87.「自主性の尊重」
叶美香が100万円誤発注の責任をとって生徒会長を降りる意向を示している。
北条郁人たちからその話を聞き、たどり着いた学校サイドの一番偉い人と思われる理事長室。
「葵お嬢様、何を飲まれますか?」
「う~ん……カルピス」
「かしこまりました」
理事長の秘書と思われる大人の女性。
7月。
外はすでに気温が30度を超えの真夏日。
神宮寺に冷たい飲み物でも出すつもりのようだ。
お嬢様のついでに俺も飲みものを聞かれる。
「お飲み物は?」
「ネクターでお願いします」
「かしこまりました」
「ネクター?」
あるのかネクター。
さすが理事長室。
コンビニ並みに品揃えは豊富。
部屋の隅に黒革のソファー。
理事長がまず座り、その隣にベッタリと葵が寄り添う。
鉄仮面だった理事長の顔がほころぶ。
会議を消えた理由は明白。
そもそもなんの会議が予定されていた?
その親子2人の向かいに1人座る。
俺の場違い感は半端ない。
まるで面接?
こっちは上座と言うやつか?
部屋の奥に理事長が普段座るであろう、重厚な執務机が視界に入る。
その上にある、怪しい輝き。
刀……日本刀?
学校にこんなものあるわけ……レプリカか?
本物なら、なお恐ろしい。
護身用?
誰を何から守る?
さらに壁にかけられた日本刀の近くには掛け軸が並ぶ。
掛け軸にはこう書かれていた。
『一刀両断』
俺の未来を暗示する。
恐るべき言葉。
俺、昼休みに何やってる?
理事会の関係者に、生徒会長に責任は無いと文句を言いに来たのは間違いない。
いきなり理事長に会えるなんて思ってなかった。
よく分からんが、この人、一番偉い人だよな?
「高木君、久しぶりだね」
「ご無沙汰しております」
「ははは、礼儀正しい、実に素晴らしい」
ローソンでバイトを始めて、社会経験がある。
必要最低限の礼儀は当然。
偉い人に誉められるのは、素直に嬉しい。
「全国模試の結果は聞いておる。我が校の誇りだよ君は」
「いや、たまたまです」
「ははは、謙遜しないでよろしい」
「よろしい」
葵がふざけてパパと同じ事を話す。
全国模試の結果は、俺であって俺じゃない。
幻想の俺。
未来ノートを使った幻の成績。
素直に喜べるわけがない。
「お待たせ致しました」
「わ~」
秘書のお姉さん。
矢吹と呼ばれる秘書。
葵に先にカルピスを。
俺にはネクターを出してくれる。
ガラスのコップ、氷が浮かぶ。
赤いストローまで。
カルピスを与えられた神宮寺葵。
遠慮なくストローをぱくり。
チューチューと吸い始めた。
カルピスがよほど冷たくて美味しいらしい。
足をバタバタさせる。
そんな神宮寺を観察していると、すぐに目が合う。
ストローから口を放す。
「シュドウ君もこれ飲む?」
「飲まないよ」
「オッホン」
パパのみけんにシワ。
日本刀が視界に入る。
「美味しいよ?」
「分かったから。ちょっと黙っててくれ」
「うん……(チュチュー)」
葵が俺をダークサイドに引き込んでくる。
パパの前で吸えるわけないだろ。
お菓子かジュースを飲んでいる時しか大人しくしていない神宮司。
カルピスを飲んでいる時は静か。
パパと話せるチャンス到来。
それにしてもいきなり理事長に会えるなんて夢にも思わなかった。
数馬を一緒に連れてくれば良かった。
郁人でも良い。
現状の学校サイドと生徒会の認識のミスマッチ。
ミスを犯した生徒会をとがめる理事会。
学校のために身を尽くした生徒会長。
俺には上手く説明できない。
だが生徒会長は生徒のために汗を流している事を、俺は横浜に行って一番よく分かっている。
ここには説明できる人間が俺しかいない。
神宮司のカルピスが残りわずか。
あれが無くなればパパと楽しいお話が始まってしまうに違いない。
よく分からないけど、一番偉い人が目の前にいる。
今しか説明するチャンスはない。
俺が言うんだ、叶美香はこの学校に、生徒会に必要な存在だって。
(チュチュー……ズルル)
「は~美味しかった」
「葵、今日は突然どうしたんだ?」
「お父様、あのねあのね。シュドウ君が今後について大事なお話があるからわたしも一緒に来てって」
「な、なんだと!!」
(バァン!!ガラガラパキ~ン~!)
