21 再会
それから3ヶ月後
アイリーンは北部の修道院にいた。
修道服に身を包み、質素な部屋で寝起きをする。
これまでの生活からは考えられないほど物を持たない生活だが、アイリーンは満足だった。これほど心の落ち着いた日々はこれまで経験したことがない。
バートンはアイリーンの希望を聞いて、黙ってこの修道院へ連れて来てくれたのだ。立ち去る彼にアイリーンが御礼を言うと、一瞬何か言いたげに立ち止まったが、振り返らずに行ってしまった。
もう会うこともないだろう。
バートンは宿への放火の罪を償わなければならない。
妻は、帰って来るのを待つと言っていた。
父が生みだした憎しみの連鎖は、ここで断ち切られたと思っていいのだろうか。
父がその後どうなったのかはわからない。首都の出来事はあまりこの修道院まで伝わって来ないのだ。俗世から切り離されて、自給自足と祈りの生活、何も心を騒がせるものはない。
「アイリーン、院長がお呼びですよ。」
2つ年上の修道女、シスター・アメリアが呼んでいる。アイリーンが花の世話が得意だと言うと、畑の野菜の世話を任された。食べ物を作るのは初めてだったが、土作りと、水やり、正しい肥料を考える作業は楽しかった。
足に痛みが出て来るので、毎日の作業時間に限界はあるが、アイリーンはなるべく自分の手で育てたいと思っている。
「すぐに行きます。」
アイリーンは作業用の手袋とエプロンを外し、井戸水で手を洗うと院長室へ急いだ。
院長室へ着き、ひとつ深呼吸をして扉をノックする。
「アイリーンです。お呼びと聞きました。」
「お入りなさい。」
待っていたのか、すぐに返事がある。
院長のシスター・メイは、25年間この修道院を守り続けているという。笑い皺がそのまま顔に刻まれており、彼女が怒ったところを見た者はいないという。
アイリーンが修道女になりたいと申し出た時、シスター・メイはニッコリ微笑んで、「もう少し、時が来るのを待ちましょう。」と言ったのだ。あの時は意味がわからなかったが、ここで過ごして気持ちの安らぎを得た今、その言葉の意味がわかるような気がする。
今日まで「見習い」として過ごして来たが、いよいよ修道女になる勉強を始められるのかもしれない、とアイリーンは思った。
「アイリーン、畑にいたんでしょう。作業を止めてしまって、ごめんなさいね。」
シスター・メイは申し訳なさそうに微笑んでいた。
「いえ、大丈夫です。ちょうど休憩にするところでした。」
「足の具合はいかが?無理をしていない?」
「はい。無理をすると、次の日に何もできなくなると、身に沁みてわかっておりますので。」
ここに来てアイリーンは最初の数週間は必死に働こうとした。足の痛みを隠して作業を続けた結果、数日寝込んだのだ。
寝込んだアイリーンの側に来て、シスター・メイは言った。
「足が悪いのを隠していたことは、感心しませんね。」
珍しく笑顔ではなかった。
「あなたが働き者であることはよくわかりました。だけどね、アイリーン。今の半分しか仕事ができないとしても、あなたの居場所はここでいいのですよ。誰も追い出したりしません。」
アイリーンのカサカサの手を握ってそう言ってくれたのだ。
生まれた家で心の休まることのなかったアイリーンは、やっとここで居場所を見つけたのだ。ずっとここにいたい。心からそう思っている。ただ一つ、心配があるのだが。
「あなたが来てくれてからお野菜の出来がいいと、料理の当番も喜んでいましたよ。持って生まれた才能ね。」
「ありがとうございます。」
褒められるなんて、嬉しい。
「それでね、アイリーン。私に何か言いたいことはありませんか?」
笑顔のままシスター・メイは続ける。
アイリーンはギクっとした。これが本題だ。
「言いたい、こと、ですか。」
冷や汗が出る。
「言い直します。言いたくなくて、隠していることは?」
アイリーンは目を見開いた。どうして。
言葉が出て来ない。
シスター・メイは淡々と続ける。
「修道院へ入りたいと言ってここへ引き受ける女性は、3ヶ月はお勉強もさせない決まりです。確認する事項がいくつかあるのです。心の準備ができているのか、ここでの生活に馴染めるのか、取り戻しに来る家族がいないか。
それともうひとつ。妊娠していないか。」
ハッと息を呑む。
「この3ヶ月、シスター・アメリアにあなたの様子を見てもらっていました。あなたは月のものが来ていません。それに、今日は朝食を戻しましたね。」
言葉もない。自分でも不安に思い続けていたことを、はっきり口に出され、ショックで思考が停止する。
「妊娠した女性は修道院で働かせられません。身寄りのない場合、近くの福祉施設を紹介します。だけど、あなたの場合は。」
シスター・メイはゆっくり続けた。
「先月から、あなたを探しているという方からお手紙を頂いています。ここへ来た時、あなたは体も傷だらけで、顔も腫れていたでしょう。家庭内暴力の被害が疑われたので、お手紙には、お答えできません、とお返事したのです。
そうしたら、その方は身分を明かして、これまでの経緯をお話しくださったのです。バトロイデス公爵様、あなたの婚約者だと仰っています。間違っていませんか?」
アルフレッドが私を探している?
