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終幕

あれから2年。

私は今、この天然の要塞のような町で、中心に建つ鉄塔の上部から周囲を監視していた。通信設備は破壊したから、今や此処は通信塔とは呼べない単なる鉄塔であり、そして BlueBird の墓標でもある。彼はこの塔の真下に埋葬したのだ。私の手で。

今、私の手元には彼の双腕だけが残っている。この双腕は、いつか私の腕が損壊してしまった時の予備として大切に整備している。この腕を見ていると時々彼の姿が見えるようで、今でも胸が締め付けられるように苦しくなる事がある。私は彼を好いたつもりはなかったが、いつの間にか愛してしまっていたのかもしれない。彼の腕が今更とても愛おしく感じるし、この身体に触れる者が居ない事を、今更とても寂しく感じる。

指揮官は私を始末するために隊の誰かを寄越すかと思ったが、意外にも誰も来なかった。5人の隊から急に2人も居なくなったのだから、人員が用意できなかったのかもしれない。私もどんな音を拾うかわからないのでこの町から出る気にはならなかったし、向こうもわざわざ殺されるリスクを負ってまで人を送る必要もないと判断されたのかもしれない。当然隊からの支給は絶たれたので、かつて常用していたハーブを手に入れるのも一苦労になり、吸う本数は自然と減った。ただ相変わらず景色を眺めているのは好きで、監視役は向いているな、などと思ってると、

「Rainy 姉さぁーん!」

40m ほど下の地上から頑張って私を呼ぶ元気な少女の声が聞こえる。彼女はあの病院跡で出産していた少女で、当時は身体も小さく本当に可哀想な子だったが、今は思いの外ふくよかに成長していた。彼女に気に入られるような事をした覚えはないが、彼女は私を「姉さん」と呼んで慕ってくれる。Rainy というのは私の本名だ。恵の、雨――という意図で両親が名付けてくれたなら嬉しい。


私が鉄塔の階段を下まで降りると、彼女は息を弾ませ頬を紅潮させて、

「お菓子をたくさん焼いたんです。姉さんにも食べてもらおうと思って」

と言って手編みの籠から手のひらほどの大きさの焼き菓子を3つも4つも渡してくるものだから、

「ひとつでいいよ。他の皆にも配るんだろう?君のように膨れたくもないしな」

などと言ってしまい、しまった、と思った。親しくなると煽るような会話をしてしまう癖がなかなか直らない。

彼女はふっくらした紅い頬を更に紅くし、可愛らしい声を精一杯(いか)らせて

「よくも言ってくれましたね」

と言ったかと思うと矢継ぎ早に

「姉さんはもっと食べないといけません。いざという時に体重負けしてしまいますっ。しかも姉さんいつ御飯食べてるんですか?いっつも塔の上にばかり居るし、一旦登ったらなかなか降りてこないし、ハーブばっかり吸って大したもの食べてないし、しかもハーブを採りに変な所まで遠出するじゃないですか。そんな腹の足しにもならないもののために誰も行ったことのないような所まで行って。変な電波を拾ったらおかしくなっちゃうんでしょう?帰ってこれなくなったらどうするんですか」

よく見ているな、と思い、私は思わず苦笑いをした。彼女の目がやや潤んでいる。私の言葉で傷ついたのと、私に対する心配が入り混じっているように思えた。

「ごめん、悪かった。軽口を叩く癖が直らないんだ……許してほしい」

そう言って私は、自分の額で彼女の額を撫でる。凶器の手で撫でるわけにはいかないので、いつもこうしているのだった。

彼女は、ふふっと気丈に笑って

「大丈夫ですよ、わかってます。じゃあお菓子は2つ持って行ってください。絶対、美味しいですからね。おかわり欲しかったらいつでも言ってくださいね」

そう言って手を振り、他の子たちへお菓子を配りに行った。逞しいなと思った。


私はお菓子を持って塔の上に戻り、さっそく1つを食べ始めた。私の知らないハーブが練り込まれているがこれは、ハーブを吸ってばかりいないでこれを食べなさい、という彼女の意図だろうか。水分の少ない焼き菓子で、齧りつくとほろほろと崩れ落ちる。何だか隊の携行食を思い出すな……と思ったが、これは間違っても言ってはならないのでさっさと頭の中から追い出した。

そうこうしていると、今度は例の病院跡で赤子を取り上げていたあの女が歩いているのが見える。彼女は意外にも私と思考が似ていて、言葉を交わす事は少ないが最も信頼している人間である。塔の通信設備を破壊し、自分の身とこの町の安全をある程度確保できたと思えた頃に、私の考えを最初に伝えた相手が彼女だった。

「私はこの町を閉鎖都市にしようと思う」

病院跡2階最奥の部屋に戻ってその話をした時、やはり彼女は疑念と敵意の入り混じった目で私を見た。私は、最終的には相手に判断を委ねるつもりで、高圧的にならぬよう彼女の前に跪き、凶器である両手の甲を床に付けて、真剣に誠実に話をした。

