20 バートン夫妻
アルフレッドはすぐに馬を用意させた。
今すぐ追いかければ、間に合うだろう。慌ただしく出かける準備をしていると、マティアスが呼び止めた。
「主、追いかけるのですか?」
「当たり前だ。私の婚約者だ。思い違いを正して、謝らなければ。」
マティアスは表情のない目を主人へ向ける。
「行かせてあげては?」
「馬鹿を言うな。女二人でどうなるというんだ。保護しなければ。」
「逃げたのです。ここにいたくないという意思表示では?」
「アイリーンからそれを直接聞くまで返事は保留だ。」
決して意思を変えないアルフレッドに、マティアスも諦めて追いかけるために必要な準備を始めた。
日が暮れる前に出発したアルフレッドとマティアスは、夜明け前に乗り継ぎ地点として有名な街へ着いた。早い時間にも関わらず、大勢の人が集まっている。
「何かあったのか?」
「焦げ臭いですね。火事でもあったのでしょう。見てください、あの辺り、宿が燃えたんでしょうか。」
「行ってみよう。」
まだ残っている野次馬の中に、半狂乱になって泣き叫んでいる女がいる。あれはアイリーンの、、、
不安が増す中、シャーリーに近づく。
「シャーリー殿?お怪我はないのですか?アイリーン嬢はどこにおられるのですか。」
マティアスの顔を見ると、シャーリーは震える声でやっと話した。
「宿が火事で、逃げたのです。けど、お嬢様が私を庇って、離れ離れに。逃げると言われたのに、どこを探してもおられなくて!私は、私は、」
取り乱しているシャーリーからはこれ以上何も聞けそうにない。
マティアスがアルフレッドを見ると、主人は焼け跡を呆然と見つめていた。
「そんな、、、アイリーン。まさか、、、、。」
「主、まだそうと決まった訳では。」
遺体を見つけるまでは。そういうつもりで言ったのだが、アルフレッドは焼け跡へ近づき、ぐるっと周りを歩く。2周目を回った時、アルフレッドが焼け跡から少し離れた位置に落ちている鞄を見つけた。
「これは?」
「それは!お嬢様に持っていただいた荷物です!最後に見た時も持っておられたのですけど、どうして、ここに?」
「物取りなら、カバンを開けるだろう。しっかり閉めたままだな。」
「窓から投げたのかしら?」シャーリーも疑問に思うようだ。
「あの細腕で、ここまで投げることはできないだろう。」
もしかすると。嫌な予感がする。
野次馬の中に憔悴した宿の責任者が座り込んでいた。気の毒だがこちらも時間がない。目の前に膝をついて問いただす。
「火元は何だった。いつ火が出た?」
「お、お役人さんですか?私はちゃんと、火の始末はしたんですぜ?なのに、どうしてか、夜中過ぎに火が出たんですよ。玄関口が一番燃えたから、そこら辺が火元ですかね、もうこれからどうしたらいいか。」
不自然な出火。火の気のない場所から。
「死傷者は?何人だ。行方不明者はいるか。」
「わ、私の女房が腕に火傷して、今治療所に。お客さんは、昨日は少なかったんで、1階の家族連れは皆さんいたよなぁ。2階の女性二人は、そこで泣いてるお嬢さんと、もう一人の綺麗なお嬢さんは、、、どこかね。」
思わず舌打ちをしたくなる。
アイリーン、どこにいる。
*********
窓から飛び降りたアイリーンは何者かにものすごい勢いで引き起こされ、あっという間に口に何か詰められた。
抵抗すると、ものすごい力で頬を殴られた。痛みに頭がボーッとする。
声を出せないでいると頭から麻袋を被せられた。
誰かに担ぎ上げられて運ばれる。何かの上に降ろされるが、その際に強く頭を打ちつけて、とうとう意識が飛んでしまった。
次に気がついた時には、麻袋からは出されていた。木の板の床の上に寝かされている。殴られた頬が痛い。両手も両足も縛られており、身動きが取れない。
一難去って、また一難。
ため息が出る。ゆっくり首を動かすと、どうやらここは街の家の中のようだ。外から馬車の走る音や人の歩く音が聞こえてくる。
ここは物置のようで、高い位置に窓がひとつあるだけで、壁側に小麦の袋や大工道具が立てかけられている。
時間はよくわからなかった。
痛む首を動かすのをやめて、記憶を辿る。
火事だった。私は逃げ遅れて、2階から、飛び降りたのだと思うけど、あれは本当にあったことなのだろうか。
ここ数日の展開は目まぐるしく、気持ちがついていけない。
バトロイデス家を出たところから一つずつ事実を整理してみよう。
アイリーンが虚な目で考えていると、この家の玄関だろうか、ガチャリ、と音がしてトントンと小さな足音がする。緊張して体を強張らせる。自分の呼吸の音を数えていると、一際大きな音でガチャリ、とアイリーンのいる物置の戸が開いた。
戸を開けたのは女性だった。40代くらいの、質素な服をきちんと着たその人は、アイリーンを見てひどく驚いたようだった。
「あああ!誰!?誰?どうして、、、、誰なの?」
アイリーンが縛られて動けないとわかったのか、少しずつ恐怖は警戒心へ変わったようだ。
「ここへ、連れて来られたのです。お願い、助けて。」
アイリーンは声を絞り出す。
「連れて来られたって、、、、それじゃあ、ユアンが、、?
