12.「成瀬姉妹」
『源氏物語』の第3巻を手に入れた。
ただし謎の女から拝借出来たのは僅かに30分。
というかあいつの持つスマホのカウントダウンはすでに30分を切っている。
だが俺は出来る男。
ついさっきまで第1巻と第2巻に目を通して、未来ノートの設問をサーチする探索力は大幅にアップしている。
全集中。
今の俺なら僅かな時間で、この第3巻の模範解答を発見できるはず。
お前ならやれる。
残り20分。
まだまだいける。
そしてまだ設問と一致する文章が見つからない。
早く見つかれ俺の未来。
残り10分。
いよいよマズい。
まだ設問と一致する文章が見つからない。
なんだよこの設問発見タイムリミット。
あの女のせいで焦って読み飛ばしている可能性すらある。
そんな事無いよな?なあ?俺読み飛ばしたりしてないよな?
残り5分。
もうヤバい。
俺の『紫の上』はどこへ行った?
もう俺はお前に会いたくて会いたくて、1000年の時を越えてこの作新高校でお前をサーチし続けている。
お前の事を幼女とか言って悪かった。
『源氏物語』の関係者の皆様、ここに深くおわび致します。
日本史に残る最高文学のヒロインにして、小野小町を越える超絶美人だったと俺は勝手に広報する。
頼むからあと5分以内に俺に発見されてくれ。
……
…………
………………よしきた!
あった!
いた!
俺の『紫の上』!
第3巻のこんな後ろの方に隠れてやがった。
タイムリミットが迫る。
本当はあんな意地悪女の言う事なんか無視してゆっくり調べても良かった。
でも俺の野生の勘がそれを許さなかった。
あの手の女は約束を破ると絶対あとでものすご~~~く面倒くさい事になるに決まっている。
俺の経験がそれを裏付ける。
そう、あの時だって……。
……俺は小学校の時、成瀬にイタズラして泣かせた事がある。
泣き虫の成瀬が悪い。
今でも本当にそう思っている。
成瀬を泣かせたのがバレて、先生に呼ばれて学校で謝罪文まで書かされた。
そのうえ成瀬の家まで行って、成瀬と成瀬の母さんがいる前で謝るハメになった。
成瀬の母さんはなんで俺の親が一緒にいないのかと俺に聞いてきた。
俺は親と一緒に住んでいないと答えると、成瀬の母さん顔が青ざめてそれ以上怒られなかったのを覚えている。
そう言えばあの時……成瀬の姉ちゃんもいたよな。
あれ、なんか大事な事忘れてるような……って違う!
今はあの源氏の女がタイマー片手に俺の帰りを待っている。
成瀬にイタズラしてる場合じゃない。
早く模範解答を完成させるんだ。
俺は未来ノートの設問と一致する部分から、完全完璧な模範解答5問を完成させた。
すぐに自習席を立ちあがり、古典コーナーへと向かう。
……いた。
あの意地悪、源氏の女。
俺が戻ってくるのを見つけると、また無表情だった顔がイッキにニヤけやがって。
過去の成瀬にイタズラした俺が言うのも何だが、何が面白くてこんなイタズラするんだあいつは?
「はぁはぁ……ほらよ。約束通り戻ってきたぞ」
「遅刻」
「はぁはぁ……はい?」
「3分遅刻」
「はぁはぁ……ご、誤差だろ?」
「面白かったそれ?」
「ああ面白かったよ。俺の『紫の上』は超絶最高だったよ」
俺は源氏の女に第3巻を差し出す。
こいつ……満面の笑みで受け取りやがって……。
第1巻と第2巻はともかく、正直第3巻は模範解答探しでサーチするだけの作業だったから何の内容も頭に入ってきてないよ。
「ねえ」
「なんだよ、もういいだろ返したんだから」
「ねえねえ」
「うるさいな。俺もお前も用済みだろ?俺忙しいから、じゃあな」
あんな美人で意味不明な事する女の子がいるんだなこの高校。
これ以上あいつに構っている暇は無い。
俺はこの後、さらに意味不明な三角比の余弦定理に向けて出港しなければいけない。
出港した船が氷山にぶつかるまで後わずか。
港の女にかまっている時間はもう1秒だって残されていない。
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日が暮れ、図書館の大きなサッシの外はもうすっかり暗闇に包まれている。
本当は今日バイトのシフトが無かったから、成瀬と一緒に野球部の入部テストの応援に行きたいと思っていた。
俺がここで、間違ってはいるけど勉強を頑張っている以上に、太陽は作新高校野球部のレギュラーを勝ち取るためにピッチャーとして入部テストに挑戦している頃だ。
甲子園の常連校、生半可な実力で勝ち取れるレギュラーではないはず。
総合普通科の推薦組以外からも入部テスト希望者は多いと太陽は言っていた。
成瀬は俺と自習してから一緒に太陽の応援に向かうつもりだったに違いない。
すまない2人とも。
成瀬も一緒に自習しようって言ってくれたのに本当にごめん。
申し訳ないついでに、俺の代わりに太陽の応援を頼む。
成瀬が本当に好きなのは太陽だ。
目の前でそれを、成瀬の気持ちを俺は知った。
毎日毎日、日を追うごとに可愛くなっていく成瀬が応援してくれるんだ。
太陽も俺が応援するよりずっと元気が出るはず。
「あの~宜しいですか君?」
「えっ?あっはい」
「もう閉館の時間なんですよ」
「ええ!?ちょ、ちょっと待って下さい」
しまった。
ボっーっと成瀬の事考えていたら、いつの間にか夜7時の閉館時間が来てしまった。
あらゆるツールを活用して、インターネットの力も借りて。
ユーチューブで三角比の余弦定理問題と瓜二つの解説動画を偶然発見したミラクルも起きた。
あと1問。
どうしてもあと1問調べたい問題があった。
「君、決まりなんだから守ってもらわないと困るよ」
「そこを何とかお願いします。あと10分、いや、5分で構いません。どうしても調べたい問題があるんです」
「どうしました?」
「これはこれは神宮司様」
神宮司?
