31.「克己心」
「よっ、太陽」
「シュドウか……今日は情けない姿を見せちまったな」
夜。
太陽の家の近くにある小さな公園。
公園を照らす街灯は1つ。
薄暗い公園には俺と太陽の2人だけ。
「家に行って、お前の母さんに外に出てるって言われたから。ここだと思って来た」
「そうか」
ベンチに座り、うなだれる太陽。
さすがの太陽も、今日の結果にはこたえたはず。
「最後にやられたな」
「ああ……ちくしょー、もうちょっとだったのによ」
「本当惜しかったよ、全部見てた」
太陽は相当悔しそうだ。
それはそうだろう。
あと1回抑えれば勝ち投手。
8回まで勝っていようが、最後に打たれれば負け投手。
本当に厳しい世界だ。
「くそっ。もうヤっちまったもんはしょうがねえ」
「気持ちの切り替えか?練習し過ぎて故障するなよ太陽」
「そりゃお前の事だろシュドウ」
話をして太陽は少しだけ負けた事を吹っ切れた様子。
話題を変えて、昨日の成瀬の家の一件を聞いてきた。
「どうだった結衣の家」
「野獣に襲われたよ」
「結衣にか?」
「成瀬真弓に決まってるだろ」
「いつも通りだろそれ」
「そうだよ」
「ははは」
太陽に成瀬が話した事をやたらと伝えるのは申し訳ないと思い少しにとどめる。
俺は成瀬と話をして、来月の中間テスト、2か月後の期末テストで高得点を取ってS1クラスへ昇格する目標を立てたと太陽に告げた。
「目標はデカいな」
「お前と一緒だよ太陽」
「S1行って、成瀬に告白か?」
「甲子園行っても無いのに告白したお前がそれ言うか?」
「はは、違いねえ」
成瀬に対する気持ちは正直俺にも分からない。
俺はただS1に上がって、成瀬が喜ぶ笑顔を見たいと太陽に言った。
「なるほど、お前らしいなシュドウ」
「俺らしい?」
「損得無しに動くところ。昔からそうだろ?」
「それは合ってる気がする」
「そして損ばっかだろお前」
「うるせえよ」
太陽は数日肩を休ませてから、またトレーニングを再開すると話す。
走り込みは続けるらしく、明日も朝から学校のグラウンドを走り回るようだ。
負けた翌日からまた練習。
負け続ける日もくるかも知れない。
気持ちの切り替え、そんなに簡単に出来るのだろうか?
「克己心?」
「そう、克己心だな」
「なんだよそれ」
「おのれに徹して、人のために生きよってな」
「自分との戦いか?」
「う~ん、少し違うな」
中学生の時の野球の監督に教えられた座右の銘らしい。
太陽は気持ちの切り替えが必要な時に、決まってこの言葉を胸に刻むと話す。
「なあシュドウ。野球って1人でやるスポーツじゃないんだ」
「そうだな、たしかに」
「お前も勉強1人でやってるつもりだろうが、俺はこの前のシュドウの実力テストで大きな力をもらった」
「何にもしてないよ俺は」
「そうじゃない。1人でやってる事だって、他人に大きな影響を与えるんだ」
おまじないのような精神論。
ただ野球も勉強も通じるものはあると太陽は言う。
「シュドウ。人のために何かをしようとする力は、必ず大きな力になる」
「私利私欲じゃなくて、人が喜ぶような事してた方が良いって事?」
「お前が成瀬の笑顔を見るために勉強するのはとても良い事だ」
「そんなもんかな」
「ああ、そうだ。今日めった打ちにされた俺が言うのもなんだが、まあそんな日もあるさ」
「前向きだな太陽」
そう。
太陽はいつだって前向きに生きている。
克己心。
おのれに徹して人のために生きる。
いい言葉だな。
「サンキュー、シュドウ。今日お前が寄ってくれて助かった」
「俺は何にもしてないよ。中間テストの直前で打たれても、俺はもうここに来ないからな」
