1話 鳴り響く足音
1話 鳴り響く足音
宮部新一は、賃貸の集合住宅の1階に住んでいたが2階の子供が歩く音が毎日響いてストレスになっていた。普通に歩く分には仕方ないが、明らかに跳び跳ねている。ドスンドスンとわざと跳ねているとしか思えない。昼間なら、まだ我慢出来るが夜中にそれをやられると流石にこたえる。管理会社に相談し、管理会社では2階の居住者全てに注意喚起のチラシを入れてくれたが、自分ではないと思っているのか、そもそも読んでいないのか、改善される事はなかった。チラシを見ていないにしても、戸建ての住宅ならともかく集合住宅のそれも2階で騒ぐなんて宮部には考えられなかった。何故、子供に注意しないのか、宮部は不思議で仕方なかった。子供を叱れないなら、そもそも2階ではなく1階に住めば良い。周りの人に気を遣う事が出来ないなら集合住宅に住むべきではない。宮部はそう思っていた。宮部は子供の頃、やはり集合住宅に住んでいたが、親から隣の人の迷惑になるから大きな音や奇声をあげないようにと散々言われ、その通りに静かにしていたものだった。友達と遊ぶのは昼間の学校の校庭とか公園だけ、そう決めていた。それで別に不満はなかったし、友達もみんなそうだった。
・・・それに、あの断末魔のような悲鳴はなんだろう? ・・・
2階の子供が度々発する奇声も意味不明だった。あんな声を上げる子供はいなかった。宮部にとって子供も親も理解不能だった。
・・・また、今日も激しいな ・・・
子供が走り回っている足音が響いている。時々、ドスンと大きな音がしてビクッとする。宮部は昨日ネットで見た噂を思い出していた。
4時21分9秒にその掲示板を開くと、特別な掲示板が開かれ、そこに願いを入力するとその願いが叶うというものだ。ただし、そこに嘘を書いた場合願いは当然願いは叶わず、逆に書いた本人に罰が与えられるという噂だった。
宮部はもう疲れきっていた。そんなネットに流れる根も葉もない噂だが試してみる気になっていた。腕時計で時間を確認する。宮部の腕時計は電波式で狂うことはほとんどないが、慎重を期すために一応時報で時刻を確認する。
・・・OK、大丈夫だ ・・・
腕時計は正確に時刻を表示していた。宮部は時刻ぴったりに噂の掲示板にアクセスする。そこには白い背景に入力フォームがあるだけの極普通の掲示板が映し出されていた。
・・・これが噂の掲示板? ・・・
宮部は拍子抜けしたが、掲示板をご利用の前にお読み下さいというリンクをクリックしてみる。そこには使用上の注意事項が記載されていた。
1、この掲示板に入力された願いは必ず叶います。取り消す事は出来ませんので御注意下さい。
2、具体的な事柄を御記入下さい。その行為が実行されたと判断された時、入力された願いが叶います。
3、但し、その行為が7日以内に実行されなかった場合、虚偽の入力と判断し入力された方に罰が与えられます。
たった3項目の簡単な注意事項だった。宮部が一つ気になったのは、7日以内に実行されなかった場合という記述だ。ほぼ毎日のように部屋で跳び跳ねている2階の住人だ。実行されないという事はないだろうが、1週間急に旅行にでも行かれたりしたら虚偽の入力と判断されてしまう。それは困るが一体誰がいつ何処でそれを判断するのだろうか。宮部は考えたが皆目見当がつかなかった。
・・・まあ、いいさ 常識的に考えてこんな掲示板が本物の訳がない でも、ここに書けば誰か見てくれる人もいるだろう そう思えば多少気が晴れる ・・・
宮部は2階の住人の足音や奇声が酷すぎる。こんな住人消し去って欲しいと掲示板に書き込んだ。すると、何故か気持ちもスッとし心が安らいだ。
・・・こんな事を書くだけで心が安らぐなんて、相当やられているんだな ・・・
宮部は改めて自分がどれだけストレスを抱えていたか思いしっていた。
* * *
