7 隙(すき)のない女性は
何だ、これは。
アルフレッドは冷めた眼で目の前の手紙を見つめる。
アイリーンがアルフレッドからの贈り物に返した手紙である。
「綺麗なお花ですね。ありがとうございます。」
これが最初に送った花束への返事だ。
「ビスケットをありがとうございます。」
これが、2回目に送った首都で流行りのお菓子に対する返事だ。あれはビスケットじゃないぞ。・・・名前は忘れたが。
「今をときめく公爵様を、籠絡しようとしている悪女が、この手紙を?」
マティアスは笑いを堪えきれず吹き出す。
全くだ。マティアスの5歳の従姉妹だって、もう少し可愛げのある手紙を書くぞ。しかも1枚目の手紙など、何を切り取ったのかわからない皺の寄った紙への書き付けのようで、封筒にも入っていなかった。
アイリーンは憎い宿敵の一人娘である。アルフレッドは夜会で会った時の怯えた様子も、演技であると信じて疑わなかった。
「仕事を紹介してほしい」と真面目な顔で言われた時も、「愛人にして囲ってほしい」という意味だと思って納得したのだ。
この機会に、かつてアルフレッドの周りに群がった金銭目当ての女性たちと同じように、あの手この手で色気を振りまいてくるに違いない、そう思っていたのだ。
試しに花を送ってみた。それで届いたのがこの最初の手紙だった。
「次はいつ会えるか」「会いに行ってもいいか」などどこにも書かれていない。1週間待って、音沙汰なしのアイリーンに痺れを切らして手に入りにくい人気のお菓子を送ってみた。それでもこの塩対応の手紙だけである。
「あの女、やる気はあるのか?」
「まあ、でも主をこんなにイライラさせるのは彼女が初めてですかねー」
マティアスは完全に面白がっている。
アルフレッドは仏頂面でマティアスを睨む。
「男性から誘ってほしいタイプなのかもしれないですよ?そろそろデートしてみては?」
「まあ、そろそろ仕掛けていかないといけないしな。ホーランドの奴も追い込めそうだ。」
「手紙を出しておいてくれ。」
アルフレッドはアイリーンへ観劇の招待状を書いた。マティアスはそれを受け取って、いつものメールボーイに渡そうとして、、、気を変える。
「僕が行ってみようかな。」
愉快そうに口の端を上げて、マティアスは足取りも軽く着替えに行った。
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一方でアイリーンはシャーリーに叱られていた。
「お嬢様、男性というものはですね、少しくらい隙のある女性でないと、口説けないんですよ。」
「隙って何?」
「あー、もう! 例えばですね! 公園にお花を見に行きたいわ、とか、お芝居が見たいわ、とか。お出かけの口実くらい作って差し上げませんと。」
「難しいわね。お花はお庭で見られるし、お芝居なんて見たこともないから、行きたいのかわからないもの。」
「ですから! 行き先は何でもいいのです!」
「何でもいいの?」
これは件のビスケットのお礼状を書いて送った後のことである。シャーリーが少し用事をしている間に例のお菓子が届き、届けてくれた少年を待たせては可哀想だと思ったアイリーンが花と同じ文面で急いで返事を書いて渡してしまったのだ。
「私が付いていれば」と散々シャーリーが嘆いたあと、先ほどの説教が始まったのだ。
アイリーン自身は今ひとつ叱られている理由もわからず、ただシャーリーの言葉を受け止め続けている。
親の愛情も家族の愛情も知らず、唯一心を寄せた家庭教師は突然出て行ってしまったのだ。異性からの愛情などアイリーンには理解できるはずもない。アイリーンが人として持たれる好意をほとんど知らずに育ったことも、シャーリーはよくわかっていた。
その上ここ数年はデビュタントもさせてもらえず、外出もほとんどせずにいたのだから、世間の恋人たちがどのようにやり取りするのか知っているはずがない。
(異性どころか、女性のお友達もいらっしゃらないのだもの)
性格が捻じ曲がってもおかしくない環境で、こんな素直にお嬢様が育ったのは奇跡だわ。
シャーリーはアイリーンを叱ることを諦めた。
「お嬢様、イニシャルAの方に、本当にお心当たりはないのですか? 」
シャーリーが心からアイリーンを心配してくれているのが伝わってくる。名前以外ならいいかしら。お名前は言わない約束だもの。
「あのね、実は夜会の始まりで、落とした扇子を拾ってくださった方、、だと思うの。」
念のため少しボかしておく。
シャーリーの目がキラリと光る。
「まあ!小説のような出会いではありませんか。それで?お年は?背の高さは? いえ、そうじゃないわ。お名前は!?」
「シャーリー。一辺に聞かれても困るわ。お名前は。、、伺っていないの。次にお会いした時の楽しみにしようって。お年は、わたしの5つくらい、上の方よ、たぶんね。背はとっても高くていらっしゃったの。私の頭がその方の肩くらい。」
「素敵ですわ。・・・お名前を明かされていないのが心配ですけど。お年も誤魔化しておられるかもしれませんよ?」
「そう、、かもしれないけど、素敵な方よ。」
「・・私はお嬢様を幸せにしてくださるなら、どのような方でも、貧乏貴族でも良いのです。できればお嫁入りの際もご一緒に付いて行きたいと思っておりますけど。」
「シャーリー。私も。できればずっと一緒にいたいわ・・・。」
無理だと思うけど、、。そんな言い方だった。
アイリーンは永続的な関係を信じていない。好意を持ったら必ず離れる日がやって来る。
シャーリーには、もしかするとかつての家庭教師に抱いたものよりもっと厚い信頼を抱いているかもしれない。これ以上深い愛着を持つと、別れが辛くなってしまう。
そんなアイリーンの気持ちを知ってか知らずか、シャーリーは心配そうに眉を顰めて主人を見つめた。イニシャルAの方が、どうかアイリーンお嬢様をここから連れ出して、幸せにしてくださる方でありますように。
旦那様が新しい奥様をお迎えする前に、お嬢様を追い出すつもりだということはシャーリーも知っている。タイムリミットはあと2ヶ月と少し。お嬢様は落ち着いていらっしゃるけど、とにかく住む所だけでも探さないと。
シャーリーは唯一の主人と定めたアイリーンのためにあれこれ準備を始めるのだった。