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さよなら袋麺マン

作者: 東雲長閑

 放課後の通学路で、佐藤は手帳を拾った。飾り気のない手帳で、中にはびっしり文字が書き込まれている。裏表紙に沢井美月という名前を見つけた佐藤は息をのんだ。沢井は隣のクラスの長い黒髪の美少女だ。佐藤は手帳を開け閉めしながら、沢井のことを思い浮かべた。彼女はどんな性格だろう。手帳を返したらどんな反応をするだろうか。これを機にお近づきになれるのではないか。佐藤は鼻歌を歌いながら家路についた。


 佐藤は家に帰ってからも、沢井のことが頭から離れなかった。ベッドに入ったもののなかなか寝付けず、朝5時には目が覚めてしまった。

 翌朝、佐藤は登校するなり沢井が所属している2年C組の教室を訪れた。教室中をくまなく見ても、沢井の姿はない。登校してきた生徒に訊ねると、沢井は数日前から学校に来ていないとのことだった。

 佐藤は深いため息をついて、自分の教室に戻った。彼女は何故学校に来ていないのだろう。通学路で事件に巻き込まれでもしたのではないかと不安になった。


 手がかりを求めて、佐藤は手帳を読み始めた。そしてたちまち引きこまれた。ページをめくる度に、沢井の瑞々しい感情が伝わってきた。手帳の中には、小説、漫画、映画などの感想が書かれており、自分も好きな作品名が登場する度に佐藤の胸は高鳴った。

 後半には小説の構想、プロットが書かれていた。高く閉ざされた塔に住む孤独な少女の話だ。自分も小説を書くだけに、佐藤は沢井の作家としての技量の高さをはっきりと感じた。彼女と創作について話し合えたら楽しいだろな。佐藤は妄想を膨らませた。


 佐藤は手帳に挟んであった映画館のチケットを手に取り、自分が普段見るようなハリウッド映画とは全く違う、マニアックな映画のタイトルに興味を持った。チケットの日時は今日の午後4時だ。映画館に行けば沢井と会えるのではないか。佐藤は映画館に向かい入り口でしばらく待ってみたが、沢井は現れない。

 このままではチケットが無駄になってしまう。佐藤はしばらく逡巡した後、チケットを渡して中に入った。暗闇の中、映画が始まると佐藤は映画の世界に引き込まれた。しかし、すぐに映画どころではなくなった。彼の右隣に沢井が座っているのに気づいたからだ。彼女も同じ映画を観に来ていたのだ。

 沢井に視線を送る。大きな瞳が一心にスクリーンを見つめていた。沢井が気になって映画の筋が全く頭に入って来ない。だが、この後もし映画の話になって、ストーリーを全く覚えていなかったら彼女に失望されてしまうだろう。佐藤は必死に映画に集中した。


 3時間後。ようやく映画が終了した。映画館を出た所で佐藤は沢井に声をかける。手帳を差し出すと、沢井の瞳から涙がこぼれた。

「有難う。2年間あらゆることを書き貯めていた手帳なの。もう返って来ないと思っていた。」

沢井は両手で手帳を抱きかかえた。

「勝手にチケットを使ってしまってごめん。チケット代を払うよ。」

佐藤が財布を出すが沢井は手帳を拾ってもらったお礼だと言って固辞した。押し問答の末に、佐藤が沢井にお茶をおごることになった。


 二人は駅前の喫茶店に入るとひとしきり今見たばかりの映画の話に花を咲かせた。

 佐藤が、沢井が手帳で絶賛していた森見登美彦の話を振ると、沢井は身を乗り出して話し始めた。『ペンギン・ハイウェイ』の素晴らしさについて意見の一致を見た二人は固い握手を交わした。

 二人は時間を忘れて話し続けた。沢井は隣合ったジグソーパズルのピースのように、佐藤の心にぴったりとフィットした。

「沢井さん、また一緒に映画を見に行こうよ。」

「いいですね。次は佐藤君がおすすめしてね。」

二人は笑みを交わした。佐藤は沢井に対して、ますます好感を持った。彼女が自分に興味を持ってくれていることがたまらなく嬉しかった。

「手帳に高い塔に住む少女の話の構想が書いてあったよね。あの話、すごく面白そうだね。」

佐藤が言うと、沢井は真っ赤になってうつむいた。

「沢井さん。あなたの小説を読ませて欲しいんだ。」

沢井は動揺し、手帳をぎゅっと握りしめた。

「私の書いたものなんてつまらないよ。」

「そんなことないよ。隣の塔の姫の美しい歌声に魅力され話しかけたいのに、声にコンプレックスがあるからなかなか話しかけられないというアイデアは痛切で、胸をわしづかみにされたよ。」

