7.「最後に頼りにしたのは彼女」
「おいどうしたシュドウ?お前最近絶好調じゃないか」
「本当高木君凄いよ。私ビックリしちゃった」
「まぐれだよ、本当まぐれ」
金曜日、学校の屋上。
まるでいつもの光景のように3人で集まり昼食のパンを頬張る2人。
ただ1人。
俺だけは食が進まず、いつも持ち歩いている魔法瓶に入れた水を飲んでいた。
少しでも食べるように2人から言われたが、とても食が進む気分では無かった。
「食欲無いのか?」
「高木君やっぱり最近無理して勉強し過ぎだよ」
「そう……かも知れない。でもあと1か月だし頑張るよ」
食欲が無い理由は勉強のし過ぎ。
ある意味当たりで、ある意味違っている。
2人にはとても言えない。
俺には大きな秘密が出来てしまった。
――あの黄色いノートには、未来で俺が受けるテストの問題が事前に書かれている――
言えない。
もう俺の中では不正行為と言えるレベルの話。
真面目に努力して頑張ってきた2人には何があっても話す事が出来ない。
「シュドウ、今日も図書館行くのか?」
「うん……もちろん」
「今日は休んだ方が良いよ高木君。テストの結果も良かったし、勉強毎日頑張ってる証拠だよ」
成瀬の言ってる事は正しくない。
テストの結果が良かったのは、俺が事前にテスト問題を予習していたからに他ならない。
たしかに勉強も頑張った。
だが大半の時間を割いたのは、黄色いノートに印字された問題を解くために費やした時間だ。
俺は元々頭が悪い。
クラスでも平均以下の人間。
そんな俺が並みの問題を解くためには、2人が費やすであろう時間の何倍もの時間を割かなければ答えに行き着く事が出来ない。
社会や理科の小テストレベルですでに何時間もの時間を浪費してしまった。
――ただし俺がしたその行為には、計り知れない効果もあった。
「太陽君が言い過ぎたから、高木君無茶してるんでしょ」
「うるさいな結衣。男はこれくらい無茶しなくちゃいけない時があるんだよ」
「それダメだよ」
俺のテストの結果が良いと、3人の関係が少しずつ元に戻っていくようで嬉しかった。
俺自身がテストの結果が良かった事もあり、その満足感に浸る事も出来た。
これまでに味わった事の無い。
快感と言っても良いとても気持ちの良い達成感を味わえた。
「高木君が倒れたらどうするつもり?」
「その時は結衣が面倒見てやれって」
「無責任でしょそれ?」
まるで以前の俺たち3人に戻ったように、2人はたわいもない事で喧嘩をしていた。
いつも大人しい成瀬も、怒る時には怒る。
元が可愛いからハタ目には怒っているのかすら分からない。
2人のやりとりが微笑ましくも感じてくる。
「なあ成瀬、それに太陽も」
「えっ?」
「どうしたシュドウ?」
「あの……さ」
俺は今、目指す目標を完全に見失っている。
成瀬の事も間違いなく影響はしてる。
入りたい高校だって正直分からない。
ただ経済的に進学できる高校は、隣町の公立高校か、入れもしないと思っていた2人が進学する作新高校しか選択肢は残されていない。
「多分無理だと思うんだけど……絶対無理だと思うんだけど……さ」
「おう、言ってみろシュドウ」
「高木君」
2人の気持ちが知りたかった。
もしも、本当にもしも。
神様がそれを、叶えてくれるなら。
「おいシュドウ。後ろ向きな事は言うんじゃないぞ」
「うるさい太陽、ちょっと黙る」
あの楽しかった頃の3人に戻れるなら。
俺は2人のそばに居て良いのだろうか?
