4.「顔を合わせるのが辛くなる時」
昨日成瀬の告白の一件以降、口を聞いていなかった3人。
学校の屋上で和解と呼べるか分からないが、一応の和解をする。
午前授業で終了なのは、受験に中学3年生特有の事。
午後の授業もある下級生たちが昼食を取るために屋上へ何組も上がってきた。
俺たち3人は場所を変える必要があった。
「どこ行こうか……なあシュドウ」
「あ、ああ。とりあえずいつものマックで良いんじゃない?なあ……結衣」
「う、うん……」
会話がぎこちない3人。
とりあえず駅前近くのマクドナルドに向かう事にする。
これまで太陽の部活が無い日は、学校帰りにジャンクフードを3人でよく食べに行っていた。
ポテトとドリンクだけで3時間。
可愛い成瀬の顔を眺めているだけで、俺にはこれ以上無い幸せな時間だった。
そう……これまでは。
マクドナルドの2階。
窓から駅の方角が見える席に3人で座る。
成瀬と太陽は俺の向かいに並んで座る。
2人の向かいに俺は1人で座る。
いつからか分からないけど、それがこれまで当たり前の席順。
いつかはもう忘れたけど、太陽が成瀬の隣に座るか聞いてきた事がある。
俺はそれを自然に断った。
成瀬と向かい合わせに座れば、太陽と話している可愛い成瀬の横顔をマジマジ見られる。
俺にとって2人の向かいの席は、どんなにお金を出しても座る事の出来ない特等席だった。
それが今じゃどうだ……。
これまでと変わらない席に座る。
マックでいつも座り続けてきた本当にいつもと変わらない席のはずなのに……。
俺の向かいに座る成瀬と太陽の2人。
向かいに1人座る俺はその光景を何かの拷問のように見続けなければいけない。
食事をする間もぎこちない会話と笑顔が続く3人。
この席は俺にとって、もう特等席では無くなってしまったようだ。
「なあ結衣。シュドウも来月作新の入試受ける事にしたんだよ。なっシュドウ」
「高木君本当?」
「記念受験だよ」
すでに推薦入学が決まっている成績優秀な2人と、これから一般入試を控える受験生である平均以下の俺。
この会話のやりとりすら自分が惨めに思えてくる。
自分が努力してこなかった結果だと分かってる。
全部自分のせい、それは分かってるんだけど……。
恐らく俺がこの土壇場、受験まで2カ月切ってる状況でいくら勉強をしたところで、せいぜい平均点を越える点数を取れるか取れないか程度しか成績を伸ばす事は難しいだろう。
ましてや俺は家庭事情も……普通の私立高校はおろか、総合普通科の高額な学費は絶対に払えない。
作新の入試を受けると言っても、ハードルが空を突き抜けるほど高い特別進学部のS2コースが志望対象。
今の俺は総理大臣になると言うくらいハードルの高い話に自ら挑戦しようとしている。
「高木君」
「えっ?ああ、なに成瀬?」
「受かると良いね」
「はは……絶対無理」
よりにもよって、推薦入学でS1クラスに進学の決まっている成瀬に、作新のS2に受験する事を知られてしまった……。
2人もそれを感じたのか、それ以上俺が県下トップクラスの進学校である作新高校を受ける事に話を広げなかった。
俺が落ちる可能性の方が高い話。
2人なりの優しさだと感じる。
いつも成瀬を見ていたはずの俺は、それ以上成瀬の顔を見る事が苦しく感じるようになってしまった。
可愛い成瀬の顔から眼をそらし、自然と視線は窓の外へ向かう。
この2階の席からは、駅前の通りがよく見える。
書店にゲームセンター、カラオケだって3人でよく遊びに行っていた。
部活は美術部だった成瀬。
カラオケは家族とも行った事が無いと言い最初は歌う事を恥ずかしがっていた。
太陽が成瀬も知っている曲を無理矢理1曲入れて、一緒に歌おうと誘い歌わせた事もある。
あの時の成瀬の透き通るような綺麗な歌声に心を弾ませた。
