第二幕(二)
それから数日の間、任務のない日が続いていた。その間、私の頭を巡っていたのは、先日の殲滅戦で見た少女の事だ。どうしても心の何処かに引っ掛かかり、胸がざわつく。この感覚の正体は何なのか。日が暮れ暗くなった寝室のベッドに腰掛け、私はひとり考えを巡らせていた。
彼女は褐色の民の中で既に暴力の餌食になっていた。本人は自分の身に起きている事を正しく理解できていなかっただろう。周りに彼女を救おうとする大人も何故か居なかった。だから身重になり、命を落とした。彼女が死んだ事そのものよりも、生前置かれていたであろう環境に悍ましさを覚える。誰からも何も教えられず護られず、無知で無力なまま小さな身体に子を植え付けられ、孤独を抱えて死んだのだ。そう思うと胸が潰れる思いだった。
「酷い目に遭ったわね」
そう慰めてやりたい自分が居る。この感情――昔、私を慰めてくれた女の研究員を思い出した。あの女も今の私と同じような気持ちだったのだろうか。そう思うと私は彼女に恩を仇で返した悪い子だったなと今更ながら反省する。けれど私も、仮に今の若い子が私の押し付けがましい助言に歯向かってきたならば、その威勢の良さを称えたくなる気もする。頼もしく、未来は明るいと。だから彼女もあの時、腕を切り落とされてもなお「それでいい」なんて言ったのだろうか。年月を経て初めてわかる事もあるものだ、と私はひとり苦笑した。
しかしそれにしても、あの少女の事がこうも引っ掛かるのは何故なのだろう。本来なら敵対している民族の事、放っておけばいい筈なのだが、どういうわけか看過できない、義憤にも似た感情が湧き起こってしまうのだ。
「貴女に罪は無かった」
そう言ってやりたい。貴女に罪は無かった、なのに貴女に罰が下った。それが許せないのだ。どうしてこんな感情を抱いてしまうのか、その理由がわからずずっと堂々巡りしていたが、数日間考えてようやく導き出した私なりの答えは気づいてしまえば意外にも簡潔で、多分、同性だからという事だった。
生物的な共感は民族の違いを越える。
そう悟った時、私は変わった。私は自分の力を、まだ無知で無力な少女たちを護る為に使いたいと思い始めたのだ。彼女たちを護り、教え、強くしてやりたい。悲惨な状況下で害を被るばかりでなく、戦略的に思考し必要とあらば他者を殺せるほどに。己の非力さにつけ込んできた奴を返り討ちにする為の策略を自ら立てられるほどに。この思いは B.B. にも指揮官にも理解できないだろう。生物的に違う彼等には共感も理解もできない事柄だ。
「これは、隊への裏切りになるのだろうな」
いつの間にか陽が沈み切った暗闇の中で、私はひとり呟いた。思いがけず寂しい気持ちになる。
するとその時、指揮官からの無線連絡が入った。心臓が跳ね上がる。しかし当然ながら指揮官の声音はいつも通りだった。
「夜分遅くにすまない。明日の深夜、或る施設を落としたい。此の町から北北西に 約25km 進んだ所に小さな町がある。詳細は明日の同時刻に通信を入れるから、それ迄に町に入ってくれ」
私は無意識に呼吸を止め、その指示を聞いていた。一方的な通信が終わり、深い溜息を吐き出す。嫌な汗をかいた。いつもなら指揮官の通信に返事をする事など無いのだが、此度は自分に言い聞かせなければ身体が動かない気がしたので、
「了解した」
と静かに答えた。
実は B.B. にも同じ指示が出ていたらしい。翌朝、私が徒歩でのらりくらりと向かっているところを彼が車で拾ってくれた。こういう気が回るところがやはり意外と常識人なのである。彼に言わせれば、どうせまた無謀な事をしているのだろう、と思ったらしかった。作戦開始は深夜なのだから、別に徒歩でも朝から向かえば時間は十分にあると思ったのだが。
車高が低く窓の抜かれたボロい車で、建物の陰を這うように走る。周囲は半壊した建物や瓦礫の山で埋め尽くされ、とてもではないが真っ直ぐに走る事などできない。この辺りもかつては我々白の民と褐色の民とが共生していた地だが、今は双方撤退しゴーストタウンと化していた。