本当にそれが叶うなら。
「……やっぱ恥ずかしいからやめとく」
「ここまで引っ張ってそりゃないだろシュドウ」
「無理して言わなくても良いよ高木君」
やめとこうと思ったけど。
それでも今、言わないと。
2人は俺が何か言うのを待ってくれている。
たとえ失敗したとしても。
……後で後悔すると思った。
「あのさ……」
俺は2人と違って馬鹿だから、今のうちに言っておく事にした。
もしかしたら2人がいるところまで届くかも知れない。
そのチャンスが俺のカバンの中に、嘘かも知れないそのチャンスがカバンの中にある事を知っていたから。
少しだけど、2人がいる場所に届く気がした。
「もし作新高校の入試……合格できたらさ。もう1度3人で……どっか遊びに行かない?」
「くっ……あははは」
「太陽君、ここ今笑うところじゃない。良い良い、凄く良い。別に合格とか良いから、受験終わったらまた行こうよ3人で」
「はははは、シュドウお前最高。作新合格する目的がそれとか、やっぱお前最高の友達だよ」
太陽はクダらない俺の話を笑って聞いてくれる。
目を輝かせて喜んでくれる成瀬は、俺が今までずっと見てきた、あの屈託のない可愛い笑顔を浮かべる成瀬の表情そのものだった。
嘘かも知れないそのチャンス。
たとえそれが悪魔が用意した不正行為であったとしても……。
かりそめの嘘であったとしても、俺はそれにしがみつきたくなった瞬間だった。
太陽が隣で笑っている姿を同じ高校に行ってずっと見ていたい。
たとえ想いが届かなくても……何度見ても可愛い成瀬の笑顔をずっと見ていたい。
心の底から……そう願った。
たとえそれが……どんな手段であったとしても。
「ごめん、本当ごめん。俺もう図書館行くわ。こんな話してる場合じゃないし。勉強しないとマジ死ぬ」
「ははは、分かったシュドウ頑張ってこい。俺もレギュラー取れるように練習頑張ってくるぜ」
「ああ、そうしろ太陽。じゃあな成瀬」
「ちょっと待って高木君。今日は私が勉強付き合う」
「えっ?良いよ別に。もう太陽に大分教えてもらってるし……」
「おいシュドウ、ちょうど良いからこの前残ってたあの英語の過去問。あれ成瀬に教えてもらっとけよ」
「英語の過去問って?」
たしかにこの前太陽でも解けなかった英語の長文問題がまだ残っていた。
俺のレベルじゃ間違いの無い正答に辿り着くのは難しいと思っていた。
自分1人で単語を1つ1つ翻訳して、それらしい答えを探そうかと思っていた程度だった。
太陽はそれを覚えていた。
「ちょっと言わせてもらいますけど、私はこの中で一番英語が得意です」
「ほらシュドウ。無料の家庭教師見つかったぞ。お前無料に目が無いだろ」
「この世に無料ほど良い物は無いな」
「ちょっと2人とも、私が無料の女みたいに言わないでもらえる?」
「あははは」
その時から俺の勉強の目的は完全に変わってしまった。
カバンの中に入っている、未来で俺が受けるテストの問題が事前に書かれている黄色いノート。
これは未来のノートと言って良い。
『未来ノート』……本当に馬鹿みたいな話。
事実俺の成績は飛躍的に良くなった。
未来で受けるはずのテストの問題を予習してテストに臨んでいる。
結果が100点なのは当たり前の話。
ただその未来ノートには、致命的な弱点があった……。
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「高木君。こっちの問題の答え間違ってるよ」
「嘘、本当?」
「こっちも違う。太陽君が一緒に問題解いてたんでしょ?英語の文法分かってるのかなあの子……」
中央図書館の自習室。
妙な流れだったが背に腹は代えられなかった。
無料の家庭教師こと、ついこの前まで目を合わせるのも億劫だった成瀬が俺と過去問を一緒に解いてくれている。
事情は複雑だが俺に勉強を指導してくれる事になった成瀬が俺の隣にいてくれる。
不思議と今は勉強に集中できていた。
何より英語の長文問題、間違いの無い答えを導き出せる人が、今日この日、最後になるかも知れない人が俺の隣にいてくれる。
どうしても確認しておきたかった。
何よりあの未来ノート。
肝心の模範解答が載っていない。
どうあがいても、自分の独力だけでは間違えのない正答に辿り着く事が出来ない。
「高木君いい?この問題はナンシーが学校で取り組んでる事は何かって問う問題だから、ナンシーが所属している部活を答えるの」
そうだったのか、全然分からなかった。
問題も英語だから、問題が俺に何を解答させたいのかも分からなかった。
