8 ダリウス・ホーランドの過去1
ダリウス・ホーランドはホーランド伯爵家の次男としてこの世に生を受けた。
優秀な兄・ルシウスの影に隠れた引っ込み思案な少年で、学生時代のダリウスについて記憶のある者は少ない。
両親は兄を溺愛しており、そんな両親の償いをするかのように、兄はダリウスに目をかけた。
「ダリウス、剣の稽古をしよう。」
「ダリウス、来週の試験は古典か。一緒に暗唱しよう。」
どんなに勉強しても、優秀な兄を追い越すことは決してできなかったが、優しい兄がいて、自分は幸せだとダリウスは思っていた。
容姿も冴えない、成績もあまり良くない自分だが、将来はこの優しい兄の支えになることができれば、それで十分だと。
ダリウスが16歳、ルシウスが18歳の時のこと。
ホーランド家のタウンハウスの隣にある一家が越して来た。
外国から来たという、医者の家族である。医師のトーマス・ライネンは妻のモーリアヌと娘のリーナを連れて、移住して来たのだそうだ。
国から招待されて、この度この国へ帰化することを決めたところ、国王から子爵位を賜ったのだとか。
国から歓迎された医師の一家をこの街でも歓迎するムードは濃かった。隣同士で是非親しくしたいと、ホーランド家にライネン一家を招待したのがきっかけだった。
ダリウスは、初めてリーナ・ライネンを見た時、こんなに綺麗な女の子がいるのかと目を見張った。外国からの移住者であるため、親子揃ってこのあたりでは見かけないシルバーブロンドをしており、リーナの瞳は真夏の森を思わせる素晴らしい緑だった。
恥ずかしそうに自己紹介をする姿をボウっと見ているだけで、ダリウスは碌な挨拶もできない。
「君があんまり素敵だからダリウスは驚いているんだよ。よろしくね、リーナ。」
ルシウスがそつなくフォローする。そこで気づいてしまった。
リーナが、先ほどの自分と同じボーッとした眼でルシウスを見ていることを。頬はほんのり染まり、リーナの気持ちは火を見るより明らかだった。
「よろしくお願いいたします、ルシウス様」
リーナはルシウスしか目に入らないようだった。
そこからは、なるべくして成る通り。リーナの気持ちに応えたいとルシウスから婚約の申し込みが行われた。二人は心から想い合っているようで、そこにダリウスの入り込む余地などなかった。
それでもいい。そう思っていたのだ。
始まることもできなかった初恋を、ダリウスは一生秘めたままでいるつもりだったのに。
その日は突然やって来た。
ルシウスの馬車が横転し、ルシウスは瀕死の重体であるという知らせが入ったのだ。慌てて駆けつけるも、既に兄は帰らぬ人となっていた。兄は珍しいエメラルドが入ったと聞いて、リーナに贈る指輪を作ってもらっていた。今日はそれを受け取りに、リーナに内緒で出かけていたのだそうだ。
遺体に取り縋って泣くリーナ。兄の手には指輪の箱が握られていた。
どす黒い感情が目覚める。
両親はこれ以上ないほど兄の死を嘆いた。自慢の息子を失った、と何ヶ月経っても涙を流す。
つまり「自慢できない息子」が残ってしまったわけだ。兄の代わりに領地の経営について必死で学ぶが、どう足掻いても兄の代わりにはなれない。一つ書類を忘れる度に、一つ計算を間違える度に父の顔に失望が浮かぶ。
「お前が死ねば良かったのに」
両親が言う夢を見る。何度も見ていると、実際に言われたような気にもなる。どうすればいい。
そこへリーナの父、ライネン医師がリーナと二人で訪ねて来た。ルシウスの死から半年経っていた。
どうやらホーランド家はライネン医師の診療所に相当な援助をしていたらしい。ルシウスとリーナが結婚するなら、それも自然なことだったのだが、こうなっては金銭の援助を受ける資格がない、というのがライネン医師の話だった。
「どうかな。もしダリウス君がうちのリーナと結婚してくれるなら、、、」
たちまち気分が向上する。リーナが僕と?結婚だって?夢でも見てるんだろうか。
お願いだ、父上!いいと言ってくれ!
そこでまた気がついてしまったのだ。リーナの目が何の感情も示していないことを。そうか、そうだよな。
「そうか。しかしだね、こういうことは本人の意思が大切だから、、、。ダリウス、どう思う?」
「僕、、、いえ、私は、、、リーナさえ良ければ喜んで。」
貴族的な微笑みを浮かべて、リーナの気持ちには気づかないふりをして、僕は言い切った。悪魔のような感情が、ムクムクと大きくなっては消えていく。
ライネン医師に安堵の表情が浮かぶ。
「私も、ダリウス様が良いのでしたら。」
リーナも無感情に言い放つ。芝居のセリフのようだった。
リーナは自分を売ったのだ。父親への援助と引き換えに。