沢井はしばらくストローでコップの氷をかき回していたが、目を閉じて頷くと、鞄から草稿を取り出して佐藤に手渡してくれた。


 佐藤は沢井の小説を読み始めた。最初は不安そうにこちらを見つめる沢井の視線が気になっていたが、すぐに小説の世界にのめり込んだ。

 沢井が描く情景や登場人物たちは鮮やかで、佐藤は自分がその場にいるような感覚を覚えた。少女が勇気を振り絞って隣の塔に話しかけるシーンは胸が熱くなったし、隣の塔の姫との別れのシーンではボロボロ泣いてしまった。

「どうだった? 」

読み終えた佐藤に沢井がおずおずと尋ねる。

「こんなボロ泣きしているのにわざわざ聞くまでもないだろ。」

佐藤が答えると、沢井は安堵の息を吐いた。

「ぜひ小説投稿サイトで発表して世界中の人に読んでもらうべきだよ。」

佐藤が提案すると、沢井は両手を前に広げて首をぶんぶん横に振った。

「とてもそんな自信はないよ。」

「それじゃあ僕の小説を読んで自信をつけてよ。」

佐藤は自分が「小説家になろう」で公開している小説『袋麺マン』をスマホで表示すると、沢井に渡した。

「佐藤君も小説を書いているの? 」

沢井は目を輝かせて読み始めた。最初は真面目な顔で読んでいたが、じきに口元が緩み始め、何度もこらえきれずに吹き出した。

「僕なんかこんな小学生が書いたみたいな小説なのに堂々と公開しているんだぞ。沢井さんはもっと自分の小説に自信を持つべきだ。」

佐藤が言うと、沢井は笑い過ぎて出た目元の涙をぬぐった。

「確かに小学生みたいな文体だけど、内容とマッチしていてすごく面白いよ。それにすごく優しい世界観だよね。私もピンチになったら袋麺マンに助けてもらいたいな。」

佐藤は飛び上がって喜びたいのを必死にこらえた。

「沢井さんは作家になりたいんだよね。誰かに読まれることを恐れていたら作家にはなれないよ。」

佐藤は沢井に小説を公開するよう熱心に勧めた。沢井は不安と期待が入り交じった顔で聞いていたが、徐々に期待の割合が勝ってきた。

「分かった。公開してみる。」

沢井はスマホを操作して小説家になろうのアカウントを作成した。深呼吸をした後に、投稿ボタンを押す。沢井の小説は全世界に公開された。


 帰り道、佐藤と沢井は神社に立ち寄った。二人は一緒に鈴を鳴らし、互いの小説が多くの人に読まれるよう、両手を合わせて祈りを捧げた。

 二人はおみくじを引いた。佐藤のおみくじは末吉だったが、沢井は大吉だった。沢井のおみくじには「強く願えば何でも叶う」と書かれていた。

「神様から、沢井さんが作家になれるというお墨付きがもらえたね。」

佐藤が言うと、沢井は花が咲くような笑みを浮かべた。

「有難う。あなたに出会えて、私の夢が叶うかもしれないと思えたんだ。」


 沢井がトイレに言っている間、沢井の小説ページにアクセスしてみると、早速感想コメントが書き込まれていた。しかも絶賛されている。佐藤からそれを見せられた沢井は、顔がほころばせた。沢井は沢井の小説を絶賛するコメントを眺め、スマホを両手で抱きしめてじっと幸せをかみしめていた。

「佐藤君有難う。佐藤君がいなかったら、私は自分の小説を誰かに見せる勇気が持てなかった。自分の小説を誰かに読んでもらえるってこんなに嬉しいんだね。」

喜ぶ沢井を見て、佐藤は自分のことのように喜びを噛みしめていた。


 一週間後。佐藤は翌日の映画デートを前に洋服を選んでいた。やはり定番のスキニージーンズかな。もっとフォーマルな方が良いだろうか。佐藤がうきうきと服を見比べていると、スマホが振動した。沢井からのメッセージだ。すぐさまタップした佐藤は凍り付いた。

「本当にごめんなさい。明日の映画は行けそうもありません。さようなら。今まで有難う。」

血の気が引いて、佐藤は壁にもたれかかった。

「突然どうしたの? 何があったの? 」

すぐにメッセージを送るが一向に返信がない。佐藤は冬眠前の熊のように部屋を歩き回り、意を決して電話をかけたが、電波の入らない場所にいるか~というメッセージが流れてつながらない。佐藤は床に座り込んだ。