翌日も未明からドスンドスンという激しい足音が響いていた。なぜ家の中でこんなに跳び跳ねているのかまったく理解出来ない。なぜ親はそれを叱らないのかも理解出来なかった。そのうちに、大きな奇声も聞こえる。
「ひゃあぁぁぁぁーーーーー 」
断末魔の悲鳴のようだ。なぜこんな声を出すのか理解出来ない事ばかりだった。宮部はヘッドフォンをして耐えていたが、ドスンドスンという地響きに耐えられなくなり、部屋を出ると近所の公園に歩いて行った。仕事が休みの時も部屋でゆっくりと過ごす事はかなわない。宮部は早朝の公園のベンチに座り、ぼんやりとヘッドフォンで音楽を聴いていた。
・・・僕が引っ越せばいいのか ・・・
薄給の宮部にとって引っ越しに伴う出金は厳しいが、こうして部屋に居られない事態よりは遥かに良いように思えた。
・・・帰って、ネットで物件を探してみるか ・・・
宮部は部屋に戻りPCの電源を入れ様々な物件を検索している時に、ふと、あれっと思った。
・・・静かだな 出かけたのか? ・・・
宮部が戻ってから2階からの地響きも奇声もまったく聞こえない。それが、それから夜になっても何時もの足音や奇声が聞こえる事はなかった。宮部は実に久しぶりにぐっすりと眠ることが出来、朝まで熟睡してしまった。この日から2階の足音や奇声が聞こえる事はなかった。宮部は穏やかな日を送る事が出来、それが仕事にも好影響を及ぼし社内での評価も上がっていった。
* * *
突然、2階からの足音や奇声が聞こえなくなってから2ヶ月ほど過ぎたある日。宮部が部屋から出ると2階から話し声が聞こえた。小声で何か話しているようだ。宮部は気になり階段を上がっていくと、2階の通路に管理会社の滝本がいた。スマートフォンで誰かと話しているようだった。宮部は彼が話し終わるのを待って声をかけた。
「ああ、宮部さん こんにちは 」
顔見知りの滝本は挨拶してくるが、困ったような顔をしているので宮部がどうしましたと尋ねると……。
「この部屋の住人の山田さんが家賃を滞納していて連絡がつかないので、もしやと思って今警察に連絡したところなんですよ 」
「ええっ、でも山田さんは子供も居るから孤独死とかではないですよね 」
「もしかしたら心中という事もありますから 」
二人が話しているうちに近くの派出所から警官がやって来たので、滝本は合鍵で部屋のドアを開ける。部屋の中は争ったような形跡もなくまったく普通の状態だった。
「夜逃げじゃないですかね 」
室内を調べた警官が滝本に気の毒そうに言う。宮部も、そういえば2ヶ月前から急に2階の物音がしなくなったと証言した。
* * *
結局2階には新しい住人が入った。新しい住人は常識をわきまえた初老の夫婦で宮部は2階の足音や奇声に悩まされる事はなくなった。
天国のような日々を過ごしていたある日。ふと、あの掲示板の事を思い出した宮部は指定時間にアクセスしまたあの掲示板に、今度はお礼の言葉を書き込んだ。まさか、この掲示板に書き込んだからだとはさすがに思えなかったが、書き込んだ事で気分が軽くなったので、一言お礼を思ったのだ。
すると、すぐに返信が返ってきた。返事がくるなど予想していなかった宮部は驚いた。
――お礼は不要です 他に依頼したい事がありましたら入力してください 願いは必ず叶います(笑) ――
画面に表示されている文章を見て宮部は固まっていた。
・・・この掲示板に書き込んだから2階の奴らが消えた ・・・
宮部は背筋が寒くなったが、大いに興奮もしていた。この掲示板は本物だ。この掲示板があれば世の中の害毒を消していける。この掲示板の運営者が何者であろうと構わない。宮部は自分が全能の支配者になったような気分になっていた。
その時、画面の向こう側でも笑い声が起こっていた。
「ククク、こんな効率の良いものはないな 勝手に依頼がやってくる 」
まるで地獄のような暗闇の中で笑い声が何時までも響いていた。