22 二人の温度差
途中の街でアルフレッドはアイリーンを医者へ診せた。
それはそうだろう。
これで妊娠してなかったら、私は用無しだもの。
アイリーンは確かに妊娠していた。
気のいい医師はアイリーンを優しく診察し、ご主人に大切にしてもらいなさい、と言った。
医師はその後もアルフレッドにあれこれ話をしていたようだが、アイリーンは衣服を整えると呆けたように待ち合いに座っていた。
アルフレッドが側に来て、恐る恐るアイリーンを立ち上がらせる。
「行こうか?」
遠慮がちに話しかけられる。再会してから、ずっとこの調子だ。
二人は街へ一晩宿泊して、翌朝公爵邸へ向かう馬車に乗った。
宿泊した宿はとても居心地が良く、食事もおいしかった。
「寒くはないか」「必要なものはないか」としきりにアルフレッドが気にするが、やはり子供がいるとはっきりしたことが大きいのだと思う。侍女がいないことを気にして、アルフレッドが部屋へお湯まで持って来ようとするのを、大丈夫だと言って止めるのが大変だった。
修道服のままで出て来てしまったので、着替えは困らない。
アイリーンのために山ほど服を買おうとするのも、止めなければならなかった。
「一人では着られませんから。」と言うと、それは思い至らなかったらしく、顔を赤くして諦めてくれた。
今乗っている馬車も質素だが座り心地は良く、クッションがアイリーンの両脇に積み上げられている。
「これは、どうされたのですか?」
アイリーンが呆れて問うと、
「買ったんだ。」
と一言。あとはふいっと目を逸らしてしまった。
馬車に乗るだけとは言え、長距離の移動は体に堪えたようで、アイリーンは足が痛みを持って腫れて来たのを感じる。整備の悪い道の上では振動が響くので、つい顔を顰めてしまう。
すかさずアルフレッドが様子を伺う。
「どうした?気分が悪いのか?」
「いいえ、大丈夫です。」
「では、足が痛むのか。」納得したように頷くと、自分の膝の上にひとつクッションを乗せると、軽々とアイリーンを抱き上げて、膝の上に乗せてしまった。
「ちょっと、アルフレッド様!こんなこと」
慌ててアイリーンが降りようとするが、鍛えられた腕からは抜け出せない。
「私に触れられるのは嫌か?」
アルフレッドが真剣に問う。
「そうではないのですが、こんな、、、恥ずかしいのです。」
「そうか、なら良かった。あと2時間余りだ。我慢してほしい。」
ちっとも良くないと思ったが、アルフレッドはそれ以上何も言わないし、ガッチリ捕まえられた腕は解けそうにない。
しばらくすると眠気がついたアイリーンはウトウトとアルフレッドの肩に頭を預け始めた。
眠りに落ちる前に、こんな風に誰かの腕に抱えられるのは、初めてかもしれない、そう思って自然に微笑んでいた。
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アルフレッドとマティアスはアイリーン達を追いかけて、火事の現場の周辺を捜索したが、結局見つけられなかった。
気が動転しているシャーリーを連れて一旦公爵家へ戻った。
時をおかずに捜索隊を派遣する。精鋭を集めて捜査に向かわせたところ、何と放火の犯人はホーランド家の執事をしていたバートンだった。
バートンは火事から1週間後に自ら出頭して、罪を認めたらしい。
元執事は復讐のためにホーランド家に入り込み、チャンスを窺っていたのだが、ダリウスが逮捕されたのをきっかけに妻と暮らしている街へ戻って来ていたのだ。
アイリーンと鉢合わせしたのかどうか、それはわからない。
刑務所で面会したバートンは、アイリーンに会ったか聞くと「もう関係ない人間だ。」と言うのみだった。
操作は手詰まりだったが、シャーリーが、アイリーンが修道院へ行くと言っていたことを思い出した。火事の前の晩のことで、今まで忘れていたと。
国内の修道院を虱潰しに調べる。「アイリーン」という名の女性がいるのは北部の修道院だけだった。早速問い合わせの手紙を書く。
院長からは通り一辺の返事が届く。
「ここで保護した女性の個人的な内容はお答えしかねます。」
つまり、「いない」とは言っていない。
現場へ乗り込むか、と仕事の調整を始めると、マティアスが渋い顔をする。
「探して、見つけて、どうするんですか。戻りたいなら修道院へなど行かないでしょう。主、あなたも少し冷静になっては?アイリーン嬢をどうしたいのか、決めてからお迎えに行かないと。また傷つけてしまいますよ。」
マティアスはいつも正しい。腹立たしいことに。
冷静になるために、2週間ばかり考えた。