 一体何が悪かったんだろう。昨日の夜も楽しく電話で話していたのに。頭をかきむしるが何も思い当たることはない。考えられるとすれば、無断で手帳を読んだことや結構強引に小説を公開するように勧めたことぐらいだ。でもあれは一週間も前のことで――

 佐藤は沢井が公開した小説のページにアクセスし、うめき声を上げた。数時間前、沢井の小説に新しいコメントがついていた。タイトルは「自己憐憫の塊のようなお涙頂戴小説」。ページをスクロールすると、目を覆いたくなるような酷評が並んでいた。第三者の僕でさえ気分が悪くなるのだから、当事者の沢井がどれほどショックを受けたかは想像に難くない。沢井はこの感想のせいで体調を崩し、明日の映画に来れなくなってしまったのだ。

 だが、それで何故僕と別れねばならないのか。もしやショックのあまり自ら――。最悪の想像が頭をよぎる。まさかと打ち消すが不安はどんどん膨らんでいく。


 佐藤はよれよれの部屋着のまま家を飛び出した。電車に飛び乗って沢井が住む町に向かう。すっかり日も没し、人通りのない住宅街を、表札を確認しながら走り回る。一時間後、遂に沢井の家を探し当てた。

 呼び鈴を鳴らすと沢井の母が扉を開けた。沢井は夕方に何も言わずにどこかに行ってしまったのだと言う。だが、玄関には沢井の靴が残されている。靴も履かずに失踪するとはただ事ではない。佐藤は沢井の母に促されてリビングに入った。

 リビングでは沢井の父と小学生ぐらいの妹が沈鬱な顔でテーブルを囲んでいた。

「美月が夜に黙っていなくなるようなことは今までなかったのに。」

父親が言ってお茶をごくりと飲み干した。

沢井の妹が佐藤のことをじっと見ている。佐藤が「何か知っているの? 」と尋ねると、しばしためらった後に口を開いた。

「お姉ちゃんは光るゲートの向こうに入って行ってしまったんです。」

「お前、またそんな嘘を! 」

「嘘じゃないもん! 体中に袋麺を貼り付けた変な男と一緒に入っていったのを確かに見たもん! 」

佐藤は驚いて椅子から立ち上がった。体中に袋麺を貼り付けた変な男。そいつは佐藤が書いた小説の主人公、袋麺マン以外にあり得ない。

「その話、もっと詳しく聞かせてくれ! 」

佐藤は沢井の妹と一緒に沢井の部屋に向かった。沢井の部屋から眩い光が漏れ出しているのに驚いた妹が扉を開けると、沢井と奇怪な男が手をつないで、部屋の中央に出現した光るゲートに入っていく所だった。二人がゲートを通り抜けると、ゲートは跡形もなく消えてしまったのだと言う。

 佐藤が部屋を見回すと、床に焼け焦げた紙片が落ちていた。それは「強く願えば何でも叶う」と書かれたおみくじだった。

 どうやら沢井はおみくじの力を借りて、佐藤が書いた小説の世界に入ってしまったらしい。信じがたいがそれ以外に説明がつかない。

 沢井の妹に聞いてみたが、彼女は袋麺マンのことを知らなかった。袋麺マンのことを知らないのに、袋麺マンの外見的特徴を正確に言えるということは、袋麺マンを目撃したとしか考えられない。


 佐藤は沢井家を出ると神社に向かった。駅からの道をひた走り、月明りだけに照らされた参道を通っておみくじ売り場にたどり着く。百円玉を入れて御神籤箱を振り、棒を取り出す。数字が書かれた引き出しを引いておみくじを取り出す。「凶 待ち人来ず」。佐藤は再びおみくじを引く。「大凶 願いことごとく叶わず。諦めよ。」佐藤は唇を噛んで次々おみくじを引くが、一向に「強く願えば何でも叶う」と書かれたおみくじは当たらない。

 財布の金が尽きた佐藤は自宅に取って返し、引き出しからお年玉で貰った虎の子の一万円を取り出した。コンビニでうまい棒を買ってお金を崩し、再び神社に向かう。満月は天高く上り、町は静まり返っている。聞こえる音は佐藤が吐く荒い息だけだ。