あなたは、誰?」
「アイリーン・ホーランド。旅の途中なのです。お願い、ここから出してください。」
女性は名前を聞くとギョッとして後ずさった。
信じられないものを見たような顔をして、その場から動かない。
「ホーランド?ダリウス・ホーランドの?」
女性は吐き捨てるように父の名前を呟いた。
ああ、また父の名が呪いの言葉に変わる。あの男の娘でいる限り、決して幸せにはなれないのだ。
「そうだ。キャシー、そいつから離れろ。」
男の声がする。この声は、火事の現場にいた男で、それで、、、。
「バートン。」
ホーランド家で執事をしていた男だった。
「バートン、どうして。」
この執事はいつも無表情で、基本的に父の指示があった時しかアイリーンに接触することはなかった。忠実に指示に従っているように見えたが、時々父の目を盗んで出かけていたのも知っている。
いつも能面のような表情のない男だと思っていたが、今は憎々しげにアイリーンを見つめている。
「どうしてだと?ホーランドが、俺の、俺たちの息子を殺したからだ。あいつが息子に飲ませた毒を、俺は時間をかけて食事に混ぜていたんだ。息子の味わった苦しみを、少しでも長くあいつにも思い知らせてやろうと!」
「そんな、ユアン。荷物運びの仕事をしてたんじゃ、、、。」
バートンの妻らしき女性は青白い顔でバートンを見る。
バートンは妻にも言わず、執事として働いていたようだ。
「あいつはだんだん手足が麻痺して来ていたんだ。復讐はここからだ、そう思ったのに!公爵が余計なことを!」
なるほど。父があっさり逮捕されて、怒りの行き場を失ったのか。アイリーンは納得した。
父は愛してなかった妻の娘、アイリーンを殴って満足していた。
アルフレッドは自分の母の恨みを私にぶつけた。
バートンも私が死ねば、満足なのだろうか。
父の業は全て私に帰って来るようだ。
「ホーランドに手が出せなくなって、この女を見張ってた。侍女と逃げて楽になろうとしてるとわかって、許せなかった!」
私は幸せになってはいけない。
「ユアン、なんてことをしたの。すぐにこのお嬢さんを家に帰してあげなくちゃ。」
妻のキャサリンは冷静に夫を諭す。
「デイビッドだって、復讐なんて望んでないわよ。あの子は私のために、お金を稼ぐためにあんなことをしたんだもの。」
「あの子を殺したんだぞ?ホーランドが!許せない」
「デイビッドも公爵様に毒を飲ませたのでしょう?ユアン、もうお終いにしましょう。憎しみが、憎しみを生んでるのよ。」
バートンは妻に背中を撫でてもらいながら、ガックリ膝をつく。
「キャシーだって、悔しいと言っていたじゃないか、、、」
「そうね。今もあの子が生きていたらと、思わない日はないわ。でもね、デイビッドが元気だった頃の事を思い出してあげられるのも私たちだけよ?私はね、あなたとそういう話がしたいの。」
バートンは項垂れている。
「憎んでないのか。」
「そうね、憎しみに心が支配されないようにしたいと思ってるわ。」
長い沈黙が流れる。
バートンの妻から溢れる優しい言葉に、バートンから怒気が抜けていく。
「ホーランドの名は二度と聞きたくない。あんた、どこに行くつもりだったんだ。送ってやる。」
バートンは見慣れた無表情に戻っていた。




