6.「否定したい事実を否定され」
成瀬と2人きりになれる時間。
それはもう俺にとって苦痛の一言に過ぎない。
人生でもう最後になるかも知れない彼女との2人の時間をあっさりと終わらせ、俺は今日も変わらず中央図書館へと向かった。
はぁ~せっかく成瀬と2人きりだったのに。
何やってるんだろうな俺。
何をやってきたんだろう俺。
本当、情けなさ過ぎる。
中央図書館の自習室に1人で座る。
気持ちが億劫のまま、カバンから過去問題集を取り出す。
なんだっけこの紙……ああ、社会の小テスト……本当に100点だ。
テストの結果は客観的だ。
すべてが点数で示される。
答えに辿り着けば点数が加算され、知らなければ得点は得られない。
俺のこのテストの結果は100点。
だから何だって言うんだ。
たかだかこの受験差し迫る1月、社会の小テストごときで。
すぐに小テストをカバンにしまい込む。
1回まぐれで取れた100点に浮かれるとか、小学生かよって本気で自嘲する。
もうこのテストの事は忘れよう。
問題を事前に予習出来たとか、そんな事あるはずが無い。
カバンから続いてノートを取り出そうとする。
色が目に付く黄色いノート。
どうしても気になり、またこのノートを手に取ってしまう。
恐る恐る1ページ目を開く。
「嘘だろ!?」
思わず大声を上げてしまった。
ここは図書館の自習室。
少ないとはいえ何人か自習していた人たちが俺の方をチラリと見ている。
すぐに我に返る。
胸のドキドキが止まらない。
嘘だよ、嘘。
こんな事、あるわけがない。
このノートは生きているのか?
1ページ目の問題がまた変わってる!?
おとといまでこの黄色いノートの1ページ目は社会の小テストの問題だった。
昨日太陽と一緒に解いた時には作新の過去問だと思われる国語の問題からビッシリ5科目、1年分の過去問が印字されていたはず。
それが何だよ。
今日、いま開いてみると今度は理科の問題に変わってる。
もう偶然じゃない。
絶対にこのノートに誰か俺が知らない間にイタズラしている。
でもそんなはずもない。
このノートは間違い無く、昨日も今日も俺が持ち続けている。
理科の小テスト。
理科の小テスト、今度の理科の授業はいつだ?
明日だ。
恐る恐る黄色いノートの2ページ目を開いてみる。
昨日と同じ、作新の過去問と思わせるような入試用の国語の問題。
昨日夏希姉さんと一緒に解いた解答もそのまま1ページズレて、2ページ目から5科目1年分の問題が昨日のそのままの状態で記載されていた。
全部が1ページズレてる。
一番先頭の1ページ目に、これまでまったく見た事も記憶にも無い理科の小テストと思われる分量の問題がそこに印字されていた。
胸のドキドキが止まらない。
少しだけ思ってはいた。
俺の勘違いで済ませていたクダらない考え。
――この黄色いノートには、未来で俺が受けるテストの問題が事前に書かれている――
クダらない。
あまりにもクダらない仮説。
そんな仮説がこの世界に存在するはずがない。
最近色々な事が一度に起こり過ぎた。
成瀬の件もそうだが、やっていなかった勉強だって、突然のように1日に何時間もやり始めた。
俺がおかしくなっただけ。
考え方がおかしくなってるだけ。
――じゃあなんで社会の小テストで100点が取れた?――
この疑問に明確な解答を示せない。
結果のすべてが俺を否定する。
いや、そんな馬鹿な事あるはずがない。
そうだ、否定して見せればいい。
俺は閉じていた黄色いノートの1ページ目を開く。
やはり1ページ目にはこれまで見た事の無い理科の小テストの設問が書かれていた。
これがまるで申し合わせたかのように、明日の理科の小テストの問題だったとしよう。
そんな馬鹿らしい事が実際に起こるなら、それに備えて俺は明日の問題を事前に予習する。
さっそく1問目を見ている……元素記号……当たり前過ぎる問題。
穴抜きになって元素記号をいくつも答えさせる。
クソっ、全部分からない、覚えていない。
明日本当に小テストが行われたら、俺はさもアッサリと低い点数を叩き出してしまう。
これが明日出題される小テストであるはずがない。
でも答えられないのは悔しい。
ここは中央図書館。
元素記号を調べるための本はいくらでもある。
俺の家には書籍はおろか、ネット環境すら整っていない。
家で気づいて調べようとしても調べられない。
教えてくれる人は1人だっていない。
家族だって、誰1人もいない。
夏希姉さんだって、誰も、誰も。
調べられるのは自分だけ。
調べる時間は、今しかない。
第1問の穴埋め問題は全部で5つ。
『塩素:CI』『鉄:Fe』『銀:Ag』『カリウム:K』『アルゴン:Ar』
俺は一体いま、何をやってる?
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翌日、3時間目。
俺は昨日気になり過ぎて、作新の過去問がほとんど手につかなくなっていた。
否定して欲しい。
とにかく否定して欲しかった。
これ以上クダらない事に労力を割きたくなかった。
「小テストを始めます。前から順番に配って下さい」
理科の小テスト。
白衣を着たいつもの先生が、先頭の列に問題用紙を配っていく。
未来の問題が分かるノート?
