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19 火事

アイリーンはこんなに長い時間馬車に乗ったのは初めてだ。

くるくる変わる、見たことのない景色に目を奪われる。

流れる景色を眺めていると、アルフレッドと馬車に乗ったことを思い出す。

あの時は初めて観劇に誘われて、二人で帰ったのだった。


アルフレッドは、私が出て行ったことを知ってどう思うのだろうか。憎い仇の娘だもの。父も逮捕されて、清々しただろうか。一時婚約者だと名乗っただけの私のことなど、すぐに忘れてしまうだろう。


向かいに座っているシャーリーは疲れが出たのだろう。目を閉じて眠っている。やっぱりシャーリーに付いていくのは良くない。彼女はまだ若く、いくらでもやり直せる。私などが足枷になってはいけない。

シャーリーと過ごした数年は、年の近い姉と暮らしているようで、とてもいい思い出だ。父のせいでこんなことになってしまったけど、シャーリーとの思い出は大切にしたい。


アイリーンがある決意を胸に景色を見ていると、馬車の速度が落ちていくのがわかった。

シャーリーも目を覚まして馬車の外を確認する。

「お嬢様、降りますよ。今日はこの街に泊まって、明日は違う馬車に乗ります。」

なるほど、日も暮れてきている。

民間の宿に泊まるのも初めてだ。アイリーンは胸がドキドキしてきた。シャーリーは慣れた様子で御者から荷物を受け取ると、チップを弾んで通りの向こうの宿へ運んでくれないか交渉している。

すごいわ、シャーリー。何でもできるのね。

見るもの全てが珍しいと感じるアイリーンは、キョロキョロしながら呆れた顔のシャーリーに手を引かれて宿まで歩いた。

「女二人だけの旅ですからね。目立ってはいけないのです。

暗くなる前に宿へ入って、明日は日が登ってから出発しましょう。誰か追いかけて来ても、人混みに紛れれば見つかりにくいでしょうし。」

「誰も追いかけて来ないわよ。」というアイリーンに首を振り、シャーリーは食事の注文をしに宿の主人の所へ行った。


宿は二人用の部屋が空いており、シャーリーと同じ部屋で休めるようだ。シャーリーの姉妹になったようでワクワクする。

戻ってきたシャーリーは、主人がサービスでお湯をくれるようだから、身体をお拭きしましょうか、と提案してきた。

自分ですると言って断る。

自分のことは自分でしないと、これから先は苦労するだろうし。


部屋で食事をするが、届いた食事はパンに色々な具が挟んであるサンドイッチだった。名前は知っていたが、食べるのは初めてだ。

チーズとハムと、トマトと名前の知らない緑の野菜が入っているようだ。「手で持って、かぶりつくんです。できますか?」シャーリーがお手本を見せてくれる。見よう見まねでエイっとかぶりつく。

「とっても美味しいわ!」

アイリーンが喜ぶと、シャーリーも嬉しそうだった。


「シャーリー、馬車やこの宿のお支払いはどうしてるの?」

アイリーンがずっと気になっていた質問をする。

「公爵様の贈り物を売って、旦那様にお渡ししていましたでしょう?

最後に売ったネックレスのお金を、渡さずに持っておりました。勝手をして申し訳ございません。」

「そんな。勝手だなんて。」

アルフレッドは婚約してから贈り物をいくつかくれたが、今はもう何も手元に残っていない。本当はお返しするべきだったのかもしれないが。

「シャーリー。本当にありがとう。

あのね、シャーリー。私、やっぱりあなたについて行かないわ。シャーリーはこのまま田舎に帰って、誰か素敵な方と幸せになってほしいの。私は、もう、、、傷物だし、このまま北部の修道院に行くわ。持参金なしでも入れてくださるところがあるそうなの。」


突然の話にシャーリーは猛反対する。


「いけません。馬車にもお一人で乗れないお嬢様が、修道院へ行くなど。私は、私と従姉妹を守るために何年もご自身を犠牲にされたお嬢様に、一生ついて行くと決めたのです。

私の田舎は満足のいく場所とは言い難いかもしれませんが、精一杯お仕えさせてください。」


どんなに言ってもシャーリーは納得してくれなかった。

話し合いは平行線で、その日は眠ろうということになった。

せっかくシャーリーと同じ部屋で眠る日だというのに、気まずいまま眠りに落ちる。明日の朝もう一度話合ってみよう、、アイリーンは心に誓った。


*********


廊下が騒がしい。まだ朝ではないはず。人が走る音がする。

「逃げろ!」

男性の声がする。

「お嬢様!起きてください!火事です!」

逃げますよ、とシャーリーが寝巻きの上にガウンを引っ掛けてくれる。たちまち眼が覚めてガウンを掻き合せる。

シャーリーは目にも止まらぬ速さで荷物を二つにまとめると、アイリーンにも一つ持たせて部屋から出る。

思ったより火の回りが早かったようだ。シャーリーが前を走る。

先に階段を降りたシャーリーが「お嬢様、急いで!」と叫んだ瞬間、目の前に燃える柱が倒れて来た。

シャーリーに当たってはいけないと、背中を突き飛ばす。その勢いでアイリーンは一歩下がってしまう。

燃える柱が目の前に倒れて、アイリーンとシャーリーは階段の中心で引き離されてしまった。

「お嬢様!」

シャーリーが狂ったように叫んでいる。

「窓から逃げるから、シャーリーはもう行って!」

カバンを胸に抱えて来た道を戻る。

後ろでシャーリーが尚も叫んでいるが、宿の主人がシャーリーを外へ引っ張り出したようだ。


アイリーンは泊まっていた部屋へ戻り、戸を閉める。

時間は余りない。火の手は2階まで伸びており、床もいつ崩れるかわからない。窓へ駆け寄り、力一杯開け放つ。

高い。飛び降りる?できる?

目をつぶって開ける。高い。やっぱり無理、、、後ろを振り返ると閉めた戸の隙間から赤い炎がチラチラ見えた。廊下は火の海だ。ここから行くしかない。

アイリーンがカバンを抱きしめて、窓に足を掛けると

「ここへ飛び降りろ!」と男の声がした。

見ると馬子屋の敷き藁を荷台に積んだ車がある。

覚悟を決めた。アイリーンは深呼吸して、窓枠を蹴る。

ふわっと浮いた体があっという間に落ちる。落ちて行く時間はスローモーションのようで、アルフレッドの顔がいくつもチラつく。

もう会えないのかしら、そう思った時、アイリーンは藁の山に落ちて、同時に荷台の壊れる音がした。




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