 佐藤は台の上に百円玉を積み上げると、次々おみくじを引いた。料金箱が沼のように百円玉を吸い込んで行き、ついに最後の一枚となった。佐藤は本堂に走り、両手を合わせて必死に祈った。それから料金箱に百円玉を入れ、御神籤箱を振る。今まで一度も出なかった数字が表れた。引き出しを引いておみくじを取り出す。ついに「強く願えば何でも叶う」と書かれたおみくじを引き当てた。

 沢井に会わせてくれ! 佐藤は目を閉じ、おみくじを握りしめて一心に祈った。目を開けるとそこは昼間の町中だった。小学生がクレヨンで描いたようないい加減なディティールの街並みが広がっている。道の先には安売りスーパーBig-Menがある。間違いない。ここは袋麺町だ。佐藤は自分が書いた小説『袋麺マン』の世界に入り込んだのだ。


「はっはっは! そこの少年。何かお困りかな。」

陽気な声に振り向くと、そこには筋骨隆々の全身タイツで、頭には鍋を載せ、体中に袋麺を張り付けたナイスガイが立っていた。袋麺マンだ! テンション爆上がりになった佐藤が握手を求めると、袋麺マンは快く応じてくれた。佐藤は袋麺マンと楽しく笑い合っていたが、じきに我に返った。

「袋麺マン。ここに沢井さんが来なかったか? 彼女に合わせてくれ。彼女を現実世界に連れ戻したいんだ。」

佐藤が言うと袋麺マンは首を横に振った。

「彼女は誰とも会いたくないと言っている。帰り給え。」

佐藤はしばしためらった後に口を開いた。

「確かに沢井さんには一人になる時間が必要かも知れない。だが、いつまでもこんな所に閉じこもっている訳にはいかないだろう。彼女と話をさせてくれ。」

「断る! どうしてもと言うなら私を倒して行け。」

袋麺マンは頭上の鍋に入ったお湯を謎のパワーで沸騰させると、肩口からチキンラーメンを取り外し、鍋に投入した。どうやら戦うしかないようだ。

 佐藤が袋麺マンに襲い掛かると、袋麺マンは頭上の鍋から茹で上がった麺を飛ばして攻撃してきた。四肢を麺に絡み取られ、電柱に縛り付けられる。強い! さすが袋麺町最強のヒーローだけのことはある。自分が創ったヒーローが強くてちょっと誇らしくなる佐藤だったが、すぐにそれどころではなくなった。袋麺マンの麺が佐藤の体を締め上げてきたからだ。

「降参しろ少年。君に私は倒せない。」

袋麺マンが余裕たっぷりに告げる。だが、佐藤はその提案を拒否した。袋麺マンが麺を絞める力を強める。佐藤はそれに必死に耐えた。佐藤は袋麺マンの生みの親。袋麺マンのことなら何でも知っている。袋麺マンには致命的な弱点がある。それを突けば逆転できる。

「むう。なぜ降参しないのだ。」

袋麺マンが苛立ったように言う。その瞬間、佐藤は麺を引きちぎった。袋麺マンが新たな麺を繰り出すが、佐藤はそれをやすやすとはねのけた。

「袋麺マンの弱点。それは時間が経つと麺が伸びて柔らかくなってしまうことだ! 」

佐藤が袋麺マンを指差して告げる。袋麺マンはがっくりと膝をついた。

「袋麺マン。お前の敗因はすぐできるが伸びやすいチキンラーメンだけで戦ったことだ。僕を縛っている間に二夜干し麺のように伸びにくい麺を茹で上げていれば、僕が負けていただろう。」

「そんな戦い方があったとは! 」

袋麺マンは唸った。

「私の完敗だ。少年よ、行くが良い。」

袋麺マンが道を開ける。佐藤は一目散に駆け出した。


 沢井がいるとしたら袋麺マンの家だろう。袋麺町は佐藤が子どもの頃住んでいた町をモデルにしている。袋麺マンの家のモデルも佐藤が昔住んでいた家だ。石蹴りをしながら帰った通学路を進んでいくと、町はずれに建つ小さな一軒家を見つけることができた。

 引き戸を開けて中に入る。玄関から入ってすぐの居間で、沢井が目を丸くしてこちらを見つめていた。

 佐藤がどうやってここにたどり着いたかを語ると、沢井もここに来た経緯を語ってくれた。酷評コメントを読んでダメージを受けた沢井が「もうこんな辛い現実世界にはいたくない。袋麺マン、私を助けて!」と強く願ったら、袋麺マンが現れ、袋麺マンの家にかくまってくれたのだと言う。