あまりにもふざけてる。
でも社会の小テストは……あれは偶然。
偶然に決まってる。
昨日の夜から何度この考えに至ってるんだ俺は?
でもひょっとして……いや、そんな事があるわけない。
俺の席にも理科の問題用紙が配られる。
裏側で配られ、まだ表の小テストの問題を見る事は出来ない。
「始めて下さい」
クラスのみんなが一斉に小テストの問題用紙を表にする。
俺は1人。
震える手でテストの問題を表にした。
……
………
……………
胸のドクドクする心臓の鼓動が止まらない。
心臓ばバクバク激しく動く。
全身から汗が噴き出す。
今にも叫び出しそうになる。
噴き出した汗がしたたり落ち、問題用紙に大粒の汗が1滴1滴と落ちる。
――あの黄色いノートには、未来で俺が受けるテストの問題が事前に書かれている――
瓜二つ。
まったく同じ。
問題の一字一句、すべてが一緒。
――あの黄色いノートには、未来で俺が受けるテストの問題が事前に書かれている――
俺は昨日中央図書館で、必死に調べた解答を1つ1つ記入していった。
もはやこの問題は一度解いた事のある過去の問題。
そんなに読み込む必要も無い。
第1問からの元素記号。
最初は分からず、図書館の元素の本を見て何度も確認した。
穴埋めは5つ。
『塩素:CI』『鉄:Fe』『銀:Ag』『カリウム:K』『アルゴン:Ar』
第2問目以降もすべてが一緒。
俺は夢でも見ているのか?
今日この馬鹿な仮説が否定されて、俺は作新の過去問を必死に勉強するつもりだった。
最後の問題も解き終わる。
解き終わるというのは正しくない。
なぜなら俺は。
昨日すでに。
この問題をすでに1度解いているからだ。
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「おいシュドウ、ちょっと顔色悪いぞ?」
「本当高木君、大丈夫?無理してない?」
「えっ?あ、ああ。大丈夫、大丈夫……」
昨日と同じように3人で昼食を取るために屋上に上がった。
成瀬と太陽の話が聞こえてこなかった。
理科の小テストが終わってから、俺は血の気が引くほどの恐怖に襲われていた。
――事前に問題知ってるのって、これってカンニングなんじゃないのか?――
不正行為。
来月受験を目指す立場の俺が、何でこんな時期にこんな事を考えないといけない?
成瀬も太陽も俺の顔色が悪いので、凄く心配した表情を浮かべている。
もうこれ以上今は、あのノートの事を考えるのはよそう。
とにかく気持ちが悪かった。
起こりえない事が2度も続けて起こったからだ。
事前に解いていた問題。
それが2回も続けて次の日のテストに出た。
これはもう偶然じゃなくて必然だ。
もう否定できない。
あのノートには。
間違い無く。
俺が今日解くはずだった理科の小テストの問題を先に印字されていた。
考えるな、考えるな。
でも、どうしても考えてしまう。
もし、もしも社会の小テストと同じ状況なら。
後で確認すれば分かる。
終わった理科の小テストの問題が印字されていた1ページ目が消えているはず。
馬鹿みたいな仮説。
今度はそれを否定するために、後で図書館に行った時、2人がいない時に確認しよう。
――その後、俺の期待はすべて裏切られ、馬鹿みたいな仮説はすべて立証される。
――2人と別れ、図書館で確認した黄色いノートの1ページ目。そこに書かれていたはずの理科の小テストの問題は消えてなくなり、代わりに作新の過去問と思われる国語の問題が元の1ページ目に戻っていた。
――俺は否定されるはずのありえない事実に抗うために、理科の小テストの結果が返される金曜日の2限目を生きた心地がしないまま、誰にも言えないまま、ただただその日をひたすらに、固唾を飲んで待ち続けた。
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――そして、その日は来た。
「加藤さん」
「はい」
金曜日の3限目。
理科の小テストが返される日。
テストの結果が100点ならば、俺のクダらない仮説はすべて立証されてしまう。
もしこの仮説が正しければ、俺の勉強のレベルがどうという話ではなくなってくる。
俺を今もっとも狂わせているあの白いノートの結果。
あれが本当に未来の問題を予知して記載された問題だったのかどうかという結論がもうすぐ分かる。
社会の小テストは偶然の塊だと思えた。
2度目の理科の小テストで同じ問題を見た時血の気が引いた。
もし同じ結果に至れば……何を考えている、そんな事あるわけないだろ。
良いから早く偶然だったと否定してくれ。
俺は今、作新の過去問を解くのに集中したい。
俺にこれ以上迷信まがいの混乱を与えるのは、誰だか分からないがやめてくれ。
「次、高木君」
「……はい」
席を立ち、教室の前にいる先生の元へ向かう。
結果はこれですべて分かる。
そう……すべて。
「おめでとう高木君、100点だよ。難しい問題だったけど良く頑張ったね」
「先生……それ嘘ですよね?」
「ははは、何を言ってるんだね。はい、答案用紙」
俺は先生から差し出された解答用紙を自分で確かめる。
クラスメイトのどよめきの声が地鳴りのように俺の体に響いてくる。
たかだか理科の授業の小テスト。
たかだか小テストの1つ。
たったそれだけの事なのに。
なんで俺はこんなにも。
クラスのみんなや太陽たちに対しても。
どうして俺はこんなにも。
罪悪感を抱いてしまうのだろうか……。