第61話:黒い果実
フッと目を開けたエカは、ソナから顔を離すと優しくその頬を撫でた。
エカの腕に身を委ねたソナは、安心しきった表情で眠っている。
『夢の中で倒したものは過去の幻影ゆえ、あれはまだ現世に存在する』
創造神の【声】が、ソナの身に起きた事を教えてくれた。
黒い果実の化身、魔王と呼ばれる者は、世界樹の枝からソナの魂をもぎ取り、異世界に生まれさせた。
そして自らは、社会的地位のある家族の胎児に憑依して、同じ世代に育ってゆく。
世界樹の民ではなく、異世界の普通の人間として生まれた少女は、無力な存在。
魔王は少女に孤独と絶望を与え、その魂の輝きを失わせようとしていた。
夢の中では正体を暴かれ、聖魔法で消し去られた異形の者。
実際の過去では、少女に腕を振り払われた少年は、階段から落ちて死亡していた。
その死は、憑依していただけの魔王にとっては痛くもかゆくもない。
しかし目撃した人々には、想いを寄せる相手に拒絶されて事故死した、可哀想な子供として記憶された。
死んだ少年から憑依を解いた魔王は、周囲の人々を操ってソナを追い詰めてゆく。
ソナ自身を操る事は出来なかったので、虐めという形で精神にダメージを与え続け、自殺に向かわせた。
絶望したまま死ねば魂は闇に染まり、黒い果実に吸収される。
魔王はソナの魂を自らの中に取り込もうとしていた。
生きる事に苦痛を感じて死を望み、大きな川に架かる橋の上から、少女は飛び降りた。
川に落ちて死亡すれば、その魂は魔王のものとなる。
創造神は、それを妨げた。
落下の途中で異世界転移の力を使い、創造神は少女が本来生まれる筈だった世界へ呼び戻す。
それに気付いた魔王が、発動した転移の力に手を加え、転移先で死亡するように仕向ける。
その結果、少女は氷点下の冬の森に転移し、孤独と絶望を感じながら凍死した。
そこへエカが通りかかり、不死鳥の力を使って蘇生させて、今に至る。
創造神は、世界樹に宿る魂たちに、様々な運命を授ける。
勇者や聖女となる世界樹の子供たちは、授けられた運命によって惹かれ合い、絆で結ばれる。
その中で、ソナを死から救えるのは、不死鳥の主人であるエカだけ。
エカが、あの日あの場所へ行き、雪の中からソナを見つけられたのは、自らと周囲の人々に幸運をもたらす福音鳥の主人、アズの影響を受け続けていたからだった。
「そっか、アズもソナを助けていたんだね」
今頃は強化合宿で頑張ってる筈の弟を思い浮かべて、エカは微笑む。
『これで黒い果実の毒は全て消えた。愛し子は本来あるべき姿に戻そう』
創造神の【声】がして、まだ眠ったままのソナが微かな白い光に包まれる。
ソナの身体が、異世界人から世界樹の民へと変化してゆく。
黒髪から色が薄れ始め、生まれたばかりの世界樹の子と同じ、白い髪に変わった。
『出ておいで』
創造神の【声】が誰かを呼ぶ。
エカたちの近くに転送陣が現れ、そこから出て来たのは、青い髪の少年。
「アズ?! なんでここに?!」
「今、休憩時間だから」
驚くエカに、アズは平然として答える。
『眠っている間に使ってあげなさい』
「はい」
創造神に言われたアズは歩み寄り、眠っているソナの頭に手をかざした。
その手から湧き出た7つの小さな光の玉は、それぞれ異なる色をしていた。
ボクにはそれが何か分る。
7つの光球は、召喚獣の胎児だ。
アズは、以前オトンヌの抽選会で手に入れた召喚獣のタマゴを全て、ソナに贈った。
ソナの髪色が、虹色を含む銀髪に変わる。
意識が戻った彼女が開くその目も、黒ではなく7つの色彩を持つものに変化していた。
「……アズ、今の……」
「プレゼント。大切な仲間が、もう連れ去られないようにね」
困惑するエカに、アズが微笑んで言う。
「じゃ、俺は合宿に戻るよ」
そう言うと、アズは出て来た転送陣へと戻ってゆく。
アズが帰ってしまった後、エカはしばらく放心状態になった。
「エカ、顔」
その腕に抱かれたまま、ソナがエカの頬をツンツンとつついた。