「はは、だな。テストの前は抑えられるように頑張るぜ」
「頼むぞ太陽」
「おう」
公園で別れる事にする。
太陽はすっかり元気を取り戻して、大きく手を振り俺を見送る。
明日からはまた全力予習の再開。
問題の難易度も上がって、調べきれない問題が出てくるはず。
俺自身のためじゃなくて、誰かのために頑張る……か。
勉強ばかりに下を向く俺は、前向きに生きる生き方を太陽から学んでいるのかも知れない。
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(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
月曜日、午前中の授業が終了する。
これから昼休憩。
今日の俺に1つ変化があった。
今朝も3時間だけバイトをしてから登校した俺。
カバンの中にコンビニからいつも持ってくるはずのパンは入っていなかった。
「ようシュドウ、おはようさん」
「おはよう太陽」
SAクラスから太陽がS2クラスに入ってくる。
今日はいつもと違い、教室の後ろの入口から中を覗き込む女子の姿が何人か見られる。
(「あれ野球部の朝日君でしょ?」)
(「昨日カッコ良かった~」)
「人気者だぞ太陽」
「うるせえよ。おっ、結衣。おはようさん」
「おはよう太陽君。ふふ、もうお昼なのにね。昨日は……残念だったね。お疲れ様」
「サンキュー結衣」
俺たち3人の関係は少し複雑。
それでも今お互いを称え合う余裕のようなものが生まれていた。
中学時代の3人の関係を続けていたいと願った自分。
同じ気持ちとか、同じ関係はどんな事だって永遠には続かない。
ここにいる3人は、新しい関係として成り立っている。
「はい高木君どうぞ」
「おいシュドウ。お前結衣の手作り弁当かよ。報告漏れだぞ」
「お前は俺の上司かよ。サンキュー結衣、ありがたくいただきます」
「ふふ、どうぞ」
弁当箱は気兼ねないように使い捨てのパックに入れてくれている。
割りばしを使っていただく。
弁当箱を返さなくても良い成瀬の配慮を感じる。
いつも貰っていたクッキーが、ついにお弁当にまで化けてしまった。
「ウインナーに玉子焼き……」
「良かったなシュドウ、理想的な弁当だな」
「どうしたの高木君。ウインナーとか嫌いだった?」
「夢かこれ。俺いま、成瀬の作ってくれた弁当食ってる」
「大げさだよそれ」
「シュドウ、いらないなら俺が食うぞ」
「誰がやるかよ。全部俺のだ」
S2の教室で成瀬の作ってくれた弁当を食べる。
その時間に浸っていると、教室の後ろの席から1人の男が入ってくる。
その姿を見た太陽が、慌てて席を立ちあがる。
「岬先輩、うっす」
「おお朝日か。昨日はスマン」
「いえ、あの後抑えられなく俺の方こそ」
岬?
岬れなと同じ苗字……そう言えば昨日、岬はバイト先から俺と一緒に向かったな。
太陽が先輩と話をしているって事は、この人、昨日の試合で4番を打ってた野球部の選手。
太陽と成瀬が席を立ち挨拶が終わると、岬と呼ばれた先輩はS2の窓側の席に座る岬れなの元に向かっていく。
「おい、れな。お前その茶髪早く染めろって」
「染めてるし」
「黒くしろと言ってるだろ?同じ学校の俺が恥ずかしい」
「知らないし」
俺と同じような口調は相変わらず。
入ってきた野球部の先輩が上級生という事は、学年からいって岬のお兄ちゃんだろう。
兄弟がこの学校通ってたんだなあいつ。
兄が何か物を届けにきたような会話。
ついでに喧嘩も始まる。
あまり仲が良いようには見えない。
しばらく口喧嘩を続けると、諦めたように兄の方は教室の後ろから立ち去って行った。