「この町には子供たちが避難していると聞いた。私は、まだ何も知らない子供たちを理不尽な暴力から護りたい。民族の違いなど関係なく。今、この町に居る者は誰であろうと私が護るし、この町に侵入する者は誰であろうと拒絶し排除する」

直前まで暴力で押さえ付けていた私に説得力など無い事は解っていた。しかし私は続けた。

「貴女の護りたい者が外に居るのならば、いずれは連れてきてほしい。私がこの場所で盾となる。そうやって私は、弱い者の味方になりたい」

いつの間にか私は涙を流していた。今思えばあれは懺悔のつもりだったのかもしれない。

彼女が私をなじるなら甘んじて受けるつもりだった。蹴られようとも踏み躙られようとも、貴女の気が済むならそれでいい。それでも私は死ぬまで訴え続ける覚悟でいたが、彼女はそんな野蛮な事をすることはなく、長い沈黙の後、真偽を見極めようとする目で「貴女を信じる」と答えた。それは恒久的にというわけではなく、どの道頼れる人など居ないのだから一旦は信じる、という意図だと思われた。だがそれで十分だった。

後で聞いたところによると、頭も身体もボロボロに傷つき、得体の知れない液体でドロドロに汚れたまま跪く姿を見て、信じてみる気になったらしい。


だからこの町は、彼女からの紹介なしには誰であろうと入る事はできないし、むやみに近づいてきた人間は私が検問する事にしている。その為に私は毎日塔の上で監視をしているのだ。周りは平野だから人影はよく見えるし、そもそもこんな孤立した町にわざわざ来る人間など如何わしいに決まっているから判り易くてよい。

彼女は時間をかけて、何処かで生き残っていた子供や赤子と、その世話をし教育をする信頼できる大人、我々と思いを同じくする大人を少しずつ連れてきている。

子供たちがいずれ成人し、この町から出たくなれば勿論、然るべき手続きの上、出ればよい。閉鎖都市とは言ったが、出る事は基本的には制限しない。ただ安易に戻る事はできない。この町から出られる者は、既に護られるべき存在ではなくなっているからだ。この町は護られるべき者のみ受け入れる。そういう思想で私達は今、この町を運営している。


私も時々子供たちに話をする事があるが、私が教える事は残念ながら暴力の話だ。10歳を超えたあたりの子供にはこういう話をする。

まずは自分の弱さを知れ。自分より強い者は誰であろうと警戒しろ。自分より弱い者を力で捩じ伏せる事は卑劣だと知れ。そして自分が卑劣な行為を受けたならば、容赦なく相手の急所を抉れ。その時は相手を人間だと思うな、悍ましい虫だと思って殺せ、と言って聞かせる。

この教えが良いとは言わない。しかし私が教えられる事はこれぐらいしかない。どうかこの子らに強くなってほしい。酷い暴力の餌食になってほしくない。そう願いを込めて、穏やかな陽光の下、子供たちと目線が合うよう地面に座り、声量をやや落として私は真剣に話をした。今はまだ4人しかいない適齢の子供たちは「素直に」私の話を聞いていた……わかっていないな。

「自分より強い者は『誰であろう』と警戒しろと言っただろう?私も警戒しろよ?もし私が君らに卑劣な行為をしたならばどうやって殺すかを真剣に考えて、作戦を隠し持っておけ」

挑発的にそう言うと子供たちの目の色が少し変わるのがわかった。戸惑う子もいれば、強い意志を持った目をする子もいる。皆それぞれ考えている事は違うだろうが、気付きをもたらす事はできた筈だ。そう思い、私は少し満足した。

しかし、真剣に考えておけばそれが通用するかというとそうではない。残酷な現実も伝えておかなければならない。私は意識的に眉を下げ、穏やかに諭すように先を続ける。

「だけどな、それでも予期せぬタイミングで不当に襲いかかってくるのが暴力なんだ。どんなに足掻いても歯が立たず死ぬ事もある。いつそんな日が来るか誰にもわからないのだから、今日を、今を大切にするんだ。毎日を愉しく後悔なく全力で生きてほしい」

まだ10歳そこそこの子供には私の話は大きく抽象的で、しかも詰め込み過ぎだろう。しかし私は多分、長く生きられるような人間ではない。たいして丈夫でもない身体を酷使してきたし、労わってもこなかった。だから今からできるだけ正確な言葉で伝えておきたい。今はまだ実感が伴わなくとも、言葉さえ記憶に残ればいずれは理解できる時が来ると信じて。できるだけ多くの思いを注ぐから、君らは自分に必要だと思うところを掬い取ってほしい。

「あとは……そうだな……私のような馬鹿は居ないと思うが、音楽は嗜む程度にしておけ。のめり込みすぎると簡単に身も心も奪われるからな」

私は自分の人生に苦笑しながら、最後にそう伝えておいた。



-- 閉幕 --


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