どうして。私からあげられるものなど、もう何もないのに。アルフレッドの憎しみはまだ断ち切れていないのだろうか。
「アイリーン。私には、公爵様がとても誠実な方に思えました。会って、お話をしてみては?誤解があるから解きたい、と必死にお願いされていました。もちろん、強制はしません。」
妊娠した私を福祉施設へ預けるか、婚約者だという高貴な人物へ託すか、この真面目なシスターはどれほど悩んだことだろう。
この人を困らせるのは、私も望まない。
「わかりました。話をしてみます。」
明らかにホッとした様子のシスター・メイに、自分の決断は間違っていないと感じる。
「でも、二人で会うのは・・・」
「もちろん。私も同席しましょう。実は、今隣のお部屋で待っておられます。このままお通ししていいかしら?」
アルフレッド様が、ここにいる?今?
驚愕で隣の部屋へ続く戸を見ていると、懐かしい、公爵が入って来た。
「アイリーン。」
そう名前を呼んで、言葉が詰まったように手を口元に当てている。髪が伸びたようだ。少し痩せたようにも見える。
シスター・メイの気遣いで、お茶が用意された。
最後に会ったのは、公爵家の地下室でのあの時だ。アルフレッドの顔を見ていると、あの時の光景がフラッシュバックのように思い出される。思わずギュッと椅子の肘掛けを握りしめる。
「君に謝りたくて、探したんだ。ここにいるとわかって、すぐに迎えに行こうとしたんだが。
マティアスに、止められて。少し冷静になれと、、、。」
一旦口籠る。
「あの、シャーリーが、どうしているかご存知ですか?」
一番気になっていたことを尋ねる。
「ああ、シャーリーは、今公爵家で働いてもらっている。その、君が戻ったら、安心だろうと思って。」
シャーリーは田舎には帰らなかったようだ。それにしても公爵家にいるとは。
「院長に、君が妊娠しているかもしれないと、言われたのだが。」
アルフレッドは躊躇いがちに切り出す。
「その、、、私との、子だと思っていいだろうか。」
アルフレッドの表情に怒りはない。戸惑いと、気遣いと、申し訳なさで一杯の様子にアイリーンも少し力を抜く。
ここで嘘をついたとして、どうなるだろう。福祉施設で子を生んで、私に育てることができるだろうか。この子はアルフレッドの子でもある。どういう扱いになるかはわからないが、食べることに不自由はしないだろう。もしかしたら、アルフレッドは子供は欲しいのかもしれない。でなければ、自分の子だと思っていいか、などと聞かないだろう。それなら、、、
アルフレッドは心配そうにアイリーンを見ている。
「はい、アルフレッド様の、お子です。他にそのような男性はおりませんでしたし。ただ、医師にはかかっておりませんので、まだはっきりとは。」
「そうか。アイリーン、いろいろ思うところはあるだろうが、どうか一緒に帰ってほしい。公爵家で不自由なく過ごせるように取り計らう。希望はなんでも言ってくれ。可能な限り叶えよう。」
迷いはあったが、院長の優しい頷きと、アルフレッドの必死な懇願に、結局アイリーンは折れた。このまま修道院へ迷惑をかけるのも本意ではない。
アルフレッドは修道院へ莫大な寄付を約束し、目を白黒させるシスター達に見送られながら、アイリーンはその日のうちに修道院を出た。
ここが、自分の居場所だと、終の住処だと思ったのだけれど。
小さくなる修道院をいつまも見ていた。そのアイリーンを心配そうに見守るアルフレッドには気が付かずに。




