それぞれの心境
その密偵は走った。ただひたすらに走った。自分の見た者を報告するために。
あり得ない、あり得るわけがない。まさか魔将帝がやられるなんて……コンラート様は何と仰るだろうか。
そんなことを考えながら走り続けた密偵はついに目的地である自分たちの拠点を見つけた。
急いで中に入って待っているコンラートに報告しなくては、そう思いながら足早に会議室に向かう。
コンコンッ
「入れ」
「失礼します」
「どうだった?」
入っていきなりコンラートにそう聞かれた密偵の男はすくみ上ってしまった。それを見てコンラートは鼻高々になる。
そりゃそうだ。魔将帝が暴れてると聞けばより人類の滅亡が早まる。自分たちのような特別な人間だけが生き残る世界を望む魔天教の大司教たるコンラートは自分たちの明るい未来を信じて疑っていない。
そして報告にさぞ期待した。今頃魔将帝・色欲のアリシアが暴れていた場所はそれこそ大惨事、という現状なのだろうと。
しかし密偵の方はそれどころではない。ここまで上機嫌の時のコンラートの機嫌を損ねるのは死に直結する可能性が高いというのを理解していたからだ。
自分が悪いわけではないがそんな理屈の通用する相手ではない。
「そ、それが……」
「ん? どうした? 早く朗報を言え。じれったいのが嫌いなのはお前も知っているだろう?」
「承知しております。では、ご報告いたします」
「うむ」
「魔将帝・色欲のアリシア、討ち死にでございます」
「は?」
「ヒィッ!?」
コンラートはこっちをギロリとにらんできた。そう、本当にギロリとにらんできたのだ。
殺人鬼の目だ。密偵は素直にそう思った。
「聞き間違えか? 俺はあの魔将帝が死んだと聞こえたんだが」
「は、はい。おっしゃる通りでございます。謎の集団が現れたと思った瞬間。とんでもない強さの闇魔法で小競り合いをしていた天使と悪魔を撃滅。その後面白そうにやってきた色欲のアリシアはその天使と悪魔を討伐した魔法師らしき少年と対峙します」
「天使と悪魔をそんなに早く倒したってことは竜魔導師か?」
密偵はあれ? と思った。思ったより怒ってない? むしろ冷静に正解を言い当ててきた。
「は、はい。その通りでございます」
「しかも少年と」
「はい。私も目を疑いました。しかしあれはれっきとした子供で、色欲のアリシアと対峙した時はその……」
「なんだ? はっきり言え」
「は、はい。その、神位竜と思われる覇気を放つ竜を5体召喚しました」
「は?」
「し、信じられないのはお察します。ですぐあ本当なのです。その反則的な力を持つ竜魔導師の少年に色欲のアリシアはかなり、いや相当善戦しました。しかし最後にはお互い力業の勝負となり、そして竜魔導師の子供が戦いを制しました」
「なるほどな」
密偵の男は驚きを禁じ得ない。今までにここまで冷静に報告を聞いてくれたことがあっただろうか?
いや無いだろう。いったいどうしたのだろうか?
「ああ、もしかしたらそれ、最近出てきた子供伯爵の仕業じゃないか?」
「子供、伯爵?」
「ああ、まあ、今はもう14歳になってるだろうから噂が出回り始めたころよりは大人になってるだろう。14なら普通に縁談とかもありえなくはない年齢だしな」
「は、はぁ」
「まあ、そんなことは置いといて。問題はもしそいつがやったのならそいつは強すぎるってことだ。おそらく俺でも勝てないだろうな。だがあのお方なら勝てるかもしれないし、何よりほかにもまだ魔将帝や聖天将はいる。それに奴らにはさらに上の親玉がいるからな」
「魔将帝や聖天将よりも上、でございますか?……」
「ああ、まず言えることはそいつらは別次元ってことだ。俺の予想ではその伯爵でも勝てないんじゃないかな? まあ、どのみちその今の状況が続けば確実に人類は滅びに向かうだろう。そしてその伯爵は確実に生き残る。その時に仲間にすればいいんじゃないか? もし仲間にならなかったとしても竜魔導師なら歓迎だ。滅ぶべきは人間なんだからな。竜魔導師は人間とは違うんだ。選ばれし者だ。ははは、これから面白くなりそうだな」
大司教コンラートの話を聞いて密偵は少し、ほっとした。話の内容がどうであれ報告をすれば殺されるかもしれないとおびえていた彼からすれば、コンラートの機嫌がよくなっただけで十分なのだ。
「では、様子見ということで?」
「そうだな。だが俺たちの計画を邪魔する勢いで乱入してくるなら対策を考える。だから今はお前は何も考えなくていい。わかったな?」
「かしこまりました」
「うむ。では下がれ」
そうして男は下がっていった。
アフトクラトリア帝国・帝都の王宮にて、
「はあ!? アリシアがやられただと!?」
怒気をにじませたその問いに報告に来た悪魔はすくみ上った。
「それで? 奴の配下たちはどうなんだ?」
「それが、かなり意気消沈しているようで……気も立っておられるらしく、お声がけすることもままならない状態でございます」
「まあ、主君がやられればそうなるだろうな。自分が必死に敵と戦ってる間に主君がやられちまえば俺だってそうなる。むしろお前らを無駄な死傷者を出さずちゃんと連れて帰ってきて俺たちに報告しようと戻ってきただけでも上出来だ。その場で自害なんかしやがったらただじゃ置かなかったぜ。まあ死なれたら何もできないんだけどな? ははは」
「……」
報告者は一緒に笑う気になれない。何せ今自分が報告しているのは憤怒のヴォルドールだ。
一番仲間思いで、一番起こると手が付けられない性格なのだ。今も冗談を言ってるが目が全くと言っていいほど笑ってない。
むしろ玉座の肘置きを握り、ミシミシと音を立てている。
(ああ、怒ってらっしゃる。でも私が悪い事をしたわけではないため殺されてないだけか)
そう、悪魔は意外と仲間思いなのだ。ただその愛情が向くのが仲間だけなので、他の生物に対してはほとんど興味を示さない。
「取り敢えず、仕方ねえ。とにかく今はアリシアを殺した野郎を見つけ出せ。俺様が直々に八つ裂きにしてやる!」
「は、はい!」
報告に来た男は飛び上がって走っていった。
一方、ヴォルドールの方はというと、
(クソ、アリシアがやられただと!? あり得ねえだろうが! 奴の誘惑の力にあらがえるのは俺たちかあのゼデルゲート様ぐらいなんだぞ!? つまりそのアリシアを戦ったっつう野郎は俺たちと同じ領域にいるってわけか。クソ! それにあいつがいなくなった穴はデカい。すぐにあいつと同じ戦闘力を持つ同胞を添えられねえ。痛手過ぎるぜぇ)
「やってくれやがったな、どこのどいつか知らねえが覚悟しやがれ」
「ならばまずは聖天将を一人落とすとするか?」
「ゼローグ……いたのか」
「まあな。そのアリシアを倒したという輩も見つけ出して叩き潰さねばならんが、何より我らの戦力は今……」
「言うな、分かってる。今まで五分だった戦況が変わっちまった。羽虫どもが調子に乗りかねねえ」
「ああ。という訳で我はまず一人で行動してる聖天将を探しに出てくる」
「頼んだ」
「ああ、任せろ」
そういって暴食のゼローグは闇の中へ消えていった。