この街には3人の思い出があまりにも多すぎる。
来月受験が終われば、俺たちの関係もそれまでのはず。
今は太陽との約束で、作新の特進部を受験する義理を果たす期間。
来月2月の作新の受験が終われば、次の3月には隣町の公立高校の入試も控える。
俺にとってはそちらの方が本命。
元々受験勉強をまともにやる気も無かった。
それを奮い立たせてくれた太陽には感謝しかない。
隣町の公立高校まで落ちたら目も当てられない。
レベルの高い作新の過去問を解き続けるのは、必ず次に繋がるはず。
「悪い2人とも。俺、先に図書館行って勉強してるわ」
「そ、そうかシュドウ。後から行くな」
「えっ?太陽君、高木君と一緒に勉強してるの?」
「ああ、ちょっと訳アリでな」
「じゃあ俺行くね」
「おう、また後でなシュドウ」
2人の席に残して、先に図書館へ1人で向かう事にする。
勉強時間を少しでも増やすため。
少しでも入試で点数を取れるようになるため。
大義名分も甚だしい。
太陽が俺に勉強を教えてくれている事を成瀬にも知られてしまった。
自分がますます惨めに感じる。
俺は未来が約束されている眩しすぎる2人から、逃げるようにその場を後にした。
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マクドナルドに2人を残し、受験生の俺は図書館へ向かい通りを歩く。
昨日あの成瀬告白の一件があったばかりだと言うのに、結果的に俺は成瀬の肩を持って太陽と2人にさせる行動を取っている。
あのまま3人でぎこちない会話を続けていれば良かったのか?
それに太陽も俺が1人で勉強に向かう事を否定はしなかった。
あいつは目的を失いかけていた俺が勉強にやる気を出している事を喜んでくれているはず。
だから勉強するために図書館に向かう俺を止めなかった。
成瀬と2人きりになれるから俺を止めなかったわけじゃない。
太陽はそんな事を考えるような人間じゃない。
そう一瞬でも思った俺の方がクズな人間だ。
もう頭の中がグチャグチャして何も考えられない。
いつの間にか図書館に辿り着いていた。
この時期の図書館は俺と同じような境遇の受験生が多くいる印象。
ただ自習室の席にはある程度余裕があった。
経済的に負担できる多くの受験生は、その多くが高い塾代を負担して塾へ通っているのが一般的なはずだ。
その証拠に、俺と同じクラスの人間はこの自習室には1人もいない。
今日の学校の授業は午前終わり。
同じクラスの他の受験組は、それぞれの通う塾へ散って行ったに違いない。
塾では今頃入試に向けた対策講座が開かれているはず。
この図書館に俺が1人でいる時点で、どんどんと同じクラスの受験生と差が開いているはずだ。
考えれば考えるほど不安になってくる。
もう作新高校の特別進学部なんて考えている暇すら無いんじゃないのか俺は?
カバンから昨日太陽と一緒に書店で買った作新の過去問を取り出す。
あと2年分の過去問題が残っている。
加えて科目は5科目、全部消化するだけでもたくさんの時間がかかりそうだ。
それを何サイクルも繰り返し解く。
分かってはいるが、過酷な作業の繰り返し。
元々それを成瀬も太陽も、俺の見えないところで2人は努力してきたからこそ推薦入学を勝ち取っている。
2人をネタむのは筋違いだ。
今俺は2人が走ってきた道を、何周も周回遅れで追いつこうとしている。
立ち止まれば前は無い。
とにかく問題を解こう。
カバンから過去問の次にノートを取り出そうとする。
家にあった何冊か青い大学ノートもカバンに入れておいた。
……黄色いノート。
そういえば……昨日の夜……1限目の社会の小テストと瓜二つの問題が印字されてたような……。
黄色いノートが気になり、社会の小テストと瓜二つの問題が印字されていたはずの1ページ目を開く。
……あれ?
