13 マティアス
マティアスは主人の命に従ってホーランド伯爵邸を探っていた。
新聞配達の少年に扮したり、野菜売りの男になってみたり、得意の変装でホーランド家のあちこちを探っては非常に有意義な時間を過ごしていたのである。
この家の使用人は皆、一様に陰気で話をしたがらない。
特に執事のバートンはマティアスがうんざりするほど無口で、何を考えているのかわからない男だった。
料理人は比較的話しやすい男だったので、まずは厨房に入り込む。
料理人はたった一人で、食事の支度は全て彼が任されているそうだ。
アイリーン嬢に非常に同情的で、小さな頃はよくお菓子を作ってやったとか。「お嬢さんがケガをした後は」料理長のお手製の焼き菓子を一包み渡してやると、小さな手でそっと受け取って、「ありがとう」と小さな声で言ってくれるのだとか。
「お嬢さんはよく怪我をするのかい?」
「そうだね、週に1回はね。」
「どうして、またそんなに」
料理長はここでスッと眼を逸らす。
「お嬢さんは足が悪いから、よく転ぶんですよ。」
「足はだいぶ悪いのか?」
「まあね、歩けるようになるのに1年以上かかったんだよ。可哀想に。歩く練習する時の泣き声が厨房まで聞こえたこともあったよ。」
「事故で?」
そう聞くと人のいい料理人はまた口を噤んだ。
絶対に伯爵が絡んでるに違いない。この家の主、ダリウス・ホーランドに関わる話をこの家の者たちは決してしない。
かえってそれが疑惑を深めるのだが。
伯爵が帰って来たようだ。
マティアスは気配を消して屋根裏に身を潜めた。
「バートン! どこだ! バートン!」
機嫌が悪そうだな。帰って早々に酒か。顔色も悪いし手も震えている。これはうちの主が手をくださなくても勝手に死ぬんじゃないか?おっと、執事が来た。
執事のバートンが姿を見せる。相変わらず薄気味悪い男だ。
「お呼びでしょうか。」
「あの子供を呼べ。今週の払いをさせる!」
「左様でございますか。」
執事は来た時と同じようにすうっと居なくなる。ダリウスは面白くなさそうに2杯目の酒を注ぐと、震える手でぐっと煽った。
「クソ!思うように動かん!」
やがてバートンが戻って来ると、数歩遅れてアイリーンがやって来た。顔が青ざめている。
「お父様、今週はこれだけです。」
アイリーンがお金が入っているらしい封筒を震えながら差し出すと、
ダリウスはそれを掴み取って机の上にひっくり返した。
「なんだ。これっぽっちか。お前の婚約者は案外、ケチなんだな。」
伯爵は落ち着いた声で話しているのに、アイリーンはますます怯えた表情を見せる。
「足りない分はこれで払え。」そう言って伯爵は壁にかけてある鞭を取り、アイリーンに向かって振り上げる。
あっという間の出来事だった。
咄嗟に頭を抱えて背中を見せたアイリーンの動きから、これが日常的に行われていることだとわかる。
瞬く間にアイリーンの背に鞭が振り下ろされる。ビシっという音と共にアイリーンが床へ倒れ込む。続け様に二度、三度と振り下ろされ、アイリーンの服がビリッと裂けたところでダリウスは満足したようだった。
その間、執事のバートンは不気味なほどの無表情で様子を見ていた。機嫌の良くなったダリウスは「もういい、目障りだ。出て行け。」と言い放つと、やっと立ち上がったアイリーンに目もくれずに3杯目の酒を飲み始めた。
マティアスはしばらくショックで動けなかった。虐待があることは察していたが、実際に目の前で見たのはこれが初めてだった。
アイリーンの表情は見ることができなかった。これはすぐに報告をしなければ。マティアスは屋根裏伝いにアイリーンの部屋まで行く。
淑女の部屋を覗くべきではないが、どうしても怪我の具合が気になったのだ。
アイリーンはベッドに寝かされて、シャーリーが薬を塗っているようだ。泣いている・・・のはシャーリーか。アイリーンの姿は天井からはよく見えなかった。
「こんなこと、続けられないですよ、お嬢様。」
「もうちょっとだから、大丈夫よ、シャーリー。」
アイリーンの声は平坦で、何の感情も込められていない。
「あと1ヶ月なんて、待っていたらお嬢様、殺されてしまいます。」
「明日ね、また公爵様にお会いするでしょう?お仕事のこと、聞いてみるわね?そうしたら早く出て行けるかもしれない。」
「きっとですよ?」
マティアスは思案した。この二人を早急に保護しなければ。ダリウスの違法な商売の証拠は既に見つけてある。これを警務部へ報告すれば、すぐに取り調べのために捜査官が来るだろう。
この異常な家で起こっていることは、すぐにやめさせなければ。
もう一度マティアスの書斎へ行くと、既に誰もいない。
慎重に気配を伺うが、ダリウスは寝室にいるようだ。こっそりと部屋へ侵入し、机の引き出しを開ける。ここにはダリウスの裏の商売、違法薬物の製造と販売先がまとめられている。
書類をしまうとマティアスはそっと屋敷を後にした。




