15 バトロイデス家の過去
ここは病人の部屋だ。
消毒薬の匂いがする。ベッドに一人、疲れた顔の男性が寝ている。
腕には点滴がつけられており、固く目が閉じられている。
戸惑いと不安で震えるアイリーンにアルフレッドが凍りつくような声で言う。
「父だ。」
アルフレッド様のお父様?そんな、歳をとりすぎているのでは?
「父はまだ60にもなっていない。こちらの言うことは聞こえていない。意思の疎通はできない。時々興奮して手がつけられなくなるから、食事の後はこうして鎮静剤を使う。」
そんな。
「どうして、、、。」
やっと出た声はすぐに遮られる。
「ダリウス・ホーランド。あの男が全ての元凶だ。」
ああ、なんてこと。だけど、だけど、、、、、
あの父なら何をしてもおかしくない。
怯えたアイリーンの目を見据えて、アルフレッドがゆっくりと昔語りを始めた。
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前バトロイデス公爵夫婦、つまりアルフレッドの父と母は非常に仲の良いおしどり夫婦として有名だった。
母は姻戚の貴族家から嫁いで来た、政略結婚だったが、幼い頃から顔を合わせて親しんでおり、周囲も微笑ましく見守っていたのだとか。
アルフレッドの父、ヘルベルトが成人すると、二人はすぐに結婚した。
母は名前をビアンカという。
色白で見事な金髪が自慢の、絵に描いたような公爵夫人であった。その類稀な美貌を称賛して、社交界は母のことを「白百合の夫人」と讃えるほどだった。
やがてアルフレッドが生まれるが、国の中枢を担っている公爵家では、たくさん子を産むことを期待された。アルフレッドの父も3人兄弟の長男であり、高貴な血を守った、と祖母は得意に話をしたものだ。
アルフレッドの出産後、なかなか第二子の懐妊の知らせがないことを、祖父母に責められ続けて、ビアンカは塞ぎ込みがちになる。
少しでも妊娠に効果があると聞くとお茶でもハーブでも、怪しげな薬でも手に入れて試してしまう。
アルフレッドが物心ついた頃には、母は部屋に篭って寝たきりの状態だった。ヘルベルトは何とかビアンカの気持ちを楽にしたいと、親戚筋の年頃の男の子を養子に迎えようとしたが、既に長男がおり、後継になれるわけでもない家に、大事な息子を差し出す家はない。
アルフレッドは勉学や剣の訓練に励んだ。持って生まれた才能もあったのか、成績は優秀で、10歳になる頃には何人もいた家庭教師が口を揃えて褒めるほどだった。大きな病気ひとつもせず、公爵家の自慢の息子に成長する。
たった一人でも生まれた跡取りが飛び抜けて優秀で、健康にも問題がない様子に、不安定だったビアンカの心も落ち着きを取り戻して行く。
アルフレッドは13歳になって首都にある全寮制の貴族の学校へ入学した。将来国を支える貴族の子弟がいずれは右腕となる学友を集めるためでもある。
母は笑顔で送り出してくれた。この頃母は公爵家で必要な役割を果たすため、社交に勤しむことが出来るほど、回復していた。父もそんな母をこれまで以上に溺愛し、幸せな日々が永遠に続くかのような生活だった。
公爵家には何の憂いもなかった。そのはずが。
バトロイデス公爵夫妻はとある夜会へ参加した。二人揃って参加する姿は非常に絵になる光景であり、有力貴族はこぞって二人を招待したがったのだ。
その日ビアンカは体調が優れず、出席は取りやめようと、ヘルベルトは説得したが、珍しくビアンカは折れなかった。夜会には王太子夫婦も出席すると聞いており、ビアンカは愛する息子アルフレッドのために婚約者を見つけようと、王弟殿下の姪だとかいう令嬢へご挨拶をする約束があったそうだ。
無理を押して出席したものの、やはり体調を崩して、ヘルベルトは帰りの馬車を手配しに、ほんの少しビアンカの側を離れる。
戻ってみると、ビアンカは休んでいたはずのソファにいなかった。
化粧室へ行ったのだろうか、としばらく待つが戻って来ない。