無い……昨日の夜……間違い無くここに社会の問題が載ってたはずなのに!?
なんで消えてる?
というか別の国語の問題に変わってる!?
おかしいおかしい。
絶対におかしい。
次のページまでペラペラとめくる。
次のページも。
その次のページも……。
次も次も。
なんだよこれ?
昨日ここまでページめくってなかったから気が付かなかったのか?
昨日は昼間から10時間以上も勉強してた。
普段やらない事をやって相当疲れたのは確かだ。
俺は何かを勘違いしているだけなのか?
……そう……だよな。
社会の問題が突然消えたり、突然国語の新しい問題が印字されたりするわけが無い。
昨日から今の今まで、この黄色いノートは間違い無く俺以外触っていないはず。
誰がどう細工も出来ない。
冷静に考えろ。
俺は1ページ目に昨日の夜見たと勘違いしてる1限目の社会の小テストが載っていると思い込んでいる。
俺はこの黄色いノートの中身をちゃんと確認せずに書店で買った。
それがそもそもの大きな間違いなんだ。
きっとこれは誰かのイタズラに違いない。
誰かのイタズラに……。
黄色いノートの1ページ目まで戻り、テストの問題と思われる1問目に目をやる。
これは社会では無く、間違いなく国語の問題……。
作新高校の一般入試は5科目。
国語の問題から始まる。
昨日太陽と一緒に日中3年分の作新の過去問を解き続けた。
この出題形式……作新の過去問に似てる……。
黄色いノートに印字された問題を見ながらページをめくる。
国語の出題……出題形式がそっくり。
いや……気のせいだろ……。
数学はどうだ?
……やっぱり似てる。
あまりにも昨日解いた過去問と形式が似ていたので、とっさに書店で買った本物の過去問集を隣に置いて見開く。
問題は同じものでは無かった。
まだ解いていない過去の年代の問題の1問目をすべてチェックしてみる。
無い……。
過去問集のどの年代にも同じ1問目は存在しない。
という事はあれか。
この黄色いノートに印字されている問題は、5年分載ってる過去問集を見る限る該当する問題は1つも無い。
少なくとも過去5年分の作新の過去問というわけでは無さそうだ。
「ようシュドウ、遅くなった」
「太陽、早くない?」
「良いから良いから早く勉強始めようぜ。俺、昨日と今日は肩休ませるからオフなんだけど、悪いけど明日からは終日練習で付き合えなくてさ」
「なら今日も無理しなくて良いって太陽」
「だから明日の分も今日やっとこうぜシュドウ」
図書館の自習室に合流してきた太陽。
考えていたわけじゃないが、成瀬と2人きりにしてマクドナルドに残してきた。
俺もまっすぐ図書館に向かってきたのに、自習室に着席して10分も経ってないはず。
成瀬とまともに会話してきたとはとても思えない。
成瀬との時間より俺の受験勉強を優先する太陽。
ありがたくもあり、2人に対する後ろめたさのようなものを感じる。
俺は2人が仲良くなる時間を奪っているんじゃないだろう?
