夫婦であること
「………………」
離宮に到着した後、まずは彼女を休ませる――という体裁で、グレイヴァルトはソフィアと寝室で二人きりになる。
しばし、彼は何も言わなかった。だが、やがて堪えきれなくなったように、ソフィアを抱き寄せる。
「本当に、肝が冷えた。戦場で死を覚悟した時よりも、よほど」
優しく抱く腕に、少し力がこもった。そうしないと彼女を守れないような、そんな焦燥感があった。
「あまり、危険な真似をしないでくれ。お前に何かあれば、俺は……」
「……心配をかけてごめんなさい。だけど、あそこで言葉を飲み込んでしまったら……私はもう二度と、あなたへの愛に胸を張れないと思った。それは、どうしても嫌だったんです」
場を凌ぐために口車を合わせるだけならば、簡単なのだろう。それでも、彼女は思うのだ。本当に大切なことは、言葉だけであろうと曲げてはいけないと。
「お前の気持ちは嬉しい。それでも、お前には安全を優先してほしいんだ。命とは……呆気なく、失われてしまうものだから」
彼が今までに見てきた死の数は、数えきれない。あれほど強かった実の両親も、あれほど逞しかった育ての母も、数多の戦友たちも。みんな、一瞬でいなくなってしまった。そのたびに、耐えがたい痛みを味わってきた。もしもソフィアを失えば、その苦しみは想像もしたくない。
「あなたの言うとおり、なのでしょう。……私には、力がありません。きっと、ひとつ間違えるだけで、容易く終わりを迎えてしまいます」
「ならば……」
「それでも……私は、あなたの背中に隠れているだけのつもりなどありません」
真っ直ぐにグレイヴァルトを見て、ソフィアは告げる。
それは、いつも通りの穏やかな口調。だが、王はその中に、とても強い意思を感じ取った。
「あの時に言ってくれましたよね、グレン。私が月獣の方々に受け入れられる国を、あなたが作ればいい、と」
「ああ……確かに言ったが」
「あれは、とても嬉しい言葉でした。ですが、それでは駄目だと思ったんです」
「……どういう、意味だ?」
「だって、それでは……私は何もしていません」
心配しなくていい、任せてくれと、彼は言った。しかし、それはまるで、背中で守る幼子に向けられたものであるように、ソフィアは感じたのだ。
グレイヴァルトは、男として、強い種族として、か弱い人間の女は自分が守るべきであると思っている。何の疑問も持たずに――ソフィアがそれを望むかなど考えもせずに、そうしてきた。
「私は、あなたを支えたい。あなたが作ってくれたものに頼るだけの妻になど、なりたくない」
余計なことをすれば迷惑をかけるのではないか。そう考え、悩みもした。だが、ひとりで戦い続ける夫を見ているだけなのは違うと、改めて思ったのだ。
「人間も月獣も、誰もが受け入れられるような国。あなたが私の祖国を、ゆっくりと巡ることができるような世界。私は、あなたと共にそれを作りたいと、変えていきたいと、そう願ったのです」
グレイヴァルトは、喜んでソフィアのために己の身を尽くすだろう。だが、彼女が望んだのは、彼の助けになることであって、大事な硝子細工のように扱われることではない。
「それに、そんな頼りきりで、どうして月獣の方々に受け入れられるでしょうか? 最後に私の評価を変えるのは、私自身の手でなければならない。……そうでしょう? かつて、あなたのお母様がそうしてきたように」
「…………!」
エルマとの会話を思い出す。同じことができると自惚れるわけではないが、自分を認めさせられるのは、自分だけなのだ。
そして、彼女は確かに、グレイヴァルトのことを頼む、とソフィアに託した。その思いに応えたいと、心から思った。
「夢物語と笑われても、あなたと一緒なら私は目指せる。目指したいのです。だから、私はあなたの後ろにいるだけなど、嫌です。私は、あなたの隣で、あなたと共に歩んでいきたいのです!」
ソフィアが初めてグレイヴァルトに告げた、彼女自身の願い。
王はしばしの間、目を見開いていた。ソフィアの言葉のひとつひとつが、彼の考えもしていなかったことである。
それを、順番に飲み込んでいく。
そうして、彼はやがて、力なく尾を落とした。
「そうか、俺は……また、お前の心を確かめていなかったんだな」
気付いてしまえば、心底情けなくなった。想いがすれ違い、改めようとしていたのはつい先日の話。それにも関わらず、この体たらくだ。
この結婚式について、一度でも彼女に頼ろうとしただろうか。全てを自分だけで片付けようとしなかっただろうか。その問いへの答えが、後悔になる。
結局は、自己満足だった。この前は後ろを向きすぎたが、今回は前を向きすぎた。ソフィアの道を拓くのだと突き進み、肝心の彼女を置き去りにしてしまった。振り返り、彼女の顔を見るべきだったのだ。
「顔を上げてください。私もまた、はっきり思いを伝えられなかったのは同じなのですから。今回もお互い様、だと思います」
後悔があるのは、ソフィアも同じだ。待ってくれと声を上げれば、彼は気付いてくれただろう。それなのに、言葉にせずにその背中を見守ってしまったのだから。
「きっと、これからも間違えることはいくつもあります。だから……その時は許し合うことにしませんか? そうして少しずつ進んでいければ、それで良いのだと私は思うのです」
大切に思うからこそのすれ違い。心を伝えるのは、いつだって難しい。それでも、それに気付けたのならば、許し、正せばいい。
だから、グレイヴァルトは顔を上げた。自分が沈み続けることこそ、ただの我が儘だと、そう思ったから。
「さて! では、切り替えていくとしましょう。明日は良いものにしましょうね、グレン」
「……ああ。そうだな」
反省をしたならば、やるべきは立ち止まることではない。これからの挽回だ。ましてや、今から待ち受けるのは彼女にとって、否、二人にとって一生に一度の晴れ舞台だ。
「ありがとう……ソフィア」
様々な思いを込めたその一言に、彼女はただ優しく微笑んだ。