「キャー」
「頼むからちょっと黙っててくれ神宮司!」
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「―――というわけでして」
「なるほど、理事会から受けていた報告とは、少しわたしの認識が違っているようだな」
俺は横浜に行った時、去年から生徒会長として活動してきた叶美香の話を直接聞いている。
消費増税が行われた去年、フランフルトの1本50円の価格維持に向けた一括購入。
自ら開拓した購入ルート。
下級生の成長を促すために、経験を積ませるために
あえて任せた。
自らがすべて責任を取るつもりで。
今年度、ある1人の生徒が発注したパンダストラップによってミスが発生した事は素直に認めた。
「チェックが甘かったのは、致し方ない事実か」
「はい、それは生徒会も認めています。発注を担当した副生徒会長も相当責任を感じています」
「君は生徒会長1人が降りるだけでは済まないと?」
「僕はそう思います。叶美香が降りれば生徒会は瓦解します。学校にとっても、生徒にとっても、何も良い事はありません」
「なるほど」
上手く説明できたのか分からない。
理事長は席から立ち上がり、窓の外を眺め始める。
神宮司は2杯目のお飲み物が来るのを、足をぶらぶらさせながら大人しく座って待っている。
俺と同じネクターを飲みたいと、秘書の伊吹さんに頼んでいた。
どうやら楽しみにしている様子。
「高木君」
「はい」
理事長が窓の外と向いたまま、俺に背中で話しかけてくる。
「わたしは生徒の自主性を大事にしたいと考えている。その意味が分かるかな?」
「自立を促す……って事ですか?」
「ははは、その通りだ。君はすでに自立している、だから自分の事がよく分かっている」
「僕はそうは思いません」
「なぜだね?」
「与えてもらってばかりなんです。周りの友達からずっと」
俺はいつも周りに助けてもらってばかりだ。
そもそも入学できたのも、太陽と成瀬に未来ノートの入試問題を手伝ってもらったおかげ。
「それは君のおこないに、友人たちが惹かれている証拠だ」
「そうでしょうか?」
「君が相当苦労している事も、わたしはよく知っている」
「理事長……」
俺は家庭事情でとにかく金がない。
働くしか無い。
生活していくために。
入学金の30万円を貯めるためにバイトも必死に頑張った。
新図書館で必死に勉強していた事を、この人はよく分かってくれていた。
「最後に1つだけ、生徒会監査人である君の意見を聞かせてもらいたい」
「はい理事長」
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思いがけない昼休憩。
神宮司葵、そして神宮司楓の父である理事長。
叶美香が直接言ったのか、それらしくほのめかしたのか。
日曜日に生徒会のメンバーが集まった時の話は、参加していない俺には分からない。
最近色々な事が起こって、本当に時間があっという間に過ぎていく。
(き~んこ~んか~んこ~ん)
午後の授業が始まる。
古文の授業。
「それでは、小テストを行います」
S2クラスのクラスメイトたちがざわつく。
当然俺も。
しまった。
未来ノートをまったく見ていなかった。
土曜日は『作新祭』。
日曜日は1日横になって寝ていた。
今朝に至り、体が元気に回復していた。
ようやくバイトに行ける。
そんな事ばかり考えていた。
ミスだ。
未来ノートを持つ所持者としてのミス。
せっかく未来の問題が分かるチャンスを、みすみす逃してしまった。
未来の問題が分かるアドバンテージを失った今の俺は、周りのクラスメイトとまったく同じ立場だ。
「それでは始めて下さい」
予習してない。
この小テストの問題を事前に調べていない。
冷や汗が噴き出る。
この前数学のテストで76点を取ったばかり。
古文のテスト対策なんて、まったくやっていない。
失敗した。
人の心配なんてしてる場合じゃなかったのに。
俺自身の事で、余裕なんて無かったはずなのに。
この小テストが始まるまで、なんで他人の心配ばかりしていたんだ俺は?
 