「ほらシュドウ、さっそく昨日の続きからいくぞ」
「お、おう」
きっとこいつは俺が思っているような事は何1つ考えていない。
本気で俺が勉強するのに付き合おうとしてくれている。
いいヤツ過ぎて裏切れない。
今はとにかく過去問に集中する事にする。
お昼の12時を過ぎてから作新の過去問を2年間分終わらせた。
元々書店で買ったこの過去問は過去5年間分の過去問が載っている。
昨日3年分、今日は2年分を済ませた事で、昨日からの2日でまず1周する事が出来た。
時間は16時過ぎ。
かなりのハイペースで問題を消化したが、太陽も俺も、成瀬とのとりあえずの和解ともいうべき話し合いをした事でお互い気が張っていた。
それに明日から太陽は1日野球の練習で俺の勉強には付き合えなくなる。
昨日と同じように、今日は図書館の閉館時間までみっちり勉強する気満々だ。
「さて……どうするシュドウ?過去問2周目行くか?」
「太陽に公式とテクニックは大分教わったし……」
過去問に模範解答は当然書かれていた。
昨日から1問1問太陽が俺に指導してくれたのは、模範解答以上に分かりやすい問題の解法だった。
特に数学は問題に何が書かれているのかすら理解していない俺に、模範解答では飛ばされて書かれている公式の中間省略部分を1つ1つ丁寧に教えてくれた。
俺が1人でこの作新の過去問を勉強していたところで、数学の公式もただ眺めているだけで理解までは出来ないだろう。
俺の中で、太陽が教えてくれるうちに1問でも多くの公式の解き方を教えてもらいたい欲求があった。
……そうだ。
過去問がもう1年分あった。
作新の過去問かは分からないけど。
出題形式も、問題数も瓜二つだし。
入試の勉強にも丁度いい。
過去問5年分の中に無かった数式の解法も太陽に教えてもらいたい。
どうせあれ……模範解答付いて無かったからどうしようか困ってたんだよな。
「なあ太陽、実はもう1年分過去問が載ってるノート持っててさ」
「そんなの持ってたんだなシュドウ」
「たまたま。それが模範解答無くて困ってたんだよ」
「ちょっと見せてみろって」
その時俺は黄色いノートの1ページ目を太陽に見せる。
一緒に作新の過去問を5年分やった太陽。
俺と一緒で、年代は分からないけど作新の過去問だろうと2人で言い合い問題を解く事にした。
俺にはまったく分からない問題が多い。
全問では無いが、ほとんどの科目の問題を太陽は俺に解説しながら丁寧に教えてくれた。
「ちょっとこれ難し過ぎて俺には分かんないな」
「太陽でも分かんない問題じゃあしょうがないよ」
「解答無いのかこれ……」
太陽でも解けなかったのが英語の長文問題。
単語もロクに暗記出来ていない俺には、もはや何が書かれているのかすら分からない。
「こういうの得意なんだよな、あいつ」
「あいつって?」
「あいつだよあいつ。な・る・せ」
「ああ……そう……だな」
成瀬は小学生の時から自宅に先生を呼んで英語の勉強をしていた。
母親のツテとかそういう関係だと言っていた。
学校に非常勤で働いている英語の先生に月5000円くらいの低額な授業料で、今でも英語の勉強を続けていると話していた。
成瀬が英語の授業で100点以外取った記憶はない。
たしかに彼女ならこの英語の長文問題も、模範解答無しで解答出来てしまうだろう。
本当に聞くかどうかは別の話だが……今の状況で俺から直接話しかける事はまず無いだろう。
太陽には模範解答が無くても社会と理科の問題もほぼ完璧に指導してもらった。
英語の長文問題だけ残し、図書館が閉館する時間を迎える。
「太陽、今日も本当ありがとう」
「気にするなってシュドウ。俺とお前の仲だろ」
「本当ここまでしてもらって、俺……」
「なあ……シュドウ」
「えっ?」
「もし……作新入れなくてもさ。俺とお前、ずっと友達……だよな」
「太陽……そんな事言われたら裏切れなくなるだろ」
「ははは、ちょっと気持ち悪かったな、すまん」
「太陽も、作新で野球部レギュラー獲れたら良いな」
「俺は俺でボチボチやるよ。じゃあなシュドウ」
中央図書館の出口で別れる。
時間は夜の19時を過ぎていた。
手を大きく振り笑顔で別れる太陽。
本当にあいつと俺は月とすっぽん。
辺りはすっかり暗くなったが、あいつだけ俺には輝いて見える。
夜の街の中で、昼間天に昇る本物の太陽のように。
離れて見えなくなるまで大げさに手を振るあいつの笑顔が、俺には眩しすぎるほど輝いて見えた。