増すばかりの不安の中、密かに使用人を使って探し回るとビアンカは一番奥の休憩室で発見された。
衣類は乱され、意識がない。部屋の花瓶は割れ、家具の配置も乱れている。争ったような形跡があちこちにあった。
この部屋で何が行われたかは明白である。
犯人は既に逃亡しており、人物を特定できるものは残っていなかった。怒り狂ったヘルベルトは夜会の主催者へ出席者のリストを出させて、しらみ潰しに調べ上げる。
夜会の出席者には事件の詳細が漏れないように緘口令を敷く。あらゆる手を打ったはずだったが、人の口に戸は立てられないもの。この日に起こったことはだんだんと広まり、ビアンカが格好のゴシップのエサになってしまう。
「子供がほしくて、男漁りを始めたのかしら。」
「あんなお綺麗な方が、、信じられないわ。」
「公爵様もお気の毒ね。」
裕福で、人並み外れた美貌を持ち、この世の春を謳歌していたように見えた夫人を襲ったスキャンダルである。心ない人は悪意を持って喜んで言いふらす。噂は瞬く間に首都に広がった。
夜会会場から運ばれたビアンカは数日意識が戻らなかった。依存性の強い薬物を大量に摂取させられたようだ、というのが医師の見立てだった。さらに、ビアンカはこの時の診察で待望の第二子を懐妊していることがわかったのだが、この事件の日から1週間後、家内の女中が自分の噂について話しているのを聞いたショックで流産してしまう。
ビアンカの悲しみは深く、たくさんいたはずの友人も誰も慰めてはくれない。ある日、食事を摂らず、部屋に篭って鍵をかけたビアンカは冷たくなって発見された。
自殺だった。
公爵が出かけた隙にそれは起こり、帰って来たヘルベルトは冷たい妻の手を握ったまま一晩を過ごした。
母の死がアルフレッドに知らされたのは亡くなって、埋葬が終わった後だった。憔悴して自死した母は、とても別れを言うために子供に見せる状態ではなかったらしい。
バトロイデス公爵は亡くなった妻の名誉を傷つけた憎い相手を探し続けた。とうとう、ホーランド伯爵が最も疑わしく、あとは証拠を押さえるだけという段階まで来た時に、再び事件が起こる。
公爵家の料理に毒を混ぜた疑いで使用人が一人捕まったのだ。
2年前に雇われた馬の世話をする少年は、所持していた薬物を毎日公爵の食事に入れたのだという。料理長にお菓子をもらうフリをして毎日厨房へ入り込み、薬物を混ぜていたという。
幸いアルフレッドは学生寮で生活していたため影響を受けなかったが、気がついた時には公爵はすっかり毒に体を侵されていたのだ。
馬番の少年は捕まえておいたのだが、連行される直前に何者かに殺されてしまった。
ここからアルフレッドの地獄が始まる。
母はスキャンダルに塗れて自死し、父は毒物事件に巻き込まれて瀕死の状態である。まだ13という年で公爵家の一切を任されるにはあまりにも幼かった。
優秀な執事や使用人がいたが、どんなに努力しても上手くいかない事業が出てくる。相手が子供だと知ると、途端に態度を変える業者も多かった。おまけに親戚は頼りになるどころか、この際爵位を譲れと週に一度は押しかけてくる。
剣の腕の良いマティアスは、まだ年若いにも関わらず精一杯アルフレッドの安全に気を配っていた。うるさい叔父たちを玄関で追い払った数は、門番より多いはずだ。
アルフレッドは寮を出て、学校へ通いながら家の維持に勤めた。この頃に無口で人間不信になったが、致し方ない。
18で学校を卒業すると、アルフレッドは父の調べた資料を洗い直し、母を辱めた貴族を特定した。ダリウス・ホーランド。あの男で間違いない。
母に使用された薬物は、父に毒を盛った馬番の少年が大量に飲まされて亡くなった、その薬物と同じものだった。
あとは薬の出所がホーランド伯爵であることを証明すればいい。
ここまで来て、攻めあぐねているところに、アイリーンに会ったのだ。
「これは運命だと思った。」
アルフレッドは氷の眼差しでアイリーンをじっと見た。