ナンシーは部活に所属する学生だったらしい。
勝手にフラワーショップのアルバイトなのかと覚えている単語を繋ぎ合わせて勘違いをしてしまっていた。
俺の英語レベルは本当に小学生レベル。
本当に恥ずかしい。
俺は今初めてと言って良い。
あの成瀬に英語を教えてもらっている。
こんな事は今まで3人で居て初めての事。
「ここの文法はToが正しい、だからこっちはこれ。選択肢は残り1つだから、問題が分からなくてもこっちで正解」
やっぱり成瀬は秀才だ。
一度太陽が解いていた英語の過去問。
それをすべて見直して、間違いだと気づいた問題をすべて正しい答えに直してくれた。
「ねえ高木君、これ本当に模範解答無いの?」
「これだけ無くて困ってたんだ。本当助かるよ成瀬、これで頑張れる」
頑張れるのには理由がある。
この問題がただの過去問題では無いから。
嘘かも知れないけど、ただの勘違いかも知れないけど。
これまでの事実がそれを否定する。
この問題はほぼ間違いなく、来月の入試で出題される作新高校の問題に違いない。
たとえ来月の試験会場で、まったく異なる問題が出たとしても俺はそれで満足する。
元々勉強をまともにしてこなかった俺が、どんな形であれ今、英語の長文問題にも取り組んでいる。
これから1カ月。
未来ノートを信じて勉強を重ねる準備が整いつつある。
もしかしたら、作新高校の特別進学部という高いハードルに手が届くかも知れない。
ただ2人ともっと時を重ねていきたいと本気で思っている。
その事が俺をこんなにも馬鹿な事に成瀬を突き合わせている原動力になっていた。
「これで終わりだね」
「なあ……成瀬」
「どうしたの高木君?」
「本当申し訳ないんだけど、もう少しだけ俺の自習に付き合ってもらえない?」
「うん、もちろんだよ」
「本当?実は……」
2人との約束を果たすために、失敗する可能性の方が高い賭けに打って出る事を決心している。
それはこの黄色い大学ノート。
俺が未来ノートと名付けた未来の入試問題を完全に暗記して入試に臨む事。
馬鹿みたいな、SFみたいなこの話。
そんな馬鹿みたいな話に俺はしがみつく事を心に決めていた。
「う~ん……あっ、ここも違うかも」
俺はすでに人間のクズだ。
実力では2人に絶対に追いつく事は出来ない。
ただ少しだけ。
少しだけでも夢を見たいと本気で思った。
心の弱い人間だった。
借りられる力なら何でも、悪魔の力だって借りたいと願ってしまった。
俺は成瀬にお願いをした。
太陽と一度一緒に解いた、この未来ノートに記載された英語以外のすべての問題。
この問題には模範解答が無い。
秀才の2人。
おそらく成瀬と太陽の実力なら、たとえ一般入試でS2クラスを受験しても合格する事が出来るだけの実力があるはず。
俺は最低の人間だ。
この問題が入試で実際に出題されるかも知れない問題だと知っていて、その模範解答を求めて太陽と、そして成瀬を利用している。
「うん、これで大丈夫。最後は社会だね」
「悪い成瀬」
「良いよこれくらい。私も完璧じゃないし」
あの日。
あの時。
成瀬は母校の小学校に太陽を呼び出すために、真意は分からないが俺に頼んで太陽を小学校の裏庭に呼び出した。
それを知って太陽は成瀬を怒った。
俺が成瀬に好意を持っていた事を知っていて。
それを知らないはずの成瀬に対して、俺を利用した事を激しく怒ってくれた。
俺はあの時の成瀬と同じように、2人を騙して利用しているんじゃないのか?
罪悪感が激しく込み上げる。
だけどどうしても……諦められない。
俺には今、もしかすると2人と同じ世界に行けるかもしれないチャンスがある。
そんな悪魔のような誘惑に負けた上に2人にその手助けを依頼している。
「はい、オッケーです。これだけで良いのかな?」
「ありがとう成瀬。俺1人じゃここまで出来なかった」
「太陽君も手伝ったんでしょ?少しは私も……役に立てたかな?」
「十分。最高の家庭教師だったよ」
「えへへ。そう言ってもらえると嬉しいかもです」
好きだった女の子に、惨めにも勉強を教えてもらう。
それも真実かどうかも分からない、未来に出題される問題を解くのを手伝ってもらっている。
ただ俺が勉強という行動を重ねる度に、太陽に、そして今俺の目の前にいる成瀬に。
楽しかったあの頃と同じくらい、いや、それ以上の笑顔が戻っている事が嬉しくてしょうがなかった。
自分自身への惨めな思い。
蜘蛛の糸のような、かりそめの希望。
未来ノートに記された入試問題の正答を得るために、最後に俺が頼りにしたのは、飛び切り可愛い笑顔を浮かべる親友の成瀬だった。