「酷評コメントは僕も読んだよ。沢井さんの作品の素晴らしい所に気づけないなんて残念な読者だね。あんな姿勢ではどんな作品を読んでも楽しめないよ。」

沢井が顔を輝かせる。このまま酷評者をこき下ろし続けたいという思いがむくむくと高まる。だが、僕は沢井にプロ作家になって欲しいと願っているから、次の言葉を言わねばならない。

「でも主人公が塔の中に閉じこもったまま終わるのは良くないという指摘には一理ある。」

沢井が信じられないというような目で佐藤を見る。心の扉を閉ざすように目を伏せると、袋麺マンの部屋に入って行って扉を閉めた。

 もう僕にできることは何もない。後は沢井次第だ。

 佐藤はスーパーBig-Menに行って、キャベツと油揚げと、今は発売中止になってしまったBig-Menラーメンを買ってきた。キャベツと油揚げの炒め物を作ってしばらく待ったが沢井は出てこない。

 キャベツの炒め物がすっかり冷めきった頃、沢井が部屋から出てきた。

「自分の小説を読み返してみた。確かに主人公が塔から出て終わった方が良いね。」

痛みに耐えるような顔で告げる。それから

「お腹が空いちゃった。」

と言ったので、佐藤はコンロに小鍋をかけた。茹でたBig-Menラーメンにキャベツと油揚げの炒め物を載せて二人で食べる。沢井に笑顔が戻った。

「現実世界に帰ろう。」

佐藤が言うと、沢井は頷いた。

「どこかに元の世界に帰れるゲートがあるかも知れない。」

小学校の屋上に上って周囲を見渡すと、川向こうの神社でゲートが光っているのを発見した。だが、橋の手前に透明なバリアのようなものが張られていて、そこから先に進めない。

 二人で手分けして調べた結果、バリアは袋麺町をぐるりと取り囲むように張られていた。袋麺マンは袋麺町から出たことがなく、袋麺町の外が舞台になったことがないからに違いない。

「それなら『袋麺マン』の結末を書き換えて、袋麺マンを袋麺町の外に出せば、私達も外に出られるんじゃないかな。」

沢井が提案する。佐藤がスマホを操作すると、小説家になろうにアクセスできた。佐藤はしばらく考えた後、スマホで文末に文章を追記した。


 その時、袋麺マンに緊急通報が入った。隣町に賞味期限切れ怪人キゲンギレーが現れたのだと言う。

「これからは袋麺町だけでなく、世界中の平和を守るぜ! 」

袋麺マンは袋麺町から飛び出した。


 すると、二人の横を袋麺マンが颯爽と走り抜け、バリアを突き破って走り去っていった。二人は袋麺マンが開けたバリアの穴から外に出ることができた。

 川向こうの神社の光るゲートに入る。ゲートは二人がおみくじを引いた神社に繋がっていた。神社には朝日が差し込み、鳩がエサをついばんでいる。二人は半日ぶりに現実世界へと帰還した。

 石畳に降り立った瞬間、佐藤は全身の力が抜けてへたり込んだ。隣では沢井も地面に座り込んでいる。二人は手を取り合って安堵の笑みを交わした。

「袋麺マンにお別れを言えなかったな。」

沢井がぽつりと漏らす。それは佐藤も心残りだった。戻って袋麺マンに別れを告げて来ようか、という思いが頭をよぎる、沢井さんが借りたサンダルも返しに行きたいし、Big-Menラーメンの残り3袋も持って来たい。

 だが、ゲートは揺らいでおり、いつ閉じてしまうか分からない。Big-Menラーメンは袋麺マンがサンダルのお礼に美味しく食べてくれるだろう。

 二人は振り返らないようにして歩き出した。住宅街を抜け、駅前にたどり着く。もうすぐ到着する始発に向けて、町は再活動を始めていた。


「本当に有難う。佐藤君のお蔭で帰って来ることができた。あなたがいなかったら、ずっと閉ざされた塔の中に閉じこもったままだった。」

「こちらこそ有難う。沢井さんと出会わなかったら、袋麺マンは袋麺町だけのヒーローだった。沢井さんのお蔭で袋麺マンを世界中で活躍するヒーローにすることができたんだ。」

二人は抱擁を交わした。

「小説のアイデアがあふれ出して止まらないの。今ならものすごい傑作が書けそうな気分よ。」

「僕もだよ。今なら一気に原稿用紙百枚ぐらい書けそうだ。」

 二人はそれぞれの小説を書くために、駅前で別れた。


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