理はない。今までは、王のために動くにも、王の助けが必要だった。これでようやく率先して動き、グレイヴァルトの負担を減らしていくことができるのだから。
護衛に無理をさせるつもりもないが、やれることが増えたのは嬉しかった。自分に果たせる役目はいくらでもあるはずだ、まずはそれを探していこう、と彼女は前向きに護衛の存在を歓迎していた。
だが。護衛の運用は、最初から問題なしとはならなかった。皆の想像とは異なる形で、だったが。
「生真面目な男ですから、最初は堅苦しく映るかもしれませんが、穏やかで努力家な、信頼できる青年です。必ずや、ソフィア様の心強い味方となるでしょう」
実際に活動を始める前、ゼルニスはソフィアにそんなロヴィオンの評価を伝えていた。そして彼女も、それが正しいことをすぐに理解した。――様々な意味で。
「ロヴィオン?」
「は。如何いたしましたか、王妃様」
「そう固くならずとも良いのですよ。ソフィアと呼んで構いません」
「いいえ。おれは、あなたの従者でございます。そのような畏れ多い事はいたしません」
「…………」
「ロヴィオン、そろそろお昼を食べましょうか。何が食べたいですか?」
「いえ。おれは気になさらず、ご自由にお召し上がりください。毒見はさせていただきますが」
「え? でも、あなたもお腹は空いているでしょう?」
「食事中を狙う輩がいないとも限りませんので」
「……そうかもしれませんが。そうだ、食べないと力も入らないでしょう?」
「おれは月獣ですから、一日の絶食程度は大した話ではありません。剣は鈍りませんので、ご安心ください」
「………………」
「お休みなさいませ、王妃様」
「……護衛の皆様は、夜間の部屋番も担当していましたよね?」
「ええ。御身に危害は決して加えさせませんので、心置きなくお眠りください」
「いえ、そこではなく、ロヴィオン……あなた、ちゃんと寝ているのですか? 他の方は交代していますが、あなたはずっと私の側にいるでしょう」
「おれは、隊長ですので。ご心配なく、交代で軽く仮眠は取っております」
「軽く仮眠、では足りないでしょう。これから、ずっとその生活を続けるつもりですか? 身体を壊してしまいますよ」
「それが、おれの役割ですから。それに月獣は、この程度で倒れることはございません」
「……………………」
「……と、いう感じなのです」
「なるほどな……」
ロヴィオンが護衛となってから1週間。最初は様子を見ていたソフィアだったが、さすがに問題だろうとグレイヴァルトに相談を持ちかける。