ちょっと珍しい名前だな……。
「君、どんな問題を調べているのかね?」
「英語です」
「家でも調べられるだろうに」
「辞書を持って無くて……買えなくて……ここでしか調べられなくて」
「ふむ……先に閉館準備を。この子は裏口から私が出そう」
「神宮司様」
「本当ですかおじさん?ありがとうございます」
「これ君、このお方は」
「はははは。私がおじさんか、これは愉快愉快。さあ早く調べて帰りなさい、時間は待ってはくれんぞ」
「はい、ありがとうございます」
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夜。
成瀬家。
仲の良さそうな姉妹の声が、浴室から聞こえてくる。
「ゆいちゃん、それでどうだったの?」
「それいま聞く?」
「良い事だったの?悪い事だったの?」
「嫌だよそれ言うの」
成瀬結衣。
高木守道、朝日太陽と同じ作新高校に通うS1クラスの1年生。
「今日の太陽君凄くカッコ良かったね」
「それは……そうだけど……」
「監督も褒めてたし。あれなら1年からレギュラーいけるかも」
「それ本当?」
「なんだ~結局気になるんでしょ?一体どっちが好きなのよゆいちゃんは?」
「そんな事言わないし」
「も~素直に白状しろ」
「ちょっとお姉ちゃん触らないでよエッチ」
姉、成瀬真弓。
作新高校3年生にして野球部のマネージャー。
仲の良い姉妹。
自宅の2階。
妹の部屋に無理矢理入る姉、真弓の姿があった。
「それでゆいちゃん。さっきの続き」
「続きなんてありません」
「太陽君の方はもう十分分かったから」
「何よそれ」
「太陽君が入部テスト受ける時のゆいちゃんの姿、お姉ちゃんしっかり観察させてもらいました」
「そんなところ観察しなくて良いから」
妹の背中の後ろに座る姉。
妹の風呂上がりの髪をブラシでとく。
「どう野球部のマネージャー?」
「う~ん……もうちょっと考える」
「高木君で忙しいもんね、ゆいちゃんは」
「うるさい」
「ふふふ。でも本当野球部悪くないわよ。今は楓と2人だけだし、あなたが入ってくれたらお姉ちゃん助かるな」
「楓先輩か~ちょっとそこ憧れるな」
「私の事は?」
「憧れてますお姉ちゃんには」
「本当かな~」
夜が深まる。
妹の布団に潜り込む姉。
「ちょっとお姉ちゃん。いい加減自分の部屋に戻って」
「もう、反抗期なんだから」
「それとっくに終わってる」
「今日は白状するまで帰りません」
「帰ってよ~」
妹を背中から抱きしめる姉。
身動き出来なくなった妹を抱きしめたまま、姉は妹に優しく話しかける。
「本当ゆいちゃんが元気になって良かった」
「……うん」
「あの時はごめんね」
「もうそれ言わないでいいって言った」
「本当ごめんね」
姉の方に振り向き、布団の中で顔を合わせる姉妹。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「……今日悪い事と……良い事が両方あった」
「そう……悪い事って?」
春先の夜。
まだ肌寒い風が吹き抜ける。
その冷たい風の中で、どこからか小さな桜の花びらが運ばれてくる。
「断られたの?」
「うん……」
「あらあら……」
「ちょ、ちょっとお姉ちゃん苦しいよ~」
妹を抱きしめる姉。
街の桜はもう散りかかり、残り少ない桜の花びらが街の路上に舞い落ちる。
「ふふふ、あははは」
「ちょっと!もう~やっぱり話すんじゃなかった~」
「ふふふっ、ごめんなさい。もうおかしくって」
「お姉ちゃんの馬鹿」
「本当、それ、もうどうしましょうね」
「どうして良いか分かんないから相談してるの。真面目に考えてよ~」
「ふふふふ」
散りかかる桜の木の枝に。
芽生えの時を待つ新緑のつぼみが芽をのぞかせていた。