誰も住んでいないホーランド邸へ行ってみると、マティアスの指示でほとんど片付いていた。いつ戻って来ても住めるようになっている。玄関に、アイリーンの母と思われる女性の肖像画が置いてあった。外国の出身で、父親が医師だったという。
アイリーンの祖父母にあたるその夫婦は、娘のリーナの死後、国へ帰って最後を迎えたそうだ。
アルフレッドは肖像画を業者へ依頼して丁寧に汚れを落として額に入れ直した。今は自分の部屋に飾ってある。
ホーランド邸は父親の書斎から一旦全ての物を出し、先祖が伝えた貴重な領地に関する資料だけ戻してある。
ダリウスの醜悪な行為は微塵も感じられないように、屋敷はすっかり様変わりしている。
「そこまでするんですか?」とマティアスには呆れられた。
バトロイデス家の主寝室を今アルフレッドが使っているが、続きの部屋の公爵夫人用の部屋も最近全てやり直させた。家具を一新し、誰かに似合いそうな衣装ばかり揃っている。
新しくキャビネットを入れたその部屋に立って考え事をしていた。アイリーンがここにいてくれたら。観劇に行った時の愛らしい表情が目に焼き付いている。
あの時、マティアスと一緒に馬車から降りて来たのが面白くなくて、つい冷たくしてしまった。マティアスに嫉妬したのだ。
その後何回か会った時も、いつも可愛らしく微笑んでいた。
最後にカフェで会った日、仕事を見つけてほしいと言われたんだった。すっかり愛人として囲うつもりでいたのに、冷水を浴びせられたように感じた。まさか、本気で自立しようと考えていたとは。
思い返すと、アイリーンはいつも正直に、本音で話をしていたのだ。
父親に虐待されながら、追い出された後に侍女と自分を養う方法を必死で探していたのだ。
ダリウスの逮捕後に、次々と明るみに出る事実にアルフレッドは打ちのめされた。生まれてすぐに母と死別。3人の義母。父による足の怪我で、普通に歩くには非常に努力が必要であること。
唯一の救いが侍女のシャーリーだったのか。シャーリーの話をする彼女は、とても優しい目をしていた。
アイリーンが自分から離れると気が付いて、アルフレッドは焦ったのだ。自分のものにしたい、そうできると思っていたのだ。
頭に血が昇り、蛮行に至ってしまった。
いや、何を言っても許してはもらえないに違いない。
せめて、彼女の未来を幸せにできたら。
そう誓って、修道院へ迎えに行くと、院長から衝撃的な事実を聞かされる。
アイリーンが妊娠?
あの時の?
再び死ぬほど後悔の念が押し寄せる。しかも修道院では生活できないので、身寄りのないアイリーンが施設へ送られるという。
それは絶対に許容できない。
必要なら頭を下げてでも一緒に帰ってもらうつもりだったが、アイリーンは意外と素直に頷いてくれた。腰が抜けるほど安心する。
妊娠などしていなくても、連れて帰るつもりだった。
途中で医者に診せると、アイリーンは呆然としているようだった。
ショックを受けているのか?不本意なんだろう、当然だ。
感じのいい医師だと思ったが、男には厳しいタイプの人間だった。
「妊婦を旅に連れ回すなんてどういうつもりだ、今が一番難しい時期なのに。奥さん、疲れて貧血起こしてるぞ。しっかり食べさせろ、ガリガリじゃないか。あの着てる服は何だ?あんた公爵?理解できない」
不思議と腹は立たなかった。全く指摘の通りだと思った。
壊れ物を扱うようにアイリーンを宿へ連れて行く。
急いで、この町で一番美味しい料理を届けるように主人へ頼み込む。
アイリーンにドレスを買おうとするが、一人で着られないからと断られた。せめて明日の旅は快適に過ごさせたいと、良さそうな馬車を一つ買い取った。御者には礼を弾んで、公爵邸まで雇うことにする。
「奥さん、大事にしなよ〜」と馬車を売ってくれた男がクッションも付けてくれた。
アイリーンが美味しそうに食べるのを見て、やっと一息つく。
美味しいと言いながら食べる彼女を見ていると、何とも言えない幸せな気持ちになった。そうか、これが人を好きになるという気持ちだな。
これから先もずっとアイリーンが食べるところを見守りたい。
アルフレッドがアイリーンへの好意を自覚した瞬間だった。
もう少しで着くという頃、アイリーンが顔を顰めるのに気がついた。
何だ。どうした。気分が悪いのか。
気分は悪くないという。それなら足が痛むんだな、間違いない。
触っても嫌ではないと言われて気分が急上昇する。
アルフレッドが抱き寄せると、アイリーンは戸惑っていたようだが、そのうち眠ってしまった。うっすらと微笑んで。
あまりの可愛らしさに胸を打ち抜かれる。
嫌だ。誰にも渡したくない。
アルフレッドはここでアイリーンを愛していると気がついたのだ。
二人の気持ちに激しい温度差を生み出しながら、二人の旅は終わったのだった。