スピードを出し過ぎて粉塵が目立ってもいけないのでどの道ゆるゆると進むしかないのだが、このスムーズにいかない感じが妙に私の心を宥めてくれる。拒めないとは知りつつも、戦地へ向かうのを先送りにしたい気分になっていたのだ。歩き疲れて仕事が不出来になればいいとさえ思っていたかもしれない。B.B. がそれなりに真面目に運転している横で私は窓枠に片肘をつき、そんな気怠い憂鬱に浸っていた。お互い、殆ど無言であった。
それでもさすが車なだけあって、昼前には対象の町付近まで来た。此処から町の最南端まで目測でおよそ2km。此れより先は建物の風化が激しく、瓦礫と砂塵で埋め尽くされた灰色の平野と言ってよかったため、日中に行動すれば目立つものと思われた。対象の町はその平野にぽつんと島のように建っている。高く聳える通信鉄塔を中心に半径およそ 7、800m ほどに渡って背の低い建物が建ち並ぶ小さな町で、通信鉄塔に見張りを付ければ天然の要塞と言えなくもないな――と思ったところで、この景色、以前にも見たなと思い出す。あれは確か2年前だったと思うが、一人でこの町を落とした経験があるのだ。あの時は確かに住人を殲滅した。逃げる者は追わなかったら、その時の住人が戻ってきたのだろうか。
そんな事を思いながら、私達は適当な廃ビルの中に身を潜め、指揮官からの通信を待つ事にした。昨日の同時刻に通信を入れると言っていたから、まだ6時間は先だろう。4階建てのビルの3階、ガラスの抜けた大きな窓の両脇に分かれて私達は腰を下ろした。長机や椅子が散乱していたから、元は会議室だったのだろう。B.B. は携行食を軽く口に入れていた。そしてこの後、仮眠を取るのが彼の行動パターンだ。私は食物は夕刻に摂れれば充分なので、代わりにいつものハーブに火を点け、窓の陰から敵地を観察し始めた。この長い待機時間が私は嫌いではない。景色を眺めていると心も思考も整理され、無心に任務をこなす事ができる……気がするのだ。
B.B. はやがて室内の太い柱を背にして座り、両腕を組んで仮眠を取り始めた。その横顔を見ながら、こいつともいつまで共に居られるかわからないな……と思った時、彼は片目を開けて
「何だ」
と訊いてきた。
「いや、別に」
などと何とも中途半端な返答をしてしまった事が仇となり、彼は眉を顰めてますます追求するように無言で私を観察する。意外と勘のいいところが面倒臭い。咄嗟に嘘がつけるほどの器用さは持ち合わせていないので、仕方なく、考えていた事の根幹は隠蔽して枝葉の部分を口にする。
「Azaya が死んだあの日以降、よく思う事がある。戦争を決定するのは上層部だが、実際に命を落とすのは常に我々無名の兵士であり、無力な民草だ」
B.B. は表情を変えずに聞いている。反論してこないので、私は続ける。
「指揮官は我々を煽り鼓舞するが、指揮官自身は手を汚す事はない。戦場を見る事もない。仮に敗勢になったとしても側近に護衛され、行方を晦ますだろう。そういう身分の人だ」
B.B. はもうこちらを見ておらず、自分の常用しているハーブに火を点けていた。そして呟く。
「お前は変わったな。指揮官に惚れていたんじゃなかったのか」
そう言われた時、何故だか胸を突かれたような痛みを覚えた。即座に反論がよぎる。私は指揮官の音楽に惚れていただけで、指揮官に惚れていたわけではない――そう言いたいが、言い切る自信が無かった。それを彼に見抜かれていた事が妙に癇に障った。いや、ただバツが悪いのを八つ当たりしているだけかもしれない。
私は黙って彼を睨みつけたが、彼は意にも介さず煙を吐き出しながら、
「俺は指揮官を信じている」
と言った。意外にも澄んだ目をしていた。そんな目の奴にこれ以上話す気にはなれないので、
「そうか」
とだけ応えた。それ以降は特に何も話さなかった。話さなかったが、私にも気づいた事がある。
現状に疑問を持つような発言をしても私の胸ぐらを掴まなくなったお前も、変わったのだ。




